西日本で最も過酷な「大峯奥駈道 全100km縦走」を含む、7、8月の旅。 日本3百名山ひと筆書き、田中陽希さん旅先インタビュー

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「日本3百名山ひと筆書き」に挑戦中の田中陽希さん。旅のスタートから7ヵ月、西日本で最大のポイントとして考えていた、大峯奥駈道の縦走に挑戦した。さらに、奈良、京都、滋賀の名山へ。途中、アクシデントにも見舞われたものの、三重、愛知、岐阜へと進んできた。

POINT
  • 西日本で最大のポイント「大峯奥駈道」を大縦走
  • 魅力あふれる三百名山の山を巡る
  • 右手薬指を骨折するアクシデント。旅は続けられるのか…

 

―― (編集部) ダイヤモンドトレールを踏破し、護摩壇山、伯母子岳を登ったあと、和歌山県を南下し、熊野大社へと進み、大峯奥駈道を縦走しました。大峯奥駈道の縦走について教えてください。

大峯奥駈道にある山のうち、八経ヶ岳、釈迦ヶ岳には、百名山、二百名山の旅の際に登ったのですが、以前は最短コースでピークに向かったため、縦走することができませんでした。なので、三百名山の計画の当初から、縦走しようと考えていて、大峰縦走部分で約100km、さらに途中、大台ヶ原・日出ヶ岳への往復も加わり、160kmを一気に縦走する計画でした。

大峯奥駈道は世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成遺産のひとつ

大峯奥駈道は、役行者さんが開かれて約1300年の歴史がある修験の道。明治期の廃仏毀釈、修験道廃止の流れがあり、熊野大社に近い南奥駈道の半分くらいは廃道になってしまったのですが、30年ほど前から地元の方によって復活されました。その南側から、北へ向かう「順峰(じゅんぶ)」の道をたどり、吉野を目指しました。

南奥駈道は、約30年前から地元の人達の努力によって整備され復活した道

大峯奥駈道は、関西の、あるいは、西日本でのクライマックスだと考えていました。全山を通じて感じたのは、ほかの山の登山とは違う「修験の道」だということ。南奥駈道は、鎖場とかはないのですが、小さなピークまですべて尾根通しで、険しさを感じる道でした。

北側に入ると少し雰囲気が変わりますが、修験のための「靡(なびき)」と呼ばれる場所が残っていて、そこで実際にお経を唱えている修験者の方がいました。

身を清め、山を拝んで、山のパワーをもらっている、と話していましたが、日本人と山の関わり方というのは、本来はこうだったのかも、ということを強く感じました。

岩壁に開いた自然窟「笙の窟(しょうのいわや)」(右)は75ある靡のひとつ

この大峯奥駈道の前には、同じく役行者さんが開いたとされる「葛城修験の道」の一部も経験しました。しかし、大峯は山の深さが違いました。7月中旬のとても暑い時期でしたので、水の確保もたいへんでした。

そんなところを1300年も前にどうやって歩いたのか、道を開いたのか、当時は相当な修行だっただろうと想像できました。各地に修験の山というのはたくさんありますが、大峯奥駈道のスケールは日本一だと思います。

すべて歩き通いたことで、厳しい道のりを肌で感じたわけですが、修験道は厳しいだけではなく、美しく穏やかな自然で、心を落ち着かせてくれるということも知りました。

吉野の金峯山寺へ到着し、大峯奥駈道の縦走が完了した

 

―― そして大峯奥駈道の途中で、大台ケ原へ、60km以上を往復しました。 大台ケ原は百名山以来だと思いますが、いかがでしたか?

大台ヶ原に到着して、ビジターセンターでお話を伺ったところ、「ガスがかかっている今日のような日こそ、西大台がいい」とのこと。

「西大台」は一日の利用者数の上限を設け、レクチャーを受けてから入山するエリア。このような規制を行ったのは日本で初めてだったとか。申請とレクチャーを経て、西大台を回りました。その地をよく知るビジターセンターの方のアドバイスがさすがで、助言どおりの「神秘的な西大台」を見ることができました。

翌日は天気が回復したので、「展望の東大台」の名の通り、大展望を見て回り、大峯奥駈道へと戻りました。大台ヶ原の対象的な2つの姿を感じた2日間になりました。

大峯奥駈道の縦走路から一時的に離れて1泊2日で往復。対象的な2つの魅力を体感した

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田中陽希さん「日本3百名山ひと筆書き」旅先インタビュー

2018年1月1日から、日本三百名山を歩き通す人力旅「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦中、田中陽希さんを応援するコーナー。 旅先の田中陽希さんのインタビューと各地の名山を紹介!!

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