ラダックの今を見つめる紀行文  『インドの奥のヒマラヤへ ラダックを旅した十年間』

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評者=荻田泰永(北極冒険家)

インドの奥のヒマラヤへ ラダックを旅した十年間

著:山本高樹
発行:産業編集センター
価格:1430円(税込)

 

 世界のあらゆる地域がグローバリズムの波に覆われていく時代にあって、インド北部のラダック地方もその例外ではない。チベット仏教の伝統も、価値観も、すべてが揺らぎ始めている。

 私自身、カナダ北極圏を長年旅し、イヌイットの人々との生活を通して、失われてゆく先住民の文化と、それでも失われない魂を間近に見てきた。ラダックで起きているのは、失われゆくものの最前線だ。

 著者は10年以上にわたりラダックを旅し、時に長期滞在を繰り返している。カラコルム山脈に隣接したラダックは、標高4000m級の峠をいくつも越えた高地にある。秘境感漂う位置関係であるが、チベット仏教の仏塔が立ち並ぶ小さな村の茶店の冷蔵庫からは、コカコーラが出てくる。近年、道路網が急速に整備され、物と人の流入が激しくなっているという。それは同時に、流出にもつながるのだろう。

 誰しも便利な生活に憧れる。煩わしさや不便を機能的に解決することが良いこととされ、それが商売となった。いつしか商売人は人々が当たり前に受け入れていたことも「不便」というレッテルを貼ることで、社会的問題解決の名の下に世界を一様に塗りつぶしていくことを正当化してきた。

 チベット仏教の下で生きる人々は、深い祈りの中にいる。世界の潮流は、定量化できない祈りを機能の波で押し流していこうと試みるだろうが、決して人々の魂までは機能化できない。なぜなら、我々は人間だから。身体と祈りを抱えた人間が、ラダックには存在する。我々日本人は、どうだろうか?

 

山と溪谷2021年8月号より転載)

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