登山中の突然の心臓病への対策、生活習慣の改善が最大の予防法 専門医/市川智英先生に聞く(第4回)

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日常生活の中で心臓病を発症しても、無事に回復するケースは多い。また登山中に発症したとしても、回復できる人もいる。この場合、登山に復帰できるのだろうか? 心臓にまつわる病気の治療や予防策について、今回も専門医/市川智英先生に話を伺った。

 

山岳遭難の中で思いのほか多い、行動中に病気を発症しての突然死。そのほとんどが、心臓に不具合が生じたことによる心臓突然死と考えられている。

こうした人たちは、もともと心臓に不具合を持つ人だったり、体力に乏しい人だったりするイメージがあるものの、実はそうではないという。むしろ体力があって、急斜面を力強く登る人のほうが、心臓突然死を引き起こしやすいとされる。しかも発症するまで自覚症状はほとんどなく、一般的な健康診断から病気があることを知るのも難しい。

そのような心臓突然死を、予防するにはどのようにしたらいいのか? また発症後の治療と、登山への復帰の可能性についても、循環器専門医の市川智英先生に伺った。

★前回記事
第1回:増加傾向にある「山の突然死」、登山者の心臓突然死の予防法。
第2回:登山中の突然死をもたらす「虚血性心疾患」、その症状と対処法。
第3回:心臓病の潜在的な危機の兆候を知るために「登山者検診」を受けてみよう。

 

生活習慣の改善が最大の予防法

心臓突然死の原因となる狭心症や心筋梗塞は、心臓の冠動脈が狭まったり、詰まったりすることで発症します。そのような血管の不具合は、動脈硬化によって引き起こされます。

動脈硬化とは、正常な血管の中にプラークと呼ばれる脂肪の塊が生じた状態です。これは主に、生活習慣の結果として引き起こされるものです。

 

心臓突然死は様々な状況で起こり得るが、登山中は概ねこのような流れになる。
※1/激しい運動の目安になるのが、有酸素運動に無酸素運動が加わり始める「AT」。
※2/血流は残る狭心症であっても、心臓の血液が不足すると心室細動を引き起こすことがある。


心臓病の原因の大元は、健康に悪い生活習慣にあるという市川先生。悪影響をもたらすのは、どのような習慣なのだろうか?

一般的に言われている、運動不足や喫煙、不規則な生活、強いストレスが挙げられます。お酒も少量だったら健康に良いのですが、過剰に飲むのは良くありません。食事も大きな原因で、塩分の多いものを好んで口にするのは心臓病のリスクを引き上げます。

そのような習慣を長く続けると、高血圧や糖尿病などの生活習慣病となって現れます。それら生活習慣病をもっている方も、心臓病を発症しやすいことが解っています。したがってその心臓病を予防するには、生活習慣を改善することがとても重要になります。


一般的に気をつけるべきとされる生活習慣の注意を、忠実に守ることこそが心臓病を防ぐことにも結びつくという。

しかし習慣を変えるというのは、意外と難しい。特に飲食では、好みのものを口にすることでストレスを発散している人もあり、それを止めると逆にストレスが蓄積しそうだ。さらに良くない習慣がどれなのかも、気付いていない人も多い。

そして登山者の傾向として、運動をすることで生活習慣の悪い部分を解決できるのではないかと期待する人も少なからずいることだ。運動不足が良くないのだから、少々ハードな登山を定期的に実践していれば、食生活の悪影響も打ち消せるかもしれない、との考えだ。

もちろん、登山などの運動を定期的に行なうことは体に良い結果をもたらします。だからと言って、食生活の乱れまでを打ち消すことはできません。上で述べた悪い習慣をできる限り避けたうえで、塩分を控え目にし、タンパク質、食物繊維、ビタミン、ミネラルをバランス良くとる食事をするのが良いでしょう。

特に、魚に含まれるDHA(ドコサヘキサエン酸)やEPA(エイコサペンタエン酸)という成分には、動脈硬化を予防する効果が確認されています。魚が苦手な人であれば、サプリメントで摂取するのも一つの方法です。

また、高血圧を軽く考える人もいますが、放置すると心臓には良くありません。健康診断で血圧が高いとの結果が出たのであれば、高血圧の薬を飲んで血圧をコントロールするようにしてください。


