旅の途上で再び帰宅。2年を振り返って。田中陽希さんスペシャルインタビュー

「日本3百名山ひと筆書き」に挑戦中の田中陽希さんは、1月下旬、自宅のある神奈川県まで福島県から歩いて一時帰宅した。交流会や今後の計画の見直しなど忙しい合間をぬって、お話を伺うことができた。
2018年1月1日からスタートした「日本3百名山ひと筆書き」の挑戦は、この時点で残すところ51座。2年間の旅を振り返りながら、ゴールに向けた想いを聞いた。
文=千葉弓子(GRANNOTE)、写真=千葉弓子、グレートトラバース事務局
- 旅のなかでは、気持ちが上がり下がりする
- 必然でつながっている3つの旅
- お風呂と洗濯と宿探し、旅のルーティンとリラックス
- ゴールの利尻岳ではどんな風景が見えるのか
旅のなかでは
気持ちが上がり下がりする
―― 丸二年が経ちました。いまどのような想いで歩き続けていますか?
田中:今年1月19日に250座目に到達しました。残り100座を切った頃から「もう終わっちゃいますね」という声が聞こえてきたのですが、自分の中ではまだまだ気が抜けない感じです。
―― ゴールはいつ頃を想定しているのでしょう?
田中:所属しているチームイーストウインドへの復帰もありますので、できれば10月までには終えたいと思っています。

―― 全体を振り返ってみて、ここまではどのような旅模様でしたか?
田中:そうですね、旅をしていると、気持ちが落ち込むこともあれば上がってくることもあるんです。これまでの旅程でいえば、四国を終えて、鳥取県の大山に向かうときがいちばん落ち込みましたね。四国が自分のなかではとても充実していたので、少し虚脱感のようなものがあったのかもしれません。
プレッシャーが大きかったのは、シーカヤックでの海峡横断があった佐渡島でした。当初は9月に渡る予定でしたが、天候の関係で11月頭までずれ込んでしまって、少し焦っていたんです。でも焦り過ぎると、目の前の一座に集中できなくなってしまう。なんとか気持ちを切り換えるように努力しました。

百名山や二百名山の挑戦では、雨でも進んでいましが、今回はできるだけコンディションのよい状態で進みたいと考えています。その分、待つ時間も増えるわけで、ある意味、自分自身がそれに堪えられるようになってきたともいえます。佐渡島から本州に戻ったとき、プレッシャーから解放されて少し気が緩みそうになったのですが、冬が迫る前に飯豊連峰と朝日連峰までは登りたいと思っていたので、気持ちを立て直しました。台風到来もあり、常に天気を意識しながら進む感じでした。
―― 天候の見極めもあり、旅では心の揺れ動きが大きいわけですね。
田中:ときには初心を忘れそうになることもあります。とくに2年目の2019年はそういう心境になることが多かったですね。1年目は久しぶりの旅であり、初めて登る山も多かった。まだ後ろのことを気にしなくていいので、時間的な余裕もありました。
2019年も当初はいいスタートが切れたなと思っていたんです。今回の旅は冬が大きなテーマ。雪の中で雪洞を掘ったり、スキーの縦走をしたりなど、チャレンジングな時間帯が続きました。
様子が変わってきたのが長梅雨あたりからです。南アルプスも中央アルプスも前半はうまく抜けて、このまま行けるかなと思っていたんですけれど、結果、川根本町で一ヶ月ほど停滞することになりました。ここが大きな転換点で、下半期は少し急ぎ足になってしまいました。

―― 忍耐力を試されるような経験ですね。
田中:そうですね。でも今回はとにかく後悔しないように登ろう、納得したかたちで登ろうと決めているんです。その結果、どういう行程になったとしても受け止めようと思っています。とはいえ、自分のスケジュールだけでなく撮影班のスケジュールもありますから、悩みは尽きないんですけれど。
必然でつながっている
3つの旅

