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テーマ:百名山

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八ヶ岳 (長野県)

霧ヶ峰 車山

標高1,925m

 美ヶ原、鉢伏山、霧ヶ峰と、ロザリオの玉のようにつながる明るい草原の山は、日本の中部以南では珍しい。この草原帯を横切って道は和田峠や、その西の大門峠、大河原峠を越えていく。中でも和田峠は、中仙道の要衡として明治維新前後の歴史の多くをとどめる。水戸藩を追われここを駆け抜けた武田耕雲斎率いる天狗党の一行、幕府の政略結婚の犠牲となって越えた和宮(かずのみや)、そして信越線の開通とともに亡びた和田の宿や東・西の餅屋など。  現代の霧ヶ峰は最高点、車山を中心としてスキーリフトが集まり、東京周辺の人々の最も便利なスキーゲレンデとなっている。また白樺湖、霧ヶ峰、美ヶ原をつないで、さわやかな高原のドライブを楽しめる。  なお代表的なハイキングコースは、車山肩から車山、八島ヶ原湿原から車山などのほか、東餅屋から和田峠・八島ヶ原湿原を通り、車山から白樺湖へと歩くのも楽しい。

周回 日帰り 1時間14分
霧ヶ峰の山上湿原・八島ヶ原湿原一周 日帰り

コース定数:4

東北 (岩手県)

早池峰山 

標高1,917m

 北上山地の主峰、早池峰山は、『遠野物語』で柳田國男が「恰かも、かたかなのへの字に似たり」と表現したが、彼の足跡から推察しても、おそらく薬師岳の西稜と早池峰山の西稜とがオーバーラップしていることによるものと思われる。また詩人の宮沢賢治も好んで登り、作品に登場させている。それよりも、ロシア人、マキシモビッチ、須川長之助などの植物や高山蝶などの生物学方面で紹介され、古くから魅力的な山であった。  さらに古来から、拝峠という地名もあるように、女人禁制の山岳修験の山で、常民にとっては水分(みまくり)神の山で、旱(ひでり)のない豊饒の山でもあった。  南北250kmの北上山地を分断するクサビのように、古生代に貫入した蛇紋岩が浸食を受けたカンラン岩の残丘で、中岳南西緩斜面には、周氷河現象の線条痕も見られる。また、その高山植物帯は国定公園特別天然記念物に指定されるほど種類が多い。  この山の固有種の開花時期は6~8月で、梅雨期の7月下旬が好適。ナンブトウウチソウ、ナンブトウノオ、ヒメコザクラ、ミヤマヤマブキショウマ、ナンブイヌナズナ、この山の象徴のハヤチネウスユキソウ、早池峰山を分布上の南限とするナンブソモソモ、サマニヨモギ、チシマコザクラ、ナガバキタアザミなどがある。  なお久出内地区(つきせないちく)に大規模なダムが造られるので、その後の生態系の変化が心配される。  コースは大迫(おおはさま)側が一般的で、河原坊から3時間、小田越から2時間で山頂に立てる。さらに山頂から鶏頭山経由七折滝コースは5時間で下れる。また平津戸駅から高桧山へ4時間、さらに早池峰山山頂へ7時間のコースもある。  大迫側登山口には河原坊にキャンプ場があり、岳集落の民宿もよい。岳集落には早池峰神社がある。早池峰山山頂に奥宮を祭り、祭神は姫大神とされていたが、いつのころからか瀬織津姫神を主神とするようになった。早池峰神社の例祭には、重要無形文化財の早池峰神楽が奉納される。  一等三角点の山頂からは、岩手山を盟主として連なる奥羽山脈の山々、東方には三陸の海、そして北上山地の山並みなど360度の展望が楽しめる。  その昔、享保4年(1719)、幕府からの調査で、藩侯南部利幹(32代)の命を受け、一方井九郎右衛門、江刺家兵左衛門の両人が、早池峰山山頂から晴れた日に山座同定したところ、藩内のほか、遠く北は松前・絵山ヶ岳、津軽、羽州、伊達、南は常陸・筑波山の21座が見えた、と報告したという、眺望の一等地である。

