北アルプスの最深部・雲ノ平に続く道、伊藤新道復活に向けて

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伊藤新道復活への道

あまりに険しき環境ゆえに再整備は難しいとされてきた伊藤新道。この古道に再びスポットライトが当たろうとしている。三俣山荘の伊藤圭さんに、伊藤新道のいま、そして未来について教えていただいた。
※本記事は『山と溪谷』2022年5月号に掲載した記事をWeb掲載用に再編集したものです。

文・写真=伊藤 圭(三俣山荘) 構成=高橋庄太郎

 

初めて訪れた伊藤新道の記憶

私が初めて伊藤新道へ本格的に足を踏み入れたのは、高校1年生のときであった。それまでは、三俣山荘の先代である父・伊藤正一から「伊藤新道の道直しは危ないから、おまえはまだ手伝わなくてもいい」と言われ、行きたいと言っても断られていた。だが当時のスタッフのN氏とY氏が「泊まりがけで笹刈りに行くけど、君も来る?」と声をかけてくれ、とうとう私も同行することになったのだ。

大人の笹刈りがこんなに速いものなのかと衝撃を受けつつ夜を迎えると、N氏が「焼肉やるぞ」と言いだした。「ガスストーブとかないよな」と思っていると、彼らはなにやら河原の巨岩の下で焚き火を始めた。この火で焼くのかと思いきや、「そろそろいいか」と、2人で巨岩をひっくり返した。なんと岩焼きの焼肉だったのである。目の前にそびえる硫黄尾根の噴気地帯、湯俣川の激流の音。焚き火と焼肉のにおい。これが私の初めての伊藤新道の記憶である。

 

先代・伊藤正一に託された伊藤新道の復興

父が最後に伊藤新道を下ったのは83歳で、このとき私は父から「この道だけはなんとか残してくれや」と託された。父としては、伊藤新道は下界から雲ノ平へと続く唯一の道であり、黒部源流開拓の象徴でもあったのであろう。初踏破以来、私も魅入られ続けていた伊藤新道だが、ここ30年近くは荒れ果てて通行困難だった。しかしこのとき以来、本気で「さてどのように復活させようか」と考えるようになった。

伊藤新道

先代・伊藤正一氏が84歳のとき、最後に伊藤新道を下った際の写真。
このとき息子の圭さんに復興を託した

とりあえず、三俣山荘に近い場所だけでも草刈りはしておく。一年に一度、小屋閉めしてから下山するときにはスタッフ全員で歩く。休みがあればワリモ岳から、鷲羽岳から、弥助沢からと、あらゆる角度から湯俣川をめざし、妻とともに歩いてみたが、巨大な滝に阻まれて立ち往生したこともあった。

そしてわかったことは、この道は河川部においても、稜線部においても、鷲羽岳や硫黄尾根の懐を介して、その生態系を体感でき、一般の登山とは違う総合的な自然体験に満ちている場所だということ。また、道全般を通して地質が非常に脆く、恒久的な登山道として存在するには不安定すぎる場所だということだった。

伊藤新道

噴湯丘付近の河原から湯気が立ち上がる。
崩れやすい天然記念物の噴湯丘には近づきすぎず、大切にしてほしい

現在の日本の登山と登山道に求められるものは、第一には安全性だ。そこに冒険的要素が絡むことはない。もちろん、人の命がいちばん大事という観点から否定するものではないが、私が幼少のころから自然の摂理や山との付き合い方を覚えたのは、大部分は失敗体験からだったと思う。

あるときは遭難救助で夜中の行動となり、ヘッドランプの電池がすべて切れて真っ暗のなか、四つん這いで小屋まで行動した。あるときは沢でのへつりに失敗して鼻骨を骨折した。父の言うことを聞かずに突っ込んだ崖で立ち往生、などということもあった。いずれもその後にトラブルシューティングした上で、私の身になっている。

あらゆる自然体験ができる類いまれなフィールドへ 伊藤新道の意義ある復活を現代において考えたとき、いちばん大切になってくるのは、この道をあらゆる自然体験ができるフィールドにすることだ。ここからは、最低限の安全を確保しつつ、不安定な地質をクリアーして登山道の恒久化をめざすということはどういうことなのか、具体的に示したい。

