ヒマラヤ未踏峰「アウトライヤー」挑戦記 ヒマラヤ未踏峰を目指すことになった理由

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NHKの「実践! にっぽん百名山」の解説などでおなじみ、萩原編集長こと萩原浩司氏は、2013年秋、ネパール・ヒマラヤ未踏峰、「アウトライアー(現地名=ジャナク・チュリ)」を目指した。母校である青山学院大学の山岳部のOB会長も務める萩原氏は、自ら総隊長としてこの遠征隊に参加、その準備から登頂、そして帰国までを萩原氏の目を通しながら伝えていく。

※本稿は2013年8月29日から書かれた、当時のブログの内容を、修正・加筆などを行わずそのまま転載しています。

 

ヒマラヤ未踏峰を目指すことになった理由

Date 2013年08月29日(木)


みなさん、こんにちは。山と溪谷社の萩原浩司(はぎわら・ひろし)です。このたび唐突に登場したこのブログですが、私・ハギワラがヒマラヤ登山に行くことがきっかけでした。

参加するのは私の母校である青山学院大学山岳部の登山計画です。めざす山は、ネパール・ヒマラヤのアウトライアー(現地名=ジャナク・チュリ)東峰。ネパールの東のはずれ、中国との国境にそびえる7035mの高峰です。近くにはカンチェンジュンガ山群があり、すぐ東隣はインドになります。

今回、初登頂をめざすアウトライアー東峰(右側のピーク、標高5500mのキャンプ1より)


ここはアプローチに時間がかかることもあって、エベレスト街道などの人気ルートに比べると極めて入山者も少なく、さらにアウトライアー周辺となれば日本人の記録はほとんど見当たりません。まさにアウトライアー(局外者、離れ者)といった山塊なのです。

2年前、青山学院大学山岳部は同峰の初登頂をめざして入山し、山頂まであとわずか、というところまで迫りました。 しかし残念ながら標高6800m付近で不安定な雪の壁に阻まれてやむなく退却しています。 そして今年、周囲から「再挑戦はしないのか」「OB会長が出て行かなくてどうする」といった声が上がり、また、いちばんの課題であった休暇の取得については、勤続30年のリフレッシュ休暇制度があったことなども思い出して、思い切って参加することにしたのです。

今回のメンバー構成は、学生3名にOB3名の計6名。登山期間は9月8日から10月29日までの51日間。そのうち、どうしても仕事から抜けられない私と村上登攀隊長の2名が1週間遅れでヘリコプターで入山し、中間のキャンプで合流する予定です。

すべての計画が順調で、予定どおりにコトが運べば、2013年10月10日前後に初登頂のお知らせができることでしょう。しばらくはこちらのブログと、青山学院大学山岳部のホームページを使って、登山の様子を報告していきたいと思います。

どうぞよろしくお願いします。

青山学院大学アウトライアー東峰登山隊2013 総隊長

 

アウトライアー(ジャナク・チュリ)とは

Date 2013年09月02日(月)


アウトライアー(現地名: Janak Chuli)とは、ネパールと中国チベット自治区との国境にそびえる標高7090mのヒマラヤの高峰です。そのユニークな山名の由来は、コンサイス外国山名辞典によると「1911年、イギリスのA.M.ケラスが3度目のシッキム入りをし、ジョンサンピークの一周を試みたが、この山の南麓で行きづまった。このときに英語で局外者、転じて離れ島と命名」とされています。

実際にアウトライアーの南面は、ブロークン氷河の果てに標高差1000mを超える大岩壁となって切れ落ちており、100年前の登山隊にとってそれは登攀対象以前の存在であったことでしょう。そしてその後、ネパール・ヒマラヤの東のはずれに、まさに「離れ島」のように大岩壁をそばだたせて屹立するこの峰には、長い間、挑戦しようとする者は現われなかったのです。

2000年、「登攀困難な未踏峰」を志向するスロヴェニアの登山隊が、初めてアウトライアーの登頂を目的にブロークン氷河を訪れました。それから試登と敗退を重ねた末の2006年、アンドレイ・シュトレムフェリら、ふたりのスロヴェニアチームによってアウトライアー主峰(西峰)は登頂されたのです。彼らはその前年に東峰(標高7035m)の初登頂もめざしていましたが、悪天候のために断念。東峰のみ、未踏のまま残されることになりました。

