度重なる侵略、戦争の意外すぎる原因…ウクライナを翻弄する「奇跡の土」とは?

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河合隼雄学芸賞受賞・異色の土研究者が、土と人類の驚異の歴史を語った『大地の五億年』(藤井一至著)。土の中に隠された多くの謎をスコップ片手に掘り起こし、土と生き物たちの歩みを追った壮大なドキュメンタリーであり、故池内紀氏も絶賛した名著がオールカラーになって文庫化されました。

「土は生命のゆりかごだ!快刀乱麻、縦横無尽、天真爛漫の「土物語」」仲野徹氏(大阪大学名誉教授)。「この星の、誰も知らない5億年前を知っている土を掘り起こした一冊。その変化と多様性にきっと驚く」中江有里氏(女優・作家・歌手)。

著者の藤井一至氏が、ウクライナの「奇跡の土」について語ります(本記事は書きおろしです)。

 

 

ウクライナに集中するすごい土

現在戦禍に見舞われているウクライナには、世界で最も肥沃な土「チェルノーゼム(チェルノは黒い、ゼムは土の意)」が分布しています。世界の土は大雑把に12種類に分類することができますが、チェルノーゼムは陸地面積の7%を占めます。

世界のチェルノーゼムの3割がウクライナに集中しており、日本には存在しません。チェルノーゼムと、日本にある「黒ぼく土」(火山灰土)はどちらも黒い土で見た目は似ていますが、黒ぼく土は酸性、チェルノーゼムは中性です。酸性の土よりも、中性の土で作物はよく育ちます。

肥沃な土は地球上に局在し、私たちは生まれた地域の土を選ぶことはできません。また、土は簡単には変えられませんし、重いので植物のタネのように移動もできません。このため、より広い農地、より肥沃な土を求めて列強が進めたのが植民地政策であり、戦争であり、水面下では肥沃な土地の買い占め(ランドラッシュ)も進行しています。

チェルノーゼムは、ロシア南部からウクライナ、ハンガリーなどの東欧、カナダ、アメリカのプレーリー、アルゼンチンのパンパ、中国東北部に広く分布しています。乾燥した草原下にできる黒い土であり、そこを畑にすると小麦の大穀倉地帯となりました。

ウクライナは、とくに「ヨーロッパのパンかご」と呼ばれるほど、小麦の大産地です。近現代史を通して、ウクライナがドイツ、ロシアのターゲットとなった理由の一つは、土にあるのです。

 

世界の食糧庫のゆくえ

土の違いは、食糧生産力に厳然たる格差をもたらします。ウクライナをはじめとするチェルノーゼム地帯を中心に、世界の肥沃な畑が分布する面積は、陸地の11パーセントにあたります。たった11パーセントの陸地で、世界人口の8割、60億人分の食糧が生産されているのです。

第二次世界大戦中、ナチスドイツ軍はウクライナの土を貨車に積んで持ち帰ろうとしたといいます。ドイツは慢性的な食糧難に苦しんでいました。

ちなみに、ロシアの国土の大部分は永久凍土と酸性土壌(泥炭やポドゾルなど)が占めており、ロシア民話『おおきなかぶ』には、一粒のかぶを大切に育てる貧しい農民の暮らしと、厳しい自然環境が見てとれます。ロシア国内で最も豊かな農場があるのは、やはりウクライナと近い黒海周辺のチェルノーゼム地帯です。

より温暖で肥沃な畑を求める大国の思惑が、ウクライナを翻弄してきました。

 

チェルノーゼムと平和の願い

チェルノーゼムは、戦争以前から、さまざまな問題に直面しています。水不足による塩類集積や土壌侵食、腐植(動植物遺体の腐ったもの)の減少といった土壌劣化の問題です。

草原を畑に変え、土を耕すようになると、団粒(腐植と粘土が団結して団子状になった土)が砕けてしまい、内部の腐植が分解されやすくなります。北米では、肥沃な黒い土の層が半分になったといわれます。収穫量が低下するだけでなく、腐植の分解は、大気中の二酸化炭素濃度増加の一因ともなっています。

そこで、ウクライナでは土壌保全に配慮し、有機農業、環境保全型農業志向の強いEU圏の消費者をターゲットにした作物生産を始めていました。土壌保全には、生産性の改善、水質の改善、生物多様性の増加に加え、大気中の二酸化炭素を腐植として土壌に貯留することで温暖化を緩和する効果もあります。

しかし、塹壕戦や遺体埋葬の映像に映りこむチェルノーゼムは、土壌保全は平和を前提としていることを物語っています。

世界人口が増え続ける中、世界の農地面積は頭打ちです。肥沃な土を劣化させている場合ではありません。戦争とは、人道に悖(もと)るとともに、環境負荷の極めて大きい破壊行為です。

弾薬には大量の重金属(鉛、ニッケル、亜鉛、銅)が使われており、いったん汚染されると、除染は容易ではありません。同じウクライナのチェルノブイリ原子力発電事故の汚染地域のように、安全な作物を生産できない土になってしまいます。

肥沃な土を求める侵略行為、植民地化、土地の買い占めに共通する土のリスクは、その土地の土との付き合い方を知らない人々が新たに入植して土を耕し、土壌劣化後には無責任に放棄されることです。どんなに土が肥沃でも、その強みと弱みを知らなければ、うまく使いこなすことはできません。

ウクライナの人々が土壌保全を配慮しながら農業のできる日常が戻ることを、チェルノーゼムは静かに待っています。

 

『大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち』

河合隼雄賞受賞・異色の土研究者が語る土と人類の驚異の歴史。 土に残された多くの謎を掘り起こし、土と生き物の歩みを追った5億年のドキュメンタリー。


『大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち』
著:藤井 一至
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【著者略歴】

藤井一至(ふじい・かずみち)

土の研究者。1981年富山県生まれ。 2009年京都大学農学研究科博士課程修了。京都大学博士研究員、 日本学術振興会特別研究員を経て、国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所主任研究員。 専門は土壌学、生態学。 インドネシア・タイの熱帯雨林からカナダ極北の永久凍土、さらに日本各地へとスコップ片手に飛び回り、土と地球の成り立ちや持続的な利用方法を研究している。 第1回日本生態学会奨励賞(鈴木賞)、第33回日本土壌肥料学会奨励賞、第15回日本農学進歩賞受賞。『土 地球最後のナゾ』(光文社新書)で河合隼雄賞受賞。

 

■関連リンク

『大地の五億年』文庫化!土の研究者・藤井一至 トークショー@青山ブックセンター
6月25日(土)18:00~
https://aoyamabc.jp/collections/event/products/earth


「土」から巡る驚異の5億年、「土」と「生き物」の未来。@Lateral ※オンライン
7月16日(土)21:00~
https://twitcasting.tv/lateral_osaka/shopcart/160597

大地の五億年

河合隼雄賞受賞・異色の土研究者が、土と人類の驚異の歴史を語った『大地の五億年』(藤井一至著)。土の中に隠された多くの謎をスコップ片手に掘り起こし、土と生き物たちの歩みを追った壮大なドキュメンタリー。故池内紀氏も絶賛した名著が、オールカラーになって文庫化されました。

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