往復 日帰り 4時間10分
早池峰山・小田越コース往復 日帰り

コース定数:16

縦走 日帰り 7時間30分
門馬コースから早池峰山へ 日帰り

コース定数:34

縦走 日帰り 9時間15分
早池峰山から鶏頭山へ縦走 日帰り

コース定数:32

関東 (栃木県 福島県)

那須岳 那須岳・茶臼岳

標高1,915m

 茶臼岳は那須岳ともいわれ、栃木県と福島県との県境から南北に連なる那須火山群の中央に位置する。最も新しくできた溶岩円頂丘(トロイデ)で栃木県内では唯一、噴煙を上げる山だ。 天空に白煙をたなびかせる雄大な姿は、まさに那須の盟主にふさわしい。 噴気孔は主に西斜面にあり、ゴーゴーと大きな音を立てている。周辺には硫黄の結晶が見られ、かつては硫黄の採掘が行われていたが、昭和28年(1953)の噴火を前に中止された。 朝日岳との鞍部にある峰ノ茶屋は、当時硫黄精錬所の従業員の休憩所として利用されていたが、平成7年に建て替えられ、登山者用として重要な役割を果たしている。 山頂直下までロープウェイが通じ、初心者でも楽に登れるようになった。山頂は360度の大展望で、春のツツジ、燃えるような秋の紅葉を楽しむ多くの観光客や登山者が訪れている。 ロープウェイを利用して40分も歩けば山頂に達することができる。山麓駅から登山道を峰ノ茶屋経由で登っても2時間ほど。 茶臼岳の南にある南月山まで足を延ばせば、別の角度からの那須を味わうことができる。また、山麓にはたくさんの温泉もある。 那須岳という場合、一般的には茶臼岳を指すが、広い意味では那須連山の呼称である。那須連山の中の顕著なピークに対して那須五峰や那須五岳という呼び方があるが、この場合、那須岳を仰ぐ場所によって若干異なるが、白笹山、黒尾谷岳、茶臼岳、朝日岳、三本槍岳を指す場合が多い。信仰登山の面からは南月山がはずせないし、展望のよさなら隠居倉が抜群である。

縦走 日帰り 6時間15分
那須連山の核心部をたどる

コース定数:26

縦走 日帰り 6時間22分
那須連山を縦走してロープウェイから下山 日帰り

コース定数:27

往復 日帰り 7時間1分
那須湯本温泉から那須岳・茶臼岳を往復 日帰り

コース定数:30

東海・北陸・近畿 (奈良県)

大峰山 大峰山・八経ヶ岳

標高1,915m

 大峰山脈の主峰・八経ヶ岳は仏経ヶ岳、八剣山などの別称もある。山名の由来は、役ノ行者が法華経8巻を埋めたという伝説からきている。上北山村の白川又谷方面から山全体を見ることができる。弥山のコブほどにしか見えないのだが、実際は八経ヶ岳が弥山、明星ヶ岳を左右に従えそびえている。  八経ヶ岳の頂上は露岩の多い平坦なピークに過ぎないが、近畿地方の最高峰にふさわしく、脚下に白川又(しらこまた)川を、そして北山川を挟んで大台ガ原の長大な山容、仏生(ぶつしよう)ヶ岳(たけ)、孔雀岳(くじやくだけ)、釈迦(しやか)ヶ岳(たけ)と波打つような大峰南部の山々など、南方の一部以外、さえぎるもののない大展望が得られる。  山腹は太古の昔から人の手が入らないシラベ、トウヒの原生林が緑濃く取り巻き、北面山腹はその立ち枯れの林に囲まれ、この山域にしか見られない独特の景観を呈している。明星ヶ岳にかけての稜線付近にはオオヤマレンゲの大群落がある。  登山コースは、行者還トンネル西口からなど数多くあるが、川合から入り、八経ヶ岳、弥山と登り、大平辻を通って坪ノ内に下りる1泊2日のコースが一般的だろう。歩行時間は山頂まで7時間、コース全体で12時間30分。

