遅い春を迎えた釧路湿原から知床半島まで。道東をめぐり、羅臼岳・斜里岳などの名山を登る! 田中陽希さん旅先インタビュー第32弾

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日高山脈の4座を8泊9日で踏破した田中陽希さんだが、日高山脈の西側に下山したため、知床半島の羅臼岳までは440kmの移動を強いられた。遅い春を迎えた釧路湿原を通り、北海道の東へ。1か月半の旅の話を聞いた。

 

POINT
  • 日高山脈の南西から、釧路湿原を経て、道東の知床半島へ。18日間かけて440kmの移動
  • 1か月ぶりの登山となった羅臼岳。7年越しの念願かなって、晴天の山頂に立つ
  • 2座でひとつの阿寒岳。一日一座ずつていねいに登る
  • コースタイム往復13時間、標高差2000m。登りごたえのあるニペソツ山でひと区切り

 

日高山脈の南西から、釧路湿原を経て、道東の知床半島へ。18日間かけて440kmの移動

日高山脈の縦走後、数日間の休養を経て、5月4日に旅を再開し、初めて襟裳岬に立った田中陽希さん。北海道一長いという「えりも黄金トンネル」を抜けて、ようやく日高山脈の東側に抜けた。

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5月8日には、日高山脈の東側の幕別町というところに着きました。当初の計画で日高山脈縦走後に宿泊する予定だった宿に着き、これでようやく計画ルートに戻りました。大樹町では北海道らしいどこまでも伸びるまっすぐの道を歩きました。海沿いではなく、内陸を歩いたのには理由があって、釧路までの海岸沿いは原野に近く、道路はあっても集落がまばらで、宿がありません。車ならあっという間に通り抜ける距離でも、歩き旅の間隔では宿がなかったのです。

民家の庭先にコマクサが生えていました。平地でもコマクサが生えているというのが、北海道の気候を表しているなと感じました。

水質日本一に選ばれている
「日本一の清流・歴舟川」
/平地の民家にコマクサが


天気の良い日に、日高山脈を振り返ってみると、山上は再び雪が降ったようで、真っ白でした。日高山脈を見ては、山座同定をしていました。ほかの山域では、遠くから振り返ると、よい思い出が浮かぶのですが、日高山脈については、これまでと違う感覚でした。稜線の険しさが肌身に沁みていて、あの稜線にいたことを思い出しては、緊張感がぶり返す、そんな感覚でした。

5月11日に十勝川を越え、根室本線に合流し、12日には、海が見える場所まできました。日高山脈の縦走を終えて2週間が経ち、ようやく疲れが抜けた、という感覚になりました。

峠を越えて釧路地方に入ってみると、景色が変わり、湿原が点在する原野になりました。十勝地方では、麓は比較的暖かく、桜も終わり、新緑が芽生え、田畑が広がる春の景色だったのに対して、釧路地方は樹々の芽吹きはまだで、桜もこれから。北海道の中でも、もっとも春が遅い釧路地方に入ったことを感じました。

畑にタンチョウヅルが歩いている
/湿原独特の風景「谷地坊主」


間に宿がなく、4月に旅を再開してから最長の、一日42km、7時間かけて移動しました。タンチョウヅルが歩いていて、釧路湿原に近づいたことを感じました。

広大な景色を走る根室本線/
白糟町は「子育て応援・日本一」の町


5月14日、初めて釧路湿原を歩きました。新釧路川の堤防道路を歩き、少し高いところから徐々に釧路湿原に近づいていきました。釧路はようやく桜が咲きだしたくらいで、芽吹きの前なので、湿原にはまだ緑がなく、茅や篠の枯れた状態で、サバンナ的な草原でした。湿原の向こうに阿寒岳が見えました。

「ザァァー」と広がる釧路湿原。
風が抜けていくときの音が
聞こえるようだったという


サルルン展望台に立ち寄り、シラルトロ沼を経て、標茶町へと進みました。途中、湿原の泥炭層に由来する黒い温泉、モール泉に浸かりました。初めての町、自然を歩き、改めて「日本にはまだまだ知らないことがたくさんある」と感じました。