―― モチベーションはどのように維持しているのでしょう。心のチューニング方法といいますか。
田中:過去2つのチャレンジと、対比することはありますね。たとえば先日登った磐梯山と安達太良山は百名山のときには一日で一気に登ってしまったんです。今回は季節も違うので、すごくゆっくり登りました。そんなこともあって、前の2つのチャレンジを振り返ってみると、自分のことながら他人ごとのような感覚があります。
これまでの旅はいずれも7ヶ月程度でスピード感があり、モチベーションも維持しやすかったんですね。一日50km歩けば次の街に到達する、10日歩けば500km進めるといったように。
それに比べて今回はまったく別の旅という感覚があります。自分でいうのもなんですが、以前の旅はかなり無茶なことをしていましたね(笑)。当時は普通だと思っていたんですけれど。自分にとっては、いまの旅の方が面白いです。

―― 今回の旅を少し俯瞰してとらえたとき、陽希さんにとってどのような意味を持つと考えていますか?
田中:三百名山に挑戦しようと思ったきっかけは、百名山、二百名山で取りこぼしたことが多かったからです。いずれもゴールの時間を優先して進んでいたところがあったので。でもその経験があったからこそ、いまの旅がある。3つは別々の旅ですけれど、必然で繋がっています。
僕の心のなかを大きく占めているのは、やはり二百名山ですね。あの旅は100パーセント自分の気持ちで動いていたわけではなかったんです。自分がやりたいという気持ちより、受け身の部分が多く、それによる葛藤がありました。
百名山を終えて、準備もままならないまま出発してしまったので、旅をしながら心身ともに整えていく感じでした。スタートしてすぐに怪我をしたりもしましたし。ゴールしたとき、やりきった、責任を果たしたという安堵感はありましたけれど、自分のなかで気持ちよくなかったんです。気持ちよくスタートしていないので、終わりも同じような感覚でした。
その後、チームイーストウインドに戻ったわけですけれど、時間が経てば経つほど、あの終わり方はよくなかったなという気持ちが大きくなっていった。もう一回やりきらないと、その先には進めないという気持ちが生まれてきました。

―― 250座を超えたわけですが、これまでの行程でとくに印象に残っているエピソードはありますか?
田中:正直、ここまで期間が長くなるとは思っていなかったんです。やはり骨折は旅に大きな影響を与えましたね。当初は2年で終えるつもりだったのですが、骨折をした時点で岐阜の藪山三山を次の年に持ち越すことが決まり、3年目を迎える覚悟をしました。
骨折をしてしまったのは、京都の蓬莱山での下りでした。ちょうどその前に夕立があって、路面がぬかるんでいたんですね。花崗岩の表面がざらざらっと滑って。そのときたまたまポールを持っていたため、滑った瞬間に3本の指で体を支えてしまい、薬指がついた岩にひっかかって手の甲の骨を折りました。たまたまカメラマンがそのシーンを撮影していたので、番組の中でも映っています。
―― 今回は3シーズン、積雪期が含まれています。
田中:この冬は雪が少なくて助かった部分もありますが、逆に少なすぎて困った場所もありました。根雪になっていないために脚がすっぽり埋まってしまったりとか。
天候にもかなり左右されているので、フラストレーションはたまりますね。ある程度、旅の方向性が決まっているときなら全く問題ないのですが、いくつかの順路を検討しているときなど、岐路に立っているときは落ち着かないですね。
お風呂と洗濯と宿探し
旅のルーティンとリラックス

―― 宿泊先はどのように決めているのですか。
田中:可能なときには一週間先まで宿泊先を決めてしまいます。そうすると、あとは気持ちよく歩けますから。百名山のときにはガラケーとツーリングマップしか持っていなかったので、宿を探すのも大変でした。いまはスマートフォンがあるので、Googleで距離を測って宿を探しています。ここがいいかなとあたりをつけて電話すると、ときには廃業している宿もあったりするのですが。
今回、もう一度、自宅に戻ろうかなと思い始めたのは安達太良山を終えたときです。雪の状態があまりにもよくないので、もう少し降って落ち着いた時期がいいなと考えました。男鹿岳、荒海山は福島県側からは登れなくて、栃木県側からなら登ることができる。道がないため雪の上を歩いていく必要があり、登るタイミングを2月末から3月頭くらいと想定していました。積雪量が増えるのを待つための一ヶ月間、一度、自宅に帰ろうかなと。
―― テレビに映っていない時間はどのように過ごしているのでしょう?
田中:宿についたらお風呂に入って洗濯して、食事して、寝ます。夜更かしするのは翌日が休みのときくらいですかね。
ある程度ルーティンがあるんです。宿に到着したらまずお風呂かシャワー。汗でドロドロになる日もありますから。それから洗濯をして、その間にストレッチをしたり仮眠をしたり、相撲中継を見たり。大相撲が好きなんですよ(笑)。
夕食はできるだけ早い時間に済ませるようにしていて、だいたい18時です。食べるのが遅くなると、寝ている間に消化することになり、内蔵に負担がかかってしまうので。食後は洗濯を干して、遅くても21時台には寝ています。行動中の食料の調達はコンビニや地元のスーパーマーケット、商店などで行っています。
―― 身体のケアはどうされていますか?
田中:ストレッチと筋トレをしています。腕立て伏せは毎日30回。あとは行く先々で鍼灸を受けたり、マッサージに行ったり、垢すりに行ったりします。垢すりは結構はまっています(笑)。そのほか温泉も楽しみですね。山の麓には温泉が多いですから。