往復 一泊二日 11時間9分
天川川合から、大峰山の八経ヶ岳往復 1泊2日

コース定数:48

北海道 (北海道)

羊蹄山 

標高1,898m

 支笏洞爺国立公園西端にあって、別名蝦夷富士とも呼ばれる、均整のとれた成層火山。アイヌ語でマチネシリ「女山」ともいわれ、マツカリヌプリ「後方に対をなして一方にある山」とも称される。近くの尻別岳はピンネシリ「男山」で対にして夫婦山とされている。ほかにも山麓を流れる尻別川から転訛してシリベシ(水際の険しい川)山の名称もある。  羊蹄山の山名は元明元年(1781)松前広長の『松前志』にすでに登場している。幕末の蝦夷地直轄で、松浦武四郎は国威を示すため『日本書紀』の中で阿倍比羅夫が後方羊蹄に政庁を置いた事例を引き合いに出した。そして、この山を後方羊蹄山(シリベシ山)と名づけ、正史に近い扱いをしている。第2次世界大戦中は蝦夷征伐が国史として扱われ、後方羊蹄はいやがうえにもあがめられたが、いまやその名も失せ、元の羊蹄山の山名に戻っている。頂上の一等三角点の名称が「真狩(まつかり)岳」であるため、昭和初期に小学校地理教科書に真狩岳を採用していた時代もあった。  この山の開拓は早く、明治38年(1905)倶知安村の河合篤叙が蝦夷富士登山会を設立し、比羅夫(ひらぶ)コースの登山道を開削し、休憩所を設けた。大正11年(1922)には9合目に石室「雲上閣」を建造し、登山の啓蒙と普及に務めた。積雪期登山の記録としては、明治45年(1912)4月、レルヒ中佐が、倶知安(くつちやん)からほぼ夏道沿いにスキー登山を行っている。  登山コースとしては、古くから開けた比羅夫から半月湖を経てジグザグに登る。このコースに沿った地帯は高山植物の種類も多く「後方羊蹄山の高山植物帯」として、国の天然記念物に指定されている。  9合目の避難小屋に泊まって御来光を眺め、頂上に立つのもよいだろう。頂上には父釜、母釜、子釜と呼ばれる噴火口があり、最大の父釜は周囲約2km、深さ200mほどある。  京極(きようごく)コースは銘水「噴き出しの水」がわいている、ふきだし公園から入山し、沢沿いの登山道を行く。9合目付近は火山礫の崩壊地で、斜面が急なので注意を要する。  留産(るさん)コースは京極と真狩を結ぶ車道に面して登山口がある。4合目は沢の浸食で、登山道が崩れているので注意したい。  真狩コースは設備の整っている羊蹄山自然公園から入山する。9合目近くでガレ場をトラバースしなければならない。所要時間はいずれも頂上まで約5時間。  なお、4コースとも途中に水場はないので、必ず水筒に水を満たしておきたい。

東北 (山形県)

