春を待って三百名山の旅を再開! 【前編】〜夕張山地スキー縦走を振り返る〜

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田中陽希さんの三百名山全山人力踏破の旅は、昨年11月、暑寒別岳を登り終えたところで、冬季の中断となり、富良野にある実家で春を待っていた。夕張山地にある2座と、日高山脈にある4座を、縦走で踏破していった。前編は、夕張山地の2座を3泊4日のスキー縦走で踏破した様子を紹介する。

 

POINT
  • 故郷の山・夕張山地の2座を3泊4日で。スキー縦走の集大成
  • 初めての実践、イグルー泊
  • 日高山脈縦走に向けて幸先良いスタート

 

夕張山地の2座を3泊4日で。スキー縦走の集大成として

4月1日、富良野麓郷の実家から旅を再開しました。夕張山地はスキー縦走で2座を登頂する計画で、初日は半日18kmほどの移動で山麓の宿まで進みました。

翌日は下見で、日帰りで主稜線まで登りました。4月3日、4日は天候が優れないため停滞し、4月5日に縦走を開始しました。

夕張山地は、道立自然公園で、自然公園法が適用され、テント設営は禁止されています。そのため、イグルーで泊まる準備をしてきました。実家での一時停滞中にも、イグルー泊の練習はしていました。そして、ここまで何度か行ってきた「スキー縦走」の集大成であり、夕張山地のあとに控える、最難関、日高山脈縦走の前哨戦でもありました。

荷物は25kgにもなり、残雪期ということで、約60kmの行程を、ゆとりを持って3泊4日で計画しました。4日のうち2日半は晴れになりそう。天気を待ったおかげで、不安は解消されました。

新雪で、初冬のような景色になっていて、極上の縦走路でした。待った甲斐がある快晴で、稜線に出るとピラミッド状の芦別岳が神々しく輝いて見えました。

日記には「山は条件を整えてくれた。あとはこちらがそれに応えることができるかだ」と記している


イグルー泊は、初めての実践でした。雪の量がけっこう必要で、3時間くらいかけて作ったのですが、気合いが入りすぎて、少し大きくなってしまいました。夜の気温は−5℃で、空間が広すぎて寒かったです。

イグルー泊の実践初日。その日、その場所の雪のコンディションで仕上がりが変わるのが難しい


スキー縦走2日目も快晴。芦別岳に向けての縦走です。標高1400mでスキーを外し、縦走での最難所の岩稜帯はアイゼンを付けて通過しました。二百名山の時とは、季節もルートも違い、ナイフリッジを四つん這いで進むところもあり、集中して登りました。

岩稜帯を慎重に進んだことで、予定より遅れましたが、13時に284座目の芦別岳に登頂しました。

昨年11月の暑寒別岳を登って以来、約5ヶ月ぶりに三百名山のにに登りました。旅の再開は4月1日でしたが、登ってはじめて一歩進んだな、という感覚がありました。

山頂から、富良野盆地と故郷麓郷が一望できました。険しい山稜から見える山麓は、平和で穏やかに見えました。縦走路の先には、次の目的地、白く輝く夕張岳が見えましたが、かなり距離があるように見えました。

芦別岳にて。
「登り繋いできた旅の針が動き出した瞬間」


午後になると雪が滑らず、進みが悪くなりました。17時まで行動したのですが、予定より6km以上手前で泊まることになりました。夕方の気温が下がった中でのイグルーづくりは苦労しました。そんなわけで、縦走2日目は、19時半にイグルーが完成し、夕食を食べ終わったのは21時でした。

この日は、気温が下がった中での
イグルー作りとなった


スキー縦走3日目は、前日の遅れを取り戻すべく、20km進む計画にして、早朝に出発しました。日中融けて再び凍ったようで、早朝は雪が締まっています。この日の行程は、緩やかな勾配で、スピードが出せて距離が稼げます。

夕張岳は、北側からはピラミダルな山容に見える


いよいよ夕張岳という手前までスキーで進み、最後はアイゼンに変えて登りました。12時過ぎに、285座目となる夕張岳に登頂しました。山頂から南側を見ると日高山脈が、よりいっそう近くに見えました。幌尻岳は特徴的な形なのでよくわかりました。

