山小屋の厨房で紡がれた物語。『黒部源流 山小屋料理人』やまとけいこさんスペシャルインタビュー
北アルプス・薬師沢小屋(やくしざわごや)の厨房での出来事を描いた雑誌『山と溪谷』の連載「黒部源流 山小屋料理人」が書籍になった。著者のやまとさんに執筆の裏話などを聞いた。
文=小林千穂、写真=田渕睦深、矢島慎一
絵は思い出への装置
――大人気の連載だったので、書籍化を待っていた読者も多いと思います。出来上がった本を手にされていかがですか?
あらためて多くの方に読んでいただけると思うと、とってもうれしいです。連載では毎回、山小屋で扱っている食材をテーマに描きましたが、その内容は食材だけでなく、一緒に働いてくれた山小屋のスタッフとか、薬師沢小屋を訪れてくれた方々など、みんなの物語なんです。
食材を通した物語の一つ一つで、みなさんがふわりと温かい気持ちになっていただけたらいいなと思います。山小屋で働いている時も、登山者のみなさんがニコニコと笑顔になってくれたらいいな、という気持ちで仕事をしているのですが、この本も同じように 「楽しい思い出づくりのお手伝い」なのかもしれません。
――本を開くと、やまとさんのいる薬師沢へ行ったような気分になります。
薬師沢小屋へ来たことのある方は「こういう感じだったよね」と思い出していただいたり、まだ来たことがない方は「こんなところなんだ」と想像したりできるのかもしれません。
絵には、人ぞれぞれの思い出に入っていく装置のような機能があると思います。以前、イラストの展示会をやった時に、私の絵を眺めながら「懐かしいなあ」とか「そういえば、こうだったよね」と言ってくださる方がいました。みなさんは絵を見ながら、それぞれの思い出にアクセスしているんだな、と感じたんです。この本でも懐かしい思い出に浸ったり、また薬師沢へ行きたいなあと思ってもらえたりするといいですね。
――イラストも文章もユーモアいっぱいで、連載中も次の話が楽しみでした。
連載は、私が厨房で仕事をした十数年間の出来事をまとめました。山小屋の厨房では、とにかくハプニングがいっぱい起こるんです。大事な食材の保管を失敗して大量に腐らせてしまったり、動物たちに食べられてしまったり。料理そのものもそうですが、想定外のことが起こる日々が楽しくて、私もずっと厨房の仕事を続けたいと思っていたぐらいです。山小屋で一緒に働くスタッフも毎年いろいろな人が来て、個性豊かでおもしろいですしね。
――山小屋が忙しいシーズン中も途切れることなく連載されましたが、いつ原稿を書かれたのですか?
実は山から下りている冬の間に連載1年、つまり12回分のイラストや文章を完成させていて、それを毎月掲載してもらっていました。10日で1回分を仕上げようと自分で計画を立てて、コツコツと。まず、裏紙に鉛筆でアイデアスケッチを描いて、イラストの配置や漫画の構成を考えるところから始めるんです。
構成が固まったら、下書きしたイラストをライトテーブルに置いて画用紙に写し取り、水彩絵の具で色を塗って絵を完成させます。それに文章をつけるという流れです。
ネタのもとは体験
――1年分を一気に執筆されたとは、驚きました。やまとさんはシーズンオフに海外旅行もされますよね?
はい。去年は1カ月で連載3回分を仕上げるペースで、まるまる4カ月間は執筆にかけました。それが終わった後、だいたい毎年、オフの間にどこかの国へ出かけています。
――連載でもメキシコのモレなど海外の料理や食材がいくつも登場していました。
モロッコを旅した時のことも書きましたね。そういえば、私はフォックスファイヤーのアウトドア用Tシャツのデザインを15年ほど手がけています。毎年新しいデザインを考えているのですが、今年のメンズのイラストは「カナダの森とヘラジカ」なんですよ。ちょうど去年の春、デザインを考えていたころはカナダに行く直前で、気持ちも頭の中も、すっかりカナダの森になっていたんです。
これまでの書籍や連載もそうなのですが、イラストはなるべく自分の体験に即したものを描くことを大切にしています。去年のカナダの旅では実際にヘラジカに会えてうれしかったです。
――体験といえば、本の中で「人は扱っている素材に似てくる」という一節を引用されていました。ご自身を食材にたとえるとしたら、何ですか?
