極彩色の夢か、地獄の苦しみか…聖なる毒きのこが見せる不思議な幻覚

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きのこ学の第一人者、故・小川真氏がのこした名著『きのこの自然誌』。世界中のきのこを取り上げながら、きのこの不思議な生き方やきのこと人との悲喜こもごもについて語る「魅惑のきのこエッセイ」です。文庫化を記念して、本書からおすすめの話をご紹介していきます。第8回は、鮮やかな見た目で知られる毒きのこ、ベニテングダケの話。

 

黄色に色づきはじめたダケカンバの林のなかで色鮮やかなベニテングタケに出あうと、誰しも一瞬幻を見ているような錯覚に陥る。ベニテングタケはその形と鮮やかな色と奇妙な毒のために有史以前から人目をひき、さまざまな話題をふりまいてきた。

このきのこは世界じゅう最もよく知られたものの一つで、とくにヨーロッパ人にはなじみの深い菌である。ベニテングタケをかたどったロウソクや筆立て、飾りもの、アップリケや刺繍(ししゅう)などが必ずといっていいほどヨーロッパやアメリカの街角で売られている。

キリスト教の伝道以前にゲルマン人の土俗信仰にとけこんでいたともいわれており、人とのつながりが深い。
学名をアマニタ・ムスカリアという。

アマニタはシリアからキリキア地方にある山脈の古名アマヌスからきたもので、古代にはきのこの総称でもあった。ムスカリアというのはハエのことである。ドイツ名はフリーゲン・ピルツ、英名はフライ・アガリツク、フランス名はトウ・モウシュといずれもハエトリキノコまたはハエキノコのことである。

日本での産地、長野県ではアカハエトリと呼んで、昔はハエとりに使っていたという。ヨーロッパでは一説にこのきのこで中毒すると、気が狂ったようになるのでこの名がついたという。なぜかと思ったら、東ヨーロッパからロシアにかけて、ハエが体のなかにはいると気がおかしくなり、出るとなおるという迷信があったためだそうである。

このきのこははじめ土の中で白い球状の菌糸の塊になる。球のなかでしだいにきのこができ、卵ぐらいの大きさになると、白い袋を割ってまっ赤なかさが出てくる。じくの生長は早く、1、2日で大きくなる。かさの表面には袋のかけらがいぼのようにつき、白いじくの下にも袋の残りがついている。

古代人にとってある日突然出てくるきのこはまか不思議なものであったらしく、雨の後に出る色鮮やかなベニテングタケは神秘的な神様の使いのように見えたかもしれない。雨は天の神の精液、大地は生物を育てる性器であると信じていた宗教は中近東からヨーロッパの古代世界に広まっていたという。

袋のなかからのびあがって赤いかさをひらき、たべると幻覚を見るベニテングタケが、男根や交接を想像させ、聖なるきのことして崇あがめられたというのもありそうなことである。

紀元前3500年頃、アーリア人がインドへ南下したとき、ソーマという神聖なものをもってきたという。「リグベーダ(古代インドの聖典)」にはソーマによって神と交信し、時間や空間をこえて旅をするという奇妙な話が出ている。このソーマがベニテングタケのことらしいといったのはきのこの民俗学で名高いワッソン氏で、論文も出ているが、真偽のほどはわからない。

キリスト教の起源にもこのきのこがかかわっており、十字架の形もベニテングタケからきたという説がある。11、12世紀のフレスコ画には、エデンの園のリンゴの樹のかわりに、ヘビがまきついたベニテングタケを描いたものがあるのもおもしろい。

キリスト教以前のヨーロッパ世界にはゲルマン人独自の神話があり、そのなかにこのきのこにまつわる話が残っている。

戦の神ウォータンは冬になると、悪魔に追われて盲目の白いウマに乗り、供やイヌを従えて森のなかをかけぬける。ウマをせめるので、ウマは口から血の泡をふき、その泡の落ちたところから春にはベニテングタケが出てくるという。中世の北欧のバイキングたちも略奪や戦いに出る前にこのきのこをたべて景気をつけ、その勢いで暴れまわったそうである。

ベニテングタケの中毒は致命的ではない。先のワッソン氏が来日したとき、日本菌学会の先生方が一緒に試食されたが、2、3の人以外は中毒しなかったそうである。人によって感受性がちがっているが、心臓病の人にはよくない。12本以上たべると危ないともいうが、あの大きなきのこをそんなに無理してたべることもない。

