雪とともにある生活|北信州飯山の暮らし

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日本有数の豪雪地域、長野県飯山市へ移住した写真家・星野さん。里から森と山を行き来する日々の暮らしを綴ります。第2回は、雪かき…ではなく“雪堀り”のお話です。

文・写真=星野秀樹

 

 

今年はとにかく雪不足。超豪雪を誇る我が村でも、積雪2mを超えることなく冬の日々を終える気配。シーズンの終わりを前にして、すでにウチの除雪機は雪が消えた地面の上に居座って、まるで挫傷して打ち上げられた船みたい。確かに暮らしは楽だけど、冬の雪国に降る雨ほど情けなく、なんとも不安にさせられるものはない。

温暖化だから、と言われるけれど、しかし僕がこの村に最初に入った2015年には積雪4mを余裕で超え、家の電線を二回掘り出した。飯山市が自衛隊に災害派遣を要請した、いわゆる「平成18年豪雪」の時は、6mもの積雪で村にあった分校が潰れたと聞く。そもそもこの土地では「雪かき」とは言わず、「雪堀り」という。一晩に1m近く積もることを思えば、もうすでに「かいて」いたのでは間に合わず、「掘る」しかないわけだ。除雪車の無かった時代には、集落内の「雪踏み当番」が2、3人一組になって、毎朝雪を踏み固めて通勤、通学の道を確保していたという。

朝5時前。防寒防水の古カッパ、目出帽、ヘッドランプ、それにソレルのブーツで玄関を出る。夜のうちに降り積もった雪は股下くらい。泳ぐようにして除雪機にたどりつき、すっかり雪に埋まった機械を掘り出すだけでずくがなえる。さて、これからたっぷり2時間、冬の日課の始まりだ。

降雪のあった冬の朝はこんな感じ。特に大雪警報が出ている時は要注意だ。細かい雪が雨のように降り続き、冬山のテントで閉じ込められた時のような恐怖すら感じる。いや、冬山ならいい。埋まりそうならテントを移動すればいいし、閉じ込められる前に山から逃げ出せばいい。でも雪国の暮らしはそれが日常で、自分の家から逃げ出すわけにはいかないのだ。

 

雪が降り続くとこんな感じ。 地道な手作業を続けて4日後、ひとまず家を掘り出した。
冬中こんなことの繰り返し。

今の家に引っ越す前、この村から3kmほど離れた別の集落に、僕は築200年ほどの古民家を借りていたことがあった。当時は神奈川県に住んで、通いで「山村暮らしごっこ」をしていたのだが、冬の除雪だけは「ごっこ」では済まない厳しい現実だった。家を空けるたびに軒まで埋まり、それを掘り出してはまた埋まるの繰り返し。朝4時過ぎに神奈川の自宅を出て、8時頃から除雪開始。途中、車の中で弁当を食って、午後3時にやっと家の中に入れた、なんてこともあった。ひと月以上家を留守にしたときには、玄関の一部を残して後は見事に雪の下。途方にくれつつも、1人で一週間かけて家を掘り出した経験は、今でも自分の強い自信になっている。雪を落として、運んで、掘って、飛ばして、そして融かす。そんな「雪のかまいかた」を学べたのは言うまでもない。

つかの間の晴れ間も除雪に追われ、遠く輝く巻機山や、すぐ裏の鍋倉山にすら行けぬことを恨めしく思うこともある。でも、「暮らし」として雪に関わり、その延長に雪山登山やスキーなどの「遊び」がある日々は、雪国に暮らす者の特権だと思っている。

そんな雪とともにある生活を、幸せに感じるのだ。

 

●次回は4月中旬更新予定です。

*雪のかまいかた=雪かき、雪堀りなど、除雪作業のこと

星野秀樹

写真家。1968年、福島県生まれ。同志社山岳同好会で本格的に登山を始め、ヒマラヤや天山山脈遠征を経験。映像制作プロダクションを経てフリーランスの写真家として活動している。現在長野県飯山市在住。著書に『アルペンガイド 剱・立山連峰』『剱人』『雪山放浪記』『上越・信越 国境山脈』(山と溪谷社)などがある。

ずくなし暮らし 北信州の山辺から

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