山頂から東側を回って縦走していったのですが、北側から見えていた、美しいピラミダルな山容の夕張岳が、南側から振り返ると荒々しい岩肌が露出した台形のどっしりした姿に変わっていました。

南側から見た夕張岳。台形のどっしりした姿


この日は、屏風山中腹で15時半になり、その時点で19km進んでいたので行動終了としました。毎晩、ラジオの天気予報を聞いていて、4日目は崩れると分かっていました。3日目で巻き返すことができ、ほぼ計画通りに進んだことで、ほっとしたのと同時に、達成感を得られました。

3泊目のイグルー


4日目、天気は下り坂だったので、予定より1時間早く出発し、主稜線から支尾根へと下りました。現在地を確認しながら、尾根を間違わないよう進んでいきます。

登り返し箇所もシールを履くこともなくスキーで順調に進むことができ、1時間45分で林道へたどり着きました。林道も快調に進み、下山開始から、3時間半で湯の沢温泉へ到着。夕張山地2座をつなぐ、スキー縦走が完結しました。

1時間早く出たことで、雪が締まった状態の中を
スピーディーに下山できた


宿で4日ぶりの風呂に入り、緊張の糸が切れどっと疲れが出ました。夕張山地のスキー縦走は初めてでしたが、ほぼ計画通りに進むことができ、次の日高山脈縦走に向けて幸先良いスタートが切れました。

 

夕張山地スキー縦走を振り返って

芦別岳も、夕張岳も、二百名山のときに登っているのですが、縦走はしていません。縦走をするには、イグルー泊をしなければなりません。気候が温かくなれば、イグルーも作れませんし、スキーも進みませんので、ちょうどよい季節に実現できたと思います。

三百名山の旅では、これまで何度かスキー縦走をやったのですが、頸城山塊のときは、険しくて楽しめなかったし、野反湖・岩菅山・佐武流山近辺のとき、蔵王連峰のときは、雪が悪かったり、少なかったりして、スキーを担いでいる時間の方が多く、スキー縦走にならなかったのです。

スキー縦走は、これまで頸城山塊、蔵王連峰などの山々で経験してきたが…


今回の夕張山地でのスキー縦走は、芦別岳の前後の岩稜帯を除けば、中間部分が緩やかで、スキー縦走に適していたと思います。イグルー泊も実践でき、故郷の山で「スキー縦走」というスタイルを存分に楽しむことができたと感じています。

翌4月9日は、日高町へ向けて移動しました。通過した占冠村は「日本一寒い村」。「21世紀の日本一の最低気温(−35.8℃)」を記録したそうです。冬眠明けでしょうか、ヒグマの足跡も見ました。

*****

後編では、この旅で最難関となった冬季の日高山脈、冬季縦走の様子を振り返る。

 

取材日=2021年5月21日、22日
協力=グレートトラバース事務局

 

関連リンク

人力20,000kmの山旅。日本3百名山ひと筆書きに挑戦中の田中陽希さんを応援しよう!
もっと知りたいという方は、ウェブサイトで。
グレートトラバース事務局ウェブサイト
https://www.greattraverse.com/

 

今回のレポートで登った山

芦別岳 [4月6日]
芦別岳

夕張岳 [4月7日]
夕張岳

 

プロフィール

田中 陽希

1983年、埼玉県生まれ、北海道育ち。学生時代はクロスカントリースキー競技に取り組み、「全日本学生スキー選手権」などで入賞。2007年よりチームイーストウインドに所属する。陸上と海上を人力のみで進む「日本百名山ひと筆書き」「日本2百名山ひと筆書き」を達成。
2018年1月1日から「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦し、2021年8月に成し遂げた。

https://www.greattraverse.com/

田中陽希さん「日本3百名山ひと筆書き」旅先インタビュー

2018年1月1日から、日本三百名山を歩き通す人力旅「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦中、田中陽希さんを応援するコーナー。 旅先の田中陽希さんのインタビューと各地の名山を紹介!!

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