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テーマ:百名山

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八ヶ岳 (長野県 山梨県)

赤岳 

標高2,899m

 赤岳は八ヶ岳連峰の最高峰で、長野県茅野市、南佐久郡南牧村、山梨北巨摩郡大泉村(現・北杜市)との境に位置している。山頂は赤岳頂上山荘のある北峰と、一等三角点がある南峰とに、わずかな距離をおいて分かれている。北峰からは県界尾根が、南峰の南にある竜頭峰からは真教寺尾根が、ともに山梨県側へ延び、縦走路は南方はキレットを経て権現岳へ、北方は横岳へと連続し、西方は中岳を経て阿弥陀岳へのルートも通じている。  その山容は南麓の長坂方面から仰ぐと、ヨーロッパ・アルプスのアイガーに似て、勇壮そのものである。  近代登山の始まりについては別項で触れたが、それ以前の記録としては、明治26年(1893)に陸地測量部の館潔彦が一等三角点を赤岳に選点し、同28年には山崎直方が火山調査のために赤岳に登り、その成果は震災予防調査会報告として発表されている。  赤岳という山名は、酸化鉄による赤い岩肌からきたもので、早朝や夕映えの輝きはひときわ美しいものがある。  山梨側は山頂直下まで緑のハイマツ帯が迫り、諏訪側はイワツバメが舞う、赤岳西壁と呼ばれる岩場となっている。また、南峰から竜頭峰にかけては、鎖場のある鋭い岩稜が続く。  ひとたびその山頂に立てば展望は360度、本邦中央部の山岳をほとんど手中にできる。権現岳、阿弥陀岳、横岳、硫黄岳、天狗岳、蓼科山などの近景をはじめ、南・中央・北の各アルプスから上信越の山々、浅間山、奥秩父、富士山と、大パノラマが展開する。  赤岳は、かつて赤岳大神とも呼ばれて人々の信仰を集めていた。柳川南沢の源頭にあたる行者小屋は、昔、赤岳神社の社務所だった所で、夏期には行者が居住していたという。祭神は大山祗命(おおやまずみのみこと)とその娘、岩長姫命(いわながひめのみこと)である。  一般的な登路としては、諏訪側の美濃戸口から柳川南沢を登り行者小屋から地蔵尾根ルート5時間、同じく行者小屋から中岳経由5時間、清里から県界尾根ルート6時間30分、同真教寺尾根ルート6時間弱、縦走路は権現岳からキレットを経て2時間30分、硫黄岳から横岳を経て3時間強の行程である。また、中岳を経て阿弥陀岳への所要時間は1時間強である。美ノ森山との標高差は1356m、幕営指定地のある行者小屋とは550m、キレットとは440mの標高差がある。

往復 一泊二日 9時間35分
美濃戸口から赤岳に登り、美濃戸口に戻るコース 1泊2日

コース定数:40

往復 一泊二日 9時間35分
【雪山上級】白銀の輝きを放つ八ヶ岳の主峰へ 1泊2日

コース定数:40

周回 一泊二日 10時間15分
県界尾根・真教寺尾根を通って赤岳を周回 1泊2日

コース定数:39

周回 一泊二日 10時間50分
美濃戸口から赤岳・阿弥陀岳を登る 1泊2日

コース定数:45

北アルプス・御嶽山 (岐阜県)