―― 3つの旅を通して、日本の風景に変化は見られますか?
田中:地方にいくとコンビニが廃業してコインランドリーになっているケースが多々あります。この2〜3年で、全国的にコインランドリーはすごく増えたと思いますね。その次はコインパーキング。あと増えたなと感じるのはソーラーパネルです。これは西日本を中心に増えた気がします。
そうそう、全国を歩いていていると、どんなに小さな集落にも存在するものがあるんですよ。なんだと思います?
―― なんでしょう?
田中:理髪店です。九州のある小さな集落には商店がひとつもなかったんですが、理髪店は3軒もあったんですよ。不思議ですよね。ほかの土地を歩いていても、山を越えると最初に出てくるのは理髪店なんです。僕もたまに顔をそってもらうことがあります。その次に多いのは郵便局ですかね。
ゴールの利尻岳では
どんな風景が見えるのか

―― これから東北エリア、北海道が待っています。この旅を終えるとき、陽希さんにはどのような風景が待っていると思われますか?
田中:いま、自分の中でそれが少しわからなくなっています。想像していたことと違うことがたくさん起こっていますから。いまもまさに。もう一度、自宅へ歩いて帰ってくるとは、まったく予測していなかったですからね。
でも、250座までよく来たなとは思います。2年目は大きな怪我もなく歩き進められたので、よかったなと。1年目が121座、2年目には125座に登りました。一年ごとにだいたい同じくらいの数で収まるということは、初心を忘れずに歩き続けている証拠なのかもとも思います。

―― ご自身のなかで、変化したものはありますか?
田中:自分ではまだわからないです。強いて言えば、だいぶゆとりを持ってものごとを捉えられるようになった気はします。
今回の旅であらためて実感しているのは、人間は本当に時間に縛られて生きているんだなということ。もっと自然が与えてくれるリズムと呼応できたら、僕らはゆとりを持って生活できるんじゃないかなと思います。
この旅は自分にとっての集大成、ひとつの区切りなんです。チームイーストウインドから長く離れてしまっている寂しさがあります。このところチームには毎年新人が入ってきていますから、戻ったときに自分の居場所はあるのかなという不安も感じています。リーダーの田中正人さんからは「早く旅を終わらせろ」と言われていますけれど(笑)。
今年で自分は37歳。最後に利尻岳に登ったとき、一体どんな気持ちになるのか。250座が過ぎてようやく、ときどきではありますが、ゴールについて思いを巡らせるようになってきています。

取材日:2020年2月4日
関連リンク
「日本3百名山ひと筆書き」に挑戦中の田中陽希さんを応援しよう!
もっと知りたいという方は、ウェブサイトで。
グレートトラバース事務局ウェブサイト
http://www.greattraverse.com/
プロフィール
田中 陽希
1983年、埼玉県生まれ、北海道育ち。学生時代はクロスカントリースキー競技に取り組み、「全日本学生スキー選手権」などで入賞。2007年よりチームイーストウインドに所属する。陸上と海上を人力のみで進む「日本百名山ひと筆書き」「日本2百名山ひと筆書き」を達成。
2018年1月1日から「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦し、2021年8月に成し遂げた。
田中陽希さん「日本3百名山ひと筆書き」旅先インタビュー
2018年1月1日から、日本三百名山を歩き通す人力旅「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦中、田中陽希さんを応援するコーナー。 旅先の田中陽希さんのインタビューと各地の名山を紹介!!
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