大朝日岳 朝日岳

標高1,870m

 山形盆地から西方を遠望すると、純白の衣をまとい、なだらかなスカイラインを描く月山とは対照的に、浸食の進んだ山々の朝日岳の山塊が続いている。朝日岳はそびえ立つ孤高の火山と異なり、大朝日岳、西朝日岳、寒江山、以東岳を主稜とする連峰であり、その主峰が大朝日岳である。仰ぎ見る山容は主峰にふさわしい端正な三角錐を呈しており、かつては剣頭山とも呼ばれていた。  位置的には、朝日町と小国町の境をなしている。山頂は南北に細長く、付近一帯には日本列島の土台をなした縞模様の花崗片麻岩が露出している。これらの地質的な特徴に加えて、日本海を渡って吹きつける強い季節風にまともに立ちはだかるために、わが国有数の多雪地帯となっている。これらの雪は、山麓の民にとって古来より貴重な農業用水である。  かつて、鳥原山一帯に点在する池塘を「天狗ノ田代」と称して、田植えの時期に稲の苗を植え、豊作を祈願したという。山中にあっては雪田、雪渓として朝日の山々を飾り、また、咲き誇るお花畑をはぐくみ、銀玉水などの水場を提供している。  一方、谷に目を移すと、雪によって磨き抜かれた谷壁と、雪解け水によって浸食された深い渓谷が山々を引き立て、アルペン的景観を示している。なかでも大朝日岳は、東に垂直に大地を刻み込んだ黒倉沢、西には袖朝日尾根の白い花崗岩の岩壁と、植物の進入を許さない毛無沢を支流にもつ荒川の間にそびえ立つ。なお、この付近はしばしば天気の境目となるため、仏の後光(ブロッケン現象)の現れる所でも知られる。  大朝日岳の直下の大朝日小屋から金玉水にかけての北側は、主稜線からやや東側に位置しているため、膨大な吹き溜まり的な積雪があり、その雪解け水による浸食によって形成された雪窪地形が見られ、緩やかな凹地になっている。頂から南側の平岩山への下りは、大きな階段状の地形が観察される。いずれも雪線よりも低い所の、氷河の周縁に見られるもので、この付近の厳しい自然条件を示している。  登山道は山頂から延びる4つの尾根すべてに開かれており、よく整備されている。最もポピュラーな大朝日岳登頂コースは、朝日川畔の朝日鉱泉から鳥原山、小朝日岳を経て山頂に至るコースで所要6時間。同鉱泉から朝日川二俣、中ツル尾根コースで所要5時間。同じく同鉱泉から御影森山、平岩山経由で所要6時間。  一方、古寺川畔の古寺鉱泉からは、花抜峰、小朝日岳経由で所要5時間強。荒川畔の徳網からは針生平、平岩山経由で所要約7時間。以東岳からの主稜縦走は約6時間30分を要する。

往復 一泊二日 11時間50分
古寺鉱泉から大朝日岳往復 1泊2日

コース定数:45

周回 一泊二日 12時間20分
古寺鉱泉から大朝日岳周回 1泊2日

コース定数:47

周回 一泊二日 13時間5分
朝日鉱泉から大朝日岳周回 1泊2日

コース定数:50

縦走 一泊二日 13時間35分
日暮沢から竜門山・大朝日岳に登り、古寺鉱泉へ 1泊2日

コース定数:53

東北 (山形県)

蔵王山 蔵王山・熊野岳

標高1,841m

 かっては、「わすれずの山」として広く知られていたが、火を吹く山、火の山として恐れられ、大和の国吉野にあった蔵王権現を祭って以来「蔵王山」と称するようになった。  その後、山麓では農業神、水神の住む霊山として、さらにその奥に山岳(蔵王)信仰が成立、同じ山岳信仰の出羽三山の「西のお山」に対し、「東のお山」として信仰を集めていた。  蔵王エコーラインを境にして南・北蔵王に大別される。北蔵王は、火口湖・御釜を取り巻く熊野岳、刈田岳、名号峰の外輪山および蔵王温泉(高湯爆裂火口)を取り囲む鳥兜山、横倉山、瀧山等々の山々が含まれる。なかでも熊野岳と刈田岳間の「馬ノ背」と呼ばれる東側一帯は、火山岩や火山礫で覆われる荒涼とした岩原で、樹木の育成を見ない。わずかに岩陰にコマクサが可憐な花を咲かせている。  山頂へはロープウェイ蔵王山頂駅より45分。

