『山岳気象遭難の真実 過去と未来を繋いで遭難事故をなくす』に込めた強い思い、メッセージ

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山岳防災気象予報士の大矢康裕氏が、本連載を下敷きに書き下ろした著書「山岳気象遭難の真実 過去と未来を繋いで遭難事故をなくす」がいよいよ発売となる。大矢氏自身が語る、本書籍のみどころや、こぼれ話を紹介する。

 

ヤマケイオンライン読者の皆様、山岳防災気象予報士の大矢です。 大変ご無沙汰しております。この度、9月11日に私の初めての書籍となるヤマケイ新書『山岳気象遭難の真実 過去と未来を繋いで遭難事故をなくす』が出版されることになりましたので皆様にお知らせいたします。

これまでの山岳防災活動、そして2年間にわたる岐阜大学大学院研究生としての山岳気象研究の集大成です。登山関係の書籍ではこれまで誰もやったことがない研究領域にまで踏み込んでいます。ただし単なる解説書ではなく、「事故をなくす!」という私の強い思いをこめた渾身の一冊です。

気象に詳しくない方にも分かりやすい文章を心掛け、逆に気象に詳しい方、そして登山をされない方が読んでも十分に興味を持っていただけるように書きました。多くの方にお読みいただけますと幸いです。今回のコラム記事では書籍のポイントや苦労話・裏話をお伝えしたいと思います。

 

Twitterから始まったご縁

私の山岳防災活動と山岳気象研究の経緯は書籍のまえがきで書いていますので、ここではこの書籍を書くに至った経緯をご紹介したいと思います。元を辿るとそのご縁はTwitterから始まったのです。

私は2007年8月に気象予報士試験に合格した後、山岳防災のための「ペンギンおやじのお天気ブログ」を2010年12月に開設して11年目になります。遭難事故ゼロの思いに対してブログのアクセスが伸びず悩んでいたところ、2014年2月の南岸低気圧による大雪の時に、自らTwitterを有効に活用して豪雪に対する陣頭指揮に当たっている市長さんがいるというネット記事を見て、強い感銘を受けました。その市長さんが書籍のあとがきの謝辞に書かせていただきました、長野県佐久市の栁田清二市長です。それをきっかけとして私はより多くの人に山岳防災情報を伝えるためにTwitterを始めることにしました。

ここ最近のコロナ禍で在宅勤務になるまでは、勤務先のデンソーへの通勤電車の中で登山者目線での気象情報の発信をほぼ毎日続けました。その結果、フォロワーが順調に増え続けていった中で、私のTwitterがヤマケイオンラインの担当のTさんの目に留まり、2019年7月から毎月1回のペースでコラム記事を連載させていただけることになりました。

そして連載から1年ほどたったある日、Tさんから連載を書籍にしてみないかとの打診を受けました。自分の書籍を出すことは長年の夢であり、この機会を逃すと次はないと思って快諾しました。書籍の編集担当のSさんと幾度もメールでやり取りをして、紆余曲折の数か月を経て書籍化が正式に決定された時には、やったー!と叫びたくなるほどの嬉しさでした。このようにして書籍化へのご縁はTwitterから始まったのです。

 

「過去の山岳気象遭難」と「将来の気候変動」を結び付ける!

書籍化の決定までにどのような紆余曲折があったのか・・・、それがこの書籍の重要なポイントの一つですので紹介したいと思います。

書籍化の打診があった時点では、単にヤマケイオンラインのコラム記事を書籍としてまとめるというものでした。しかし、書籍化への道のりはそれほど甘いものではありません。それだけでは何のインパクトも新鮮味もないという話になり、将来の気候変動で山の天気はどうなるのかも書くという案が浮上しました。このようにして過去の気象遭難事故の解説だけではなく、将来の気候変動も書籍に織り込むという前例のないプロジェクト(企画)がスタートすることになりました。

過去の古い遭難事故の気象状況は解析が不十分なものが多い一方で、将来の気候変動による登山のリスクについてきちんと解説したものは見たことがありません。この企画をやるならば、過去の気象遭難事故と将来の気候変動による遭難リスクを別々にまとめるのではなく、テーマごとにまとめて「過去と未来を繋ぐ」ことが大切なことだと思い当たりました。その瞬間に「過去と未来を繋いで遭難事故をなくす」というキャッチフレーズが私の頭に浮かんできました。

そしてすぐに自分のTwitterのハンドルネームを「大矢康裕@山岳防災気象予報士(過去と未来を繋いで遭難事故をなくす)」に変えました。それが最終的には書籍のサブタイトルになりました。ちなみに、最初のサブタイトル案は「気候変動で山の天気はどう変わるのか」というものでした。

 

「過去と未来を繋いで遭難事故をなくす」に込めた私の思い

書籍の執筆のために調べれば調べるほど過去の気象遭難事故の多くは、正しい知識とそれを生かす判断力があれば防ぐことができたのではないかと感じています。気象災害もそうですが、「あらかじめリスクを想定して備えているかどうか」、「いざという時の行動を普段から考えているかどうか」が生死を分けています。

