凍った山小屋を解凍し、うんこを背負い・・・。ワンオペで三伏峠小屋の冬期営業をやってみた【前編】
南アルプス主脈の中間地点「日本一高い峠」(2615m、林野庁表記)にある三伏峠小屋。前後に登山口がないため、夏場には多くの登山者が長野県側から入山し、塩見岳や荒川三山方面へと出かけていく。麓の大鹿村で暮らす筆者は、冬は雪に閉ざされるこの峠の小屋で一昨年から、年末年始とゴールデンウィークの営業を始めた。山上に出現した3000m峰のベースキャンプに、噂を聞いて各地から登山者たちが集まってきた。
文・写真=宗像 充、トップ写真=夏のお花畑付近から望む塩見岳
完全閉鎖の冬期小屋を営業小屋として再開する
2022年の年末、ぼくが麓の大鹿村に住んでいるのを知っていて、山の仲間が塩見岳(しおみだけ)に登りに来た。せっかくだからいっしょに行った。繁忙期だけ夏は三伏峠小屋(さんぷくとうげごや)を手伝っている。でも、雪の時期は何年も小屋まで上がっていなかった。
以前は開放していた冬期小屋もコロナをきっかけに完全に閉鎖されていた。夏のゲートのずっと手前が冬期ゲートになり、夏も40分の林道歩きがあるのにさらに1時間半歩く。峠まではトレースもあり天気もよかった。ところが、翌日は塩見岳までずっとラッセルで、峠に張ったテントへと降雪の中逃げ帰るように戻ってきた。
峠からの下山時には林道で数パーティとすれ違い、登山口の小さな駐車場は満車だった。林道で行き違う度に「トレースはありますか」と聞かれる。小屋を営業し、トレースを確保すれば登山者が集まるのではないか、それが冬期営業のきっかけだった。
オーナーは麓の温泉旅館の山塩館で、冬期小屋を閉鎖した結果、無理やり入った登山者が小屋内部を損壊したと聞いていた。コロナの時期にはほかにも似たような被害にあった山小屋があり、冬期小屋が開放されなくなったケースもある。
オーナーが再開に慎重になる気持ちはわかるものの、山小屋が緊急時のシェルターとしての機能をもつ以上、麓に住む山屋としては、登山者には申し訳ない気持ちになる。自分も冬期避難小屋に一度ならず助けられたことはあるからだ。人を置くことで小屋に泊まれ小屋も維持されるのであれば、オーナーにとっても登山者にとっても双方利益があるのでは、とオーナーに話すと理解してくれた。開放された営業期間に来るよう登山者に促すことにした。
課題をクリアし何とか営業にこぎつける
三伏峠小屋では以前も冬期営業をしていたことがあるという。とはいえそれは何十年も前の話で、オーナーは記憶にあっても、その他の関係者は見たことがない。
夏の営業小屋を冬に開けるといっても、不必要に施設を開ければ燃料を消費するし、意欲も含め営業的に成り立たなければ続かない。そこで必要最低限の施設利用ということで、夏は個室として利用している新館(別館)を開けさせてもらうことにした。食事は提供できないものの、炊事室はあるので素泊まりなら宿泊可能だ。
いろいろ考えて具体的な方法をオーナーに提示できたのは夏も半ばを過ぎていた。おかげでシーズン中のヘリの荷揚げは終了していた。燃料は自分で確保せざるを得ず、夏の専属の歩荷さんに頼んで灯油を上げてもらった。餅やおでんなどの販売物は秋のうちに上げることはできたものの、夏の販売物も残っておらず、酒類の提供は初年度は諦めた。
山小屋で問題になるのはトイレだ。
三伏峠小屋のトイレはバイオトイレだ。冬は凍ってしまうし利用者が多ければ溜めておくことはできない。
「携帯トイレにしろ」
解決策をアドバイスしてくれたのは、大鹿村の隣の遠山谷(飯田市)にいた登山家の大蔵喜福さんだった。