笠ヶ岳 

標高2,897m

 高山盆地から仰ぐ北アルプスの延々と続く山並みの中で、ひときわ均衡のとれた美しさを見せるのが笠ヶ岳である。北アルプスのどこから眺めても一見してそれと分かる山で、昔は迦多賀岳、肩岳と呼ばれ、また大(おさ)ヶ岳ともいわれていた。北アルプスのほとんどの山が県境の山であるが、笠ヶ岳は全く飛騨の山で、名実ともに岐阜県内の最高峰である。  見るからに雄偉な印象を受けずにはいられないところから、はやくより信仰の山となった。長和3年(1674)、円空上人がこの山を開山し、その後、天明2年(1782)に南裔(なんねい)上人が阿弥陀、薬師、不動、大日の四尊の奉納を行った。さらに41年後の文政6年(1823)には、播隆(ばんりゆう)上人が28人の村人とともに、また翌年には一行66名を伴って笠谷から登っている。これは日本山岳史上の壮挙とされている(『濃飛風上記』より)。  近代登山史のさきがけは、明治27年(1893)8月、ウエストン一行の穴毛谷からの登頂である。ついで大正3年(1913)8月、小島烏水一行が双六谷を遡り、稜線通しに抜戸岳を経て笠ヶ岳に登り、穴毛谷を下ったという記録もある。  この笠ヶ岳は樅沢岳から南西に派生し、弓折岳、抜戸岳と続く笠ヶ岳支脈の主峰であり、その支脈東面の蒲田谷と西面の双六谷を分画している。そしてこの支脈の東面と西面は地形的に著しく相違し、非対称地形をなしているのが特徴である。笠ヶ岳の場合、東面は切り立った岩壁を巡らせ、蒲田川に向かって穴毛谷、クリヤ谷を落とし、西面は樹林に覆われた長大な北西尾根や南西尾根を走らせている。その間に刻み込まれているのが笠谷、下佐谷、さらに小倉谷、打込谷などの渓谷で、いずれも高原川に合流している。  笠ヶ岳への登山ルートは東面、西面に求められるが、戦前は西面の下佐谷や笠谷、さらには小倉谷や打込谷をつめる登路が考えられたが、今は登山道としてはほとんど廃道に近い。現在の一般登山道としては、主に東面の蒲田谷側のクリヤ谷ルートと新笠新道(新穂高温泉から8時間)がある。なお、穴毛谷は東面壁登攀のためのルートとして利用される。  笠ヶ岳周辺の山のよさは、山域全体の静寂さと眺望のすばらしさにある。特に蒲田谷を挟んで、この山稜のどこからでも眺められる槍・穂高連峰の大パノラマは圧巻である。  また、笠ヶ岳周辺の山稜は、春から夏にかけては豊富な残雪と咲き競う高山植物、秋は錦繍の彩りなど、四季折々の変化に包まれ、静かで味わいのある山登りが楽しめるフィールドとなっている。

往復 一泊二日 14時間30分
笠新道から笠ヶ岳往復 前夜泊1泊2日

コース定数:56

周回 二泊三日 20時間24分
新穂高温泉から笠ヶ岳・双六岳をめぐる 2泊3日

コース定数:80

往復 二泊三日 21時間20分
新穂高温泉から双六岳・笠ヶ岳を縦走する 2泊3日

コース定数:83

北アルプス・御嶽山 (富山県 長野県)

