【10月7日更新】紅葉前線は後立山の稜線から下降中。秋山紅葉情報2025

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急速に進む2025年の紅葉。白馬・後立山連峰の最新情報をお届けします。

構成=山と溪谷オンライン

紅葉の名山がひしめく白馬・後立山連峰

北アルプス北部の雄・白馬岳から唐松岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳へと続く稜線は、紅葉の見どころが多いエリアだ。スキー場のロープウェイなどが利用できるコースも多く、稜線の快適な山小屋に宿泊すれば、気温の下がる秋でも安心して登山が楽しめる。

紅葉写真コンテスト2024/Hiroaki.Yoshidaさんの作品
黒菱平(紅葉写真コンテスト2024より/写真=Hiroaki.Yoshida

10月7日 紅葉前線は日に日に下降(冷池山荘)

朝方は小雨と霧に覆われた小屋周りでしたが、次第に安定した空模様へ。と同時に、しっとり落ちついた紅葉黄葉の斜面が周辺に広がりました。暑くて雨の少なかった8月の続きで冷え込みが遅れていましたが、台風に遭わなかったのが幸いし、このところの冷え込みで今秋は近年1,2を争うすてきな紅葉シーンとなっています。紅葉前線は日に日に下降していますが、主稜線の紅葉もまだまだとってもいい感じです。

スポーツの日連休には中間帯の紅葉が最高になることでしょう。柏原新道の中ほど「水平道」から「石ベンチ」辺りにかけてのはダケカンバの黄葉のトンネル。稜線の種池山荘からは爺ヶ岳南西斜面黄葉を俯瞰できます。息の長い紅葉はまだ まだ見頃です。冷池山荘と種池山荘の営業は10月14日までです。すでに初氷を観測しており、防寒具雨具の油断なくお越しください。

爺ヶ岳南西斜面「包優のモミジ」
爺ヶ岳南西斜面「包優のモミジ」(10月6日/写真提供=冷池山荘)
霧も晴れ鹿島槍ヶ岳も登場
霧も晴れ鹿島槍ヶ岳も登場。まだまだ見頃です(10月6日/写真提供=冷池山荘)
中秋の名月
中秋の名月(10月6日/写真提供=冷池山荘)

10月6日 紅葉は次第に餓鬼山の標高へ(五竜山荘)

今年の紅葉は本当に色付きが良いです。五竜岳の山肌にあった紅葉は次第に餓鬼山の標高へと移ってきました。五竜山荘〜唐松岳への縦走路も見頃を迎えております。

紅葉の進捗は気温の低下。すでに朝晩の寒暖差が非常に厳しい季節です。万全の防寒防風防水装備でお願いします。天候や気温をよく確認。日没も早くなっており、15時までに着く計画で紅葉登山へお越しください。

今年は10月14日営業終了。あと1週間を切りました。10月15日以降は外来トイレ・お水の補給・売店などご利用いただけませんのでご了承ください。

五竜山荘前より餓鬼山方面
五竜山荘前より餓鬼山方面(10月6日/写真提供=五竜山荘)

10月3日 五竜山荘の絶景テント場からの紅葉はピーク(五竜山荘)

五竜山荘の絶景テント場から唐松岳を望むエリアの紅葉はピークを迎えております。昨年度より色づきもよく、一見の価値があります。

雨風をしのいでくれれば今週末くらいまでは楽しめそうです。五竜山荘?唐松岳縦走路(大黒岳付近)。このエリアの紅葉は今週末くらいが見頃となりそうです。

五竜山荘は9/22に初氷を観測しています。昨日朝も薄氷が張っていました。朝晩は1桁気温となるため街の気温とは大きく異なります。紅葉とともにモルゲンロートや雲海も出現する時期ですが、天候が悪いとあっという間に低体温症になりかねません。しっかりと防寒防風装備をお持ちのうえお越しください。

五竜岳
紅葉の五竜岳(9月30日/写真提供=五竜山荘)

9月30日 紅葉前線は稜線より下へ(白馬山荘)

山荘は稜線に立っており、紅葉はすでに下降しております。白馬大池あたりの標高が紅葉の見頃になっていると思われます。9月22日に初氷を観測しました。今朝も最低気温は氷点下でした。日中も風が冷たく寒く感じることもあり、万全の防寒防風対策とともに荷物や靴の防水も必須です。

