増加傾向にある「山の突然死」、登山者の心臓突然死の予防法。専門医/市川智英先生に聞く(第1回)

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「山に登り続けることが一番の健康法」というのは、登山者に限らず、多くの人が抱いている考えではないだろうか? ところが健康を維持するための登山の最中に、予兆もなく病気を発症し、そのまま命を落としてしまう例はしばしば見られる。今回からは、こうした「山の突然死」の原因や症状を確かめつつ、防ぐ方法を専門医に伺っていく。

 

少しずつ数を増やす病気による遭難

山の遭難というと、どのような状況を思い浮かべるだろうか? 最近は登山道を外れて現在地を見失い、身動きがとれなくなってしまう道迷いが多い。また斜面から滑落したり、岩場から転落しての負傷は遭難の典型だ。そしてもう一つ、総数は少ないながらも、近年少しずつ件数を増している遭難原因がある。それが「病気」だ。

警察庁は毎年6月中旬に、前年1年間の全国の遭難件数やその傾向をまとめた「山岳遭難の概況」を発表している。それを基に、2010年から2019年までの10年間の遭難件数と、その中に占める病気を原因とする遭難の比率を、グラフで示してみた。

図1 最近10年間の遭難数と、病気を原因とする遭難の比率


遭難原因の中で、病気が占める割合は概ね7%程度と大きな変化はない。その一方で、2019年までは遭難件数はほぼ増加し続けていた。それに応じて、山で発病して遭難する登山者の数にも増加傾向が見られる。

図2 病気を原因とする遭難数の推移


「令和2年における山岳遭難の概況」は現時点では発表前だが、新型コロナウイルス感染症の感染が拡大した昨年からは、遭難件数は大幅に減少していると思われる。したがって直近の傾向は判断しにくいものの、いずれ自由に登山ができるようになると、病気による遭難も増加していく可能性は十分にある。

 

登山中の病気で命を落とす人も少なくない

次に登山中の病気というと、どのようなものを思い浮かべるだろうか? 例年であれば、夏山シーズンになると多くの登山者が日本アルプスや富士山などを目指すようになる。それらの山々は、高山病を引き起こす可能性を持つ標高3000mクラスだ。そのため、まず考えられるのが高山病だ。

富士山の頂上で休む登山者たち


さらに登山中に風邪の症状が出る場合もあるだろうし、腹痛などを起こす人もいるだろう。しかし風邪や腹痛で命を落とすことは稀だし、高山病も症状が悪化すれば命を落とすこともあるが、標高を下げるなど適切に対処することで、致命的な状態は回避できる場合も多い。

したがって山での病気は、どちらかといえば遭難としての深刻度は低いイメージがある。ところが実際は、山で病気を発症して命を落とす人は、決して少なくはなさそうだ。国内有数の山岳県である長野県では、遭難態様別の死者数を公開している。それを基に毎年の死者数と、その中で病気を原因とする人の数を、グラフで示してみた。

図3 最近11年間の長野県の山岳遭難死者数と病気を原因とする遭難死者数


険しい稜線が続く長野県の山で遭難し、命を落とす人には転・滑落が多い印象がある。ところが病気で命を落とす人も毎年一定数以上はいて、多い年ではその数は16人に上る。この命を落とすほどの病気とは、いったいどのようなものなのか?

 

登山者の心臓突然死に警鐘を鳴らす

こうした登山中に発症する病気を分析し、登山者に対して予防を呼びかける医師がいる。北アルプスの登山口、松本駅のすぐ近くにある、松本協立病院に勤務する市川智英先生だ。

松本協立病院に勤務する循環器専門医の市川智英先生


市川先生は1980年生まれで、現在41歳。2006年に富山大学を卒業し、内科専門医、かつ循環器専門医として、日々患者の治療に当たっている。2012年からは登山にも積極的に取り組んでいて、夏の前穂高岳北尾根や、冬の赤岳西壁主稜など、バリエーションルートを登るクライマーでもある。2018年には国際山岳医の資格も取得している。

その市川先生は、長野県における山岳遭難死因を示し、次のように語る。

図4 2017年から2020年まで4年間の長野県における山岳遭難死因

 

「長野県は他県に比べて遭難時の死亡者数が多く、その比率も高いのが特徴です。上図は2017年から2020年まで4年間の、長野県内の山岳遭難死の死因を示したものです。半数近くの方が転・滑落などの外傷でお亡くなりになっていますが、その次に多いのが発病です。山の中であるため、正確な診断はされていないのですが、発症状況をみるとすべて突然死と思われます。さらに死因不明の中の11名も、突然死だった可能性が高く、それを加えると全部で37人、2割以上の方が、登山中に突然死で亡くなっていると思われます」


山で命を落とす病気のほとんどが、突然死であるとのこと。しかも4年間で37人とは、想像以上に数が多い。この突然死とは、どういうものなのか? 日本救急医学会のウェブサイトには、以下のように記されている。

通常の生活を営んでいた、健康にみえる人が急速に死に至ること。外因死(交通事故など)は含まれない。WHOの定義では、瞬間死あるいは発病後24時間以内の内因死とされている。(中略)成人の突然死の原因としては、循環器系疾患、とくに虚血性心疾患が最も多く、次いで脳血管疾患が多いとされている。

注:「虚血性心疾患」とは、心筋への血液が供給不足、あるいは全く供給されなくなった状態をいう。

これによると病気などを特に意識していなかった人が、瞬間に、あるいは症状が出た後1日経たずに命を落としてしまう症状だという。登山に発症した場合も、やはり心疾患が多いのだろうか?

