高山植物の咲き誇る初夏の北海道、十勝岳から大雪山系へ、8泊9日で大縦走! 三百名山の旅も残りは3座に

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「日本3百名山ひと筆書き」に挑戦中の田中陽希さん。道東・知床半島の羅臼岳まで行った後、斜里岳、阿寒岳などを登り、富良野の実家に一時帰宅した。次は十勝岳から始まる大雪山系へのテント泊縦走に挑んだ。雷雨によるビバーク、避難小屋泊なども経験した縦走を振り返る。

POINT
  • 最高の天気の中、十勝岳・オプタテシケ山の2座を縦走。トムラウシの手前では雷雨でビバークも
  • 2泊3日で石狩岳を往復。縦走に手応えを感じ、大雪山に向かう!

 

最高の天気の中、十勝岳・オプタテシケ山の2座を縦走。トムラウシの手前では雷雨でビバークも

ニペソツ山を登った後、6月16日に帰宅し、準備と天候不順によって10日間を富良野の実家で過ごしました。休養を取りながら、実家周辺でのトレーニングで汗を流しました。

長期のテント泊縦走に備えて、
実家の庭先でテントのチェック


6月26日、十勝岳連峰・大雪山系への縦走は、7泊8日の計画で出発しました。出発時のバックパックの重量は30kgになりました。

テント泊縦走の装備は30kgにもなった/
富良野岳に向かって登っていく


十勝岳・原始ヶ原登山口までの13kmは小走りで進み、1時間半で登山口に立ちました。長く続けてきた三百名山の旅ですが、縦走という形で、山をつないで歩くのはこれが最後です。12時半、花の百名山・富良野岳の山頂に立ちました。高校時代にはトレーニングでよく登った山です。晴天で、眼下には故郷・麓郷が見えました。

富良野岳の周辺からずっと高山植物が豊富で、三峰山、上富良野岳、上ホロカメットクと縦走し、初日は上ホロ避難小屋のキャンプ指定地に泊まりました。

今回の十勝岳・大雪山系の縦走は、避難時以外は、すべてテント泊になりました。ここまでテント泊が続くような縦走は、実はこれまでになかったので、旅の終盤にして初めてのテント泊縦走となったのでした。

日の出を迎えた上ホロ避難小屋のキャンプ指定地


縦走2日目は6時に出発して十勝岳を目指しました。7時過ぎ、百名山の時以来、7年ぶりに十勝岳に登頂しました。運良く、噴火規制レベルが1に下がっていて、山頂まで登ることができました。また、東の風が吹いていたおかげで噴煙を浴びずに済み、展望もとてもよかったです。

地元の山であり、学生時代、何度も登ったという
十勝岳に登頂/
荒々しい山肌は十勝岳の象徴


美瑛富士を巻いて、オプタテシケ山へ。オプタテシケ山は、学生時代に縦走した経験があり、15年ぶりの登頂となりました。途中の登山道には高山植物がたくさん。イワウメの群落が棚田のように広がっていました。

イワウメが群落を作る山肌。
お花畑のスケールも北海道の山ならでは/
学生時代に駆け抜けた縦走路へ


オプタテシケ山から先の縦走路は、学生時代にはいけなかった場所です。双子池のあたりは、以前はチシマザサの藪こぎを強いられたのですが、ここ数年で刈払いされたようで、歩きやすくなっていました。

この日は、十勝岳連峰(「十勝連峰」と呼ばれることが多いが、地元では、「十勝岳連峰」という方が多く、自分としてはしっくりくる)の主峰付近では、ほかの登山者が多かったのですが、双子池キャンプ指定地まで来ると、さすがに登山者は少なくなりました。

これから進んでいく大雪山系の山々を遠望


縦走3日目は、雷雨予報があったので、早朝から行動しました。三川台まではヒグマが多いと聞いていたのですが、登山道にヒグマの巨大な糞に遭遇し、緊張が走りました。

ヒグマの糞が登山道に。その大きさに驚く


トムラウシ山の手前、三川台付近で、予想より早く雲に包まれました。後ろ側の十勝岳連峰にも、前方のトムラウシ山にも雨雲がかかり、9時前に、三川台直下にあったスペースにテントを張って緊急ビバークしました。

その後、通ってきたツリガネ山に落雷がありました。雷にはよい思い出がなく、動けません。15時過ぎからは三川台の真上にも雷鳴があり、激しい雨に1時間ほど見舞われました。結局、そのままビバークとなりましたが、夜はヒグマの恐怖もあり、熟睡できませんでした。

