第12回 一万山達成の日

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定年退職した翌日から一万日連続登山を目指し、約27年間毎日山へ登り続けて達成寸前に他界した東浦奈良男さん。連続一万日には至らなかったものの、登山を始めた昭和35年(この連載の第1回参照)から数え、一万回登山は81歳のときに達成した。連続登山での換算では7908日目の日だった。

 

前回の「奈良男日記」:第11回 喜びも悲しみも山へ。母の死

 

平成18(2006)年6月20日の日記より

20日7908日浅間山122 〜 10,000

 

一万山の日である。よくぞ上らせてもらえたものだ。かくしてかくなるとは(昭和)35年当時は思いもよらなかった。それがとうとうかくは成ったのである。感無量といいたいところだが、まだまだこれからの心で初めての気で登らせていこまいか。とこれは昨日の9999に誌す。9999よありがとう。昨夜姉妹(自分の娘)きて面倒してくれたのでケツふき助かる。夜も8時であった。もはや自便自拭はあかんか。大きな赤ん坊となったか。つい先日まで膳まできていたのに。入浴もか、人間とはかくも衰弱するのか。又は人によるか否やである。そういうわしもなり果つる時が? ええいくそ。なってたまるかと今は思っているが90代は90代にならねば分(か)るまい。大木のように地下に根をはっていないからな。いわば、地上の浮き草同然である。8時15分姉かえる。宮川駅でシンブン多数あってよみつつゆき、切りぬきもみつけておき、帰宅してキチンと切る、メンコ(奥さんのこと)にのましてから。さて、山は浅間山一辺倒、しようがない。今日は一万山なのだが、さっぱり忘れて山を去った。一生続ける山だし、一万でも何でもよし。只、メンコ次第で遠山が上れないのがさっぱりだ。やむなし。拾い新聞中にあった本広告に2冊ほしい本があり注文するか。2415円と3360円で5775円也だ。▲(富士山登山)用(の貯金)で買えはする。OK、武道を生きる・陸軍墓地が語る日本の戦争で下だけ注文する。武道はよす。どうせ武道はできんし、山道だからだ。ぶはぶでも歩道である。歩を武にすればよいが、まだ分(か)らぬ山歴50年近くてもだ。

 

 扇風機 山の風とは又ちがい
 なつかしむ 山の吹く風 扇風機

 

この日登った浅間山は、地元、伊勢周辺の山のひとつだが、いくつか同名の山があり、特定はできない。とにかく冒頭の山名の後にある数字は、この日が122回めの浅間山登山だったことを示している。「〜」は、奈良男さんがつくった「くもり」の記号。

ふたりの娘さんが下の世話をしたことが記されているのは、奈良男さんのことではなく、妻のかづさんのことだ(日記の紹介が前後するが、連載第10回目のかづさんの入院は、この日の二日後のことだった)。

奈良男さんは、山へ登り続ける理由が3つあるとぼくに言った。そのひとつが、前回紹介した、「償い」。そして、もうひとつが、「かづさんに連続登山の記録をプレゼントすること」だった。

「ダイヤモンドを買ってあげられるお金がないですから、記録をプレゼントしたい・・・」  と照れくさそうに話す奈良男さんの表情が印象的だった。奈良男さんは、山へ向かう姿勢に関しては鋼のような強さを持ち、家庭では絶対的な存在だったが、同時に、素朴で純粋な優しさも持ち合わせていた。

「メンコ次第で遠山が上れない」と、衰弱しているかづさんを心配して、遠出を控えていることが分かる。一万山目の山行だったにもかかわらず、それをつゆ忘れてすぐ下山してしまったのは、慣れた山だったからだろうか、あるいは、かづさんのことがあったからだろうか。

新聞の広告から本を買うことにしているが、これは、読書家の奈良男さんが読む本を決める日常的な手段だった。そして、必ず決まった本屋さんに注文をして、山行の帰り道に受け取って帰宅する。後年、奈良男さん自身が体調を崩し、娘さんたちがなかなか帰ってこない奈良男さんの居場所を掴めないことが度々あった。そんな時、本屋さんの店員さんが奈良男さんの来店を確認し、娘さんに連絡を入れることもあった。本屋さんとそんなよい関係が築けていたことからも、奈良男さんがどれだけ本が好きだったかが伺える。

連続登山以前から書き始め、51年間で42冊綴られた登山日記は、前半こそ「どうしたら疲れないで歩けるか」「どうしたら山へ登り続けられるか」を熟考していたようすがつぶさに記されている。しかし、後になればなるほど、その内容は「日々の繰り返し」的なものになり、妻のかづさんを案ずる内容や自分自身の体調に関する記述が多くなる。この時、すでに81歳だったことを考えれば、それは、当然のことだ。そして、続ければ続けるほど、山を登ることは、奈良男さんにとって、限りなく生きることそのものになっていった。

「続けるからやめられないんです」

と話してくれたこともあった。

奈良男さんに出会った時、「何故、一万日を目指すのか」が理解できず、どんどんのめり込んでいった。しかし、取材すればするほど、その答えはひとつではなく、27年に及ぶ連続の日々の中で自分の寿命を削ると共にいろいろな理由や目的が加わり、変化するというよりもその襞を増やしていったのではないだろうか。それでも、奈良男さんが直接ぼくに教えてくれた「3つの理由」は、その中枢にあり続けた。

次回は、最終回。3つ目の理由を日記から紐解く。

注:日記の引用部は誤字脱字も含めて採録しますが、句読点を補い、意味の通じにくい部分は( )で最低限の説明を加えています。

『信念 東浦奈良男 一万日連続登山への挑戦』
著者 吉田 智彦
発売日 2013.06.14発売
基準価格 本体1,200円+税

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プロフィール

吉田 智彦(よしだ ともひこ)

人物や旅、自然、伝統文化などを中心に執筆、撮影を行う。自然と人の関係性や旅の根源を求め、北米北極圏をカヤックで巡り、スペインやチベット、日本各地の信仰の道を歩く。埼玉県北部に伝わる小鹿野歌舞伎の撮影に10年以上通う。2012年からは保養キャンプに福島から参加した母子のポートレートを撮影し、2018年から『心はいつも子どもたちといっしょ』として各地で写真展を開催。福島の母子の思いと現地の実状を伝えている。
Webサイト: tomohikoyoshida.net
ブログ:https://note.mu/soul_writer

奈良男日記 〜一万日連続登山に挑んだ男の山と人生の記録〜

定年退職した翌日から、一日も欠かさず山へ登り続けて一万日を目指した、東浦奈良男さん。達成目前の連続9738日で倒れ、2011年12月に死去した奈良男さんの51年にも及ぶ日記から、その生き様を紐解いていく。

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