「登山中に発症した突然死の、詳細な原因の検討は難しいのですが、登山ではない一般のスポーツ中の突然死の原因として、35歳以下では肥大型心筋症、心肥大、冠動脈奇形などが多いとされます。いっぽう35歳以上では、およそ80%が虚血性心疾患、いわゆる狭心症や心筋梗塞であったと報告されています(※1)。
突然死する人が多いスポーツとして知られているのは、マラソン(ランニング)です。やや古いデータですが、1948年から1999年の、東京都23区内におけるランニング中の突然死の報告数は118件でした。その原因は81%が心疾患で、大動脈瘤破裂と脳血管障害も加えた心血管系疾患は、96%を占めていたと報告されています(※2)。登山中に発症する突然死も、そのほとんどが心臓突然死であると推測されます」


山での突然死も、そのほとんどが狭心症や心筋梗塞などの心疾患とのこと。しかし急に命を落としてしまうほど、深刻な結果をもたらす病気であれば、事前の症状などから、予防することはできなかったのだろうか?

「長野県山岳総合センターと山岳遭難防止対策協会では、『長野県内で2013年に14人が心臓突然死で亡くなり、家族からの聞き取り調査では心臓病の既往を持った人は一人もいなかった』と報告しています。この報告からも、山中で心臓突然死してしまった方のほとんどは、自分自身が心臓病を抱えていることを自覚していないままに登山をしていたということが解ります」


心疾患の特徴として、自覚がないことを指摘する市川先生。確かに自覚症状がなければ、予防は難しい。それでも年齢が高くなると、心疾患を発症しやすくなるというイメージはあるし、高血圧の人もリスクが高いとも聞く。そのような、心疾患を発症しやい人の傾向はあるのだろうか?

「心疾患を起こしやすい一般的な傾向としては、高血圧や糖尿病などの生活習慣病が挙げられます。これらの生活習慣病は、運動不足が一因にはなりますが、適切な運動習慣を持っている人にも起こりえます。もちろん、日常的な運動習慣のない人は生活習慣病にもなりやすく、その結果、潜在的に心臓病を抱えている事が多いため、登山中の突然死リスクとなることが知られています。
一方で、運動している人、登山をしている人なら大丈夫かというと、ここまで見たように発症し、亡くなっている方が目立つのですから、そのようなことはありません。その他の傾向としては、2017年から2020年にかけての長野県の山岳遭難死の報告を見ると、突然死の約89%が男性でした。したがって、男性に多いと考えられます。
とはいえ女性も閉経すると男性と同様にリスクは上がりますし、女性特有の心臓病もあるため、安心とは言えません。年齢は、一部に例外はあるのですが50歳以上になると増えてきて、特に多いのが60代から70代です。もちろん喫煙の習慣も、リスクを引き上げます。
そして発症者は夏に増加します。暑くたくさん汗をかくことによって脱水状態になりやすく、血液の粘度が高くなるのが良くないのでしょう。心拍数が上がった状態で登り続けるのも危険です」


これから夏山シーズン本番を迎える時期だが、潜在的なリスクを持つ登山者は少なくなさそうだ。該当する方は、十分な注意が必要だろう。

しかしこれらのリスクファクターを意識することはもちろん必要だが、自覚症状のない心疾患を知ることはできない。そのような状況に対応するために、市川先生は松本協立病院で「登山者検診」を行なっている。体力レベルの客観的評価と同時に、心臓病のリスクを事前に察知することを目的とした、国内でも唯一と言える登山者のための検診だ。

次回からは、心疾患の種類と症状、そして発症した場合のファーストエイドの可能性、さらに「登山者検診」の詳細について、市川先生に引き続きお話を伺う。

※1:Murayama M, et al:Int J Sports Cardiol.1994;3:19-25
※2:畔柳三省、他:臨スポーツ医.2002;10(3):479~89

 

プロフィール

木元康晴

1966年、秋田県出身。東京都山岳連盟・海外委員長。日本山岳ガイド協会認定登山ガイド(ステージⅢ)。『山と溪谷』『岳人』などで数多くの記事を執筆。
ヤマケイ登山学校『山のリスクマネジメント』では監修を担当。著書に『IT時代の山岳遭難』、『山のABC 山の安全管理術』、『関東百名山』(共著)など。編書に『山岳ドクターがアドバイス 登山のダメージ&体のトラブル解決法』がある。

 ⇒ホームページ

医師に聴く、登山の怪我・病気の治療・予防の今

登山に起因する体のトラブルは様々だ。足や腰の故障が一般的だが、足・腰以外にも、皮膚や眼、歯などトラブルは多岐にわたる。それぞれの部位によって、体を守るためにやるべきことは異なるもの。 そこで、効果的な予防法や治療法のアドバイスを貰うために、「専門医」に話を聞く。

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