2020年の締めくくり。冬が迫る北海道で、樽前山、余市岳、暑寒別岳を登り、富良野の実家へ。田中陽希さん旅先インタビュー30弾!

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「日本3百名山ひと筆書き」に挑戦中の田中陽希さん。10月半ばを過ぎ、冬が迫る北海道で、あといくつ山を登れるのか、タイムリミットが迫っていた。樽前山、余市岳と登り、2020年最後の一座と決めた暑寒別岳は、何日も待って、ようやく登頂を果たした。

POINT
  • 一日55kmを移動し、翌日に縦走で挑む。活火山・樽前山は快心の登山に
  • 登る人の少ない初冬の余市岳。秋から冬の季節の移ろいを感じながら
  • 前後の避難小屋泊を含め2泊3日で。ホワイトアウトの中、暑寒別岳に登頂

 

一日55kmを移動し、翌日に縦走で挑む。活火山・樽前山は快心の登山に

ニセコアンヌプリ、羊蹄山と連日で登って、その翌日も移動の日にしました。10月も後半になり、北海道の山は、冬が迫ってきているので、天気優先、日程優先で、進みました。この日は、途中に宿がなく、ここまで三百名山の旅では最長となる一日55kmの移動になりました。

路肩は広いけど、歩道のない道路を進みます。北海道では、車が飛ばすので、歩き旅ではけっこう怖い思いをします。

道中では唯一の食堂「きのこ王国」で、プレミアムきのこ汁、きのこご飯、きのことワカサギの天ぷらと、きのこ尽くしの昼食を食べました。

最後の10kmは疲れて歩いてしまいましたが、支笏湖畔・モラップにある山荘へ、夕方、着きました。

道中唯一の食事処「きのこ王国」支笏湖の向こうに次の山がみえた!

道中唯一の食事処「きのこ王国」では、きのこ尽くしの料理を味わう/支笏湖の向こうに次の山がみえた!


翌10月20日、二百名山の樽前山に登りました。行程は、風不死岳から樽前山への縦走することにしました。二百名山の旅の時は、最短ルートで登頂しただけだったので、多角的に樽前山を見たかったというのがありました。

風不死岳登山口風不死岳

55kmの移動の疲れはあったが、風不死岳経由での縦走で樽前山へ


風不死岳を経由する縦走コースでは、風不死岳から樽前山の全容が見えます。樽前山はぽっかりそこだけ荒涼とした別世界で、溶岩ドームからはとめどなく噴煙が上がっていて、活火山の躍動感を感じられました。外輪山をぐるっと回り、今登れるピーク・東山に立ちました。

風不死岳の稜線から樽前山を望むまるで別世界の樽前山を進

風不死岳の稜線から樽前山を望む/まるで別世界の樽前山を進む


山頂には自分宛ての置き手紙がありました。数日置き去りになっていたため、雨が滲みていましが、なんとか読むことができました。

樽前山を最後に、52年かけて三百名山を達成したという登山者の手紙で、嬉しさとともに自分が来ることを知っていたことに驚きました。

溶岩ドームの突き出た岩西山から、東山へと外輪山を巡った

溶岩ドームの突き出た岩が鬼の角のよう/西山から、東山へと外輪山を巡った


前日55kmの移動からの登山は不安でしたが、疲れなく登れました。雲が晴れて、達成感いっぱいの、「百点満点」の一座になりました。

翌日は、休養日にして、支笏湖でハイドロバイクに乗ってみました。2018年11月の河口湖以来の水上散歩で、樽前山の姿を湖上から堪能しました。

支笏湖上のハイドロバイクから樽前山を見上げる

休養日に支笏湖上のハイドロバイクから樽前山を見上げる


10月22日、峠を2つ越えて、41kmの移動で札幌市へ。紅葉のきれいな道を進みました。

紅葉まっ盛りの道路紅葉まっ盛りの道路

札幌市に入った。紅葉まっ盛りの道路に感激



雨の札幌市内では、お世話になっている秀岳荘、TNF、GOLDWINへ。
大通り公園、時計台などの観光名所もめぐる


10月24日には小樽市に入った

 

登る人の少ない初冬の余市岳。秋から冬の季節の移ろいを感じながら

余市岳に向けては、キロロスノーリゾートのホテルや、周辺の宿泊施設は、コロナの影響があり泊まれませんでした。小樽市街から余市岳を往復するのは相当距離があります。そこで、余市岳に近い「北海道バックカントリーガイズ」に泊めてもらうことになりました。通常は、ツアー参加者のための宿ですが、知り合いのガイドさんのつながりで、泊めてもらえることになりました。この時期、余市岳に登る人はほとんどいないので、ご主人からは、この季節の余市岳の魅力を発見してほしい、と頼まれたのでした。

