乗鞍岳・位ヶ原 かがやく黄葉の世界へ【山と溪谷10月号】

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発売中の『山と溪谷』10月号の特集は、「山小屋主人が案内する 北アルプス絶景紅葉スポット」。特集のなかから、乗鞍岳の紅葉のルポを紹介。位ヶ原山荘の六辻徹夫さんにおすすめの紅葉スポットを教えてもらいます。

文=渡邊もも(本誌) 写真=松本 茜


秋の北アルプスは、どの山も紅葉を楽しむ登山者でにぎわう。人気の山はテント場が隙間なく埋まり、ネットニュースに度々取り上げられるほどだ。のんびり紅葉を楽しめる所を探した末、北アルプスの南端に位置する乗鞍岳(のりくらだけ)へと向かった。

10月5日13時、畳平(たたみだいら)に到着。そこから富士見(ふじみ)を経由して剣ヶ峰(けんがみね)をめざしたが、歩き出すのが遅かったため、肩の小屋を過ぎたあたりから冷たい風が吹きはじめ、濃い霧に包まれた。仕方がないので畳平まで引き返し、ガスが下りていない宝徳霊神(ほうとくれいじん)までバスで下ることにした。バスが走り出すと、窓の景色は一変した。眼下にはダケカンバの黄色とハイマツの緑が織りなす美しい風景が広がり、背景には槍・穂高連峰の山稜が広がっていた。3つ目の停留所で降り、壮大な景色を見下ろしながら位ヶ原(くらいがはら)山荘までの道を堪能した。

針葉樹やダケカンバの木々に包まれた位ヶ原山荘
針葉樹やダケカンバの木々に包まれた位ヶ原山荘
ダケカンバやナナカマドの紅葉を前景に、槍・穂高連峰を眺める
ダケカンバやナナカマドの紅葉を前景に、槍・穂高連峰を眺める

山荘に着くと、ご主人の六辻さんが温かく迎え入れてくれた。夕食時には、テーブルいっぱいにご馳走が並び、山荘の名物・鹿鍋がカセットコンロの上でぐつぐつとおいしそうな音を立てていた。蓋を開けるとダシの香りをまとった湯気が顔にふわっとかかる。温かい食事と山荘の和やかな雰囲気で、疲れた心が安らいだ。食後、だるまストーブの前で六辻さんにおすすめの紅葉スポットを教えてもらった。その場所は、私がバスを降りて山荘まで歩いてきた道の途中にあった。そこから眺める御来光と雲海は絶景で、朝日に照らされた紅葉がとても美しいのだそう。運がよければ南アルプスや中央アルプスなども見えるらしい。明日は早起きして、行ってみることにした。

位ヶ原山荘 名物の鹿鍋
名物の鹿鍋。お肉はとてもおいしくて、さっぱりした味わい
位ヶ原山荘
夕食後、ストーブの前で六辻さんおすすめの紅葉スポットを教えてもらう

6日5時20分。太陽が昇る前のうす暗いなか、昨夜教えてもらった場所をめざして車道を歩いていく。山荘から約20分、六辻さんおすすめの「11号カーブ」に到着した。しばくすると、歩いてきた方向から太陽がちらつきはじめ、覆っている雲海や上空の雲をオレンジや茜色に染め上げた。辺りはまだ薄暗い。6時ごろには太陽が雲海から半分ほど顔を出し、木々の葉脈が透けて見えるほどのまばゆい光で山肌を照らした。ナナカマドは赤茶色に、ダケカンバは濃いオレンジ色に染まった。日中の光とは異なり、明け方の光はすべてのものを色濃く鮮やかに照らすのだった。

乗鞍エコーラインを歩く
日の出前の薄暗いなか、絶景を求めて乗鞍エコーラインを歩く
11号カーブ付近から剣ヶ峰方面を望む
11号カーブ付近から剣ヶ峰方面を望む。ハイマツが茂る斜面をナナカマドや黄葉した木々が彩る

太陽が昇りきる前に、次のおすすめスポット「7号カーブ」に向かう。ここからは剣ヶ峰がよく見える。山の中腹から下はハイマツで覆われたなだらかな斜面になっていて、「7号カーブ」の標高あたりから所々にダケカンバの黄色やナナカマドの赤がちりばめられていた。太陽はすでに雲海をくぐり抜け、その姿を現わしていた。光の色はオレンジから乳白色に変わり、位ヶ原全体に朝の光を降り注いだ。濃いオレンジ色をしていたダケカンバは黄金色の輝きを放った。日の出から20分にも満たないわずかな時間のなかで、景色は鮮やかに変化し、異なる表情の紅葉を楽しむことができた。

