「想定外」があるから、洞窟探検はやめられない。洞窟探検家・吉田勝次インタビュー【前編】
山岳、極地、海洋など自然のフィールドを舞台に創造的な冒険・探検を行なってきた個人や団体に贈られる「植村直己冒険賞」。今年2月に同賞を受賞したのが、洞窟探検家の吉田勝次さんだ。吉田さんはこれまで30年余りにわたって世界およそ30カ国で1000カ所以上の洞窟を調査してきたという。洞窟探検のおもしろさを思う存分、語ってもらった。
文=谷山宏典 写真=吉田勝次・山と溪谷オンライン
洞窟内での仕事は「探検」「測量」「撮影」
――吉田さんの肩書きは「洞窟探検家」ですが、そもそも洞窟に入ってなにをしているのですか?
その質問、よく聞かれるんですよ(笑)。オレたちが洞窟内でやっていることは大きく3つあって。それが「探検」「測量」「撮影」なんです。
探検は、未踏の洞窟に入り、通路を探しながら奥へ奥へと進んでいくことです。先の状況がどうなっているかは行ってみなければわからず、縦穴があればロープを使って下りるし、水路が出てきたら泳いだり、潜水をしたりします。
ある程度、探検ができて洞窟内の状況がわかったら、次にやるのが測量です。測量とは通路やホールの大きさ、距離、形状などを測って、測図(地図)に落とせるようにすることです。また、今は自撮り棒を使って動画の撮影をすることが多いですが、被写体になりそうな通路やホール、鍾乳石を見つけたら照明機材を持ち込んで撮影することもあります。
――寝泊まりは洞窟内で?
大きな洞窟を探検する場合には洞内にベースキャンプを作り、そこで寝泊まりしながら、周辺の調査を行ないます。食事は、あまり重量のことは気にせず、食べたいものを持ち込んでいます。キャンプでの食事は、洞窟探検で唯一リラックスできる時間ですからね。また、体から出たもの、つまり、おしっこやウンコはすべて持ち帰るようにしています。
洞窟探検をするようになって大きく変わったのは時間の感覚ですね。20代のころ、登山をやっていたときは「できるだけ太陽が出ている時間帯に行動する」っていうのがセオリーでしたが、洞窟って常に真っ暗でしょ。昼も夜も関係ない。だから、体が動くならガンガン動いて先に進むし、「疲れたな」「眠いな」と思ったら休む。そのときどきの体の状態や感覚に従って行動しているんです。そこはほかのアウトドアの遊びと決定的に違うところじゃないかな。
4万円で洞窟の精霊を鎮める!?
――植村直己冒険賞の授賞理由の一つとして、吉田さんが近年取り組んでいるラオスでの未踏の洞窟探検が挙げられていました。ラオスでの調査はいつごろから?
最初はたしか2016年ですね。ラオスではすでにいくつもの洞窟を調べていて、今調査しているナムロッド洞窟には19年、22年、24年と3回入ってます。
――著書『洞窟ばか』のあとがきで、19年に「警察に逮捕された」と書かれています。それもナムロッド洞窟で?
そうそう。ラオスでの探検の許可取りは現地のコーディネーターの会社に頼んでいて、ナムロッド洞窟も「許可取りは簡単だから、大丈夫!」と事前に聞いていたので、オレたちはいつも通りに現地入りしたんです。ところが、地元の村には話がまったく伝わってなかったようで。洞窟に入っていくわれわれの姿を見かけた村人が「あやしい連中が神聖な洞窟に立ち入っている!」と通報したみたいなんです。
洞窟にやってきた警察官に連行されて村まで戻ったら、シャーマンみたいな人がいて、「お前たちが神聖な洞窟に勝手に入ったせいで精霊がめちゃくちゃ怒ってる」と言われて。そのあと、警察に装備もパスポートも全部没収されて、ホテルで待機してろと指示されたんです。
――村人とのトラブルはその後、解決できたんですか?
しばらくしたら連絡が来て、「洞窟の精霊を鎮めるために祭りをしなければならない」と。その費用が日本円で4万円ぐらいで、「それを払ったら許してやる」と言われたんです。4万円で解決できるならって、ソッコーで払いましたよ(笑)。それから没収されてた装備などを返してもらって帰国したんです。
――村人にとって洞窟は聖域だったわけですね。2回目以降の調査は大丈夫だったんですか?
