春を待って三百名山の旅を再開! 【後編】〜日高山脈の縦走を振り返る〜

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田中陽希さんの三百名山全山人力踏破の旅は、昨年11月、暑寒別岳を登り終えたところで、冬季の中断となり、富良野にある実家で春を待っていた。夕張山地にある2座と、日高山脈にある4座を、縦走で踏破していった。後編は、三百名山の旅でも最難関となった、日高山脈の縦走を様子を紹介する。

→夕張山地スキー縦走を振り返る「前編」はこちら

 

POINT
  • 最難関・冬季の日高山脈縦走。荷物の重さは過去最大の40kg超
  • 縦走半ばの停滞。天気予報が定まらず、先の予定を見直す
  • 爪を痛めてしまい、舗装路に出てからの18kmは靴下で4時間の移動
  • 8泊9日の縦走を終え、残すは12座。知床や道東の山へ

 

最難関・冬季の日高山脈縦走へ。9泊10日の計画で、過去最大40kg超の荷物に

休養日、先々の天候を見て、日高山脈縦走を、数日間、延期することにしました。

夕張山地は3泊4日の計画で、そのうち「3日の晴れ」で行けると判断できました。日高山脈の計画は9泊10日。どこかで停滞になるのは覚悟しているのですが、それでも最初の3日は晴れが必要な行程です。2日しか晴れが見込めないので、天気を待つことにしました。

4月11日には、北日高岳(標高751m)、1095m峰にトレーニング山行。1095m峰では、町からは見えない日高山脈の主稜線が見えると期待して登っていきました。

4月12日から14日は、天候が悪く、停滞。荷造りをしていました。

日高山脈の9泊10日の計画に対して、食料は14泊分用意しました。アーモンドチョコのタワー。フリーズドライ、カップヌードルリフィルが、山のようになり、100リットルのバックパックに詰めていくと、水を除いて35kgになりました。体を休めながら、いつでも出発できるよう備えて、天気を待ちました。

4月15日には、水3Lを加えて38kgを背負い、トレーニングで北日高岳へ登りました。山麓の宿から標高差約500mというのがちょうどよく、2往復しました。

北日高岳に歩荷トレーニング。
初日は2往復で獲得標高1000m。
その後も3往復「重さに慣れるのが大事」


その後、4月19日までに、5往復、北日高岳にトレーニングをしました。最後は、水6Lにして、総重量41kgになりました。

4月20日は、雨停滞となりましたが、4月21日出発と決めました。すべての用意が整って、さぁ寝ようというときに、ある重大なことに気づき、ひと騒動ありました。

準備万端、いよいよ明日の朝は出発。
実はこのあと・・・


4月21日、日高山脈に向けて出発。出発時のバックパックは42kgにもなりました。

当初、尾根づたいに主稜線へと合流する予定でしたが、停滞が長引き、その間にだいぶ雪が融けてしまっていたので、計画を変更しました。北戸蔦別岳登山口まで、チロロ林道を歩き、終点にてテント泊となりました。この日の移動は約30km、いよいよ日高山脈縦走が始まりました。

6mもある「チロロの巨石」は日高山脈の貴重な鉱石資料/林道終点でテント泊


縦走2日目、日高山脈の支尾根を登っていき、ヌカビラ岳を超え、主稜線の北戸蔦別山へと合流。岩稜を慎重に切り抜け、戸蔦別岳直下の緩斜面のイグルー泊の予定地には、13 時に着きました。

幌尻岳は、主稜線から外れた尾根上にあります。この日のうちに登っておけば、明日以降の行程が劇的に変わるので、イグルーを手早く作り、荷物をデポして、幌尻岳を往復することにしました。14時に出発して、16時前に、286座目となる幌尻岳に登頂しました。

主稜線から外れる幌尻岳には、荷物をデポして往復/夕方の登頂になった


標高2052mで日高山脈最高峰の幌尻岳ですが、百名山で登った7年前は、足が痛く、山を味わう余裕が全くありませんでした。今回は、稜線伝いに登頂したことや、夕方に登頂したことで、まるで初めて登った山のようでした。大小のカールに囲まれていて、そのフチは岩肌が出ていました。氷河が削った地形というのがよくわかりました。