誤った判断が遭難リスクを高め、最悪は重大事故に繋がります。なぜ遭難事故が起きてしまったのか、どうしたら事故に遭わずに済んだのかを、「もし自分だったらどうするか」のように自分事として考えることが、過去の遭難事故の貴重な教訓を生かすことになります。

書籍のまえがきで触れていますが、私は実際に学生時代に自らの判断ミスによって重大な事故を起こしてしまったという痛恨の思い出があります。そして、いったん事故を起こすと多くの方に迷惑をかけることになることを身をもって体験しました。詳細は割愛しますが、この事故は私にとって深いトラウマとなって、長い間、心の奥に封印されていました。しかし私も歳を重ねるにつれて、冷静に事故のことを振り返ることができるようになり、この貴重な事故体験を、遭難事故をなくすために生かすことが私の使命だと思うようになりました。

「過去と未来を繋いで遭難事故をなくす」は、過去の遭難事故の貴重な教訓を掘り起こし、将来の気候変動によるリスクも踏まえて遭難事故をなくすというという文字通りの意味とともに、私自身の過去の事故体験をこれからの(未来の)遭難防止に役立てたいという強い思いが込められているのです。この書籍が単なる解説書ではない所以(ゆえん)です。

 

過去の遭難事故の気象状況を鮮やかに蘇らせることに成功

前述のように前例のない試みであったため、200ページを超える原稿を一から書き起こすことになりました。第7章までの各章で紹介する四季の気象リスクに対して、気象現象の解説、過去の遭難事例、気象解析とどうすれば事故を防ぐことができたのかの考察、将来の気候変動リスクの解説という四部構成にしました。これほど多くの遭難事例についてこのように体系的に扱った書籍は他にはないであろうと考えています。

まず、行ったことは過去の遭難事故の気象状況の再現です。ここ最近の遭難事故は気象庁のデータから詳細な解析ができますが、10年以上前には解析に必要な詳細データがないため、原因究明が不十分でした。そこで書籍では現在の技術を使って当時の気象データを再現したJRA-55(気象庁55年再解析)を使った解析を試みました。その結果、1967年8月の西穂高岳落雷事故や1963年1月の薬師岳豪雪遭難事故などの気象状況を鮮やかに蘇らせ、それに基づいた解説を行うことができました。このJRA-55による過去の遭難事故の気象状況の再現の試み自体が、前例のない画期的なものです。

しかし、困ったのはJRA-55のデータがない1957年以前の遭難事故でした。例えば、1913年(大正2年)8月に木曽駒ヶ岳で起きた『聖職の碑』遭難事故はまさにそうでした。中央気象台(現在の気象庁の前身)の古い天気図を解読して、遭難をもたらした台風の進路が当時の予報技術では予測できなかったことを突き止めました。そして当時の行動などについては、箕輪町ホームページのデジタルアーカイブ(右図)に詳しくまとめられていることが分かり、記事の参考にしています。あきらめずに色々と調べていけば道は開けるものです。

 

将来の山岳気象リスクを予測

次に将来の気候変動に関する文献や論文を手当たり次第に読み漁りました。その中で山でのリスクに繋がるものをピックアップして、分かりやすくまとめています。論文の文章や図は非常に専門的で分かりにくいため、一般の人にも分かるように要点をまとめ直して解説しました。一口に“気候変動”や“温暖化”と言っても、山では様々なリスクに繋がる可能性があることを知っていただけたらと思います。

意外だったのは、将来気候では中部山岳北部で豪雪の頻度が増える可能性があるという気象研究所の研究による報道発表でした。私自身でも同じデータを使って解析してみると、確かに100年後の将来気候でも中部山岳北部で豪雪になるケースがあることを確認することができましたので、その解析結果を書籍で紹介しています。

 

苦労話・裏話①
ボリュームと縦書き原稿に悪戦苦闘、コロナ禍を好機と捉えて活用

ここからは苦労話や裏話をご紹介いたします。まず200ページを超える原稿を執筆することは、私にとって全くの未体験ゾーンでした。さらに、これまではヤマケイオンラインのコラム記事のような横書きの原稿しか書いたことがなく、本当にてこずりました。

やってみれば分かると思いますが、横書きの場合は変換候補が横書きリストで表示されますが、縦書きの場合は縦書きリストになります(右図)。大したことないと思われるかもしれませんが、実際にやってみれば大変なことがご理解いただけると思います。縦書き原稿に慣れるのにかなりの時間を要したのと、試行錯誤で構成を考えながら書いたため、第1章を書き上げるのに約1か月半かかっています。

しかしこれも慣れの問題で、最後の方に書いた章は1か月もかからずに書き上げることができるようになりました。トヨタ系の部品メーカのデンソーで技術者としてのフルタイムの本業を別に抱えているサラリーマンとしては、このペースは自分で自分をほめてもいいのではと思っております。