  1. オリジナルでは伊藤新道に5本あった吊り橋を、管理の利便性と最低限の安全確保の観点から3本に絞り込む

  2. 吊り橋以外の徒渉箇所や河原歩きに関しては、通行者のルートファインディングに任せる

  3. 河川部と稜線部の境界地点にある通称「茶屋」という場所に、徒渉困難時の緊急避難、および登山道整備の資材置き場として避難小屋を設置する

  4. 湯俣川の水量を観測するカメラを数カ所に設置し、湯俣山荘にてモニタリングし、三俣山荘と共有して登山者にアナウンス。通行可否の目安とする

  5. 伊藤新道の維持・管理、専属ガイドの教育、ツアーの斡旋を行なう団体を立ち上げる

一般登山道というよりは、バリエーションルートに近い冒険性を残した道としての復活となるが、専属ガイドを用意するなど、誰でも訪れられる可能性を残した仕組みを心がけている。

伊藤新道

第1吊り橋上流100mの通称「ガンダム岩」。
事故も起きている難所で、高巻きはせず、岩の下をくぐり抜ける

 

伊藤新道の復活を生かした新たな北アルプスのエリア作り

伊藤新道を地図で俯瞰すると、その下端に湯俣温泉、入山口である高瀬渓谷七倉、さらに麓の大町市が見えてくる。このエリアは俗に「裏銀座」と呼ばれてきた歴史あるエリアだが、この20年ほど利用者は下降線の一途をたどっている。その理由はいくつかある。

  • 都市部からの公共交通機関の少なさ

  • 大町駅からの二次交通がタクシーしかない

  • 高瀬ダム建設時に登山者の入山が止まってしまい、その後戻らなかった

  • 大町市としての山岳観光の軸は立山黒部アルペンルートで、高瀬渓谷は目立たない

いくら伊藤新道が復活しても、入山しづらいのでは意味がない。そこで私は大町市に拠点を設け、行政と組んで、「地元自治体と協働した新たな山岳観光の枠組み作り」に挑戦し、高瀬渓谷からの北アルプスへの入山が魅力的なものになる方法を考えている。

その拠点が大町市中心部に先頃オープンした「三俣山荘図書室」だ。カフェを併設したこの図書室には山などの書籍がそろえられ、先代が撮影した写真も飾られている。同時にここは登山文化と都市文化が出会う場所であり、山小屋とギアメーカーや行政、地元の有志が寄り合って、北アルプスの次世代を作り上げていく議論の場でもある。

私がめざすのは〝町の町おこし〞と、登山者が北アルプスでより濃密な自然体験ができる〝フィールド作り〞という両輪だ。その核になるのが伊藤新道の復活というわけである。

【伊藤新道の予定図】伊藤新道の予定図

 

現在の伊藤新道の自然環境とその魅力

湯俣を起点に伊藤新道を出発すると、その自然と景観要素は大きく4セクションで構成される。

1セクション目は、湯俣から第3吊り橋までの「渓谷セクション」。硫黄尾根の熱水変質した花崗岩の赤茶けた岩肌が両岸に切り立ち、崖っぷちを五葉松が生えるさまは、さながら山水画のようだ。その中を〝湯俣ブルー〞と呼ばれる温泉成分を含む乳白色を帯びた明るいブルーの沢が流れている。水の成分が生命を寄せ付けないために苔も生えず、大変歩きやすい。