2010年、青山学院大学山岳部パーティは、スロヴェニア隊が果たせなかった東峰の初登頂を目指してブロークン氷河に入山。天候にも恵まれ、順調に南西壁の標高6800m地点までルートを切り開きましたが、不安定な雪壁に行く手を遮られ、日数が不足していたこともあって、やむなく撤退。こうしてアウトライアー東峰は、地球上に残された数少ない7000m級の未踏峰として、今もヒマラヤの空高く聳えているのです。

キャンプ2(標高5700m)から見たアウトライアー東峰南西壁と登攀予定ルート


このたび、青山学院大学体育会山岳部および同山岳部OB会(緑ヶ丘山岳会)におきましては、アウトライアー東峰に再度、挑戦することになりました。

今回はOB会長の萩原(山と溪谷社)が総隊長となって参戦。前回、最高高度に迫った村上隊員が登攀隊長として再挑戦します。OB3名、学生3名の計6名による登山隊で、2010年の経験を生かし、南西壁右端のガリーから前回の最高到達地点を越えて頂上をめざします。

登山方法は、メンバーの力量と登山経験をかんがみて前回同様、固定ロープを使用し、前進キャンプを設けるオーソドックスな登山スタイルを選択。退路を確保する安全重視のタクティクスで、確実に登頂できるように計画を立てる予定です。

今回も前回同様、現役の山岳部員3名を交えてのメンバー構成になりました。大学山岳部の良いところは、OBと現役部員とが世代を超えて同じ目標に向かっていけるというところにあります。OBと現役相互の協力体制のもと、そしてOB会や大学関係者、体育会関係者、さらに登山の趣旨にご賛同いただけるさまざまな方々からの支えを得て、登山隊一同、持てる力をフルに発揮し、ヒマラヤの未踏峰に挑戦してくる所存です。

 

CASIOプロトレック「Janak Chuli」モデルを腕に

Date 2013年09月04日(水)


私たちが目指す山「Janak Chuli」っていったいどんな山なのだろう? そう思ってインターネットで調べてみると、なぜか腕時計の宣伝が出てきます。

「Casio PRG-550-1A4ER Janak Chuli Pro Trek」

なんと、ヨーロッパでは「Janak Chuli」の名前を冠した時計が発売されていたのです。それにしても、よりによってJanak Chuliとは!

プロトレック「Janak Chuli」モデルが掲載されていたドイツのウェブサイトより


ドイツ語圏内ならば日本の「マナスル」モデルのように、「ナンガ・パルバット」や「ガッシャブルム」など、そりゃあもういくらでも初登攀に絡めてメジャーな山名も使えるはずなのに、なぜ「Janak Chuli」なのか?

日本の山にたとえるとすれば、「富士山」や「穂高岳」ではなく「中盛丸山」や「横通岳」を主力製品に命名するような暴挙であります。ヨーロッパ・カシオの販売戦略担当者はいったい何を考えているのだろう。それとも彼の地で「Janak Chuli」はそれほどまでにメジャーな山なのだろうか。

で、さらに調べてみると、他にも山名が付けられたモデルがいくつか出てきました。その名はギャチュン・カン、ナイプン、グルジャヒマール・・・・・・。これもまた、かな~り玄人好みの山ばかりですな。参りました。ぜひともネーミング効果の検証をお願いしたいものですね。

だがしかし、少なくともここにひとりだけは、そのネーミングをきっかけに購入した日本人がいます。もちろん私です。ネットで見つけたその日に注文してしまいました。

当然、連れて行きますとも、この時計を。この子の名前の由来となった山に。できることなら山頂まで・・・。

⇒次号/世界最忙? クライミング雑誌編集長

プロフィール

萩原浩司(はぎわら・ひろし)

1960年栃木県生まれ。青山学院法学部・山岳部 卒。
大学卒業と同時に山と溪谷社に入社。『skier』副編集長などを経て、月刊誌『山と溪谷』、クライミング専門誌『ROCK&SNOW』編集長を務めた。
2013年、自身が隊長を務めた青山学院大学山岳部登山隊で、ネパール・ヒマラヤの未踏峰「アウトライアー(現地名:ジャナク・チュリ/標高7,090m)」東峰に初登頂。2010年より日本山岳会「山の日」制定プロジェクトの一員として「山の日」制定に尽力。
著書に『萩原編集長危機一髪! 今だから話せる遭難未遂と教訓』、『萩原編集長の山塾 写真で読む山の名著』、『萩原編集長の山塾 実践! 登山入門』など。共著に『日本のクラシックルート』『萩原編集長の山塾 秒速!山ごはん』などがある。

アウトライヤー 萩原編集長のヒマラヤ未踏峰挑戦記

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