縦走 日帰り 2時間10分
地蔵山から熊野岳・刈田岳に登り大黒天へ 日帰り

コース定数:8

往復 日帰り 2時間20分
刈田峠登山口から熊野岳往復 日帰り

コース定数:10

往復 日帰り 3時間10分
大黒天から熊野岳往復 日帰り

コース定数:13

縦走 日帰り 4時間20分
蔵王連峰の主峰。可憐なコマクサの咲く山へ

コース定数:18

関東 (群馬県)

赤城山 黒檜山・黒桧山

標高1,828m

 赤城山は関東平野に大きく裾野を広げ、群馬県中東部からその美しい山容を仰ぐことができる。上毛三山の一峰として、古くから郷土の人々に親しまれてきた、群馬を代表する名山である。  典型的なコニーデ型の複式二重火山で、外輪山には最高峰の黒檜山をはじめ、荒山(あらやま)、長七郎山、鈴ヶ岳などがあり、その中に中央火口丘の地蔵岳と火口原湖の大沼(おの)、火口湖の小沼(この)がある。黒檜山は、前橋市付近の平野部からは前山に隠れて見えにくいが、大沼の湖畔からは、堂々たる山容を仰ぎ見ることができる。  6月初旬から7月上旬まで、赤城山はツツジの山となる。美しい花を咲かせるものだけで14種類もある。登山口は湖畔から2つあり、よく整備されている。大洞(だいどう)無料駐車場を利用して、北登山口から1時間50分。南登山口から駒ヶ岳を経て2時間20分。

東北 (福島県)

磐梯山 

標高1,816m

 福島県耶麻郡猪苗代町と北塩原村、磐梯町の境に位置する。磐梯山を主峰に、櫛ヶ峰(くしがみね)、赤埴山(あかはにさん)の三峰からなり、円錐形をした成層火山で、安山岩からなる。  明治21年(1888)の大爆発によって、いわゆる裏磐梯と呼ばれる一帯が出現したことは、よく知られている。当時の爆発による被害は、死者417名、倒壊家屋92戸、火山灰などの被覆面積100平方kmに及んだといわれるすごさである。それによって五色沼や桧原(ひばら)、秋元、小野川湖などの多くの湖沼群ができ、現在では観光地化が進んでいる。  裏磐梯からの2つに裂けた山容は有名であるが、表からの端正な円錐形も見事である。コニーデ型のシンメトリックな山容は、会津の人々を引きつけ、会津のシンボルとして、古く奈良時代から人々に親しまれてきた。万葉集には、   会津嶺の国をさ遠く逢はなはば   偲びせにもと紐結ばさね と詠われてきた。会津嶺とはこの磐梯山のことである。  山高きがゆえに「天に通じる岩(磐)の梯子(はしご)」から磐梯山と呼ばれるようになったといわれる。山頂には磐梯明神が祭られている。鎌倉時代には、修験道の山として栄えた。  磐梯山とその周辺は、鳥類が数多く生息している場所として有名であるが、最近は自動車道路やスキー場の開発で確実に減ってきている。高山植物では特産種として、バンダイクワガタがある。これは、オオイヌノフグリの花と同じ形、同じ色をしているが、丈は大きい。櫛ヶ峰西部のガレ場に多く群生する。  山頂からはさえぎるもののない360度の大展望が楽しめる。眼下には、日本第4位の広さを誇る猪苗代湖が広がる。遠く燧(ひうち)ヶ岳(たけ)から南会津の山々、那須連峰、飯豊連峰、吾妻・安達太良の山々、そして桧原湖などの裏磐梯の湖沼群が望まれる。  山麓には温泉が何カ所かある。山中の中ノ湯温泉、川上、押立(おつたて)両温泉は登山口となっている。土湯沢温泉、翁島(おきなじま)温泉は少し離れているが下山後に楽しめる温泉である。  登山道は5コース整備されている(以前あった渋谷コースは、2025年4月に登山道の廃止が決定している)。最短コースはゴールドラインを利用した八方台口で2時間弱を要する。表登山口と呼ばれる猪苗代スキー場からは赤埴山を経て4時間30分。裏磐梯からは磐梯高原より銅沼(あかぬま)、中ノ湯跡経由で約3時間30分を要する。川上温泉コースは3時間30分を要する。翁島登山口からは3時間だが、2025年現在通行止め。  2010年の三角点再設置により、標高はかつての1819mから3mも低い1816mと発表されている。

