「優秀な人」ばかりなのにうまくいかない組織と、そうでない組織との決定的な違い――アリが教えてくれること
コロニーと呼ばれる集団をつくり階層社会を営む「真社会性生物」の驚きの生態を、進化生物 学者がヒトの社会にたとえながらわかりやすく語った名著『働かないアリに意義がある』がヤマケイ文庫で復刊! 働かないアリが存在するのはなぜなのか? ムシの社会で行われる協力 、裏切り、出し抜き、悲喜こもごも――面白く、味わい深い「ムシの生きざま」を紹介する。

アリに「職人」はいない
人間の場合は一つの仕事をやり続けるとその仕事に熟練し、手際がよくなります。いわゆる「職人芸」というやつですが、ムシの世界でもこういうことがあるのでしょうか。
アメリカ・アリゾナ大学のドーンハウス博士らがムネボソアリで実験したところによれば、一つの仕事ばかりやり続けても、仕事の効率があがるわけではないという結果が得られています。
とすると、アリでは一つの仕事をやり続けることによる熟練はなく、ある仕事への偏向は初期に何を経験したか、だけで決まっているのかもしれません。
もし、社会性昆虫の個体のあいだに特定の仕事に対する「才能」の違いがあるとすると、才能のある者を向いた仕事に振り向ける別のメカニズムがあったほうが、有利になるはずです。しかしムシの場合はこのような複雑な制御をするよりも、能力差のない個体の集まりとしてコロニーがあり、誰がどの仕事をやろうともコロニーとしての効率に差が出ないようなシステムのほうが、コストがかさまないのかもしれません。
人間の世界でも、組み立て工程のような単純な作業では能力差は問題になりませんし、個々の能力を伸ばすためのコストのかかる教育もあまりなされませんが、状況に応じて適切な判断をくださなければならない組織運営のような複雑な業務については、企業は大変なコストをかけ、何年もの時間をかけて人材育成を行います。
人間と違い、高度な判断力をもたずに組織を動かすムシたちは、単純なメンバーを使ってシンプルなルールで組織を動かすことを選んだのではないでしょうか。
お馬鹿さんがいたほうが成功する
社会性昆虫では、どうやらメンバー間の能力差というものはあまりない、ということのようですが、もっと広く組織の性質の違いを見たときに、1匹1匹のワーカーの行動特性に差が現れるということはないのでしょうか。例えば属する組織の大きさによっても働き方は異なるのではないか、という仮説です。
一口にハチ、アリといってもそのコロニーの特徴は様々です。特にワーカー数の違い、すなわちコロニーサイズの違いは相当に幅があり、最もコロニーサイズが小さいものではわずか数匹のワーカーがいるにすぎません。一方、グンタイアリやシロアリの一部では、一つのコロニーのなかに何万匹ものワーカーが存在します。
人間の社会だと、零細企業では社員数が非常に少ないため、各メンバーが様々な仕事をこなし、互いに補い合えるようになっていないとうまく仕事が回りません。一方、大企業では様々な部署はそれぞれ専門的な仕事をこなしており、互いの仕事をほとんど知らない場合もあります。営業部と開発部では意見が合わないこともしばしばですし、むやみに人員を入れ替えたりしたら大変なことになるでしょう。
アメリカ・ハーバード大学のエドワード・ウィルソン博士はアリの社会で、コロニーサイズとワーカーの行動特性の関係について様々な種を比較して議論しています。
それによると、ワーカーが少ないコロニーのアリは動きがゆっくりしており、フェロモンによる動員をほとんどせずワーカーは1匹で行動する場合が多い、体のつくりが精密でボディの各パーツの狂いが少ない等の特徴が見られるそうです。
逆にいえば、ワーカーが多いコロニーを営む種類は個体の動きのテンポが速く、動員や行列形成を行い、1匹1匹を比較するとボディパーツの誤差が大きい、という特徴をもつことになります。ウィルソン博士は、ワーカーが少ない種類はより原始的な社会で、真社会性生物に進化する前にもっていた単独性の狩猟型ハチの生態的特徴を残しているのだと分析しています。
