第10回 「いっておいない」の言葉が心に染みる。妻、かづさんの救急入院

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定年退職した翌日から一万日連続登山を目指し、達成寸前で他界した東浦奈良男さん。8000日達成を目前にしたある日、共に3人の子どもを育てあげ、日々、奈良男さんを山へ送り出してくれた妻、かづさんが入院してしまう。

前回の「奈良男日記」:第9回 クルマにひき逃げされたまま歩き続ける

 

36冊目の登山日記の表紙には、開始日の横に「(18.6.22入院)」と書かれている

 

平成18(2006)年6月22日の日記より

22日7910日浅間山124.2

昨日3時半ガスに鍋かけてWC入り中、ツナ(長女、綱恵さんの呼び名)来たり。ドクターくるという。入院と宣ったのだが、玄米でゆくことと先生に伝す。入院しては、そこまでいかねばならん。メンコにもゆくゆかぬかの自由はある。わし一存できめられぬのだが。病院のクスリや注射よりも玄米の方がよいと思いますと言ったが、いいすぎたな。天命ならばやむなし。でなければ玄米が利くだろう。昨夜9時、勇治よりジリジリ、ツナがいったので勝手にいるなといっとこう。昨夕めしはくわずにおく。スキ腹で考えよう。10時半帰ると車2台ツナがいて(かずさんが)意識なかったとかでピーピーでつれていったという。「いってくるんな。ええか」「いって(お)いない」と言った声を耳に山へ向ったが、その時にも「いって(お)いない」と言ってくれたことが目頭をあつくさせた。涙もにじむありがたさであったが、おかげで今日まで山行できたのである。全くメンコなかりせば山はできなかった。さて、どうするか。病院へゆくのはつれもどせぬし、困った。これがもし、しかし、わしが帰った時にそうなっていたら、どうしたか。同じことか。意識がないでは何ものまないことになる。いかに玄米がよくてものめないでは何にもならぬ。結局は時節到来か否かである。時節なら天命なら如何ともしがたい、どうせむ。

1万山にしてかくなりけりか。1万山もメンコの入院と相いなった。しかも手術である。出るときに声かけていってきてといっていたが、9時ごろ2人きてムイシキだったといいピーピーを呼び出して既に入院してしまっていた。玄米よ祈りははずされた。まあ、森田2兄弟が見まいにきてくれていたので、入院もさせずにと思われずにはすむが、手術という悪手を使わせてしまった。耳許(みみもと)で医者が何のかのと吹き込まされて否応なく手術となるムネン! 手首の脈がなんと力強く打っている。右手首が手術してからか、初めからか、手首の脈をしらべなかった。こんなに力強く打つ脈なら大丈夫だったはずである。手術後のベッド、もはやなんともならぬ。4時すぎ帰り、ナベぬくめて、膳に並べて食いもせず、あれこれ考えてもバカくさい。しかしくう気がせん。7時だが、まだくわずに考え中。考えてばかりいては何もできんが、何もくわずにねるとしよう。勝二がモト(長男、素光さんの呼び名)がわしをキライといったらしい風なことをいう。キラわれてこそ親だ。一事を必ず成さむと思わば他のことの破るるをも傷む否可(べからず)万事に代えずしては一の大事成るべからず 人の嘲けりをも恥ずべからず

 

日記の中で、奈良男さんは妻のかづさんのことを「かわいい」を意味する「メンコ」と呼んでいた。かづさんは、毎日山へ向かう奈良男さんに、「いって(お)いない(いってらっしゃい)」と声を掛けていた。連続登山7910日目、奈良男さんが山から帰宅すると病院に運ばれて入院してしまったことを知ると、その何気ない日常的なやりとりに愛おしさが募り、奈良男さんは涙を流す。

かづさんの具合が悪かった原因は、水頭症という病気だった。脳を保護する脳脊髄液の量が増えすぎて脳を圧迫し、物忘れが激しくなったり、歩行障害を起こしたりする。以前から症状が出ていて、奈良男さんが留守の間に娘さん達が往診の医師を呼んで診てもらっていた。そして、「このままでは死んでしまいます。今の状態では責任が持てません」というメモを医師が残しても、大の医者嫌いだった奈良男さんは自分で面倒をみると言い張った。奈良男さん自身、若い頃に内臓を壊し、食に細心の注意を払っていたので、東浦家では合成着色料や保存料が入った食べ物は一切取らず、自然食品店がないころから食材を厳選し、自分で一週間のメニューを決めてかづさんに渡していた。「クスリや注射よりも玄米の方がよいと思います」という言葉は、日頃の食から健やかな体を作ろうとしていた姿勢から生まれている。

それと同時に、入院を拒んだのは、かづさんへの愛情の強さもあったに違いない。連続登山をするのなら、行ったままで登り続けた方が効率がいいに決まっている。そこを毎日帰ってきたのは、何より、かづさんの顔を見たいからだったと本人から聞いたことがある。

奈良男さんは、かづさんが意識を失ったことで病院へ運ばれたと思っているが、実は、その日、かづさんに意識はあった。危機的状況を見かねた娘の綱恵さんと小澄さんが、強硬手段に出て救急車を呼び、お母さんを病院へ送ったのだ。また、奈良男さんは、したと思い込んでいるが、手術は行われなかった。翌日、病院でそのことを知った奈良男さんは胸を撫で下ろしている。
翌日の日記には

「毎日読書する。帰宅退院まで読書してゆく外なし。本読みて、退院を待つ6月かな」

と記している。
しかし、かづさんはそのまま介護施設に入ることになり、この日以降、家に戻ることはなかった。

日記に記されている「1万山」とは、2日前、連続登山ではなく、登山をするきっかけとなった1960年の乗鞍岳山行から数え、登った山が1万山に達したことを示す。

文中の「ピーピー」は救急車、「ジリジリ」は電話のことだ。

文末に書かれているのは、奈良男さんが「一番好きな言葉」と言っていた徒然草の一節。正しくは、

「一事を必ず成さんと思はば、他のことの破るるをも傷むべからず、人の嘲けりをも恥づべからず。万事に換えずしては、一の大事成るべからず」

だが、奈良男さんは「嘲り〜」の行を最後に持ってきた。これは間違いというより、この時の心境を表して入れ替えたようにも思える。

そして、約3ヶ月後の9月20日、奈良男さんは連続登山8000日を達成する。

『信念 東浦奈良男 一万日連続登山への挑戦』
著者 吉田 智彦
発売日 2013.06.14発売
基準価格 本体1,200円+税

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プロフィール

吉田 智彦(よしだ ともひこ)

人物や旅、自然、伝統文化などを中心に執筆、撮影を行う。自然と人の関係性や旅の根源を求め、北米北極圏をカヤックで巡り、スペインやチベット、日本各地の信仰の道を歩く。埼玉県北部に伝わる小鹿野歌舞伎の撮影に10年以上通う。2012年からは保養キャンプに福島から参加した母子のポートレートを撮影し、2018年から『心はいつも子どもたちといっしょ』として各地で写真展を開催。福島の母子の思いと現地の実状を伝えている。
Webサイト: tomohikoyoshida.net
ブログ:https://note.mu/soul_writer

奈良男日記 〜一万日連続登山に挑んだ男の山と人生の記録〜

定年退職した翌日から、一日も欠かさず山へ登り続けて一万日を目指した、東浦奈良男さん。達成目前の連続9738日で倒れ、2011年12月に死去した奈良男さんの51年にも及ぶ日記から、その生き様を紐解いていく。

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