後半に書籍の執筆が加速した理由がもう一つあります。2020年4月に入ってからのコロナ禍で、これまでにやったことがない在宅勤務を余儀なくされたということです。当然ながら本業の仕事は慣れない在宅勤務で悪戦苦闘しましたが、それでも会社のネットワーク回線が補強されて日々の業務がこなせるようになると、在宅勤務ならではのメリットが出てきました。往復2時間の通勤時間が浮いたのです。これを有効活用できたことも、書籍の執筆が加速できた大きな要因です。私にとってコロナ禍はまさに転機(ダジャレですが天気にも繋がる)でした。

 

苦労話・裏話②
分かりやすくするために、中学生に説明するイメージで書いた

次に苦労したのは、一般の人に馴染みのない気象の知識をいかに分かりやすく伝えるかということです。書き出しの1ページ目を編集担当のSさんに送ったところ、Sさんから「分かりにくい。中学生レベルをイメージしてほしい」と、ガツーンとやられました。

この一言で、10年ぐらい前に名古屋地方気象台主催のお天気教室の時に、小学生を前にして悪戦苦闘しながら講師を務めたことを思い出しました。小学生とまではいかなくても、中学生に分かるようにというのは実に良いアドバイスでした。的確なアドバイスをいただいたSさんには今でも感謝しております。

とは言っても、山の天気を語るためには高層天気図は欠かすことができないものです。なぜなら、山は平地よりも高いところにあって、山の天気は平地とは違うためです。実は私も昔は高層天気図を見るのも嫌でした。なので、高層天気図が大嫌いという人の気持ちは痛いほどよく分かります。

しかし、山は高所(高層)にあるということを実感として悟ると、私も高層天気図を見るようになってきました。『習うより慣れよ』で、書籍の遭難事例の解説を読むことによって高層天気図に慣れていくための手助けとなれば幸いです。もちろん、どうしてもダメという方はその部分を読み飛ばしていただいても全く構いません。それでも私が伝えたい肝心なことは伝わるはずです。

 

苦労話・裏話③
強力な助っ人登場 ―株式会社フィールド&マウンテン代表の山田淳さん―

出版の9月11日の1か月前に書籍の予約サイトが立ち上がった頃に強力な助っ人が登場しました。株式会社フィールド&マウンテン代表の山田淳さんです。七大陸最高峰登頂の最年少記録保持者(達成当時)で、世界で初めてノートパソコンを持ってエベレストに登り、頂上でノートパソコンを起動したというエピソードの持ち主です。

フィールド&マウンテン設立のきっかけは書籍でも取り上げている2009年7月のトムラウシ山遭難事故だったそうです。そんな凄い経歴の方から何とご自身のブログ「経営と登山の間」で、私のブログやTwitter、Facebook、そしてこの書籍の紹介までしていただいたのです。「登山好きなら抑えておきたい2つの天気情報」という記事です。少し抜粋させていただくと・・・

「なぜ?」まで教えてくれる大矢さん(ペンギンおやじ)の発信

大矢さんの発信は、ヤマテンほど地域/時間のメッシュが細かくありません。だから、直接登山の判断には使いにくいかもしれません。一方、天気予報の理由やソースまで紹介してくれています。なので、「天気予報」というよりは「天気情報」。

 これから自分で天気図が読めるようになりたい、とかもう一歩ロジックまで知りたい、という人には大矢さんの発信がおすすめです


私がブログやSNSで発信している情報の特徴をとてもよくご理解いただいた上に、書籍の宣伝までしていただけて、本当に涙が出るほど嬉しく、心から感謝したいと思います。

左:エベレスト頂上でノートパソコンを起動する山田淳さん(Facebook) 右:現在の山田淳さん(Twitter)

プロフィール

大矢康裕

気象予報士No.6329、株式会社デンソーで山岳部、日本気象予報士会東海支部に所属し、山岳防災活動を実施している。
日本気象予報士会CPD認定第1号。1988年と2008年の二度にわたりキリマンジャロに登頂。キリマンジャロ頂上付近の氷河縮小を目の当たりにして、長期予報や気候変動にも関心を持つに至る。
2021年9月までの2年間、岐阜大学大学院工学研究科の研究生。その後も岐阜大学の吉野純教授と共同で、台風や山岳気象の研究も行っている。
2017年には日本気象予報士会の石井賞、2021年には木村賞を受賞。2022年6月と2023年7月にNHKラジオ第一の「石丸謙二郎の山カフェ」にゲスト出演。
著書に『山岳気象遭難の真実 過去と未来を繋いで遭難事故をなくす』(山と溪谷社)

 ⇒Twitter 大矢康裕@山岳防災気象予報士
 ⇒ペンギンおやじのお天気ブログ
 ⇒岐阜大学工学部自然エネルギー研究室

山岳気象遭難の真実~過去と未来を繋いで遭難事故をなくす~

登山と天気は切っても切れない関係だ。気象遭難を避けるためには、天気についてある程度の知識と理解は持ちたいもの。 ふだんから気象情報と山の天気について情報発信し続けている“山岳防災気象予報士”の大矢康裕氏が、山の天気のイロハをさまざまな角度から説明。 過去の遭難事故の貴重な教訓を掘り起こし、将来の気候変動によるリスクも踏まえて遭難事故を解説。

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