鹿島槍ヶ岳 

標高2,889m

 この山は、後立山連峰の中央部に位置し、名実ともに後立山の盟主という存在である。  端麗と表現される南北2つの峰と、それを結ぶ吊尾根がつくるこの山の姿は、どこから眺めても美しい。この山に魅せられた岳人たちは、同時にこの山が内懐に秘める荒々しさのとりこにもなったのである。それは山麓からではうかがい知れない、北壁や荒沢奥壁などのバリエーション・ルートである。これらのルートの開拓は大正末期から昭和の初期に、学校山岳部を中心に華々しく行われ、それは日本におけるアルピニズムの歴史に、貴重な一頁を記しているのである。  鹿島槍ヶ岳への登路は、縦走路のほかには、東面・信州側から短くて急峻な赤岩尾根1本のみである(鹿島から所要9時間)。この尾根の途中の高千穂平は、鹿島槍ヶ岳のよき展望台ともなっているが、そこから眺める大冷(おおつべた)沢の源頭には、残雪期に獅子やツルの雪形が現れる。そこから昔は、山名をシシ岳とかツル岳、あるいは双耳峰からの連想で背比べ岳などとも呼ばれていた。現在の鹿島槍ヶ岳の山名は鹿島集落の背後にある槍ヶ岳といった意味である。山体は信州側は急崖、西面・越中側はなだらかな非対称山稜の典型である。  西面には、支稜の牛首尾根を挟んで東谷と棒小屋(ぼうごや)沢が、西面の水を集めて黒部川に注いでいる。この棒小屋沢と、剱岳東面を流下する剱沢とが、黒部峡谷に対して対向から合流する、有名な黒部の十字峡を形成している。  東面を落ちる白岳、大冷の各沢は、源頭部にバリエーション・ルートを提供している。その1つ、カクネ里はU字谷をなし、平家の落武者が隠れ住んだという(隠(かく)れ里(さと))伝説をもつ、ロマンを秘めた圏谷である。もちろんここに人が隠れ住むというのは不可能だが……。  南峰から主稜を南へ下ると、肩といった存在の布引岳(残雪が布を敷いたように見えるのでこの名がある)で、付近には船窪地形が散見される。その南の小平地には冷(つべた)池があり、冷池山荘が建っている。また吊尾根の雪田付近から北峰を巻いて北へ下ると、両側の谷からの浸食によって、主稜線に深いⅤ字形の切れ込みの入った八峰(はちみね)のキレットに出る。その北側にキレット小屋がある。  登山口の鹿島集落は昔から戸数11戸しかなく、集落の人々は平家の落武者の子孫といわれている。ここで民宿を営んでいる狩野氏宅には、近代登山以降の鹿島槍ヶ岳の登高記念帳が保存され、それがそのまま鹿島槍ヶ岳の登山史ともなっている。

縦走 一泊二日 13時間50分
柏原新道から爺ヶ岳・鹿島槍ヶ岳に登り、大谷原へ 1泊2日

コース定数:54

往復 一泊二日 15時間50分
大谷原から鹿島槍ヶ岳往復 1泊2日

コース定数:59

往復 二泊三日 15時間55分
柏原新道から爺ヶ岳・鹿島槍ヶ岳往復  2泊3日

コース定数:65

縦走 二泊三日 19時間36分
五竜岳から鹿島槍ヶ岳に縦走する2泊3日

コース定数:71

縦走 三泊四日 20時間7分
遠見尾根から五竜岳・鹿島槍ヶ岳・爺ヶ岳縦走 3泊4日

コース定数:73

中央アルプス (長野県)

空木岳 

標高2,864m

 中央アルプスのほぼ中央に位置する名峰で、伊那谷の太田切川、木曽谷の伊奈川の源となっている山。その昔は「前駒ヶ岳」と呼ばれていた(営林署の伊那谷経営計画地図にはそう記されている)が、その後、空木岳と名を変えている。  山名の起こりは「卯木」からきている。春、伊那谷からこの山を眺めたとき、中腹以下は黒木の森なのに、山頂部は残雪模様が美しく、それがあたかも満開のウツギの花のように見えるところから、その名がつけられたようである。深田久弥もその著『日本百名山』の中で、「空木、空木、何というひびきのよい優しい名前だろう。もし私が詩人であったなら空木という美しい韻を畳み入れて、この山に献じる詩を作りたいところだ」と書いている。  山頂の東側に広がる空木平は氷河地形で、夏にはお花畑となる。また、花崗岩で構成されている山頂付近は、白い砂礫とハイマツの緑とのコントラストが美しく、その縞模様が印象的である。  頂上からの展望はもちろんすばらしく、北アルプスをはじめ乗鞍岳や御岳山、八ヶ岳連峰、そして目の前には南アルプスの大パノラマと、中部地方のほとんどの山を一望の下に楽しむことができる。  登山コースは駒ケ根口の池山尾根を経て山頂に至るルートと、木曽谷の倉本口から木曽殿越(きそどのごえ)経由で登頂する2つのルートがあるが、最近では千畳敷までロープウェイ(平成10年秋まで運休)を利用、極楽平から南へ縦走してくるパーティが多くなっている。気軽に登れるようにはなったが、やはり3000m近い山。安易に考えないように注意したい。  空木岳登頂の最もポピュラーな池山尾根コースの起点は駒ケ根高原。ここから一気に高度を上げていき、池山小屋を過ぎて原生林帯に入る。やがてマセナギ(馬小屋の入り口に懸ける横棒、マセン棒のようにナギが登山道を通せんぼしている所)、大地獄、小地獄、迷尾根などという、恐ろしげな地名の難所を通過、ダケカンバ帯を抜けると空木平となる。ハイマツの間のお花畑や小鳥たちに迎えられて、もうひと登りすれば山頂である。下山は木曽殿越から伊奈川に下り、木曽谷の倉本駅に下るのが変化に富んでいて面白いだろう。  所要時間は駒ケ根高原から空木岳山頂まで約6時間。倉本駅から山頂まで登り9時間弱、山頂から倉本駅へは下り5時間。千畳敷からは桧尾岳や熊沢五峰などを越えて約7時間の縦走で山頂に立てる。