白馬大雪渓ルートは9/29から通行止めとなっています。栂池ルート、鑓温泉ルートへのルート変更をご検討ください。いずれもロングコースです。

2025年の白馬山荘の営業は10月14日泊まで。なお、白馬鑓温泉小屋、猿倉荘、白馬尻テント場は営業を終了しました。

9月26日 紅葉が一気に進んできました(白馬大池山荘)

気温が下がり、紅葉が一気に進んできました。今日はいいお天気で秋らしい登山日和となりました。小屋周辺の紅葉は来週あたりが見頃でしょうか。

栂池自然園では紅葉を存分に楽しめる「紅葉ウィーク」が開催されます。色づき始めた紅葉とともに、地元食材の振る舞いや記念抽選会など、訪れる方々を楽しませる企画も用意されています。詳しくは栂池自然園ホームページをご確認ください。

秋空と鹿島槍ヶ岳
ウラシマツツジやクロマメノキの赤い絨毯(9月28日/写真提供=白馬大池山荘)

9月23日 紅葉が進みはじめました(冷池山荘)

主稜線はこのところの冷え込みで紅葉も順調に進み始めました。来週には山荘の建つ主稜線では、紅葉も一番の見頃を迎えそうです。

紅葉の鹿島槍ヶ岳主稜線
主稜線はこのところの冷え込みで紅葉も順調に進み始みはじめました(9月23日/写真提供=冷池山荘)

関連リンク

この記事に登場する山

富山県 長野県 / 飛騨山脈北部 後立山連峰

白馬岳 標高 2,932m

 白馬岳は、槍ヶ岳とともに北アルプスで登山者の人気を二分している山である。南北に連なる後立山連峰の北部にあって、長野・富山両県、実質的には新潟を加えた3県にまたがっている。  後立山連峰概説に記したように、この山の東面・信州側は急峻で、それに比して比較的緩い西面・越中側とで非対称山稜を形造っている。しかし信州側は山が浅く、四カ庄平をひかえて入山の便がよいため登山道も多く、白馬大雪渓を登高するもの(猿倉より所要6時間弱)と、栂池自然園から白馬大池を経るもの(所要5時間40分)がその代表的なものである。  越中側のものは、祖母谷温泉より清水(しようず)尾根をたどるもの(祖母谷温泉より所要10時間)が唯一で、長大である。  白馬三山と呼ばれる、本峰、杓子岳、鑓ヶ岳、そして北西に位置する小蓮華山の東・北面は、バリエーション・ルートを数多く有し、積雪期を対象に登攀されている。  近代登山史上では、明治16年(1883)の北安曇郡長以下9名による登山が最初であるとされている。積雪期では慶大山岳部の大島亮吉らによる1920年3月のスキー登山が初めての試みである。  白馬岳の山名は、三国境の南東面に黒く現れる馬の雪形から由来したといわれる。これをシロウマというのは、かつて農家が、このウマが現れるのを苗代(なわしろ)を作る時期の目標としたからであって、苗代馬→代馬(しろうま)と呼んだためである。白は陸地測量部が地図製作の際に当て字したものらしい。代馬はこのほかにも、小蓮華山と乗鞍岳の鞍部の小蓮華側の山肌にも現れる。白馬岳は昔、山名がなく、山麓の人々は単に西山(西方にそびえる山)と呼んでいたのである。また富山・新潟側では、この一連の諸峰をハスの花弁に見立てて、大蓮華山と総称していたようである。  この山からの眺望はすばらしく、北アルプスのほぼ全域はもとより、南・中央アルプス、八ヶ岳、頸城(くびき)や上信越の山々、そして日本海まで見渡すことができる。頂の展望盤は、新田次郎の小説『強力伝』に登場することで知られる。  日本三大雪渓の1つ、白馬大雪渓は登高距離が2kmもあり、全山にわたる高山植物群落の豊かさ、日本最高所の温泉の1つ白馬鑓温泉、高山湖の白馬大池や栂池自然園などの湿原・池塘群、こうした魅力を散りばめているのも人気を高めている理由である。また、白馬岳西面や杓子岳の最低鞍部付近などに見られる氷河地形、主稜線などで観察できる構造土、舟窪地形など、学術的な興味も深い。山頂部の2つの山荘(収容2500人)をはじめ山域内の宿泊施設も多い。

