人だけでなくハチも惑わす“ラブグラス” パンジー(スミレ科)

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社会活動も生活も大きく制限せざるを得ない今、身近に咲く花の美しさに心癒されることはないでしょうか。『花は自分を誰ともくらべない』の著者であり、植物学者の稲垣栄洋さんが、身近な花の生きざまを紹介する連載。美しい姿の裏に隠された、花々のたくましい生きざまに勇気づけられます。


 恋の草と呼ばれている花がある。パンジーである。
 パンジーは、英語ではラブグラス(恋の草)という別名があるのだ。さらには、「 Kiss me at the garden gate (門のところで私にキスして)」や「 Jump up at the kiss me (立ちあがって私にキスして)」などの別名もある。
 どうして、パンジーはこんなにもロマンチックな別名を持つのだろうか。
 じつはパンジーは、中心を挟んで、右と左の花びらが、キスをしているように見える。そのため、キスを連想させるような名前がつけられているのである。
 何とも素敵な花である。

 それだけではない。じつはパンジーは惚れ薬としても利用されていたというから、すごい。
 シェイクスピアの戯曲「真夏の夜の夢」では、パンジーの汁は、惚れ薬として登場する。ヨーロッパではパンジーは古くは惚れ薬とされていたのだ。その効果はすごい。
 何でもパンジーの草の汁を眠っている間にまぶたに塗ると、眠りから覚めた人は、目を開けて初めて目にした人に恋をしてしまうらしい。
 ちなみに、パンジーの惚れ薬には、毒消しをする解毒剤もある。それがヨモギである。

 ところが、そんなロマンチックな花も、十九世紀になると少し違ったものをイメージされるようになる。
それが、「人の顔」である。
 パンジーの花は、人間の顔のようにも見える。江戸時代末に日本に伝えられたパンジーは、古くは人面草と呼ばれていた。パンジーの名前も顔に由来している。パンジーはフランス語の「パンセ」が語源となっている。これは、「思う」という意味である。パンジーの模様を「思案する人」の顔に見立てたのである。

 それにしても、恋の草と言われた花が、どうして急に人の顔にたとえられるようになったのだろうか。じつは、人の顔にも見えるパンジー特有のこの模様は、最初からあったわけではない。この模様は、一八三〇年代になって突然変異で現れたとされているのである。
 パンジーは、ヨーロッパ原産である。パンジーの原種のワイルドパンジーは、紫色の花びらと黄色の花びらと白色の花びらが混ざっている。パンジーのことを「三色すみれ」というのは、そのためである。 西洋の言い伝えによれば、天使たちが三回キスをしたことから、パンジーは三色になったとも言われている。

かわいい花に隠されたガイドライン

 パンジーは不思議な花である。見れば見るほど、じつに複雑な花の形をしている。
 パンジーは花びらが五枚あり、上に二枚、横に二枚、そして、下側に一枚の花びらで構成されている。花びらは重なっているので、五枚の花びらはわかりにくいが、花を裏側から見ると、花びらが五枚あることがわかりやすい。ワイルドフラワーの場合は、下の花びらが黄色で、横の花びらが白色、上側の花びらが紫色をしている。

 この複雑な構造をした花には、合理的な理由がある。
 植物の花は、昆虫を呼び寄せて受粉するために、美しい花を咲かせる。
 スミレの花の花粉を運ぶのはハチである。パンジーは五枚の美しい花びらでハチを呼び寄せる。パンジーは、さまざまな花色が品種改良されているので、すべてのパンジーではないが、パンジーの下の花びらには、小さな模様があるものがある。これが蜜のありかを示すガイドラインと呼ばれるものである。ハチは、下の花びらに着陸し、このガイドラインに添って花の中に潜っていくと、蜜にありつけるようになっている。
 横の花びらは、花の中に潜っていく昆虫をガードするような役割をしているのである。

 こんなにまで、複雑な花の形をしているのには、理由がある。
 働き者のハチは、花粉を運んでくれるパートナーとして最適である。できれば、他の昆虫ではなく、花粉を与えてくれるハチだけに蜜を与えたい。しかし、花にはさまざまな種類の昆虫がやってきてしまう。都合よくハチだけに蜜を与えることなど、できるのだろうか。
 そこで、パンジーは花の奥深くに蜜を隠し、昆虫を試すように花びらに蜜のありかを示す目印をつけた。ハチは他の昆虫にくらべて頭が良いので、この目印を理解することができるのである。

 それだけではない。
 蜜のありかを理解した昆虫は、花の奥深くにもぐりこまなければならない。じつは、昆虫は花の奥へと潜り込み、後ずさりして出てくるのが苦手である。一方、ハチは、花の深くに潜って、後ずさりして戻ってくることができる。こうして、パンジーは見事にハチだけに蜜を与えることに成功したのである。
 こうして、蜜を花の奥深くに隠すために、パンジーの花を横から見ると、「距(きょ)」と 呼ばれる壺状の筒が後ろに張りだしている。そして、この距を支えるために、パンジーの茎は花の中心について、やじろべえのように、バランスを保っているのである。
 この複雑なしくみは、日本の山野に生えるスミレの花も同じである。
恋の草と呼ばれるパンジーは、こうしてハチとの恋のバランスを取っているのである。

タチツボスミレ/やぎやぎさんの登山記録より

(※本記事は『花は自分を誰ともくらべない』の抜粋です。)

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【著者略歴】
稲垣栄洋(いながき・ひでひろ)
1968年生まれ。静岡大学大学院農学研究科教授。農学博士、植物学者。農林水産省、静岡県農林技術研究所を経て、現職。著書に『身近な雑草の愉快な生き方』(ちくま文庫)、『散歩が楽しくなる雑草手帳』(東京書籍)、『面白くて眠れなくなる植物学』(PHPエディターズ・グループ)、『生き物の死にざま』(草思社)など多数。

プロフィール

稲垣栄洋

1968年生まれ。静岡大学大学院農学研究科教授。農学博士、植物学者。農林水産省、静岡県農林技術研究所を経て、現職。著書に『身近な雑草の愉快な生き方』(ちくま文庫)、『散歩が楽しくなる雑草手帳』(東京書籍)、『面白くて眠れなくなる植物学』(PHPエディターズ・グループ)、『生き物の死にざま』(草思社)など多数。

身近な花の物語、知恵と工夫で生き抜く姿

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