17時にイグルーに戻りましたが、この日のイグルーは、適度な雪質でブロックも切り出しやすく、比較的理想のものが出来ました。夜中に強風に見舞われ、わずかな隙間から粉雪が舞い込むこともありましたが、ほどよく湿った雪で穴を手当たり次第ふさいだため、快適な室内となりました。

日高山脈でも稜線でのイグルー泊で進んだ


縦走3日目は、主稜線を南下していきました。昨日のうちに、幌尻岳往復が終わっていたので、今日の進みがよければ、天気の安定している4月24日までに、カムイエクウチカウシ山を登ることができそうです。

この日は、北の神威岳(三百名山の神威岳とは別)、エサオマントッタベツ岳などのピークを通過。途中、全層雪崩が起こりそうな場所を横に見ながら、好コンディションの中、13km進むことができました(日高山脈縦走では、一日の平均は9kmくらいでした)。風がなく、穏やかで、暑いくらいに感じる一日でしたが、雪が緩み、後半は苦戦しました。

全層雪崩が起きそうな場所も。
この日は好コンディションの中、
13km前進した


この日のイグルー泊の場所は、雪が固く、思ったより積雪が浅かったため、半イグルーのような形で、天井をテントの幕で塞ぎました。雪の量と質、気温で、毎日、同じようにできないのがイグルー泊の難しさです。

縦走4日目。ナメワッカ分岐にて、スノーシューからアイゼンに履き替えて、岩と雪のミックス状態の中を進みました。ここまでの3日間、見え隠れするカムイエクウチカウシ山は、近く見えたり、遠く見えたりして、不思議な感覚でした。

12時前に、287座目となるカムイエクウチカウシ山の山頂に立ちました。二百名山で登ったときは、本当に辛くて、ほとんど記憶がありません。標高は1979mで、幌尻岳のほうが高いのですが、鋭く尖った山容で、難易度では「カムエクのほうが上」と考えていたので、日高山脈縦走前半のポイントとなる山に4日目に登ることができたのは、このあとの行程に余裕ができました。

日高山脈縦走においてポイントとなる
「カムエク」に4日目に登頂した


この日は、カムイエクウチカウシ山から主稜線を3㎞ほど進んだ、標高1600m付近にイグルーを作りました。

 

悪天で停滞中、下山ルートの変更を決断! そしてアップダウンの激しい縦走後半へ

縦走5日目。天気予報が定まらなかったので、5時に出発できる準備で早く起きていたのですが、外を見たら真っ白。8時まで待ってみたのですが、体が冷えてきてしまいました。進んだとしても、ちょっとだけ進んでまたイグルーを作ることを考えると、食料は十分にあるので、焦らず停滞することに決めました。

体を冷やさないよう寝袋に入って、ラジオで天気予報を聞きながら、先の予定を見直しました。

この停滞の日に、終盤の行程を1日縮め、神威岳からの下山を、日高山脈の西側にすることを決めました。2日目のうちに幌尻岳に登れたこと、3日目に距離を稼いで、停滞の前にカムエクに登れたことが決め手でした。

一日の停滞を経て、快晴となったが、
積雪量が増え、景色が変わっていた


縦走6日目。天候が回復して、縦走を再開しました。前日の降雪で、新たに20~30cmの雪が積もっていました。ハイマツは隠れましたが、やわらかい雪の下の状況はわかりにくく、慎重に進みました。4月も下旬なのに、深いところでは太ももや腰くらいまでのラッセルになりました。

コイカクシュサツナイ岳など、いくつものピークを数百mのアップダウンをしながら進みました。停滞したあとで体は元気だったので、なんとかラッセルを続けて、ヤオロマップ岳を越えたところでイグルー泊となりました。

この日は、雪質が適さず、イグルーづくりが難しかったです。完成度が低く隙間だらけで、イグルー内は−11℃まで下がりました。風が強く、雪が舞い込んで、十分に眠れませんでした。

