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日本で「仏花といえば、キク」になった意外な理由

身近な花の物語、知恵と工夫で生き抜く姿
たしなみ 2020年11月26日

社会活動や生活を制限せざるを得ない今、身近に咲く花に心惹かれます。『花は自分を誰ともくらべない』の著者であり、植物学者の稲垣栄洋さんが、花の知られざる生きざまを紹介する連載。今回はお供えに定番のキクについてです。

 

中国では草木の中の君子

年中行事に五節句という五つの節句がある。
たとえば、三月三日は桃の節句、五月五日は端午の節句、七月七日は七夕の節句である。

このように節句は三、五、七などの奇数が重なった日になっている。ただし、一月一日は元旦なので、一月の節句は一月七日の人日(じんじつ)の節句となる。また、この日は七草の節句とも呼ばれていて、春の七草を摘んで七草粥を食べる。
そして、九月九日は重陽(ちょうよう)の節句である。重陽の節句は「菊の節句」とも呼ばれている。

中国では昔から奇数は縁起の良い数字とされてきた。そのため、奇数が重なる日は、めでたい日として節句になったのである。重陽の節句は「陽が重なる」と書く。一から九の奇数の中でもっとも大きい数なので、重陽の節句は節句の中でももっともめでたい日なのである。ただし、節句は、とても縁起が良い日だが、その日が最高ということは、次の日からは、良くない方へと転じていくということになる。そのため、節句には薬草で厄払いを行った。

人日の節句には、七草粥を食べる。また、桃の節句には、昔は桃の種を煎じた杏仁湯(きょうじんとう)という薬湯を飲んだ。そして、端午の節句には、菖蒲の根を煎じた薬湯を飲む。また、七夕の節句には、昔はほおずきの根を煎じた薬湯を飲んだ。そして、九月九日の重陽の節句にはキクの花を飾り、キクの花を浮かべた酒を飲んだのである。

ところが、重陽の節句は今ではほとんど行われていない。
明治時代になると、暦がそれまで使われていた旧暦から新暦に切り替わってしまった。旧暦と新暦とでは、およそ二十日~五十日程度のずれがある。そのため、新暦の九月九日には、まだキクが咲いていないのである。キクが咲くのは、旧暦の九月、つまり現在の暦では十月になる。

桃の節句も桃の花は咲かないが、桃の花がなくても雛人形がある。また、端午の節句はショウブがなくても鯉のぼりや五月人形がある。ところが、重陽の節句はキクの花を飾り、キクの花びらを浮かべた酒を飲むというキクが主役の行事なので、キクの花がないと行うことができない。そのため、重陽の節句はすたれてしまったのである。

仏花に好まれるようになった理由

ただし、現在ではキクの花は一年中、出回るようになった。
キクの花は、日が短くなると季節を感じて花を咲かせる短日植物である。

そのため、日が長い夏の間は、一定時間を黒い布などで覆って日が当たる時間を短くする。こうして花が咲くように誘導するのである。
逆に日が短い冬は、茎が伸びる前に花が咲いてしまうことになる。そこで日が短くならないように電気をつけて茎を伸ばし、花を咲かせたい時期に電気を消して育てる。これが電照栽培と呼ばれるものである。

キクは奈良時代に中国から日本に伝えられたとされているが、その由来は謎に包まれている。
現在の栽培ギクは、古い時代に中国でチョウセンノギクとハイシマカンギクという野生のキクの交配によって作られたと考えられているが、はっきりしたことはわかっていないのだ。

古来、中国では、蘭、竹、菊、梅の四つの植物は、その気品のある美しさから、草木の中の君子とされていた。そして、キクは不老長寿の妙薬として珍重されたのである。中国から縁起の良い花として伝えられたキクは、日本でもさまざまに利用された。

菊花展のようにキクを楽しむ催しは平安時代から行われていたとされている。また、江戸時代になるとさまざまな品種が育成され、菊人形のような細工も作られた。
現在でも、皇室の紋章は菊の紋だし、私たちが使う日本のパスポートにも菊の紋章が使われている。今では、キクはまさに日本の象徴のような存在なのである。

しかし、キクは縁起が良いとされているのに、なぜか仏花として用いられる。これは、どうしてなのだろうか。

じつは、キクが仏花として利用されるようになったのは、そう古いことではない。
かつては葬送行列が行われ、墓にはさまざまな野の花が供えられた。そもそも、キクは秋にしか咲かないので、キクを仏花として常に供えることはできなかったのだ。

ところが、戦後になると、キクが年中栽培されるようになった。そして葬送行列が行われなくなり、祭壇を設けてキクを飾るようになったのである。一説には、墓にキクを飾るのは戦後に、西洋から持ち込まれた風習とも言われている。

しかし、キクが仏花として利用される、もっとも大きな理由は、花の日持ちが良いことにある。キクは、切り花にして水につけておくだけでも二~三週間以上も花が持つ。そして急な葬式に準備できる花としてキクは重宝されたのである。

今ではすっかり仏花として定着してしまった。しかし、最近ではかわいらしいスプレーギクやポットマムも人気である。こんなに気品のある美しい花を仏様のものだけにしておくのももったいない。
ぜひ、現世にいるうちから楽しみたいものである。

(本記事は『花は自分を誰ともくらべない』からの抜粋です。)

『花は自分を誰ともくらべない』

チューリップ、クロッカス、バラ、マーガレット、カンパニュラ、パンジー、マリーゴールド――花は、それぞれ輝ける場所で咲いている。身近な47の花のドラマチックな生きざまを、美しいイラストとともに紹介。
昆虫や鳥を呼び寄せ、厳しい環境に適応するために咲く花。人間の生活を豊かにし、ときに歴史を大きく動かしてきた花。それぞれの花が知恵と工夫で生き抜く姿を、愛あふれるまなざしで語る植物エッセイ。『身近な花の知られざる生態』(2015年、PHPエディターズ・グループ)を改題、加筆のうえ文庫化。


著者:稲垣栄洋
発売日:2020年4月3日
価格:本体価格850円(税別)
仕様:文庫判256ページ
ISBNコード:9784635048835
詳細URL:https://www.yamakei.co.jp/products/2819048830.html

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【著者略歴】
稲垣栄洋(いながき・ひでひろ)
1968年生まれ。静岡大学大学院農学研究科教授。農学博士、植物学者。農林水産省、静岡県農林技術研究所を経て、現職。著書に『身近な雑草の愉快な生き方』(ちくま文庫)、『散歩が楽しくなる雑草手帳』(東京書籍)、『面白くて眠れなくなる植物学』(PHPエディターズ・グループ)、『生き物の死にざま』(草思社)など多数。

書籍・書評 自然観察 知識・雑学
教えてくれた人

稲垣栄洋

1968年生まれ。静岡大学大学院農学研究科教授。農学博士、植物学者。農林水産省、静岡県農林技術研究所を経て、現職。著書に『身近な雑草の愉快な生き方』(ちくま文庫)、『散歩が楽しくなる雑草手帳』(東京書籍)、『面白くて眠れなくなる植物学』(PHPエディターズ・グループ)、『生き物の死にざま』(草思社)など多数。

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