山荘を出発してから約1時間30分。そろそろ朝食の時間だ。山荘まで小走りで戻ると、温かいごはんが用意されていた。おかえりなさい、と六辻さんがほほえんだ。

「どうでしたか? とてもきれいだったでしょう。乗鞍の紅葉はね、赤・黄・緑でカラフルなのが魅力なんですよ。でも、今年は赤が少なくてね……」

六辻さんに詳しく聞くと、夏の猛暑が影響したのか、紅葉せずに枯れてしまうナナカマドが多いのだそう。来年に期待したいと言い、六辻さんは窓の外を見つめた。

真っ赤な実をつけたナナカマド
真っ赤な実をつけたナナカマド。葉は色づかずに枯れている

私が見た乗鞍の紅葉はとても美しかった。ダケカンバの輝く黄葉に、ナナカマドの深い赤。それよりもっと紅葉が美しい年もあると聞いて、私は乗鞍にまた来ようと思った。

(取材日=2024年10月5~6日)

MAP&DATA

高低図
ヤマタイムで周辺の地図を見る
最適日数:1泊2日
コースタイム:【1日目】4時間10分
【2日目】2時間50分
行程:【1日目】
畳平・・・県境ゲートバス停・・・富士見岳・・・富士見岳分岐・・・肩ノ小屋・・・乗鞍岳・・・肩ノ小屋・・・位ヶ原山荘
【2日目】
位ヶ原山荘・・・冷泉小屋・・・乗鞍エコーライン・・・分岐・・・すずらん橋バス停
総歩行距離:約11,000m
累積標高差:上り 約470m 下り 約1,608m
コース定数:22

『山と溪谷』2025年10月号より転載)

この記事に登場する山

岐阜県 長野県 / 飛騨山脈南部

乗鞍岳 標高 3,026m

 飛騨側から眺めた山容が、馬の鞍に似ているところから「鞍ヶ峰(くらがね)」と名づけられ、それが乗鞍岳となった。北アルプスの中で最も大きな山容をもち、裾野を長く引く優美な姿は、昔から飛騨人にとってシンボルとして親しまれてきた。  記録によれば、乗鞍岳は今から1万年前まで噴火していた、とある。5個ないし6個の火山錐が集まった集合火山で、四ツ岳と大丹生岳、恵比須岳、富士見岳、権現岳(剣ヶ峰)などの火山錐が、北から南へと並び、最後の噴火でできた火口湖が、頂上剣ヶ峰とその直下の権現池である。また、山頂部一帯は数kmにわたっていくつかの火口湖、山上台地などが形成され、緑濃いハイマツ帯の間には夏でも豊富な残雪を残し、彩り鮮やかな高山植物とともに、乗鞍岳の雄大で美しい景観をつくり出している。  開山は大同2年(807)の田村将軍と伝えられるが、飛騨側からは天和年間(1680年代)に円空上人が平湯から登ったのが最初で、明治年代には近代登山の先駆者ガウランドやウエストンも登っている。円空上人や木食(もくじき)上人など行者の錬行(れんぎよう)登山もあるが、この山は、御岳や白山と異なって比較的宗教的ムードが稀薄な山であったのは、山容が穏和であり、地理的な条件が悪いことによるものであろう。近代登山幕開け以前は、地元の村人にとっては資源採掘や狩猟の山であり、雨乞い、豊作祈願のための生活の山であった。  明治末期から大正中期にかけては、平湯大滝、平湯峠、旗鉾、大尾根、子ノ原、青屋、上ガ洞、阿多野、野麦などから登山道が開かれ、また信州側からも番所(ばんどこ)、白骨(しらほね)、沢渡(さわんど)、前川渡からの道がつけられた。  だが、乗鞍岳がクローズアップされてきたのは、近代登山が始まってからであり、大衆化したのは太平洋戦争後である。旧陸軍が山頂近くの畳平に航空研究所を建設し、昭和18年には、平湯峠から自動車道路を開発した。やがて敗戦となり、この道路はバス道路に転用され、昭和23年には、高山から標高2700mの畳平まで登山バスが運行されるようになった。さらに昭和48年には乗鞍スカイラインが完成したことにより、マイカー登山ができるようになった。特に夏の最盛期には、頂上剣ヶ峰まで約1時間で登れる手軽さから、畳平周辺は登山者や観光客であふれ、都会の雑踏と変わらないありさまである。 また、摩利支天岳付近には、東京天文台コロナ観側所や宇宙線研究所なども建設された。  しかし、乗鞍岳は壮大な山である。昔の登山道の多くは今も健在で、池塘あり、滝あり、湿原あり、その変化と趣のある道は今でも無尽に存在し、その魅力はいささかも失われていない。  ※環境保護のため、乗鞍スカイライン(平湯-畳平間)、乗鞍エコーライン(乗鞍高原・三本滝-畳平間)は平成15年(2003年)からマイカー規制を実施しており、畳平へは、途中でシャトルバスに乗り換える必要がある。

プロフィール

山と溪谷編集部

『山と溪谷』2026年1月号の特集は「美しき日本百名山」。百名山が最も輝く季節の写真とともに、名山たる所以を一挙紹介する。別冊付録は「日本百名山地図帳2026」と「山の便利帳2026」。

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雑誌『山と溪谷』特集より

1930年創刊の登山雑誌『山と溪谷』の最新号から、秀逸な特集記事を抜粋してお届けします。

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