きのこを愛し、世界一きのこに詳しかった「伝説のきのこ博士」の正体

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

「世界中の誰よりもきのこに詳しかった"きのこ博士“の名著」藤井一至氏(土の研究者)推薦!
「地上に平和をもたらしたのは、きのこだったのだ」小倉ヒラク氏(発酵デザイナー)推薦!

きのこ学の第一人者、故・小川真氏がのこした名著『きのこの自然誌』。世界中のきのこを取り上げながら、きのこの不思議な生き方やきのこと人との悲喜こもごもについて語る「魅惑のきのこエッセイ」です。文庫化を記念して、本書からおすすめの話をご紹介していきます。第1回は、『土 地球最後の謎』の著者、森林総合研究所の藤井一至氏の解説を抜粋公開します。

 

 

つくばの研究所に向かって下駄をはいて自転車をこぐ白髪の男の姿に「ゲゲゲの鬼太郎」を見たと思った人もいたという。その〝鬼太郎〟は世界中の誰よりもきのこに詳しかった。この本の著者である。筆が立つだけでなく、筆をとってニコニコと絵を描く。その記録がこのエッセイと挿絵となっている。

森林総合研究所のどじょう部に所属された故小川真先生は私にとって大先輩にあたる。京都大学からヘッド・ハンティングされて研究所に移り、マツタケなどのきのこ研究を評価されて森林のノーベル賞と呼ばれるユフロ学術賞を日本人として初めて受賞したすごい研究者だ。

ただ、そんな経歴以上に、おしゃべりが楽しい。きのこの研究者、自然科学の語り部としてアイドル的な存在である。土を研究する私からすると、きのこの研究者は羨ましくて仕方がない。同じように地味な研究分野に思われるかもしれないが、きのこ研究は花形である。

まず、土とは違って美味しく食べられる。スーパーマーケットには、シイタケ、マイタケ、エノキタケ、エリンギ、ナメコ……と所狭しと並んでいる。お鍋や味噌汁に欠かせない具材であるため、きのこに興味のない人はいない。秋になればマツタケもお目見えするが、こちらは高嶺の花、どころか高値のきのこともいえる人気者だ。

そして、きのこには植物との「共生」という働きがある。きのこは森でよく育ち、森はきのこのおかげでよく育つ。落ち葉を分解し、木を腐らせ、森の中をめぐるいのちと物質の新陳代謝を担う。ある種のきのこは樹木を選んで共生し、栄養分のやりとりを行う。

分解者としての機能は、木造住宅を腐朽させる問題も引き起こす。共生タイプのきのこには毒を備えるものも多く、間違えて食べると食中毒のリスクもある。良いことも悪いこともあるが、いずれも生活やいのちと関わるきのこの重要性を示している。

さらに、きのこの魅力をもう一つ。私見だが、きのこはどことなく可愛い。一夜にしてニョキッと現れたと思ったら、すぐに消えてしまう奇妙さも魅力の一つだ。森の中や公園で見つけたきのこを図鑑やインターネットで調べる好奇心さえあれば、きのこ愛好家、研究者の仲間入りができる。この本に登場するきのこに出遭い、現象を目の当たりにすることができたなら、知識は感動に変わる。

「きのこ」という言葉は食材としてなじみ深いが、専門用語のきのこは少し定義が違う。自然界には、古細菌(アーキア)、細菌(バクテリア)、菌類(糸状菌)といった微生物が存在する。三つ目の菌類のうち、子のう菌の一部、担子菌のなかまが胞子を飛ばすために作った繁殖器官(子実体)をきのこといい、きのこを作る菌類のなかまを包括して、きのこという。

その他の菌類は、俗にカビと呼ばれる。きのこというと可食部にあたる子実体に目がいきがちだが、生物の本体はむしろ土の中に埋まっている極細の菌糸である。たった一立方センチメートルの土の中に多ければ数キロメートル、つまり富士山の高さに匹敵する長さの菌糸が張り巡らされている。

世界じゅうには博物館の標本や文献に記載されているだけで二万種ものきのこが存在し、実際にはその十倍以上もの種類が地球上に存在すると見積もられている。

 

きのこと人の結びつき

本書で特に感動したのは、きのこの胞子を運ぶ生き物たちだ。堆肥に適応して高温で発芽するヒトヨタケは、同じく堆肥の臭いに集まるハエを引き寄せて胞子を次なる堆肥に運んでもらうという。

きのこはナメクジやカタツムリの好物だが、胞子までは分解されず、それが菌根菌の拡散にも病原菌の拡散にも貢献するという。アラスカのリスはきのこをよく食べ、さらにドングリのように土の中に貯めこむという。

