修験と南北朝ロマン!福島県・霊山で見頃の紅葉が彩る奇岩と城跡【紅葉レポート】
読者レポーターより登山レポをお届けします。かぐや姫さんは紅葉まつりでにぎわう、福島県の霊山(りょうぜん、825m)へ。修験道の歴史を感じる奇岩群が現われ、中腹には南北朝時代に築かれた霊山城跡が広がります。最高峰からの眺望、そして色とりどりの紅葉を満喫できる、歴史ロマンあふれる山行です。
文・写真=かぐや姫
MAP&DATA
登山口から絶景スポット「見下し岩」まで
福島県の名峰・霊山(りょうぜん)を訪れた。
恥ずかしながら、読み方すら初めて知る山だったが、とても魅力的な山であった。紅葉まつりの最終日、連休の最終日ということで、多くの人でにぎわっていた。路駐の車も多かった。
駐車場の立ち並ぶ屋台の先に登山口。しばらく登りが続き、いいウォーミングアップになる。「見下し岩」の看板が出てきて、「見くだし岩」と読んでしまったが、正しくは「見おろし岩」。実際、岩の上に立つと、登山口の駐車場など麓が見下ろせる。標高は700mくらいなのに、壮観な眺めだった。
修験の山を象徴する奇岩群
見下し岩の後は勾配がゆるやかになり、非常に歩きやすくなる。名前のついた奇岩や展望スポットが次々に出てくる。天狗の相撲場(てんぐのすもうば)は、土俵らしきものは見当たらなかったが、岩峰と紅葉の景色がすばらしかった。
親不知子不知(おやしらずこしらず)から護摩壇(ごまだん)にかけては、頭上と左側の崖に気をつけながら歩いていく。護摩壇の名称からもわかるように、霊山は修験の山。このえぐれた岩壁で護摩行が行なわれたのだろう。
歴史の舞台となった霊山城跡
護摩壇から岩場を登ってほどなくすると、一気に土地が開ける。「伝国司館跡」とある。国司館、つまり陸奥国府は多賀城にあるはずだが……と思いながら、もう一段上に登ってみると、霊山城跡に着いた。なるほど。南北朝時代、南朝の忠臣であり陸奥守でもある北畠顕家(きたばたけあきいえ)が、後醍醐天皇の子・義良親王(のりよししんのう)を奉じて霊山城を築き、多賀城から移ってきたらしい。それで、この地が陸奥国府になったということか。
ところが、顕家が討たれた後、北朝側に攻められ落城したとのこと。そもそも霊山には、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)創建の霊山寺があった。東北山岳仏教の一大聖地でもあったはずだが、霊山城落城によって霊山寺も荒廃してしまった。
最高峰と岩峰群からの絶景
霊山城跡で休憩した後は、霊山最高峰の東ノ物見(ひがしのものみ、東物見岩)、そして、蟻ノ戸渡り(ありのとわたり)へと進んだ。ここまで来ると、太平洋も望めるようになってくる。蟻ノ戸渡りは、初めちょっと心配であった。しかし実際には、戸隠山(とがくしやま)の蟻ノ戸渡りほどではないので、難なく通過できた。
登山口へ下山する途中、弁天岩(べんてんいわ)や宝寿台(ほうじゅだい)にも寄った。どちらもハシゴのかけられた巨岩。登ってみると絶景であった。たまたまだが、紅葉がベストなタイミング。いろんな赤・橙・黄に色づき、グラデーションがみごとだった。
岩峰と紅葉を楽しみ、思わず、興味深い歴史の舞台にも出くわし、楽しい登山だった。下山後は、りょうぜん紅彩館で汗を流し(440円)、帰京した。
(山行日程=2025年11月3日)

かぐや姫(読者レポーター)
13年前、友人に誘われて日帰りで槍ヶ岳に登ったのが、登山にのめり込んだきっかけです。奥穂・西穂縦走や奥秩父主脈縦走を踏破。厳冬期の西穂や爺、残雪期の槍にも登頂しました。ハードな登山も好きですし、写真を撮りながらの登山も好きです。
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