森で輝くキノコの季節|北信州飯山の暮らし

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日本有数の豪雪地域、長野県飯山市へ移住した写真家・星野さん。里から森と山を行き来する日々の暮らしを綴ります。第21回は、秋の味覚、キノコについて。

文・写真=星野秀樹

 

 

あっちへフラフラ、こっちへフラフラ。
森の中に横たわる倒木や枯れ木を見つけては、落ち葉に覆われた秋の森を彷徨い歩く。
ないなあ…。
いい加減歩き回っているのに、なかなか見つからない。だいたい「見つけてやろう」なんて欲ばかり強いのがいけないのかも。だから無欲を装って、何気ないそぶりで倒木の落ち葉をのけてみる。
すると、光り輝く宝石のようなナメコが、食べてくれと言わんばかりに、ブナの朽木を覆っていた。
これだから、秋の森歩きは楽しい。

10月半ばを過ぎて、段々と鍋倉山が色づき始めた頃。美しい山の紅葉はもちろん、おいしい山のキノコに呼ばれて森に入る。だいたい毎年ナメコが出る木は分かっているから、まずはそれを目当てに、なおかつそれ以上の収穫を求めて森を彷徨うのだ。
キノコは判別が難しいし、毒が怖い。でも同一の環境の中で、分かりやすいモノだけを選んで採っていれば、そんなにややこしい相手ではない。
だからこの森で採れる、僕が知っているキノコは限られる。ナメコ、ナラタケ、クリタケ、ムキタケ、ヒラタケ、ブナシメジ、ブナハリタケ、チャナメツムタケくらいのもので、でもそれだけでも、十分腹も心も満たされる。ついでに似ている毒キノコも合わせて覚えておけば安心だ。すなわち、クリタケとニガクリタケ、ムキタケとツキヨタケ、チャナメツムタケとカキシメジ、という具合に。

 

 

しかし子供たちにとっては、おいしいキノコよりも、恐ろしい死亡事故がつきまとう毒キノコのほうが魅力的らしい。中でも「デス・エンジェル」の異名を持つ、ドクツルタケや、シロタマゴテングタケなどはその比類なき残虐的殺戮行為により、子供たちからの絶対的支持を得る、まさにキノコ界のダークヒーロー。
「ねえねえ父ちゃん、あれを食べるとバケツ一杯分の血を吐いて死ぬんでしょ」とか、「食べると三日三晩苦しみ抜いて死ぬんだよ」とか、一度話して聞かせた恐ろしい話を、いつまでも飽きもせず繰り返す。確かに、なぜ自然界のものが、食べた人の内臓をズタズタにするほどの強い毒性を持つ必要があるのかと疑問を持ちたくなるけれど、子供にとってはこんな存在の方が興味深いらしい。そんなわけで子供たちが覚えるのは、まずは毒キノコから、というわけだ。

僕が最初に1人で判別して採ったキノコはチャナメツムタケだった。地元のツアーに参加した折に、たまたまガイドに教えてもらったのがこれで、以降図鑑で繰り返し眺め、そしてある日、1人歩きの森で見つけた。まず間違いない、と思うものの、やっぱり不安。それでも家に持ち帰り、意を決して1人で食べた。その時のなんとも言えない不安な気持ちは今でもよく覚えているけれど、同時に、初めてひとつのキノコを「物にできた」嬉しさも忘れられない。
ついでに言えばもう一つ。やはりこのチャナメツムタケを採って来て、いつもお世話になっている隣のばあちゃんに初めてあげた時の緊張も忘れられない。夜中に救急車が来たらどうしよう。朝になってもばあちゃんが起きてこなかったらどうしよう。そんな馬鹿馬鹿しい不安を抱きつつ、翌朝元気なばあちゃんの姿を見たときは、やっぱりほっとしたものだった。

そんなふうにして、自分で採って、食べて、時には人にあげて、わずかな種類ながらも「自分のキノコ」を増やしてきた。初めて食べるキノコはいつでもおっかなびっくりで、なんとも不安な気持ちにさせられるのも相変わらずだけれど、自然のモノを採って食べる楽しさは格別だ。
見上げれば眩いブナの紅葉。足元には宝石のように輝くキノコ。
森が、その隅々まで光輝く季節がやってきた。

 

 

●次回は11月中旬更新予定です。

星野秀樹

写真家。1968年、福島県生まれ。同志社山岳同好会で本格的に登山を始め、ヒマラヤや天山山脈遠征を経験。映像制作プロダクションを経てフリーランスの写真家として活動している。現在長野県飯山市在住。著書に『アルペンガイド 剱・立山連峰』『剱人』『雪山放浪記』『上越・信越 国境山脈』(山と溪谷社)などがある。

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