富山県 長野県 / 飛騨山脈北部

唐松岳 標高 2,696m

 後立山連峰のほぼ中央に位置するが、地味な存在である。ピラミッド型をしたこの山が大きく美しく見えるのは、主稜線の大黒岳付近からである。  主稜線を振り分けに、長野・富山両県からそれぞれ1本ずつの登山道が通じている。東からの八方尾根は、山岳スキー場として知られるが、途中の八方池は不帰ノ嶮を間近に仰ぐ憩いの場である(八方集落よりリフトなど利用して所要4時間)。西からの南越(なんこし)の道は、黒部渓谷からのもので、難路であったが、昭和61年、大黒鉱山跡まで尾根上をたどる新道に切り替えられた(祖母谷温泉より所要9時間)。  唐松岳北方の主稜線は、両側面からの浸食によって険しいやせ尾根となって、不帰ノ嶮と呼ばれている。ここは白馬岳からの縦走では、電気回路における抵抗のような存在となっているのである。南方への稜線はすぐに牛首岳を起こすが、ここも険路である。  八方尾根と主稜線とのジャンクションをなす小突起の西側に、抱かれるようにして唐松岳頂上山荘が建っている。間に深い黒部の谷を挟んで望む、ここからの剱岳の眺めは、後立山八景の1つに数えられよう。

富山県 長野県 / 飛騨山脈北部

鹿島槍ヶ岳 標高 2,889m

 この山は、後立山連峰の中央部に位置し、名実ともに後立山の盟主という存在である。  端麗と表現される南北2つの峰と、それを結ぶ吊尾根がつくるこの山の姿は、どこから眺めても美しい。この山に魅せられた岳人たちは、同時にこの山が内懐に秘める荒々しさのとりこにもなったのである。それは山麓からではうかがい知れない、北壁や荒沢奥壁などのバリエーション・ルートである。これらのルートの開拓は大正末期から昭和の初期に、学校山岳部を中心に華々しく行われ、それは日本におけるアルピニズムの歴史に、貴重な一頁を記しているのである。  鹿島槍ヶ岳への登路は、縦走路のほかには、東面・信州側から短くて急峻な赤岩尾根1本のみである(鹿島から所要9時間)。この尾根の途中の高千穂平は、鹿島槍ヶ岳のよき展望台ともなっているが、そこから眺める大冷(おおつべた)沢の源頭には、残雪期に獅子やツルの雪形が現れる。そこから昔は、山名をシシ岳とかツル岳、あるいは双耳峰からの連想で背比べ岳などとも呼ばれていた。現在の鹿島槍ヶ岳の山名は鹿島集落の背後にある槍ヶ岳といった意味である。山体は信州側は急崖、西面・越中側はなだらかな非対称山稜の典型である。  西面には、支稜の牛首尾根を挟んで東谷と棒小屋(ぼうごや)沢が、西面の水を集めて黒部川に注いでいる。この棒小屋沢と、剱岳東面を流下する剱沢とが、黒部峡谷に対して対向から合流する、有名な黒部の十字峡を形成している。  東面を落ちる白岳、大冷の各沢は、源頭部にバリエーション・ルートを提供している。その1つ、カクネ里はU字谷をなし、平家の落武者が隠れ住んだという(隠(かく)れ里(さと))伝説をもつ、ロマンを秘めた圏谷である。もちろんここに人が隠れ住むというのは不可能だが……。  南峰から主稜を南へ下ると、肩といった存在の布引岳(残雪が布を敷いたように見えるのでこの名がある)で、付近には船窪地形が散見される。その南の小平地には冷(つべた)池があり、冷池山荘が建っている。また吊尾根の雪田付近から北峰を巻いて北へ下ると、両側の谷からの浸食によって、主稜線に深いⅤ字形の切れ込みの入った八峰(はちみね)のキレットに出る。その北側にキレット小屋がある。  登山口の鹿島集落は昔から戸数11戸しかなく、集落の人々は平家の落武者の子孫といわれている。ここで民宿を営んでいる狩野氏宅には、近代登山以降の鹿島槍ヶ岳の登高記念帳が保存され、それがそのまま鹿島槍ヶ岳の登山史ともなっている。

紅葉情報

秋が深まるにつれて、山の表情は刻々と移ろっていきます。北は北海道、標高の高い日本アルプスから九州の山まで紅葉前線を追いかけて、全国の登山エリアの最新情報をお届けします。

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