2回目はテレビ(TBS系列『クレイジー・ジャーニー』)のロケも入ることになったから、万全を期す必要がありました。撮影ビザを取るために政府の窓口でちゃんと手続きもしたし、地元の村にはコーディネーターに事前に行ってもらって交渉をしておいてもらったんです。
なんでテレビ局に声をかけたのかと言えば、コロナ禍があったり、円安の影響があったりで、費用的にかなり厳しくて。でも前回、なにもできずに消化不良だったから、絶対にもう1度行きたかった。『クレイジー・ジャーニー』の番組制作を兼ねることで、オレたちとしては探検費用の一部を制作費で負担してもらえるし、テレビ局としては番組が一本作れるし、互いにウィンウィンになるでしょ。
――24年の3回目の調査では、地下水路は大量のごみで行く手を阻まれたものの、奥の壁をよじ登って巨大なホールを発見しましたよね。
奥の壁は40mぐらい登ったのかな。壁の上は小さなホール状の空間になっていて、最初は「ここで行き止まりかな」「一番つまらん終わり方だな」とちょっとガッガリしたんです。長年洞窟探検をしているので、地形を見ればだいたい先の予測ができちゃうんです。でも、そこから大どんでん返しがあって。オレたちも想定外すぎてびっくりしたんだけど。
――どんでん返し、ですか!?
右側が鍾乳石の壁になっていて、まだ時間もあったから「ちょっと登ってみようかな」と25mぐらい登ったんです。グズグズの崩れやすい壁で、石をバンバン落としながら登ったんだけど、登った先が棚状になっていて。「とりあえずここも測量するか」と先に進んでいったら、下に降りていく縦穴を見つけたんです。
オレは興奮して、「お~い! ここから下に行けるぞ~!!」と後続のメンバーに大声で叫んで。はじめはほかのメンバーを待っているつもりだったけど、穴を下りたくて下りたくて我慢ができなくなってしまい、「ちょっと先、行ってみるわ!」とロープを垂らして一人でスルスルとその穴を下りていったんです。
で、その先で通路がつながっていて、進んでいったら、ドーンとでっかいホールに出て。やばい!と思ったね。そのあと、ほかのメンバーたちもやってきて、「これだから洞窟探検はやめられんね」と言い合ってました(笑)。ただ、その巨大ホールの先では、地下水路に戻るルートが見つけられず、時間切れになってしまったんですが。
――巨大なホールであれば、ほかの通路が見つかるかもしれないですよね。「次」はもう考えているんですか?
いやー、どうだろう。実を言うと、今回自分の体力がめちゃくちゃ落ちているのを痛感して。2年前と同じルートを行っているから、自分の変化がよくわかるんです。それに出発前から原因不明の肩の痛みに悩まされていて。オレは痛みには強い方なんだけど、それでも今回は痛すぎて、登ったり、泳いだりがかなりきつかったんですよ。
正直、頭の片隅には「引退」の二文字がちらついていました。探検を終えてホテルまで戻り、帰りの準備をしているときも、ものすごく悩んで。自分はこの国にまた来るんだろうかと。もし来ないなら、コーディネーターのところに置きっぱなしにしているロープなどの装備を日本に持ち帰らなきゃいけないし。一緒に行ったメンバーにも「またラオスに来るかどうか、迷ってるんだよね~」と相談したりもしました。
――それで、どうしたんですか?
迷いに迷ったんだけど……結局、装備を持ち帰るどころか、400mの新品のロープをコーディネーターのところに置いてきました(笑)。
――次もやる気満々じゃないですか!(笑)
(後編に続く)
プロフィール
谷山宏典(たにやま・ひろのり)
ライター・編集者。1979年愛知県生まれ。明治大学山岳部出身で、ガッシャブルムI峰・Ⅱ峰などの登頂歴をもつ。著書に『穂高に遊ぶ 穂高岳山荘二代目主人 今田英雄の経営哲学』『鷹と生きる 鷹使い・松原英俊の半生』(ともに山と溪谷社)など、共著に『日本人とエベレスト 植村直己から栗城史多まで』(山と溪谷社)などがある。
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