この日、イグルー内は−11℃まで下がった


前日のラッセルの疲れと、寝不足の状態で、縦走7日目を迎えました。

日高山脈は南北に連なる山脈ですが、時折、尾根が曲がり、東西方向に向くところがあります。東西に伸びる尾根上は、北にも南にも雪庇が張り出して、踏み抜きの危険性が高くなります。足元が悪く、緊張しながら進みましたが、内臓がやられたのか、体調が悪くなりました。

東西に伸びる尾根は雪庇の見極めが難しい。
慎重に進む


稜線が再び南北方向に曲がる1600m峰の山頂で、温かいお茶と行動食を食べ、薬を飲んで、1時間近く体を休んだことで、回復したので、そこからは順調に進みました。

ペテガリ岳と形が似ているルベツネ山を越えて、13時に288座目のペテガリ岳へ登頂しました。

暑さの中、長距離とヤブコギで登った二百名山のときとは違い、日高山脈を縦走して7日目にようやくたどり着いたという達成感がありました。

日高山脈の三百名山としては3座目となる、
ペテガリ岳に登頂


山頂からは日高山脈南部の最後の目的地、神威岳が見えました。明日には神威岳にたどり着く、と思いました。この日は、ペテガリ岳の山頂から少し下ったところでイグルー泊となりました。

縦走7日目のイグルー。8日目の朝には、
初めて別のパーティに遭遇した


縦走8日目。前日、ペテガリ岳から見たとき、主稜線のアップダウンは更に激しくなりそうだと感じていました。300m下って300m登りかえす、さらに、登りも下りも急で、休めるところがなさそうでした。

縦走8日目は、アップダウンが激しかった。標高が下がると雪が少なくなり、ハイマツが出てきた


中ノ岳(1519m)を越えると、雪が減り、ハイマツが出てきました。1372m峰の手前ではハイマツで足を引っ掛けて転んでしまいました。一歩間違えれば、事故につながるところでした。ピークを越えないと先が見えないような状況でもあり、精神的にも疲れました。

13時40分、ついに289座目の神威岳に登頂しました。

日高山脈4座の最後で、三百名山・神威岳の初めての山頂に、8日かけて縦走してたどりつきました。「感極まった」という言葉がふさわしいでしょう。

山頂から北側の歩いてきた道のりを見返しました。ペテガリ岳から先は霞んでいました。山頂では40分ほど過ごして、下山しました。

ついにたどり着いた神威岳。「会いたかった!」/「ありがとう日高山脈」


停滞日に決めていたとおり、西にルートを取り、神威山荘(避難小屋)方面へ。長く歩いてきた日高山脈の主稜線から下っていくと、標高900mくらいからは雪がなくなり、チシマザサの藪こぎとなりました。避難小屋についたのは18時半でした。

神威山荘へ。
稜線のイグルー泊という緊張感から
ようやく開放された


縦走9日目。日高山脈の最終日になりましたが、食料がまだ数日分残っていて、25~30kgくらいの荷物でした。神威山荘から浦河町の宿まで40kmを歩きました。

二百名山の旅でペテガリ岳に登った6年前は、ペテガリ岳−神威山荘−浦河町という行程でしたので、神威山荘から浦河町までは経験がありました。

足の爪を痛めてしまい、舗装路は靴下で歩く


渡渉や雪解けにより靴が濡れ、合皮部分が歪んでしまい、それがそのまま乾いたことで固くなり、両足の親指の爪を痛めてしまいました。舗装路まで我慢し、舗装路に出てから18kmは、靴を脱いで靴下で4時間、歩きました。

里では桜が咲いていて、前日までにいた緊張感のある日高の稜線とは別世界でした。

冬季の日高山脈縦走を8泊9日で達成、三百名山4座に登頂し「精根尽き果てた」

 

最難関・日高山脈の8泊9日の縦走を振り返って

日高山脈の核心部の縦走は、ここまで「日本3百名山ひと筆書き」で経験してきた中でも、突出して厳しい経験でした。国立公園内でテント泊ができない、避難小屋もない、雪のコンディションが毎日違う中で、毎日2~3時間はイグルー作りに使うため、行動時間が限られます。