地下は凍土なので、冷凍庫で保管するようなものだ。温暖な日本ではキノコを土に埋めても腐ってしまうために、リスはきのこを土に貯蔵しようとしない。きのこの胞子なんて風で飛んで終わりだと思っていたが、ハエ、ナメクジ、リスなど多様な生物がきのこと「共生」している。

きのこを食べる私たちヒトもきのこの胞子の運び屋の一種かもしれない。
ちなみに、人類が栽培・飼育に成功した穀物や家畜について「彼らから見れば、ヒトを培養しているというかもしれない」という見方は、世界的ベストセラーとなった『サピエンス全史』(二〇一五年、ユヴァル・ノア・ハラリ著)で注目された考え方だが、それ以前にこの本で記されていることをおそらくハラリ氏は知らなかっただろう。

熱帯雨林の減少のような自然破壊、種の絶滅への危機感から、生態系の機能を人間にとっての価値として置き換える生態系サービスという概念が提案され、政治家や企業にむけて翻訳されてきた。持続可能な開発目標(SDGs)のような取り組みにもつながっている点で一定の役割を果たしている。一方で、生態系の価値、機能が貨幣のように足し引きできるものではないこと、生き物どうしの結びつき(生物間相互作用)にこそ生態系の真の価値があることをこの本は教えてくれている。

さらに、著者は海岸のクロマツ林や劣化した熱帯林の森林再生にも乗り出している。しかし、ただ木の苗だけを植えるだけでは枯れてしまう。劣化した土では、共生きのことのつながりも失われているためだ。

苗と一緒に共生きのこの菌糸を接種したり、母樹のまわりの土を移植したりしてやることで稚樹も定着しやすくなり、森林再生、緑化を促進することが可能となるという。
国立の研究所の職員として基礎研究から役に立つ社会実装まで幅広く手掛けた姿は、基礎的な積み重ねと誰かの役に立つことが両立可能であることを示してくれている。

子のう菌は春、テングタケ、ベニタケは夏、マツタケは秋、エノキタケは冬にきのこを出す。地中海では雷雨の後にきのこが多く出るという。多くのきのこが人工栽培され、年じゅう同じ価格できのこが手に入る時代にあってもなお、天然のきのこは季節の風物詩として私たちを楽しませてくれる。

気温一五~二三度のあいだの秋と一緒にやってくるマツタケ前線が日本列島を南下する話は、春に北上するサクラ前線のように魅力的だ。マツタケの人工栽培ができていないことも、人間が思うように制御できない生命現象の神秘なのだと思うと、スーパーマーケットで高嶺の花であり続けていてもいいようにすら感じさせてくれる。

故小川真先生の楽しい話を生で聴くことはできないが、数多くの著作が残されている。きのこ豊かな森やその木材から生まれる紙(本)は、人間よりも長く生きる。きのこ狩りで命を守る知恵も、マツタケの人工栽培の夢も、この本の読者に引き継がれることだろう。

※本記事は『きのこの自然誌』(山と溪谷社)を一部掲載したものです。

 

『きのこの自然誌』

ひそやかに光るきのこ、きのこ毒殺人事件、ナメクジは胞子の運び屋…
きのこ学の第一人者による魅惑のきのこエッセイ。


『きのこの自然誌』
著: 小川 真
価格:1188円(税込)​

amazonで購入


【著者略歴】

小川 真(おがわ・まこと)

1937年、京都生まれ。1962年に京都大学農学部農林生物学科を卒業、1967年に同大学院博士課程を修了。
1968年、農林水産省林業試験場土壌微生物研究室に勤務、森林総合研究所土壌微生物研究室長・きのこ科長、関西総合テクノス、生物環境研究所所長、大阪工業大学客員教授を歴任。農学博士。「森林のノーベル賞」と呼ばれる国際林業研究機関連合ユフロ学術賞のほか、日本林学賞、日経地球環境技術賞、愛・地球賞、日本菌学会教育文化賞受賞。2021年、没。

ヤマケイ文庫 きのこの自然誌

「世界中の誰よりもきのこに詳しかった"きのこ博士“の名著」藤井一至氏(土の研究者)推薦! 「地上に平和をもたらしたのは、きのこだったのだ」小倉ヒラク氏(発酵デザイナー)推薦! きのこ学の第一人者、故・小川真氏がのこした名著『きのこの自然誌』。世界中のきのこを取り上げながら、きのこの不思議な生き方やきのこと人との悲喜こもごもについて語る「魅惑のきのこエッセイ」です。

編集部おすすめ記事