往復 日帰り 3時間45分
八方台から磐梯山往復 日帰り

コース定数:17

往復 日帰り 6時間10分
裏磐梯から磐梯山往復のハードコース 日帰り

コース定数:28

往復 日帰り 6時間45分
猪苗代スキー場から磐梯山往復 日帰り

コース定数:29

九州・沖縄 (大分県)

九重山 九重連山・久住山

標高1,786m

 大分県久住町(現・竹田市久住町)の西部にある山で、九重連峰の南に位置する。先年、九州本島の最高峰の座を兄弟峰の中岳(1791m)に譲ったが、これほど愛されている山は少なく、人気は依然として高い。山は角閃石安山岩が露呈したトロイデで、九重火山群の主峰でもある。  山容は南側の久住高原からはやさしいが、西千里ガ浜からは鋭い三角峰を突き上げ、その姿は東洋のマッターホルンにたとえられている。  山頂からの展望は、連峰の名峰たちを間近に、久住と瀬ノ本の2つの高原を見下ろして、遠く阿蘇山や祖母・傾山地へと連なる雄大な風景が一望できる。  この山や高原を称えた文人、墨客の作品も多く、与謝野寛(鉄幹)・晶子夫妻、北原白秋の歌は碑となって残り、川端康成は『続千羽鶴』で、その美しい情景を主人公の手紙に寄せている。  また、北斜面にはコケモモ、南斜面にはミヤマキリシマの大群落(ともに国の天然記念物)があり、初夏には可憐な花で埋め尽くされる。  連峰中央部にひしめく峰々は、その高さと姿とを競い合っているかのように見える。なかでもひときわ目立つのが久住山である。古くから神います山としてあがめられ、天孫降臨の伝説もあるほど。宮崎県日向の高千穂にある「クシブルダケ」は、語の響きから「クジュウ」ではないかという説である。真偽のほどはともかくとして興味深い。  九重山に天台密教が入ったのは平安時代初期のころで、いち早く山岳信仰が栄え、信仰登山が行われたのも、あるいは神話とも関連づけられはしないだろうか。  九重町牧ノ戸登山口から山頂までは2時間。途中までは別項の星生山の場合と同じコースを登り、西千里ガ浜から直進して星生崎(ほっしょうざき)をまたぎ、避難小屋のある鞍部へ下ったあと久住分かれへ。そこから右に進み、空池の縁を登ると間もなく頂上である。  赤川からの直登コースは最短距離だが健脚向。また、かつて人気のあった南登山道や、沢水(そうみ)を経由する本山登山道は、長いアプローチのため最近は敬遠されぎみ。  兄弟峰の天狗ヶ城(てんぐがじよう 1780m)や中岳へは一投足で、久住分かれを直進、御池(みいけ)の縁へ出たあと、天狗の西側斜面から取り付いて山頂をまたぎ、そのまま中岳に。また、久住山から空池、御池、池ノ小屋を経由しても中岳に至る。稲星山(いなぼしやま)(1774m)、白口岳(1720m)へも足を延ばしたい。久住分かれから北千里ガ浜、法華院、坊ガツルへのコースも人気があるが、硫黄山から出る火山ガスには注意が必要。

縦走 日帰り 4時間15分
高度感ある大展望を楽しむ

コース定数:18

往復 日帰り 4時間34分
九重山・牧ノ戸峠から、久住山、中岳に登る

コース定数:20

往復 日帰り 4時間40分
誉れ高い九重山群のシンボル

コース定数:19

縦走 日帰り 5時間30分
九重山・長者原から久住山に登り、赤川温泉に下る

コース定数:24

6 7 8 9 10