酪農の多い道東らしい「牛横断注意」の看板


休養を挟んで、標茶町から牛の町である別海町へ、波のようにうねる丘陵地を抜けていきました。丘陵地はみな牧草地になっていて、牛が放牧されていました。

直線道路・牧草地など
広大な道東の景色の中を進んでいった


5月18日には、中標津町まで進みました。この日は12kmと、8kmの2つの直線道路がありました。直線道路は、北海道らしい景色なのですが、どこまで行っても先が見えないように思えます。町と町を最短で結ぶので交通量が多く、飛ばして通り抜けるので、落ち着いて歩けないこともあります。牧草地の向こうに、斜里岳が見えました。

丘陵地帯の直線道路は
「道がどんどん長くなっていくよう」


5月19日は、宿の関係で14kmだけの移動でしたので、ゆっくり出発しました。標津町中心部で海に出ると、海の向こうに国後島が、本当にすぐ近くに見えました。

標津の海岸からは国後島がすぐ近くに見えた


標津町から羅臼町に向かって歩いた5月20日、道を歩いていると対向車線を走っていた車が、Uターンして止まり、降りてきた人に声をかけられました。聞き覚えのある声だと思ったら、なんと『北の国から』の“純” (吉岡秀隆さん)でした!

吉岡さんから「番組見てます、応援してます」って激励され、あっけに取られているうちに、去って行ってしまいました。ものの30秒くらいの出来事で、自分の実家が富良野・麓郷にあることとか、話をすることができませんでした。

海沿いの高台の道を進み、羅臼町へ。
この日の民宿の名前は「旅の途中」。
まさに!


5月21日には、羅臼町の中心部まで進みました。羅臼川の橋から、圧倒的な存在感の羅臼岳を見ることができました。

18日かけて、知床半島まで歩き、羅臼岳の麓まできましたが、春の嵐に遭い、5日間の停滞となりました。寒気が入って、山の上には雪が降った様子でした。

羅臼町内にある
「純の番屋」を再現した食堂は休業だった

 

1か月ぶりの登山となった羅臼岳。7年越しの念願かなって、晴天の山頂に立つ

5日間、羅臼町で天気を待ち、5月27日に羅臼岳に登りました。日高山脈から1か月ぶりの登山となりました。

当初の計画では、テント泊で1泊2日の予定でしたが、天気が続かないと分かったので、一日の行程に変更して、山を越えてウトロ側に縦走しました。中腹には桜が少し咲いていました。羅臼側の大雪渓では1km以上、雪の上を歩いて登っていきましたが、溶岩ドームの山頂には雪がありませんでした。

残雪が残っている中を進む。
桜も咲いていた/長い雪渓を登っていく


実は、羅臼岳も、三百名山の旅に出るきっかけの一座で、登り直したい山でした。

百名山のときは、99座目だったのと、10月初旬になって先を急いでいたので、日程を優先し、濃霧の中を登りました。自分がどこにいるかもわからないで、山頂の景色も覚えていないくらいでした。

稜線からは、
両脇に別の海が見える半島らしい景色が


「待った甲斐がある」晴天の中、7年ぶりの山頂に立ちました。半島の山らしく、目に映る景色の左と右に海が見え、雄大な自然が広がっていました。2度目なのに、みな初めて見る景色で、ここまで歩いてきてよかった。そして、天気を待つ余裕があってよかったと感じました。

「待った甲斐がある」晴天の中で、山頂へ


翌日から、半島を付け根の方に移動していきました。雨予報だったのが、青空になってきたので、日本で2番目に長い直線道路「天に続く道(直線28.1km)」のスタート地点に立ち寄りました。7年前には立ち寄らなかった名所です。

知床連山をバックに、再び、内陸へ向かって進む/
「天国に続く道」のスタート地点に立ち寄る


遠くに次の斜里岳を望む


6月2日、291座目の斜里岳に登りました。この日の行程は、清里町の宿から登山口まで13kmあり、朝の4時半に出発し、7時から登っていきました。沢沿いのコースで登っていきますが、百名山の時より水量が多いなかで、茶褐色の沢を登っていきました。斜里岳は6月1日に登山口までの車道が開通したばかりで、羅臼岳よりは雪が少ないものの、沢の残雪部分はスノーブリッジになっていて、怖い箇所があり慎重に登っていきました。