往復 一泊二日 12時間5分
駒ヶ根高原から、高山の花園と岩の殿堂・空木岳往復

コース定数:52

縦走 一泊二日 13時間40分
空木岳・檜尾岳 千畳敷から縦走して池山尾根を下山

コース定数:44

周回 一泊二日 15時間50分
伊奈川ダムから南駒ヶ岳 1泊2日

コース定数:63

周回 二泊三日 19時間20分
四峰を走破する山旅は最大の花園が待つ

コース定数:72

縦走 三泊四日 21時間45分
中央アルプス北部主脈縦走3泊4日

コース定数:68

北アルプス・御嶽山 (長野県)

常念岳 

標高2,857m

 松本平の西に連なるのが常念山脈。南北に続く穏やかな起伏の少ない稜線の中で、ひときわ目をひくピラミッド型の山が常念岳である。平行して山麓を走る大糸線の車窓からもよく眺められる。南へ延びる稜線で蝶ヶ岳に、北に下れば常念小屋の建つ常念乗越を経て横通岳に続いている。山脈の西には梓川の谷を隔てて槍・穂高連峰が平行して連なっている。  常念岳頂上から東に前常念岳(2662m)へ尾根が延び、常念乗越の東側には安曇野からの登山道がついている一ノ沢、西には小黒部とか不帰ノ谷と呼ばれる一ノ俣谷(現在は通行禁止)がある。  この頂上辺りから北は花崗岩、南は不変成古生層と分かれ、花崗岩の風化砂礫地を好むコマクサも、常念乗越や横通岳から北に限られている。  「常念」という名にはいくつかの伝説がある。よく知られているのはW・ウエストンの『日本アルプス・登山と探検』第12章に書かれている話だ。この山の銘木を盗みに入っていた山盗人が野宿していると、夜風に乗って山の上から読経と鐘の音が何時間も聞こえ、恐れおののいた盗人たちは逃げ下ったとか。いつまでも経を唱える坊様、というのが名の由来だとか。ほかに酒を買いに下りてくる山姥の妖異の話などもある。  この山で忘れてはならないのは、山麓の安曇野市に住んでいた高山蝶研究の第一人者で、優れた山岳写真家でもある田淵行男のことだ。彼の高山蝶研究のフィールドがこの常念乗越を中心にした岩礫地帯である。ここでタカネヒカゲが3年がかりで羽化するプロセスを、四季にわたって研究したのである。  田淵は一ノ沢から常念乗越、常念岳、蝶ヶ岳、大滝山を経て徳沢、上高地へとたどるコースでは日本アルプスの高山蝶9種すべてが見られるとしている。昭和34年以前のことで、今では見られなくなったものも多い。  常念岳の北には、乗越を挟んで横通岳がそびえている。その名のとおり中腹を道が横切り、東天井岳に続いている。コマクサの咲く山として知られている。  登山道は一ノ沢コースを利用すれば、豊科からタクシーを使えば終点から約4時間30分で常念乗越、あと1時間20分程度で常念岳頂上に着く。三股コースの場合は、豊科からタクシーで三股へ行き、前常念岳経由で約4時間30分で登り着く。

