クマの活動がさらに活発化する秋から冬、登山者が注意すべきことは? 上高地小梨平でクマ被害にあった女性、関係者から話を聞いた

取材・文=羽根田 治、協力=環境省 中部山岳国立公園管理事務所
クマの活動期は春から秋にかけて。だが、今年は各地で例年以上に多くの目撃・遭遇情報が報告されている。とくに北アルプス(中部山岳国立公園)においては、ほぼ全域でクマの活動が活発化しているようだ。
たとえば薬師岳の登山口となる折立キャンプ場では以前からクマの出没が確認されていたが、今年は行動がよりエスカレート。登山者のそばからザックを奪う、食事中に襲ってくる、車の窓ガラスを割って車内を物色するなど、異常行動が連続したため、8月13 日から閉鎖措置がとられている。
また、乗鞍岳の畳平周辺で連日のようにクマの目撃情報が寄せられるほか、立山連峰の内蔵助山荘、後立山連峰の爺ヶ岳周辺の稜線上、常念山脈の常念小屋周辺、槍・穂高連峰の槍平小屋付近など、標高2000~2500メートルの高い場所でも頻繁にクマが目撃されている。
そのような状況のなか、上高地の小梨平キャンプ場では8月8日、幕営していた50代の女性がツキノワグマに襲われる事故が起きた。



女性は同日昼過ぎに現地に入り、山仲間の男性2人と合流。コロナ対策のため各自ソロテントを張って、夜7時ごろ就寝した。しかし、テントが揺れていることに気付いて、午後11時半ごろに目が覚めたーー。
以下は、事故に遭った女性の手記から引用する。
〈テントの下端を何者かが外側からくわえて、強い力で引っ張っている〉
〈引きずる力が止まった。キャンプ場の明かりが届く場所で、テントの布に、一瞬、大きな影が立ち上がる姿が見えたように思う。その直後、テントは一瞬のうちに引き裂かれた。何者かがうめきながら、私の黒のスウェットパンツをくわえて引きずり下ろした。そして素足(右膝横)に手を振り下ろした〉
〈一撃の後、さらなる攻撃はなく、物音もしなかったので、そばにあったトイレに逃げ込んだ。右膝横の傷を見ると、出血は少ないものの肉がえぐれ、直径10センチほどの範囲の傷となっていた。ちょうどそのときトイレから出てきた男性に助けを求め、仲間と合流後に上高地の診療所で応急手当てを受けたのち、松本市内の病院に搬送されて裂傷の縫合手術を受けた。襲われたテント内にあった食料はきれいに食べ尽くされていたと、翌日、仲間から聞かされた〉


上高地周辺ではこれまでにも何度かクマが目撃されていたが、今年の7月27日になって初めて小梨平キャンプ場のゴミ箱が漁られるという事態が発生した。その後もクマの目撃情報が相次いだため、テントサイトの一部閉鎖、ワナの設置、巡回の実施などの対応策をとっていたところ、8月4日に河童橋付近で、6日には徳沢ロッジでそれぞれクマがワナにかかって捕獲された。この2頭のクマは北アルプスとまったく異なる山系に奥山放獣された。

しかし、8日未明には小梨平キャンプ場で親子3人が就寝中のテントがクマに襲撃されるという新たな事故が起きた。親子は逃げて無事だったものの、テント内の食料が食い荒らされた。
これを受けて同キャンプ場ではワナを設置するとともに、テントサイトの一部を閉鎖した。しかし、このテント襲撃については、キャンプ利用者には伝えられず、その晩に前述の人身被害が出てしまったわけである。