つまり、社会が複雑で、組織が大きなコロニーでは、メンバーを適材適所に素早く配置するための効率的な情報伝達法(フェロモンによる動員)が必要となり、小さい組織の場合とは逆に1匹1匹はコストのかからない粗雑なつくりで取り替えが利く存在にする、ということです。
個々の動きのテンポアップに関しては、「コロニーサイズが大きいと速く動かなければ非効率」なのか、「速く動く必要がある場合にはコロニーサイズが大きくなる」のかはよくわかっていません。ただ事実として大きなコロニーのワーカーはテンポが速い傾向があるということです。
人間の組織にたとえると、大会社ほど取り替えの利く人材を使ってスピーディーに動いている、というイメージでしょうか。
1匹1匹の動きの精密さということに関しては、別の面白い研究があります。広島大学の西森拓博士の研究グループは、仲間のワーカーのフェロモンを追尾する能力の正確さと、一定の時間内にコロニーに持ち帰られるエサ量の関係を、コンピュータシミュレーションを使って分析しました。
六角形を多数つないだ平面空間を、エサを見つけると仲間をフェロモンで動員するアリAが移動していると設定し、Aを追尾するワーカーには、Aのフェロモンを100%間違いなく追えるものと、一定の確率で左右どちらかのコマに間違えて進んでしまううっかりものをある割合で交ぜ、うっかりもの混合率の違いによってエサの持ち帰り効率はどう変わるかを調べたのです。
するとどうでしょう、完全にAを追尾するものばかりいる場合よりも、間違える個体がある程度存在する場合のほうが、エサ持ち帰りの効率があがったのです。
このようなことが起こる理由には、「間違える個体による効率的ルートの発見」という効果があるようです。
正確にAの後を追う場合は、最初の個体Aが見つけてきた曲がりくねったルートを正直にたどってエサが運ばれるのに対し、間違えるものがいる場合は、最初のルートをショートカットするような効率のいいルートが発見されることがあり、持ち帰り効率があがるようだ、とのことです。今度はそのうっかりもののフェロモンを追って、新ルートが使われるわけですね。
なんと、お利口な個体ばかりがいるより、ある程度バカな個体がいるほうが組織としてはうまくいくということです。人間社会に当てはめてみると、例えば、飛び込みの営業は失敗する確率も高いが、新たな販路開拓に有効なこともある、といったところでしょうか。
昔、保険会社のコマーシャルで、「人生1回きりだから、ボクチャン失敗コワイのよ。保険人生送れ~」と歌うものがあって、私はこれを聴いてその保険を選ぶ人がいるものだろうかと思ったことがありますが、冒険のまったくない人生が味気ないように、効率ばかりを追い求める組織も、実は非効率であったりするのかもしれません。
※本記事は『働かないアリに意義がある』を一部掲載したものです。
『働かないアリに意義がある』
今の時代に1番読みたい科学書! 復刊文庫化。アリの驚くべき生態を、進化生物学者がヒトの社会にたとえながらわかりやすく、深く、面白く語る。
『働かないアリに意義がある』
著: 長谷川 英祐
発売日:2021年8月30日
価格:935円(税込)
【著者略歴】
長谷川 英祐(はせがわ・えいすけ)
進化生物学者。北海道大学大学院農学研究員准教授。動物生態学研究室所属。1961年生まれ。
大学時代から社会性昆虫を研究。卒業後、民間企業に5年間勤務したのち、東京都立大学大学院で生態学を学ぶ。
主な研究分野は社会性の進化や、集団を作る動物の行動など。
特に、働かないハタラキアリの研究は大きく注目を集めている。
『働かないアリに意義がある』(メディアファクトリー新書)は20万部超のベストセラーとなった。
働かないアリに意義がある
アリの巣を観察すると、いつも働いているアリがいる一方で、ほとんど働かないアリもいる。 働かないアリが存在するのはなぜなのか? ムシの社会で行われる協力、裏切り、出し抜き、悲喜こもごも――。 コロニーと呼ばれる集団をつくり階層社会を営む「真社会性生物」の驚くべき生態を、 進化生物学者がヒトの社会にたとえながらわかりやすく、深く、面白く語る。
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