縦走 二泊三日 14時間15分
三股から登り蝶ヶ岳・常念岳縦走して一ノ沢へ 2泊3日

コース定数:55

南アルプス (山梨県)

鳳凰山 観音岳 観音岳

標高2,841m

鳳凰山は南アルプス北部の以下の三つの山の総称である。一般的には鳳凰三山とも呼ばれ、最高峰が観音岳だ。西から順に  ・地蔵岳(じぞうだけ)2,764m  ・観音岳(かんのんだけ)2,841m  ・薬師岳(やくしだけ)2,780m の3山をさす。また、地蔵岳の西の高嶺(2,779m)は地蔵岳より高く、三角点もある。 茶色っぽい山肌の多い南アルプスの中で、甲斐駒ヶ岳とともに例外的に花崗岩の白い山肌となっている。また、南アルプスの中では比較的高山植物の乏しい山である点も甲斐駒ヶ岳と共通している。地蔵岳の山頂部は地蔵岳オベリスクと呼ばれる巨大な尖塔があり、非常に特徴的である。

周回 一泊二日 12時間20分
青木鉱泉から鳳凰三山を周回する 1泊2日

コース定数:51

縦走 一泊二日 13時間20分
地蔵岳から燕頭山を経て御座石温泉へ 前夜泊1泊2日

コース定数:50

周回 一泊二日 15時間20分
世にも美しい白砂の稜線歩きを楽しむ

コース定数:59

往復 二泊三日 17時間30分
夜叉神峠から鳳凰三山を往復 2泊3日

コース定数:67

北アルプス・御嶽山 (富山県 岐阜県)

黒部五郎岳 

標高2,840m

 黒部源流部の山々は、北アルプスの中でも最奥部にあり、何か神秘の思いをそそられる。この辺りの山々で最も風格を備えた山は黒部五郎岳で、黒部の盟主というにふさわしい。  黒部五郎岳は深田久弥の『日本百名山』によれば、山中の岩場を「ゴーロ」といい、黒部五郎岳になった、とある。黒部五郎岳といえば、やはり雄大なカール地形であろう。黒部側に半円形に頂上稜線を取り巻くように形成されたカールには、豊富な水、色とりどりの高山植物の群落、加えて日本のカール地形では珍しい、氷河でなめらかにされたロシュ・ムトンネ(羊群岩)やカール壁、堆石などが、大自然の悠久を今に伝え、自然の造形美をつくり出している。  この山へは、北の薬師岳方面か、または逆に双六岳方面からの縦走で頂上稜線を登るか、前述のカールを巻くかどちらかだ。太郎平小屋から5時間、双六小屋からも5時間。また、黒部源流の出水平から五郎沢を登りつめ、黒部五郎岳東側の黒部乗越へ出るルートも考えられよう。  黒部乗越は、黒部谷(五郎沢)と双六谷(九郎右衛門谷)の分水嶺で、この辺りは五郎平の草原帯が明るく開ける。池塘が残る草原の中には、しゃれた三角屋根の黒部五郎小舎が建つ。

北アルプス・御嶽山 (富山県)

