森が包むやさしい雨|北信州飯山の暮らし
日本有数の豪雪地域、長野県飯山市へ移住した写真家・星野さん。里から森と山を行き来する日々の暮らしを綴ります。第18回は、雨の日の森について。
文・写真=星野秀樹

山の雨は嫌いだ。
寒くて、冷たくて、厳しくて。おまけに視界もないので、仕事にだってなりゃしない。
服も靴も、ザックも機材も濡れ鼠で情けない。ほんとにもう、不快でイヤ。
でも、森の雨は違う。
ブナの葉を揺らし、幹を伝い、柔らかい土壌に深く染み込んでいく雨。
どこかやさしくて、親しげで、温もりすら感じてしまう。
それはいったい、なぜだろう。
雨の森を知ってから、僕は好んで雨の日に森を歩くようになった。
とは言え、車を降りて、濡れたヤブ道を森へと向かう時はやはり気が滅入る。正直言って濡れるのは嫌いだし、カメラを出すのも気が引ける。雨粒の付いたレンズをいちいち拭くのも面倒臭いし。
ああ、やっぱり今日は家に居ればよかった、なんて思う。でもそんな時、
キョロロロロー…。
沢沿いの林間から、アカショウビンの声がする。朱色をした、カワセミの仲間。雨に煙った森の中に、美しい鳴き声が染み渡る。毎年この梅雨時にしか声を聞かないせいか、僕にとって、雨の森とは切り離せない鳥。たとえ声の主が見えなくても、雨の森の住人の存在を感じるだけで、ああ、やはり今日はここへ来てよかった、と思うのだった。
ほどなく最初のブナの大木。
着物の紋様を思わせる地衣類を纏った幹を、雨水がトクトクと流れ落ちていく。樹幹流だ。
枝葉をたどって集まった雨水が、木の幹から根元へと伝っていく流れをそう呼ぶ。その際に、幹や地衣類などに付着していた有機物が水に溶け込んで、そのまま根元の土壌へと吸い込まれていくのだという。いま目の前で、雨が、木を伝って、土壌を育んでいる。

森の中は、こんな樹幹流ばかりでなく、水の流れに満ちている。
あまり雨の降り方が激しいと、土壌が吸い込みきれない水がいたるところで小さな沢を作り、森全体を巡る毛細血管のように広がりだす。時には小さな鉄砲水を出して暴れてさえいる。そんな多量の水を集めた源流の流れは、いつになく荒々しい様相を見せて、一路千曲川へと駆け下る。
いったいこんな日は、森の住人たちはどうしているのだろう。わざわざ雨の日に森にやって来る物好きな人間を、彼らはどう思って見ているのだろう。
森の中は、濃厚な匂いと、騒々しい音と、鮮やかな色に満ちていた。
湿った空気が運ぶ、土や水、木や草の匂い。
葉を、幹を、土を叩く雨音。森中の水が騒ぐ賑やかな沢音。梢を揺らす風音。
潤いに輝く葉っぱや、深く濃いコケの色。鈴玉のような水滴には初夏の森の色が映り込んでいる。
漂い流れる霧と雨は絶えず変化して、森は無限の広がりを見せている。見知ったはずの森なのに、まるで初めて来た場所のよう。見知ったブナの木々なのに、いつもより太く大きく、まるで巨人のように霧の中から姿を現す。
そんな森に覆われて、あてもなく雨の中を彷徨い歩いた。
僕に降る雨は、枝葉や幹から伝い落ちる雨。僕の足元を濡らすのは、土や枯葉が受け止めた雨。
まるで森にやさしく包まれて、冷たい雨粒から守られているかのよう。
だからきっと雨の日の森には、親しさや温もりを感じてしまうのに違いない。

●次回は8月中旬更新予定です。
星野秀樹
写真家。1968年、福島県生まれ。同志社山岳同好会で本格的に登山を始め、ヒマラヤや天山山脈遠征を経験。映像制作プロダクションを経てフリーランスの写真家として活動している。現在長野県飯山市在住。著書に『アルペンガイド 剱・立山連峰』『剱人』『雪山放浪記』『上越・信越 国境山脈』(山と溪谷社)などがある。
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