斜里岳の登山口までは13kmのロード/
沢をつたう旧道コースで登って行った


斜里岳は独立峰で展望がよく、山頂では高曇りでしたが、東側に先日登った羅臼岳や知床連山、オホーツク海、斜里平野がよく見えました。西側は少し曇って見えにくかったものの、これから進んでいく、摩周湖、屈斜路湖、雄阿寒岳・雌阿寒岳が遠望できました。

山頂から北東側を望む。
斜里平野の向こうに、オホーツク海と
知床連山が見えた


休みなく、翌日も移動し、6月4日は約17kmの移動でした。雨が強くなる前に早めに進み、昼食には7年前にも立ち寄った弟子屈ラーメンを食べました。

雨の中を移動は、車からの水しぶきにも注意が必要


日程と天気次第では、摩周湖の展望台まで登っていこうと思っていたのですが、道路で標高差400mくらいを登って下りてこなくてはならないのと、雨だったので、やめにして先に進んでいきました。

6月5日は、38歳の誕生日でした。三百名山の旅を始めてから4度目の誕生日で、弟子屈町からスタートし、峠を超えて阿寒湖まで約40kmの移動となりました。

38歳の誕生日は40kmの移動となった。
峠を越えて雄阿寒岳が見えてきた

 

2座でひとつの阿寒岳。一日一座ずつていねいに登る

6月6日、7日と連日の登山で、雄阿寒岳と雌阿寒岳に登りました。「阿寒岳」は、雄阿寒・雌阿寒とありますが、阿寒湖を挟んで2つの別の山です。ほかに阿寒富士というピークもあります。百名山のときは、一日2座を登りましたが、雄阿寒岳は晴れたものの、雌阿寒岳では曇りで、展望がありませんでした。

雄阿寒岳は円錐形の山です。2つの小さな湖を抜けたら、ずっと登っていきます。雄阿寒岳の登山道には名物看板があります。なんと8合目付近にあるのに、「5合目」と書いてあるのです。傾斜が緩くなったあとに「8合目」の看板があり、そこからは山頂が目の前です。

阿寒湖畔の宿から、小さな湖を抜け、雄阿寒岳へ/
「〇合目」のが特異な雄阿寒岳の看板


阿寒湖を眼下に見ながら標高を上げる/
291座目の半分、雄阿寒岳に登頂


翌日の雌阿寒岳の行程は、泥の中で温泉が湧き出ている「ボッケ」という名所を見たかったと、途中の展望台からの景色が眺めたかったので、白湯山の遊歩道を進むコースを取りました。

「ボッケ」を見た後、白湯山の展望台へ/
雌阿寒岳の登山道を登っていく


雌阿寒岳の登山口からは再び登りになり、ハイマツのトンネルを抜けると剣ヶ峰でした。主稜線に出ると、火口から煙が見えました。山頂は赤茶けていて、稜線は真っ白で雪のように見えました。

躍動する火山にいる、ということを感じるとともに、今ここで噴火したら、という危険も感じました。噴火口の縁を歩いて、山頂へ。かなり近くに活発な火口が見え、温泉のような匂いも強かったので、山頂からは早めに下山しました。

292座目の残りの半分、雌阿寒岳は躍動する火山。
近くに活発な火口が見えた


同じ火山ですが、雄阿寒岳と雌阿寒岳はまったく別の景色でした。

下山後、オンネトーから振り返る。素晴らしい景色


翌日も休まず移動。途中雷雨に遭いながら、日本一大きい「ラワンブキ(螺湾蕗)」の里、足寄(あしょろ)町へ。北海道らしい難読地名の足寄町は「日本一大きい町」で、東京都の約70%の面積がある、とのことでした。一つの町が、東京都の約7割もの面積というのが、いかにも北海道、というスケールです。

螺湾蕗。これでまだ成長途中の大きさ/
鉄道ファンには有名な
「旧国鉄士幌線 第三音更川橋梁」

 

コースタイム往復13時間、標高差2000m。登りごたえのあるニペソツ山でひと区切り

6月に入ってから、休養日を取らず、登っては、移動をしながら、雨の日も、猛暑の日も移動してきました。ニペソツ山までは登り終えてしまわないと、天候不良での停滞になってしまいそうだったからです。2日で足寄町を抜け、6月10日は、ニペソツ山の麓、幌加温泉(ほろかおんせん)の宿まで42kmの移動でした。