五竜岳 

標高2,814m

 後立山連峰の中央部にあり、雄大な山容をもち、鹿島槍ヶ岳とともにこの連峰の重鎮的存在である。この山の景観が優れているのは、東麓からの唯一の登路である遠見(とおみ)尾根からのものである(神城駅からテレキャビンを利用して所要6時間)。尾根の名称の起こりである、いくつものタワミ(遠見)の上下を繰り返す、きついアルバイトを打ち消して余りあるのが、五竜岳東面と鹿島槍ヶ岳北壁の豪壮な眺めである。五竜岳東面は、いくつものバリエーション・ルートをもっているが、その1つ、G2稜の上部に顕著な武田菱に似た岩が見られ、この山の名の由来となっている。この地を支配していた武田の紋所「武田の御菱(ごりよう)」からきたもので、菱(ひし)は岩の方言でもある。また「後立(ごりゆう)山」の音読みから「五竜」となったという説もある。  五竜岳北隣の白岳(しらたけ)は、初雪のころ真っ白な姿を見せるのでこう呼ばれたが、その南側には主稜と遠見尾根に挟まれた、白岳沢のカールが広がっている。五竜岳から鹿島槍ヶ岳にかけての主稜線は、八峰(はちみね)の稜線と呼ばれる鋸歯状の突起を連ね、東面足下のカクネ里や、黒部峡谷を距てた剱岳の眺めとともに、縦走の醍醐味が味わえる所でもある。

往復 一泊二日 11時間17分
遠見尾根から五竜岳往復 1泊2日

コース定数:45

縦走 二泊三日 12時間52分
八方尾根から唐松岳・五竜岳を縦走する2泊3日

コース定数:49

縦走 三泊四日 20時間7分
遠見尾根から五竜岳・鹿島槍ヶ岳・爺ヶ岳縦走 3泊4日

コース定数:73

東海・北陸・近畿 (石川県 岐阜県)

白山 白山・御前峰

標高2,702m

 石川県と岐阜にまたがる白山は、主峰・御前峰、大汝峰、剣ガ峰の3峰から構成され、17世紀中ごろまで噴火していた跡に翠(みどり)ガ池や千蛇ガ池などの7つの火口湖がある。  白山はその名のとおり雪の多い山である。昔から水源の山としてあがめられ、加賀、越前、美濃の三馬場より多くの登拝者が登った。  開山は養老元年(717)、越前の泰澄大師による。ゆえに越前禅定(ぜんじよう)道をたどる白山登拝者が多かったようだ。  白山の石川県側は、全国に三千社余りある白山神社の総本社・白山比咩(しらやまひめ)神社の境内で、頂上には奥宮がある。眺望はよく、北アルプスはもとより東海や近畿地方まで見渡せる。  都から近い高峰ということと、日本三名山として名が通っていることもあって、白山を詠んだ歌が『万葉集』などに数多く収められている。また近代文学では、登山家で作家の深田久弥が石川県出身ということもあって、白山を書いた作品がたくさんある。最近では高橋治が山麓の石川県白山市(旧、白峰村)に滞留することが多く、白山や山麓を舞台にした作品を書いている。  また、白山は高山植物の宝庫としても有名だ。和名や学名に白山にちなんだ名をつけられたものは30種ほどを数える。白山ならではの特産種がないのは残念だが、群落は見ごたえがある。またハイマツの樹海やブナなどの原生林には目を見張る。国有林地域は白山森林生態系保護地域に指定され、一時は伐採が進められたが今後は保護の方針と聞く。  登山道は石川、岐阜、福井3県より12コースある。最短で最も利用者の多い別当谷出合からの砂防新道は室堂(むろどう)まで4時間30分。同登山口からの観光新道は5時間、登りより下山に利用されている。名古屋方面の登山者がよく利用する大白川ダムからの平瀬道は室堂まで4時間30分あまり。以上が一般ルートである。  健脚者向の市ノ瀬からの別山・市ノ瀬道は室堂まで9時間30分。白山一里野温泉からの加賀禅定道は室堂まで13時間。岩間温泉からの岩間道と楽々新道は室堂まで12時間。中宮温泉からの中宮道は室堂まで16時間。鳩ガ湯からの鳩ガ湯新道は室堂まで12時間。以上は、登りよりも下山コースとして一部の登山者に利用されている。  石徹白(いとしろ)からの南縦走路は室堂まで14時間。白川村荻町からの北縦走路は室堂まで22時間。となると山岳会や大学クラブの独壇場である。これらのコースのうち、釈迦新道を除く各コースに避難小屋が配置されているのも白山の特色といえる。