冬は家に引きこもって不健康な生活だからウインナーかな。モヤシかな(笑)。うーん、食材にたとえるのはなかなか難しいですね……。
その質問で思い出したのですが、私は小学生のころ、キャビンアテンダントになるのが夢でした。風のように、世界中を旅したいと思っていたんです。
子どものころは風のようになりたかったのですが、今は、黒部源流に流れる水のようになりたいと思っています。自由気ままでいたくて。
――なるほど、黒部の水ですか。やまとさんらしいお答えですね。
風も水も、自然のいろいろな摂理に従ってそうなっているだけで、自由気ままとは違うんですけどね。風が気ままに吹いているわけではないし、水が思いのままに流れているわけでもないですから。ただ、留まっているものよりも動いているものが好きです。
水は食材を育てますし、いろいろなものの中に含まれています。そして、自分の体の中にも水が流れています。黒部源流のあの場所で暮らしていると、体の水が入れ替わるのを感じます。体が健康になるし、柔らかい気持ちになるんです。
話を戻しますと、食材にはたとえられないけれど、黒部源流の水のようにありたいなとは思います。地形に合わせて流れる水のように、これからも無理せず柔軟に生きていきたいです。
――すてきなお話です。やまとさんは渓流釣りもお好きですものね。
そうなんです。20歳の時に登山と釣りを始めました。大学を卒業してから沢登りの山岳会に入って以来、源流での釣りを楽しんでいます。
薬師沢での仕事は今年の小屋開けを迎えると18年目になるのですが、水が流れていて、釣りができる環境だから長く続けられるんです。薬師沢は私にとって「ここしかない!」というぐらい大切な場所です。
人との出会いの物語
――本では「山小屋料理人」ですが、厨房の仕事は卒業されたと伺いました。
実は2021年に支配人になって厨房を離れ、同じ薬師沢小屋での受付が主な仕事になっています。いろいろな食材を扱う厨房も楽しかったけれど、お客さんと直接お話しができる受付も楽しいですよ。お客さんと接するのはほんの短い時間ですが、それぞれの方の人生が垣間見られる時があって。みなさん、それぞれに物語をもっていらっしゃることを感じます。
――これまでに、どんな物語がありましたか?
80歳のおじいちゃんがいらしたことがありました。お話を聞くと、40年前に家族が薬師沢へ来たそうなのですが、その時、ご自分は同行できなかったそうです。家族が歩いた、その同じ道を歩きたくて、80歳になってからいらしたと話してくれました。その方は、各山小屋に宿泊しながら、本当にゆっくり、ゆっくりと。きっと40年間、ずっと心にあった場所だったのですね。
薬師沢小屋は、簡単に来られる場所ではありません。みなさんお休みをとって、何日もかけて来てくださいます。受付に座りながら、みなさんの声に耳を傾けると、どれだけ楽しみに来てくれているのか思い知らされます。
――登山者、それぞれにストーリーがありますね。
「今日はいい天気でよかったですね」とか、そういう何げない話をしてくれるのがうれしかった、と言ってくださる方もいました。だから私自身も、ただ作業として受付をするのではなくて、みなさんとの出会いを楽しもうと思っています。実は今、心が動いた出来事をメモしているんですよ。いつか、そんな物語が描けたらいいなと考えています。
――それは楽しみです!
黒部源流は自然が豊かでとてもいい場所なので、みなさん、訪れたら好きになってくれると思います。登山者の方々が、私との出会いだけではなくて、黒部源流の自然との出会いを楽しんでいらっしゃることを感じられた時がいちばんうれしいです。
私の本や山小屋をきっかけとして、黒部源流が好きな人が、一人でも増えてくれたらいいですね。それは、黒部源流の自然が、ずっと今のままであってほしいと思う人が増えることに通じます。
そんなことを願いながら、今年も薬師沢小屋の受付でみなさんをお待ちしています!
『黒部源流 山小屋料理人』
2023年1月号から24年12月号まで、本誌で掲載していた大人気同名連載がついに書籍化! 日々の調理のみならず、食材を長もちさせるための管理方法を試行錯誤したり、食材を狙う小動物との攻防戦を繰り広げたり――。山小屋の厨房ならではの苦労や悩みを、従業員らと力を合わせ、工夫とユーモアで乗り越える。食材やメニューを切り口にして、山小屋料理人が抱える苦悩と喜びをユーモラスな文と親しみのわくイラストでつづります。
| 著者 | やまとけいこ |
|---|---|
| 発行 | 山と溪谷社 |
| 価格 | 1,760円(税込) |
あわせて読みたい、やまとけいこさんの本
ヤマケイ文庫
『黒部源流山小屋暮らし』
山小屋暮らしのリアルな日常をつづるイラストエッセイ。文庫化にあたり、支配人昇格後のエピソードと描き下ろしイラストも収録。
| 著者 | やまとけいこ |
|---|---|
| 発行 | 山と溪谷社 |
| 価格 | 1,100円(税込) |
『蝸牛登山画帖』
蝸牛(かたつむり)のようにザックを背負い、山と絵の世界を確かに歩き続けてきた著者による、自伝的イラストエッセイ第2弾!
| 著者 | やまとけいこ |
|---|---|
| 発行 | 山と溪谷社 |
| 価格 | 1,430円(税込) |
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