キャンプ場を管理する日本アルプス観光が、事故があったことをほかの利用者にいっさい周知しなかったこと、キャンプ場を全面閉鎖にしなかったことについて、環境省中部山岳国立公園管理事務所所長の森川政人氏は次のように説明する。
「当時の状況から、このクマは人間を見たらすぐに逃げるような、人を恐れる個体と認識していました。このため、8日未明の事故後に専門家と相談のうえ、夜間パトロールを配置することによって事故発生の可能性は低減できると考え、キャンプ場の全面閉鎖はしませんでした。また、当時のキャンプ場利用者数が500人ほどだったこともあり、細かく周知することは、現実的に難しい面がありました。結果的には、こちらの落ち度だったかもしれません。」
この事故のあと、同キャンプ場は全面閉鎖となった。13日に当該のクマと思われる個体が捕獲されたのちも、しばらくは閉鎖が続いた。
この間に、事故の再発を防ぐため、人の食べ物に慣れたクマが確認されたらキャンプ場を閉鎖するようにしたほか、「キャンプ場施設利用規則」が新たに定められ、9月7日からキャンプサイトの一部が再開された。使用規約は、これまで食料はテント内で保管するように求めていたのを改め、「夜間、食料はテント内に置かず食料庫に保管すること」とし、屋外のゴミ箱が夜間も外に置かれていたのを改め、「夜間のゴミ出しは食糧庫内のゴミ箱へ」とした。また、新たに「誓約書に署名すること」などが盛り込まれ、利用者にはこれを順守することが求められるようになった。

その一方で、森川氏は、ルールやマナーを指導するだけではなく、自然との付き合い方をうまく伝えることが、人と野生動物との距離や関係性を見直すことになり、今回のような事故を防ぐ一助になるのでは、と話す。
「自然のなかで遊ぶにはリスクが伴います。その部分もしっかり伝えるため、再開後の小梨平キャンプ場の利用者には、事前に上高地ビジターセンターでのクマ対策のレクチャーの受講(無料)をお願いしています。また、勉強的な要素のみでなく、国立公園の中でキャンプすることの魅力も伝えていきたいと考えています。」
今年は、新型コロナウイルス感染症の影響によって登山者が減少したことで、どこの山でも、今まで以上にクマの活動域が広がっているという指摘もある。登山者のクマ対策といえば、クマと遭遇しないための方策をとることがこれまでのスタンダードであった。しかし、今は、登山者や宿泊施設、キャンプ場などの不適切なゴミ処理によって、人の食べ物に慣れたクマが各地に現れるようになっている。こうしたクマにどう対処するかも課題だが、なにより大事なのは、そういうクマを出さないことだ。クマが生息する”山”になんらかの形で関わっている人は、それをしっかり実行していく必要がある。
羽根田 治さんの著書
『人を襲うクマ』
1970年の福岡大学WV部のヒグマ襲撃事故の検証を筆頭に、近年までのクマとの遭遇被害の事例を追い、専門家による生態解説など含め、クマ遭遇被害の実態を詳細に明かす。
著者:羽根田 治
発売日:2017年09月22日
価格:本体1,600円+税
体裁:四六判224ページ
ISBN:9784635230070
詳細URL:http://www.yamakei.co.jp/products/2816230070.html
(電子書籍版)http://www.yamakei.co.jp/products/2817120722.html
発刊時掲載の羽根田さんのインタビュー
「クマと遭遇! どう対処する? 新刊『人を襲うクマ』が教えてくれること」https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=216
プロフィール
羽根田 治(はねだ・おさむ)
1961年、さいたま市出身、那須塩原市在住。フリーライター。山岳遭難や登山技術に関する記事を、山岳雑誌や書籍などで発表する一方、沖縄、自然、人物などをテーマに執筆を続けている。主な著書にドキュメント遭難シリーズ、『ロープワーク・ハンドブック』『野外毒本』『パイヌカジ 小さな鳩間島の豊かな暮らし』『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』(共著)『人を襲うクマ 遭遇事例とその生態』『十大事故から読み解く 山岳遭難の傷痕』などがある。近著に『山はおそろしい 必ず生きて帰る! 事故から学ぶ山岳遭難』(幻冬舎新書)、『山のリスクとどう向き合うか 山岳遭難の「今」と対処の仕方』(平凡社新書)、『これで死ぬ』(山と溪谷社)など。2013年より長野県の山岳遭難防止アドバイザーを務め、講演活動も行なっている。日本山岳会会員。
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