当然のことながら、運動習慣だけで健康を維持するには無理がある。例え難しいと思えても、食生活を中心とした生活習慣を見直すのが大切ということだ。

 

アスリートにこそ多い心臓のトラブルもある

さらに市川先生は、不整脈についても指摘する。

狭心症や心筋梗塞とは別に、登山中に脈が不規則になったり、早くなったりする人もいるでしょう。おそらくその多くが、「心房細動」という不整脈の症状を発症していると思われます。突然死に至る心臓病ではありませんが、放置すると心不全や脳梗塞を引き起こすことがあるので、十分注意が必要です。

※ジョンソン・エンド・ジョンソン ウェブサイトより流用


心臓は、右心房の洞結節という部位から流れる電気信号によって動きます。その洞結節以外から異常な電気信号が発生し、心房の動きが乱れる状態が心房細動で、脈拍が不規則になったり、早まったりします。心房細動が起こると心臓のポンプ力が低下して、心不全を引き起こしてしまう可能性があります。

また心房内に血の塊(血栓)が生じやすくなるのですが、その血栓が脳に運ばれると脳梗塞を引き起こします。


筆者の年長の知人にも、ときどき不整脈が起きると口にする人がいる。不整脈が起きているときは苦しいが、しばらく休むと治るので、気にしないようにしているという。

しかも、その人は登山だけでなく、マラソンにも取り組んでいて体力はあるし、食事にも気を配っていて健康そうに見える。そのような人であっても、心房細動の可能性はあるのだろうか?

心房細動は若い人には珍しいのですが、加齢とともに増加する、中高年に多い病気です。特に激しい運動をすることにより、発症しやすいという特徴があります。マラソンや登山など、持久系のスポーツを続けることにより、心臓に対する負担が長年に渡って蓄積することが原因です。したがってその方が、心房細動であることは十分に考えられます。

持久系のプロアスリートは、一般の人に比べて5倍以上も発症しやすいという文献もあります。そのため、トレーニングをしっかり積んでいる登山者こそ注意しなければいけないと言えるでしょう。


ハードに運動を長く続けることによって発症しやすくなり、発症すると心不全や脳梗塞の引き金にもなってしまうという心房細動。軽く考えずに、体にそのような異変を感じたら、早目に病院を受診するのが間違いない。なお、不整脈は登山中でも、自分自身が手首の脈をとることで知ることができる。

自分で脈をとる方法


安静にしていても1分間の心拍数が100回から150回と多かったり、頻繁に脈が飛んだりして明らかに不規則の場合は、心房細動の可能性が高いとされる。症状が治まれば問題なく動けることも多いというが、基本は無理せず下山したほうがいい。

 

心臓病の治療とその後の登山の可能性

以前に伝えたように、狭心症や心筋梗塞が発症しても、山の中でできる効果的なファーストエイドはなく、できることは限られている。狭心症は痛みが治まった時点で症状の再燃がなければ、自力下山。心筋梗塞はその場で救助要請し、いずれも病院へ向かう。病院に搬送されたあと、どういった治療をするのだろうか?

狭心症は、心臓の冠動脈が、動脈硬化によって狭まることによって発症します。しかし冠動脈と一口にいっても、細い先端のほうと、大動脈に近い太い根元のほうとでは、心臓に及ぼす影響はことなります。


冠動脈の先のほうであれば、血をさらさらにする薬と、プラークを破れないようにする薬を飲んでの治療となります。

薬だけで治せないときは、「カテーテル」という細い管を手首から挿入して、動脈硬化がある箇所でカテーテルに着けたバルーン(風船)を膨らまし、それによってステントという金属でできた筒状の網を留置して血流を促します。

 

カテーテル治療によるステント留置。プラークによって血管が狭まった箇所にカテーテルを挿入し、装着したバルーンを膨らませてステント(金属の網)を広げて留置。正常な血流を取り戻す。


心筋梗塞は冠動脈が詰まった状態です。その詰まった箇所から先の心臓の筋肉は、刻一刻と壊死していく状態です。狭心症と同様に、カテーテルを挿入して冠動脈にステントを留置するのですが、時間との戦いであり、緊急に処置しなければいけません。