伊藤新道

温泉成分を含むため、「湯俣ブルー」と称される乳白色を帯びた
明るいブルーの沢が流れている

2セクション目は、第3吊り橋から展望台までの間、硫黄尾根の噴気地帯を目前に稜線に取り付いていく「絶景セクション」。道中随一の景観といえる。この噴気地帯は東日本大震災以降、たびたび水蒸気爆発を起こしており、どうやら地震に刺激されやすいようだ。そもそも噴気地帯とは火山ではないものの、マグマが地表に近い地点にあり、地下水が熱せられて温泉になったり噴気したりを繰り返している場所だが、その真っ白な岩肌は硫黄の成分。所々に噴湯丘があったり、結晶化した蛍光黄色の硫黄岩があったりするなかを、硫化鉄を含んだ真っ黒な熱湯が流れていたりする。さながら地獄だ。そんななかでも果敢に生き抜いているアサマブドウの紫、笹の明るい緑が差し色となり、生態系の妙が感じられる。この地帯からさらに奥に進めば火山ガス検知器が鳴りっぱなしになり、カモシカが死んでいることもある。

3セクション目は槍ヶ岳が美しい〝展望台〞から通称・庭園へ至る鷲羽岳の「原生林セクション」。この森は独立して東西に張り出した尾根で、日当たりがよく風も少ないせいか、標高2000mにしては見たこともないような巨木があり、朝日が当たる時間帯などは木漏れ日に包まれた至福のハイキングになる。この尾根の独特の形状は、歴史上ではごく最近とされる鷲羽岳の噴火がもたらしたものとされている。

4セクション目は鷲羽岳の懐をトラバースし、庭園から三俣山荘に至る「ハイキングセクション」。刻々と変化していく槍・穂高の眺めと、緩やかなU字を描く弥助沢の広がりが魅力。休みになると、子どもを連れてこの谷でのんびりするのが我が家の定番だ。

 

伊藤新道開通までの具体的計画と未来予想図

続いて、伊藤新道を再開通させるための具体的なアクションプランである。

  1. 2022年4月、クラウドファンディング、ふるさと納税による資金調達。昨年、新第1吊り橋は架橋済みなので、残りの吊り橋2本と桟道2カ所のための資金調達である。登山道に投資する資金は回収が難しいのが問題だ。

  2. 2022年5月、湯俣山荘の約35年ぶりの再開に向け、改修工事の開始。この小屋は伊藤新道の整備拠点や登山者の前泊・後泊の利用はもちろんだが、湯俣温泉を中心に大町市の新たな山岳観光、アウトドアアクティビティの拠点となる期待も担っており、アウトドアのライト層、ファミリー層にも対応する新しいスタイルの山小屋をめざす。

  3. 2022年10月、伊藤新道の新第2吊り橋・新第3吊り橋の架橋工事、および桟道・ハシゴの設置を開始。これが終了次第、伊藤新道を仮開通とする。

  4. 2023年、茶屋避難小屋建設、および周辺環境の整備、各種看板の設置。重要箇所にマーキングを行なった後、本開通させる。

沢歩きが行程の半分以上を占める伊藤新道は、ギア・ウェア選びから、ある程度の徒渉技術、増水時の撤退・停滞などの判断までが求められる。強烈な景観のなかで繰り広げられる、そうした自然体験が、やがて人々の暮らしの豊かさや、環境保全の思想につながっていくことを私は願ってやまない。

昨年、NHK BSプレミアムの番組で、この伊藤新道の復活が一部紹介された。そのなかで我々がなにげなくつぶやいていた次の言葉をあらためて聞き、われながら驚いてしまった。

「親父のことよくわかんなかったけど、今まったく同じことやってるな」

こうして始まっていく我々、三俣山荘の伊藤新道のディレクションにおける初期設定は間違いだらけかもしれない。だから、これからこの道を通る多くの利用者にも参加してもらい、どんどんブラッシュアップしていきたい。これはその長い道のりの始まりだ。

登山道の状況や湯俣山荘の営業など、最新情報は三俣山荘へ

三俣山荘では「伊藤新道」の調査のため古い写真を募集しています。お持ちの方は三俣山荘にご連絡ください。

ウェブサイト:https://kumonodaira.net/
電話:0263-83-5735

プロフィール

山と溪谷編集部

『山と溪谷』2024年5月号の特集は「上高地」。多くの人々を迎える上高地は、登山者にとっては入下山の通り道。知っているようで知らない上高地を、「泊まる・食べる」「自然を知る・歩く」「歴史・文化を知る」3つのテーマから深掘りします。綴じ込み付録は「上高地散策マップ」。

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