雨を避けるため、テントに入る。
そのままビバークに


6月29日、三川台直下のビバーク地から、三川台に登ると、トムラウシの山容が見えました。十勝岳連峰の、火山の荒々しい景色から、なだらかに広く、どっしりとした山容の大雪山系の景色へと変わってきたのがよくわかりました。

百名山のトムラウシ山に登っていく


昨日の宿泊予定地だった南沼を越えて、8時に、トムラウシ山に登頂しました。百名山のときは、初雪で、風も強く、写真を撮ってすぐ下山しました。7年ぶりの山頂は、高曇りでしたが、穏やかな山頂でした。行程に余裕があったため、鳴き声だけが聴こえるナキウサギを探したりして、(結局、姿は見えず)のんびり過ごしました。

旅の間、何度も登場した
雪だるまの「トム君」とも、ここでお別れ


7年前にトムラウシ山で作って以来、「トム君」と名付けた雪だるま。雪があるたびに何度も現れたトム君ですが、これで里帰りを果たし、別れを告げました。この日は、ヒサゴ沼のキャンプ指定地にてテント泊、三百名山の旅も残りは5座。片手で数えられる数になりました。

トムラウシ周辺の残雪や池、
とても美しい景色なのだが…


縦走5日目は、天候が悪く、ヒサゴ沼のキャンプ指定地で停滞しました。

午前中から雷鳴があり、15時過ぎから激しい雷雨になりました。前日はテント泊でしたが、避難小屋泊に切り替え、避難小屋で過ごしました。キャンプ指定地は水たまりになり、ほかのキャンパーも避難してきました。

ヒサゴ沼は窪地で携帯の電波が入らないので、キャンプ指定地ではラジオの天気予報を聞いていました。

避難小屋のトイレの便槽には、
「うっかり落ちた」ではない、
たくさんのゴミが浮いていた。
登山者しか来ないはずの山の中で、
モラルの低さにがっかりしたという

 

2泊3日で石狩岳を往復。縦走に手応えを感じ、大雪山に向かう!

7月1日、縦走6日目、天気が回復し、ヒサゴ沼のキャンプ地を出発しました。化雲岳から東へ向かい、この日は、沼ノ原キャンプ指定地まで進みました。

今回は、十勝岳・大雪山の縦走に、石狩岳への往復で2泊3日が加わっているのです。

化雲岳に登ったあと、進路は東へ/
池塘が美しい山沼ノ原へ


二百名山のとき、石狩岳へのルートで、沼ノ原への入り口を素通りしたことはありましたが、よく整備された木道や、大沼の畔にあるキャンプ指定地には立ち入ったことがありませんでした。沼ノ原には初めて泊まりましたが、山の上で、こんなに秘境めいたキャンプ場というのは初めてでした。

沼ノ原のキャンプ指定地にて


ただし、ヒグマが多いところなので、匂いの出ないようなフリーズドライを中心に用意しました。

朝夕は水鏡のように空と山を写しました。水場も遠く、携帯トイレは必須ですが、登山者は少ないし、素晴らしいキャンプ指定地でした。

縦走7日目、沼ノ原キャンプ指定地から往復で15時間と想定して、石狩岳を目指しました。荷物はデポできるので、少し軽くなります。ヒグマのトラブルを避けるため、食料はテントに、ゴミ袋は木に括り付けてから出発しました。

6年前、藪こぎした経験から、十分時間に余裕を持って下っていったのですが、笹薮が刈払いされて歩きやすくなっていて、藪こぎすることなく、コースタイムを縮めることができました。

石狩岳へ。笹薮は刈払いされていて、
想定より早く進むことができた


石狩岳は、西から縦走していくと、偽ピークが手前にあります。

二百名山のときも偽ピークに登ってがっかりしたことがありましたが、今回も勘違いしました。それでも、山頂標識と三角点がある石狩岳には、想定していたより短い、3時間50分で登頂することができました。

天気よく、展望もバッチリで、沼ノ原まで見えました。大雪山の方は、北西の風によって雲が湧いてよく見えなかったのですが、東側は雲がなく、雌阿寒岳が見えました。先月登ったニペソツ山も、とてもかっこよく見えました。

帰りは、沼ノ原まで3時間で。縦走中、大きなポイントだった「石狩岳往復」が完結し、縦走達成に手ごたえを感じたのでした。


沼ノ原キャンプ指定地にて。夜明けの絶景


縦走8日目、沼ノ原を出発し、一昨日歩いてきた五色ヶ原の雪田を登り返していくのですが、雪がたくさん残っていて、ハイマツに隠れた登山道を探し出すのが難しく、2、3回、迷いました。下りのときは全体が見える中を下っていくのですが、登り返しは全容が見えないので、ルートを探すのが難しく、往路のGPSをたどりながら進みました。