地元飯田市出身の大蔵さんは、遠山谷で据え置きテントの幕営地を増やして山の難度を下げ、聖岳(ひじりだけ)・光岳(てかりだけ)に登山者を呼び込んでいた。デナリのベースキャンプでは排泄物の持ち帰りを経験してもいる。遠山谷では据え置きテントと組み合わせ、携帯トイレ利用で持ち帰るエコ登山を提唱して注目されていた。
一般的な登山では宿泊場所のほか、道と水とトイレが必要とされ、山小屋が国立公園で営業できるのは、その便宜を図る役割を果たしているからだ。冬山の場合、道は人が小屋まで入れば確保される。水は雪を溶かしてできる。最後に残ったトイレがこれで解決した。早速冬期ゲートの脇に回収ボックスを設置し、小屋から登山者にここまで持って降りてもらうことにした。
もちろんもともとあった山小屋の施設や備品を利用させてもらえなければそれもできない。オーナーの理解と配慮あってこそなのだけど、冬用の特別の備品があるわけでもない。寝具は夏と同様、マット1枚に毛布3枚。それだけでは寒いので、予約時にシュラフ持参をお願いした。そして携帯トイレは、大蔵さんの「南信州山岳文化伝統の会」から提供いただいた。
雨戸の開けられる部屋を開放すると定員は20名。宿泊費は夏の料金に燃料代を上乗せして1万円。それをワンオペで対応して収益化を図ることにした。
SNSを利用したり、知り合いの雑誌や新聞社の方に宣伝してもらって、バタバタしながら12月23日の土曜日の営業開始日の前日に、昨年塩見岳をめざした友人2人とともに小屋入りした。
凍った小屋を温める
入山した22日はクリスマス寒波の襲来で、小屋の引き戸を開いて2台のストーブに火を入れても小屋はなかなか温まらなかった。
夏の小屋閉めで置いておいた備品や販売物がどうなっているのか不安でいっぱいだったけど、若干ネズミの被害を受けた以外は問題なく胸をなでおろす。なにしろ、なにかトラブルがあっても、補充も代替もきかない。シーツでパーティションを作り、入り口には毛布を垂らして寒気を遮断した。トイレブースを設置し、寝具と商品を並べてポップを作るとあっという間に営業準備が整った。
初日、初の宿泊客が泊まりにきた。あまりに寒かったからか、その翌日には小屋開けを手伝ってくれた友人たちとともに下山した。それから3日間予約は入っていない。一人南極の越冬小屋に取り残されるようなイメージだ。明かりは電池のランプで、携帯は入るものの、充電はポータブルのバッテリーしかない。
27日から30日までは宿泊者が来た。入り口の玄関に置いたテーブルを囲んでみんなで宴会になる。だけど、それ以外は小屋泊はなく、たまに立ち寄る登山者やテント泊の受付の人以外、話し相手もいない。外は毎日塩見岳や南アルプス北部の山々が霧氷越しに見渡せた。でもきれいな景色は5分で飽きる。
12日間で小屋宿泊者は9名、テント泊は20人。人が生きていくためには、食料や住むところ、暖かさ以外に、人とのコミュニケーションが必要なんだなと実感した。その間たまったうんこを背負うっての林道歩きも相当に応えた。一人でやるにはこれが営業期間の限界だった。
この記事に登場する山
プロフィール
宗像 充(むなかた・みつる)
むなかた・みつる/ライター。1975年生まれ。高校、大学と山岳部で、沢登りから冬季クライミングまで国内各地の山を登る。登山雑誌で南アルプスを通るリニア中央新幹線の取材で訪問したのがきっかけで、縁あって長野県大鹿村に移住。田んぼをしながら執筆活動を続ける。近著に『ニホンカワウソは生きている』『絶滅してない! ぼくがまぼろしの動物を探す理由』(いずれも旬報社)、『共同親権』(社会評論社)などがある。
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