話を聞く限りでは非常に困難な治療に感じるが、このカテーテル治療は、全国の循環器の病院で実施されている、一般的な手術の方法なのだという。

ところで、もう一つ気になることがある。そのような治療を行った後の、登山復帰の可能性だ。

それは冠動脈の先端か根元かという、血管の部位や治療までにかかった時間によって変わります。根元に近いほうであったり、治療までに時間がかかれば、それだけ多くの心臓の筋肉が壊死します。そうなると心臓に大きな後遺症を残すことになるため、より慎重な見極めが必要です。

さらに発症した部位だけでなく、次に発症しそうな動脈硬化が、どの程度あるかにもよります。ほかにも、その人の運動耐容能(体力レベル)や、下半身の筋肉量によっても変わります。それらを総合的に見られる医師でなければ、登山ができるかどうかの判断は難しいかもしれません。

医師が、心臓に精通していることはもちろん、登山にも詳しくなければいけない。そうでなければ、おそらく登山は止めるように勧められるのではないでしょうか?


確かに、狭心症や心筋梗塞を一度でも発症したのならば、登山はやめたほうが良いと考えるのが普通かもしれない。

ところが市川先生は、患者さんが登山を続けたいというのであれば、再発を防げる範囲内で可能なレベルの登山を提案するようにしているとのことだ。

 

体に応じた取り組み方を選択できるのが登山

適度な運動というのは、生活習慣病のリスクを減らすうえに、心臓病のリスクも減らします。それに何よりも、健康寿命を延ばすことが解っているのです。運動はもちろん、登山以外でもかまいません。

けれども登山というのは、あまりストレスを感じずに楽しみながら運動できるという、大きなメリットがあります。登るスタイルを選ぶことで、体に対する過剰な負荷を避けることも可能です。

例えば登山をしない一般の患者さんに運動を勧めたとしも、なかなかできません。それが登山者であれば、積極的にハイキングコースに向かうなどして運動ができる。同じように心機能が悪い人であっても、登山をして足腰の筋力をつけている人のほうが、予後は明らかにいいのです。

せっかく登山という趣味を持って、運動を続けてきた習慣がある。それを病気を理由に止めてしまうのは、とてももったいないことだと思うのです。心臓病を持つ人の、リスクが高いのは事実です。しかしそのような人でも、適切に病状を評価することで登山を楽しむことは可能だと考えますし、山を目指す姿勢は、持ち続けてほしいと思っています。

 

それぞれの体調に合わせたスタイルで登山を続けたい


例え心臓病を発症した後であっても、治療をしつつ、登山を続けることを勧めたいという市川先生。実際に発症した方にとっては、とても励みになる、力強い言葉ではないだろうか。

医師であると同時に、登山者でもある市川先生。心臓病の方を治療するだけでなく、その後の登山についても的確なアドバイスで可能性を示してくれる。さらに前回紹介した登山者検診を通じて、登山者の心臓病の可能性を示すだけでなく、山での遭難そのものを減らすことにも取り組んでいる。

医療だけにとどまらない、積極的に登山者の安全と健康を守ろうとするその活動を、これからも応援し続けていきたい。

 

プロフィール

木元康晴

1966年、秋田県出身。東京都山岳連盟・海外委員長。日本山岳ガイド協会認定登山ガイド(ステージⅢ)。『山と溪谷』『岳人』などで数多くの記事を執筆。
ヤマケイ登山学校『山のリスクマネジメント』では監修を担当。著書に『IT時代の山岳遭難』、『山のABC 山の安全管理術』、『関東百名山』(共著)など。編書に『山岳ドクターがアドバイス 登山のダメージ&体のトラブル解決法』がある。

 ⇒ホームページ

医師に聴く、登山の怪我・病気の治療・予防の今

登山に起因する体のトラブルは様々だ。足や腰の故障が一般的だが、足・腰以外にも、皮膚や眼、歯などトラブルは多岐にわたる。それぞれの部位によって、体を守るためにやるべきことは異なるもの。 そこで、効果的な予防法や治療法のアドバイスを貰うために、「専門医」に話を聞く。

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