忠別岳と、その先に広がる高根ヶ原。
あこがれの場所を初めて歩いた


進路を北に変え、忠別岳へ。その先の高根ヶ原は、学生時代、旭岳に登ったときに見て憧れていた場所。いつか歩きたいと思っていた場所を、この縦走で初めて歩くことができました。広大な砂礫地で、風が強いため、ほかの植物がなく、コマクサの群落に驚きました。株も、花ひとつひとつの大きさも、見たことがないくらいの大きさのコマクサで、ご機嫌のまま白雲岳避難小屋へと歩いていきました。

山好きイラストレーターの鈴木みきさんが
小屋番をしていた白雲岳避難小屋


この日は土曜日で、避難小屋は満室状態だったので、密を避けてテント泊になりました。次々と登山者が到着し、雪どけで泥だらけの地面に、ひしめき合うように、テントが並びました。

大雪山系に入ってからは、天気が不安定で、一日ずっと晴れ、という日はなかったのですが、翌日以降、さらに数日間、雨となりそうだったので、計画を変更することにしました。緑岳、赤岳、白雲岳の「色巡り」は断念し、翌日は晴れの時間に合わせて、旭岳登頂を狙うことにしました。

翌7月4日、「色巡り」登山を諦めたため、この日が縦走最終日になりました。未明に出発し、満点の星空の中を進みました。きらきらと輝く雪田を抜け、眺望の良い北海岳、間宮岳と進むと、旭岳頂上だけがいつの間にか霧に覆われてしまいました。

朝日を浴びて雪田を進む/
北海岳までは晴れていたのだが…


6時過ぎには、大雪山最高峰・旭岳に登頂しました。真っ白な霧の中でしたが、30分後、ドラマチックに霧が晴れてくれました。北海道で最も高い旭岳からは、眼科に地獄谷、姿見池、お鉢が、遠くには、歩いてきたトムラウシ山、高根ヶ原の展望がありました。次の山、ニセイカウシュッペ山も見えました。

ブロッケン現象が見られるほどの濃霧から。
霧が晴れた! 待っていてよかった!


間宮岳へと登り返して、黒岳へと縦走していきました。「チーム・イーストウインド」のOGでもあり、登山家の谷口けいさんが亡くなった場所で、コーヒーとお菓子を添えて手を合わせました。そして、雨の中、昼過ぎには層雲峡へと下山しました。

雷雨によるビバークや停滞、計画変更もありましたが、8泊9日で、石狩岳往復を含む、十勝岳連峰から大雪山系への縦走を終えることができました。

黒岳では、亡くなった谷口けいさんに手を合わせた


日記には「初めて歩くこの季節に、たくさんの高山植物にも出会え、かけがえのない感動の場面や景色にも出会え、それが縦走最後のこの山で全てが実を結んだように思えた」と記した。

下山後、9日ぶりに風呂に浸かり、
ひげを剃ってサッパリ!


*****


三百名山の旅も、残りは8座。大雪山系の縦走で5座、その後、一つずつ、2座を登り、最後の利尻山となる。

 

取材日=2021年8月10日
協力=グレートトラバース事務局

 

関連リンク

人力20,000kmの山旅。日本3百名山ひと筆書きに挑戦中の田中陽希さんを応援しよう!
もっと知りたいという方は、ウェブサイトで。
グレートトラバース事務局ウェブサイト
https://www.greattraverse.com/

 

今回のレポートで登った山

十勝岳 [6月27日]
十勝岳

オプタテシケ山 [6月27日]
オプタテシケ山

トムラウシ山 [6月29日] あと5座
トムラウシ山

石狩岳 [7月2日] あと4座
石狩岳

大雪山・旭岳 [7月4日] あと3座
大雪山・旭岳

 

プロフィール

田中 陽希

1983年、埼玉県生まれ、北海道育ち。学生時代はクロスカントリースキー競技に取り組み、「全日本学生スキー選手権」などで入賞。2007年よりチームイーストウインドに所属する。陸上と海上を人力のみで進む「日本百名山ひと筆書き」「日本2百名山ひと筆書き」を達成。
2018年1月1日から「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦し、2021年8月に成し遂げた。

https://www.greattraverse.com/

田中陽希さん「日本3百名山ひと筆書き」旅先インタビュー

2018年1月1日から、日本三百名山を歩き通す人力旅「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦中、田中陽希さんを応援するコーナー。 旅先の田中陽希さんのインタビューと各地の名山を紹介!!

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