【書評】絶望よりも高い頂をめざして『がんとエヴェレスト 乳がんと闘いながら世界七大陸最高峰を制覇する』
評者=柏 澄子
アコンカグアのベースキャンプでのこと。著者の麻紀子さんはこうつづる。「自然の中ですごしていると、みんなで人生論でも語るのかと思われがちだが、私たちは相当真剣にトイレの話を交わしていた」。この一文にクスッと笑ってしまった。高所順応のためにもたくさんの水を飲み、その分トイレの回数が増える。極寒の夜中に外に出るのは体力消耗もあるので専用ボトルを使うが、自分の尿の色を観察するのは体調の確認にもなるなど……。とてもリアルだ。
麻紀子さんは屋久島で登山に目覚め、モンブランやアイガー、マッターホルンに登頂した。その後、山岳ガイドの倉岡裕之さんと出会い、同じころに乳がんが見つかった。冒頭のアコンカグアから帰国後すぐに手術をし、治療を受けながら世界七大陸最高峰に登頂した。本書はその登山記録と治療の日々をつづったものだ。
アコンカグアは3回目、エヴェレストは2回目の挑戦での登頂であり、七大陸最高峰以外にも周辺の山に登り、異文化に触れ旅をしている。そんな楽しそうな描写を読むと、麻紀子さんが乳がんをかかえていることを忘れそうになる。彼女自身も、長い登山ではシャワーを浴びる回数が少ないから胸の傷跡を見る機会が減り、なによりも登山に集中することで、病気を頭から追い出すことができるという。
けれどむろん、そんな単純ではない。治療と登山の両立、がんに伴うリンパ浮腫の苦しみ、治療薬の副作用である関節痛、骨がもろくなったゆえの剥離骨折など不調が続く。「こんなんだったら、もう全部の臓器をとって機械を埋めてほしい」とすら思うが、治療の照射部分に貼ったテープが服からのぞいてしまうからと、テープにラインストーンを貼ってアクセサリーにした。一方で、変形した胸への複雑な思いを述べた記述もある。
私は、がん体験者の山岳会に入っている。登山を通じて生活や人生がより豊かになることを目的としており、会員にはがん体験者だけでなく、山行をリードする者、医療面でサポートする者もいる。私は山行をリードする役にあるが、がん体験者と自分が異なる会員だと感じたことは一度もなかった。同じ会員同士で登山を楽しんでいる。がん体験者の会員から感謝されることもあるが、私が与えてもらっているもののほうがはるかに大きい。そういう思いにさせてくれるのは、がん体験者の彼女らが、自立した精神をもっているからなのではないかと思う。
麻紀子さんも言う。「病気になって悪いことばかりではなかった……工夫したら成せることがたくさんあるのだと信じています」
がんに限ったことではない。それぞれに属性は異なり、悩み、困難なことはあるが、ひとしく登山に歓びを感じる者同士であることを、本書は教えてくれた。

がんとエヴェレスト
乳がんと闘いながら世界七大陸最高峰を制覇する
| 著 | 麻紀子 |
|---|---|
| 発行 | 世界文化社 |
| 価格 | 2,090円(税込) |
麻紀子
東京都生まれ。日本山岳ガイド協会会員。2010年ごろ、屋久島の山に魅せられ山歩きを始める。15年12月に乳がんが見つかり、16年に手術。同年から、治療を受けながら世界七大陸最高峰の登山を開始。23年5月18日のエヴェレスト登頂成功をもって七大陸最高峰登頂を成し遂げ、セブンサミッターとなる。
評者
柏 澄子
1967年生まれ。世界各地の山岳地域をテーマに執筆するフリーライター。日本山岳ガイド協会認定登山ガイドⅡ。著書に『彼女たちの山』(山と溪谷社)など。
(山と溪谷2025年6月号より転載)
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