旧国鉄士幌線の廃線を歩く


6月11日は、大雪山系の東に位置するニペソツ山に登りました。2016年の台風で林道が使えなくなっているため、廃道を再整備したという幌加温泉コースから登ります。登山道のコースタイムは往復で13時間、標高差は2000m近くあり、久しぶりに大きな登りごたえのある山です。

二百名山・ニペソツ山へ。この日の行程は長く、
標高差も大きかった


途中、前天狗という場所から見ると、東側が削れた岩肌が見え、険しさ、荒々しさが見えてきました。芦別岳のような、かっこいい山です。6年前、二百名山の時に見た景色の記憶が戻って、気持ちが高揚しました。

険しく荒々しい山容が見えてきて、
二百名山のときの記憶がよみがえる


一度下って、300mほどを登り返した山頂では、申し分ない天気で、山頂からは正面にトムラウシ山が見え、北海道の屋根・大雪山のひとつひとつの頂上がはっきり見えました。

最後の登り返しへ/
山頂からは大雪山系の山々。
まさに「北海道の屋根」のようだ


今年は雪が少なく、前天狗のあたりで、キバナシャクナゲなど夏山の植物にたくさん出会いました。山頂で会った人に話を聞いて、帰りにはツクモグサも見つけることができました。

帰りに見つけたツクモグサ


連日の移動の甲斐あって、なんとか天気の崩れる前に登ることができました。また、下山したあと、久しぶりに「今日はしっかり登ったな」という感覚になりました。

 

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羅臼岳以降、天候優先で進んできた田中陽希さんだが、ニペソツ山を登頂したことでひと区切りとなり、12日ぶりに休養日を取った。その後、幌鹿峠、然別湖、狩勝峠と進んで、南富良野町に入り、2か月半ぶりに富良野市・麓郷の実家に戻った。十勝岳・大雪山縦走に向けての準備に取り掛かった。

幌鹿峠、然別湖、狩勝峠、幌舞駅。
2か月半ぶりに富良野市の実家へと戻った

 

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この2ヶ月半を振り返ると、夕張山地スキー縦走、最難関の日高山脈冬季縦走があって、その後は、移動距離の長い道東・知床を回ってきました。体調は良く、足の爪を痛めた以外はケガもなく、登れなかった山もなく、予定通り順調に進んだと言ってよいでしょう。

十勝岳・大雪山の縦走では、稜線上を石狩岳に往復するところがあります。小屋泊とテント泊での7泊8日の計画ですが、途中で、雨が降り、停滞があることも想定しています。雨停滞は、テントより小屋泊の時がいいですね。

実家では愛犬がお迎え/実家の敷地でテントを試す

 

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三百名山の旅も、残りは8座。大雪山系の縦走で5座、その後、一つずつ、2座を登り、最後の利尻山となる。

 

取材日=2021年6月21日
協力=グレートトラバース事務局

 

関連リンク

人力20,000kmの山旅。日本3百名山ひと筆書きに挑戦中の田中陽希さんを応援しよう!
もっと知りたいという方は、ウェブサイトで。
グレートトラバース事務局ウェブサイト
https://www.greattraverse.com/

 

今回のレポートで登った山

羅臼岳 [5月27日]
羅臼岳

斜里岳 [6月2日]
斜里岳

雄阿寒岳 [6月6日]、雌阿寒岳 [6月7日]
雄阿寒岳、雌阿寒岳

ニペソツ山 [6月11日]
ニペソツ山

 

プロフィール

田中 陽希

1983年、埼玉県生まれ、北海道育ち。学生時代はクロスカントリースキー競技に取り組み、「全日本学生スキー選手権」などで入賞。2007年よりチームイーストウインドに所属する。陸上と海上を人力のみで進む「日本百名山ひと筆書き」「日本2百名山ひと筆書き」を達成。
2018年1月1日から「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦し、2021年8月に成し遂げた。

https://www.greattraverse.com/

田中陽希さん「日本3百名山ひと筆書き」旅先インタビュー

2018年1月1日から、日本三百名山を歩き通す人力旅「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦中、田中陽希さんを応援するコーナー。 旅先の田中陽希さんのインタビューと各地の名山を紹介!!

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