味は濃く、軽井沢近くの人は酒に酔うよりも気持ちがよいといっている。たべて、1、2時間すると顔が赤くなり、目まいやけいれんを起こす。踊ったり、はねたり、暴れまわり、小さなものが大きく見えたり、幻覚を見たりする。人によっては内緒の話をぺらぺらとまくしたてるそうである。

幻覚の内容も人の性格や行ないでちがっており、ある人は天国でキリストや天使と一緒にいたといい、ある人は地獄に落ちて苦しんだといっている。行ないを正してからたべるべきかもしれない。こんな狂燥状態がすぎると死んだようにねむりこんでしまうが、めざめるとケロリとなおっているそうである。

ベニテングタケの毒物の研究の歴史は古く、1869年にはムスカリンという有毒成分が発見され、その後アトロピンでこの中毒が治ることも知られるようになった。

その後の研究によるとムスカリンの含有率はわずか0.00025パーセントと低く、この毒はむしろアセタケ属のきのこに多いことがわかった。

1960年代には東北大学の竹松氏らがこのきのこの仲間、テングタケからグルタミン酸ソーダより20倍も味の濃いイボテン酸という物質を発見した。しかし、イボテン酸は不安定で、毒性のムスキモールに変化しやすいために実用にはならなかった。

結局、ベニテングタケの毒はムスキモール、ムスカゾン、パンテリン、トリコロミン酸、アマニチンなど数多くの物質の複合作用らしい。イボテン酸はかさの皮に含まれており、乾かしたものでは毒性が強く、5、6年は効力がある。水やアルコールにとけやすいので、煮こぼしたり、塩づけすると毒が消えるといういい伝えもほんとうかもしれない。

このきのこをたべて酔っ払う習慣は1685年にシベリアへ流刑になったポーランド人の捕虜がヨーロッパへ伝えて以来有名となり、多くの人が見聞を残している。

カムチャツカ半島の原住民コリヤークはきのこの乾物をまるめてのみ下したり、スープにしたり、ベリーの汁にとかしてのんだりしていた。この習慣はかなり古くから根づいていたらしく、ロシア人の商人がきのこの乾物と毛皮を交換して大儲けしたらしい。

ベニテングタケやテングタケと同じようにたべると幻覚をみるものにシビレタケの仲間がある。ユカタン半島を征服したスペイン人がインディオの奇習として伝えたのが最初とか。その後ワッソン氏がくわしく研究して本を出版し、有名になった。インディオはこのきのこをたべて幻覚症状にはいり、神様のお告げを伝えるのだという。

勇気ある人が試したところによると、極彩色のとてもきれいな部屋にいる夢をみたという。しかし、別の人はバタリと手をついて「おかあちゃん、ごめんなさい」と平身低頭したそうだから、やはり日頃の行ないがものをいうらしい。

この毒は麦角(ばっかく)からできるLSDの効果と似ているので、一時アメリカのヒッピーのあいだできのこ狩りがはやったという話である。日本にもシビレタケやアイゾメシバフタケなど、サイケデリックな夢をみるきのこが出てくるが、君子危うきに近寄らず、まだ試したことがない。

 

※本記事は『きのこの自然誌』(山と溪谷社)を一部掲載したものです。

 

『きのこの自然誌』

ひそやかに光るきのこ、きのこ毒殺人事件、ナメクジは胞子の運び屋…
きのこ学の第一人者による魅惑のきのこエッセイ。


『きのこの自然誌』
著: 小川 真
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【著者略歴】

小川 真(おがわ・まこと)

1937年、京都生まれ。1962年に京都大学農学部農林生物学科を卒業、1967年に同大学院博士課程を修了。
1968年、農林水産省林業試験場土壌微生物研究室に勤務、森林総合研究所土壌微生物研究室長・きのこ科長、関西総合テクノス、生物環境研究所所長、大阪工業大学客員教授を歴任。農学博士。「森林のノーベル賞」と呼ばれる国際林業研究機関連合ユフロ学術賞のほか、日本林学賞、日経地球環境技術賞、愛・地球賞、日本菌学会教育文化賞受賞。2021年、没。

ヤマケイ文庫 きのこの自然誌

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