往復 一泊二日 8時間40分
大白川ダムから平瀬道で白山・御前峰往復 1泊2日

コース定数:38

周回 一泊二日 9時間35分
日本三名山の霊峰、高山植物の宝庫

コース定数:38

往復 一泊二日 9時間45分
別当出合から白山、室堂を周遊する

コース定数:39

往復 一泊二日 10時間5分
花と展望の名山へ、ブナ林の尾根をたどる

コース定数:40

関東 (山梨県 長野県)

金峰山 

標高2,599m

金峰山は奥秩父連峰の盟主である。これを「百貫の貫禄を具へた山」と絶賛したのは、“奥秩父の父”といわれた木暮理太郎であった。古くは日本武尊が東征の折、この地に鎧をおさめたとか、雄略天皇10年(467)に開山されたなどの伝説が残っている。  その後、室町時代に修験の総本山、和州・金峰山から蔵王権現を分祠し、大いに栄えた。  参詣道は9つも通じ、里宮の金桜神社の門前に、神職の家が70軒、参拝者の宿舎200軒を数えたという。  この山がいかに有名であったかは『甲斐国志』をひもとくとよく分かる。金桜神社とともに、7500字も費やして詳述している。表登拝口の金桜神社、猫坂、黒平(くろべら)を経て登るコースは、道中が長いので現在はあまり利用されていない。ルート上に、仏坂、御小屋沢、巫子ノ沢、賽ノ磧、御室小屋、勝手明神などの名が残る。  山頂は大きな積み木を重ねたような、花崗岩の御像石(五丈石)がそびえている。これは南アルプスの前衛、鳳凰山の地蔵仏岩と、甲府盆地を隔てて好対称をなしている。  この五丈石の下には、古い石灯籠や石囲いらしいものが残っている。かつては桧造りのお籠り堂があり、30人くらいが泊まれたという。記録によると、明治42年(1909)に焼失した。  さて、参籠者はいったいどこから水を得ていたのだろうか。原全教の『奥秩父』によると、「御影石うらの4人くらいはいれる岩陰の上約6m、3坪の岩間にたまる水で、量は40lに達する」とある。これが『甲斐国志』でいうところの「甲斐派美(かいはみ)」と呼ぶ小池ではないだろうか。  山容は準独立峰なので、眺望雄大、上信越の山々から八ヶ岳、北アルプス、中央アルプス、南アルプス、富士山や御坂、毛無の山塊、近くに国師ヶ岳から大菩薩嶺など、なかなかの眺めである。  山頂直下に、千代ノ吹上げの絶壁があるが、この岩にまつわる伝説が残っている。それはこんな話。山麓の大豆生田(まみようだ)に信心深い大工夫婦がいた。2人が金峰山登拝の途次、女人禁制のたたりか妻の千代は足を滑らせ、谷底へ落ちてしまった。夫は妻の許しを神に乞うべく、山頂で7日間断食をした。そして満願の日、一陣の風とともに妻は無傷で再び姿を現したという。それから、この絶壁を村人は「千代ノ吹上げ」と呼ぶようになった。  登山コースは、増富温泉から富士見平小屋を経由して7時間、梓山から西股沢に沿って5時間30分、金桜神社から猫坂を経て11時間弱、縦走コースは国師ヶ岳から3時間30分など。

往復 日帰り 4時間30分
大弛峠から金峰山往復 日帰り

コース定数:17

往復 日帰り 5時間30分
廻り目平から金峰山往復 日帰り

コース定数:25

往復 日帰り 7時間50分
川端下から廻り目平を経て金峰山往復 日帰り

コース定数:33

往復 一泊二日 8時間20分
瑞牆山荘から金峰山往復 1泊2日

コース定数:33

縦走 二泊三日 15時間35分
甲武信ヶ岳から大弛峠、金峰山へ 2泊3日

コース定数:65

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