余市岳

10月27日に登った余市岳は、三百名山の山で、初めて登りました。登山道に入ると紅葉から少しずつ雪化粧となっていく中を歩き、5合目霧氷がきれいな中を登っていきました。

笹が雪で倒れかかっているのですが、覆い尽くすほどの雪はなく、先を行く登山者のトレースもない状態でした。

余市岳は登山口から雪余市岳は登山口から雪

余市岳は登山口から雪。雪をかぶった笹が垂れ下がって歩きにくいところもあった


出発時は晴れていて、紅葉、雪、青空の3つのコントラストがきれいで、季節の移ろいがよく感じられました。山頂手前のハイマツ帯では、ハイマツが登山道に倒れて、歩きにくいところがありました。

標高1488mの静かな山頂からは、積丹半島や、羊蹄山などの展望がよかったです。下山は雪が溶けてドロドロでした。

ダケカンバに着いた霧氷

ダケカンバに着いた霧氷がきれい


10月28日は小樽市へ戻り、翌10月29日から、4日かけて、小樽市から海沿いを北上していきました。暑寒別岳の麓、増毛町まで進む計画です。小樽-稚内につながる「オロロンライン」(正式には石狩川河口からを言う)を歩いていきました。この日は、昼食でうまく雨をかわし、石狩市まで進みました。

小樽運河を歩く

小樽運河を歩く


10月30日は、冷たい雨・風、一時的に嵐、という天気でした。オロロンラインは、留萌まで大きな町がなく、民家も集落もない、自動販売機もない、「最果て感」「孤独感」を味わいながらの移動でした。

北海道での移動では、ちょっとしたことの存在で、ありがたかったり、助かったりします。

冷たい雨風の中を歩いていく


10月31日、増毛町へ向けて引き続き歩いていきました。

海沿いの道ではトンネルが連続します。トンネル内の時間を短くするため、トンネル内は走ることにしました。途中、車の事故に遭遇し、JAFを呼ぶなどの対応をしました。本当に偶然にも、巻き込まれずに済みました。

石狩湾沿いを歩く

石狩湾沿いを歩く


11月1日は、増毛町へ38kmの移動でした。引き続きトンネルの多い道で、トンネル・覆道で20本あり、計算したら、最後の2日間で、トンネルの合計距離は23.5kmにもなりました。

海沿いはトンネルが連続する。最後の2日間で、トンネルの合計距離は23.5kmに


 

前後の避難小屋泊を含め2泊3日で。ホワイトアウトの中、暑寒別岳に登頂

(編集部から)
増毛町に着いてから、天候不良で4日間の停滞となった。
暑寒別岳へのルートは、アプローチが長いので、登山前・後に登山口にある箸別避難小屋に泊まる、2泊3日の行程となる。3日間の好天が望ましいのだが、週間天気では連日の天気がない。11月に入り、冬が迫る北海道。暑寒別岳に登れるかどうか、落ち着かない1週間を過ごした。
11月6日には、暖房用に分けてもらった薪20kgとトイレットペーパーなどを避難小屋まで歩荷した。避難小屋までは片道16km。宿のある海沿いから、標高差480mの避難小屋まで運び上げたのだ。

入山に備えて、避難小屋で使う薪を分けてもらい、山行前に歩荷する


箸別避難小屋への歩荷の帰り道、行きにはなかったヒグマの糞と足跡を見ました。余市岳のバックカントリーガイズのご主人から、「暑寒別岳には、3mもあるヒグマの主みたいなのがいる」と聞いていましたが、とても大きな足跡でした。

ヒグマの足跡

登りでは見なかったヒグマの足跡。狩場岳で見た足跡より大きかった


翌日からさらに4日停滞しました。

11月8日には、天気予報からは想定できない好天気になりました。散歩に出て「今日だったのかー」と自問しましたが、雪山で博打は打てないので、次のチャンスを信じて待ちました。

翌日は一転して、冬型の気圧配置になり、冷たい風雪が続きました。落ち着いて、パッキングを見直すなどして、宿で過ごしました。その翌日も雪でした。

翌日一日が安定して晴れそうだ、となった11月11日に、暑寒別岳に向けて入山しました。登山口の箸別避難小屋へ16km、積雪の道を進みました。5日前と違い、標高200m以降は積雪30cm以上で、スノーシューを履いて進みました。