これまでの経験をフルに活かして成し遂げたという点では、この旅の最終盤に、こういう形で登れたことは、集大成のような縦走だったと思っています。計画・準備から全体を振り返ってみます。

 

計画と準備

昨年4月から3ヶ月、山形県酒田市で長期の自粛生活を送っていたとき、日高山脈の三百名山は、翌年になると覚悟していましたし、秋のうちに幌尻岳を登ってから実家に帰るという計画も見直しが必要になりました。9月に北海道に入って、情報収集をしていくと、台風の影響による林道や登山道の崩落が、コロナ禍にあって整備も進んでいないことがわかりました。

その時点で、「残雪期に4座をつないで縦走」というのは決まりました。調べながらイメージを固めていったのですが、調べれば調べるほど、不安や緊張が高まっていきました。

しかし、11月の暑寒別岳から実家での約4ヶ月の一時停滞で、準備の時間を作ることができました。結果的には、日高山脈の縦走に意識を集中できたのはよかったです。

また、直前に夕張山地をスキー縦走でき、残雪の山やイグルー泊も体験でき、流れをつかめたのもよかったです。

日高山脈縦走は記録が少ない。
調べるほど、不安や緊張が高まっていった

 

直前の日高町で

日高町に来て、天候を見て、5日間延期になりました。この間、実際の荷物で、北日高岳をトレーニング山行できました。標高差は500mでしたが、荷物を背負うと1往復で2時間もかかってしまいました。初日の38kgを背負っての1往復目で、「とにかく厳しいな」と覚悟しました。

1日2往復の日もあって、出発前にトレーニングで5往復しました。重さに体が慣れること、重い荷物背負ったときの雪の踏みしめ具合とか、下りを転ばずに安全に歩く足運びとか、体のどこに負荷がかかるか、などを確認することができました。また、日高の縦走中、「標高差500m」の基準を持てていたのもよかったと思います。

山麓からの標高差500m。
トレーニング山行で5回登った北日高岳


最後に荷物を詰め終わって、さぁ明日朝には出発、という夜になって、お気に入りの薄手のグローブがないことに気づきました。

自分の写真を見返すと、前日のトレーニング山行で、山頂まではグローブが写っていました。下山で落としたらしいとわかり、出発前夜の20時ごろから、ヘッドライトで照らしながら北日高岳に登り、グローブ探しで2往復しました。22時まで探しましたが、結局、片方しか見当たりませんでした。日高山脈縦走では、少し厚手のグローブで登りましたが、前日夜のとんだハプニングでした。

出発前夜に問題発覚。夜の北日高岳に登ることに

 

実際の縦走中は…

日高山脈では、毎日が本当に厳しくて、イグルーで翌日の行程や天気をチェックしても、不安と緊張とで寝付けない状態でした。イグルーのコンディションもよって、浅い眠りになることが多かったです。これまでの三百名山のほかの山域では、晩秋の北アルプス、夏の南アルプスなど、長期で縦走しているうちに、精神的にも肉体的にも後半には慣れてきて、不安だらけということはなくなるのですが、日高山脈は最後の最後まで、生きて帰れるまで気が抜けない状態で、縦走中に「慣れる」ということがなかったのです。

険しい行程、不安と緊張の連続で「慣れる」ということがなかった


アドベンチャーレースで初めてパタゴニアのレースに出たとき、不安は不安だったし、最後までたいへんだったのですが、チームでやっているので、メンバーに頼ることができます。

しかし、日高の縦走では、行程はすべて自分で判断し、歩いていかなくてはなりません。例えようがない不安と緊張の連続でした。

実際に縦走が始まってからは、主稜線から離れた幌尻岳に、2日目のうちに往復できたこと、それによって3日目に主稜線13kmも進むことができ、前半の難所・カムイエクウチカウシ山を、悪天・停滞になる前に登り終えたことなどで、日程的にも気持ちの面でも余裕ができました。