暑寒別岳へ入山暑寒別岳

明日の天気を狙って暑寒別岳へ入山。5日前と全く違う雪の量に苦戦


日が出てくると溶けて、雪が重くなって進みにくくなりました。避難小屋まで、想定以上に時間がかかってしまいました。

箸別避難小屋

箸別避難小屋へ到着。5日前と積雪量の違いに注目!/翌日に備えて雪の踏み固めへ


翌日のための登山口からトレースを付けておきたかったのですが、2時間やってみたものの2合目より手前で引き返すことになりました。前シーズンは、翌日のためのトレースづくりはよくやっていたのですが、シーズンはじめは体が慣れていませんでした。歩荷しておいた薪をストーブにくべて暖を取り、食事して、翌日に備えました。

11月12日、暑寒別岳登山の日は、3時半起床で日の出前の5時20分に出発しました。雪が深く、ラッセル覚悟でした。ふかふか過ぎて進まないのではと思っていました。

前日2合目まで過ぎ、4合目まではペースよく、ゆとりを持って進めました。

11月1日、晴天の中を登っていくが・・・


7合目の雪原までは晴れていました。8合目から先は、雲に覆われてしまい、ホワイトアウトの中を進みました。この日は、南西の風が吹く気圧配置で、北側から登ってきたので、風が強いのは覚悟していましたが、急斜面を登ると強烈な風になりました。

7合目から見上げると山頂付近に雲が/8合目以降はホワイトアウトで視界不良に!


9合目では、さらに視界が悪くなりました。本来ならば目印用の竹竿なんかを持って行くのですが、今回は持っていなかったので、ストックを分割し、目印に置いて登っていきました。

暑寒別岳山頂

何日もねばって、ようやくたどり着いた暑寒別岳山頂だった


11時過ぎに登頂。ホワイトアウトで山頂からの景色を見られず、20分ほど待ちましたが、身体が冷えるので下山しました。暖かい7合目まで急いで戻り、ようやく昼ごはんを食べることができました。

避難小屋に戻って、もう一泊しました。暑寒別岳に、今年のうちに登ることができ、安堵感、達成感でいっぱいでした。

下山後の避難小屋

下山後の避難小屋にて。今年のうちに登っておきたかった暑寒別岳を終え、安堵の表情


翌日、避難小屋をきれいにして下山し、町役場に立ち寄り、無事下山したことの報告と、御礼を伝えました。麓は、極寒の暑寒別岳とは別世界の暖かさでした。

今回、11月に入っての暑寒別は、チャレンジしてダメでも仕方ない、登れなかったら、来年また来よう、下見ということでもよいと思っていました。宿に戻って、改めて、暑寒別岳を登頂できた達成感を噛みしめていました。

11月14日、増毛町を出発しました。

今年はもう登らない、富良野の実家に帰るだけ、と決めていましたが、来年登る284座目へのスタートでもあります。 160km先の富良野の実家に向けて歩きました。

富良野の実家に向けて歩いていく


11月17日には、高校時代を過ごした旭川市に、11月19日には、美瑛に着きました。旭川市で新型コロナウイルスの感染者が増えていたため、旧友との再会は断念せざるを得ませんでした。

美瑛駅を通り、富良野に入った


増毛町を出て、6日後の11月20日、3年ぶりに富良野の実家へ到着しました。

実家の秋田犬ハルくんがお出迎え


その後、11月下旬から1月にかけては、ひと月半、実家にいても、一日を通して山が晴れる日がありませんでした。実家から近い夕張山地、十勝連峰、どちらも縦走になるので、山中で安定した天候が3日は必要です。冬の間は登れないので、当面は実家で過ごし、旅は「一時停滞」となります。

 

取材日=2021年1月6日
協力=グレートトラバース事務局

 

関連リンク

人力20,000kmの山旅。日本3百名山ひと筆書きに挑戦中の田中陽希さんを応援しよう!
もっと知りたいという方は、ウェブサイトで。
グレートトラバース事務局ウェブサイト
https://www.greattraverse.com/

 

今回のレポートで登った山

樽前山 [10月20日]
樽前山

余市岳 [10月27日]
余市岳

暑寒別岳 [11月12日]
暑寒別岳

 

プロフィール

田中 陽希

1983年、埼玉県生まれ、北海道育ち。学生時代はクロスカントリースキー競技に取り組み、「全日本学生スキー選手権」などで入賞。2007年よりチームイーストウインドに所属する。陸上と海上を人力のみで進む「日本百名山ひと筆書き」「日本2百名山ひと筆書き」を達成。
2018年1月1日から「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦し、2021年8月に成し遂げた。

https://www.greattraverse.com/

田中陽希さん「日本3百名山ひと筆書き」旅先インタビュー

2018年1月1日から、日本三百名山を歩き通す人力旅「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦中、田中陽希さんを応援するコーナー。 旅先の田中陽希さんのインタビューと各地の名山を紹介!!

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