計画どおりに東側に下山する場合は、もう一晩、イグルー泊をしなくてはならなかったのですが、雨が降ったらイグルー泊はできません。停滞した日に週間予報が出て、神威岳の後、9日目、10日目が難しくなりそうでした。下山後に遠回りになったとしても、西側に下山して8泊9日にしようと決められたことも、最終的に日高山脈縦走を成し遂げられた要因だったと思います。

計画・準備を万端にしたうえで、
気候・天候も味方してくれた


事前準備では、単独で狩勝峠から襟裳岬までを16泊17日かけて160kmを縦走した北大ワンゲル部の方に話を聞いていたのですが、3月は日照時間も短く、行動時間が限られ、気温が−20℃にまで下がり、吹雪の日もあったそうです。日高山脈の縦走は、天候に恵まれなければ、成功は難しいかったでしょう。ひと月の違いで、気温も日照時間も違い、天気に恵まれたことも成功した要因だったと思います。

浦河町の宿に着いて、10日ぶりに風呂に入りました。大量の装備を洗って乾かしてで、2日間くらい費やしました。ビジネス旅館だったのですが、部屋が温かい、ふとんが温かい、という普通のことに幸せを感じました。

不安と緊張から開放されて、ひとりで、じわーっと湧いてくる達成感を味わっていました。朝、「エンヤ」が流れる食堂で、コーヒーを飲んでいると、自然と涙がこぼれました。

日高山脈の縦走だけでも、冒険の記録として貴重なものになったと思います。

 

*****

下山後、4日間休養し、5月4日に旅を再開しました。

浦河町に下山したことで、計画より135km、5日分、次の山への移動が長くなり、羅臼岳の山麓、羅臼町まで440kmの移動です。「3百名山ひと筆書き」の旅では、最長の移動となりました。

浦河町で久しぶりの海に。
ここから440kmの移動が始まる


5月6日、西側に下山したことで、襟裳岬に立つ機会ができました。ショートカットする方法もあったのですが、北海道育ちなのに、襟裳岬には行ったことがなかったので、行こうと決めました。

日高山脈の南端が海に入っていく岩礁は、目視で2kmくらい先まで見えました。海底では6kmほど先までつながっているらしいです。

襟裳岬に初めて立つことができた


5月7日、北海道で一番長いトンネル「えりも黄金トンネル(4941m)」を通過。このほか8本13kmのトンネルを抜けました。日高山脈は縦にも長いのですが、東西にも幅が広いのです。このトンネルを抜けて、ようやく日高山脈の東側へ出たことになります。

日高山脈は東西にも広い。
トンネルを抜けてようやく東側へ


それでもまだ日高山脈が常に背後にあって、ずっと意識しながら歩いていきました。幕別町・忠類の宿について、ようやく日高山脈が終わったかな、という感覚になりました。

 

*****

田中陽希さんの「日本3百名山ひと筆書き」の旅は、知床や道東の山へ続く。残すところ12座に。

 

取材日=2021年5月21日、22日
協力=グレートトラバース事務局

 

関連リンク

人力20,000kmの山旅。日本3百名山ひと筆書きに挑戦中の田中陽希さんを応援しよう!
もっと知りたいという方は、ウェブサイトで。
グレートトラバース事務局ウェブサイト
https://www.greattraverse.com/

 

今回のレポートで登った山

幌尻岳 [4月22日]
幌尻岳

カムイエクウチカウシ山 [4月24日]
カムイエクウチカウシ山

ペテガリ岳 [4月27日]
ペテガリ岳

神威岳 [4月28日]
神威岳

 

プロフィール

田中 陽希

1983年、埼玉県生まれ、北海道育ち。学生時代はクロスカントリースキー競技に取り組み、「全日本学生スキー選手権」などで入賞。2007年よりチームイーストウインドに所属する。陸上と海上を人力のみで進む「日本百名山ひと筆書き」「日本2百名山ひと筆書き」を達成。
2018年1月1日から「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦し、2021年8月に成し遂げた。

https://www.greattraverse.com/

田中陽希さん「日本3百名山ひと筆書き」旅先インタビュー

2018年1月1日から、日本三百名山を歩き通す人力旅「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦中、田中陽希さんを応援するコーナー。 旅先の田中陽希さんのインタビューと各地の名山を紹介!!

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