日本3百名山ひと筆書きから世界のアドベンチャーレースへ チームイーストウインドのキャプテン・田中陽希さんの次なる頂とは?

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2021年8月、3年7ヶ月に渡る「日本3百名山ひと筆書き」の挑戦を終えた田中陽希さん。現在は全国各地で講演会を重ねながら、長年所属するチームイーストウインドの新キャプテンとしてアドベンチャーレースに復帰している。今年5月には米国オレゴンで開催された国際レースに参戦。9月中旬からはパラグアイで開催される世界選手権に出場予定だ。キャプテンに就任してからの活動やこのほど上梓した『日本3百名山ひと筆書き 田中陽希日記』に込めた想いを聞いた。

文=千葉弓子(GRANNOTE)、写真=田中陽希

 

キャプテン就任後の初レースはほろ苦かった

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2021年8月2日、利尻山登山道からの大パノラマ。正真正銘のラストマウンテンを登る

— 2022年1月1日からチームイーストウインドのキャプテンに就任されました。まずはキャプテンとしての抱負、今のお気持ちをお聞かせください。

田中:昨年10月、これまで20年以上キャプテンとしてチームを牽引してきた田中正人さん(以下・正人さん)からキャプテン交代の話を聞き、2ヶ月程かけて、チームの方向性などをすり合わせてきました。最初に話を聞いたときは「いよいよこの時がきたか!」と感じましたね。僕が日本3百名山ひと筆書きに挑戦していなければ、もう少し早く引き継いでいたのかなとも思いました。

コロナの影響でこの2年間、国際レースが開催されなかったこともあって、チームは少し中だるみのような状態でした。まだ条件つきではありますが、ようやく国際レースに出場できるようになって、ありがたいことだなと感じています。

当初はキャプテンについて、もっと簡単に考えていました。正人さんもチームに残って、少しずつ教わりながらキャプテンとしての役割を移行していくのだろうなと思っていたのですが、蓋を開けたらほぼ丸投げで(笑)。正人さんやチームプロデューサーの竹内さん(田中正人夫人)からは「ヨーキならできるから大丈夫だよ」と評価してもらっていたようなのですが、僕自身はいきなり放り出されたような感覚もありました。

今年5月に出場した国際レース「エクスペディション・オレゴン」では準優勝しましたが、キャプテンとしては課題が残りました。僕自身、レーサーとしての経験は豊富ですが、キャプテンとしての役割となるとまた別物でしたね。これまでは自分のパフォーマンスに集中すればよかったものが、キャプテンとしてチーム全体も見なければならないとなると、どうしても自分のことがおろそかになりました。あまりにも責任を強く感じすぎて潰れちゃったというか、正直レースそのものを楽しめない状況でした。

— 陽希さんにとって5年ぶりの国際レース出場だったわけですよね?

田中:そうです。やはり忘れていることが結構ありましたね。でも初出場で予想以上のパフォーマンスを発揮したメンバーもいましたから、ブランクは言い訳にならないと思っています。

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南米パラグアイで開催される世界選手権に挑む、チームイーストウインドのメンバー4人。左から、米本瑛、神谷理紗、小倉徹、田中陽希(写真提供=イーストウインド)
— オレゴン前後でご自身の中でのキャプテン像も変わりましたか。

田中:ずいぶん変わりました。結果として2位という好成績でしたけれど、レース内容は悲惨で、中身の詰まっていないハリボテのような勝ち方でしたので責任の重さを痛感しました。ほかのメンバーはそれぞれ役割もしっかり理解して、ゴールまで精一杯がんばっていたんですけれど、僕はよくなかったですね。体力的にではなく、キャプテンとしてのチームとの関わり方が身勝手で空回りしていました。とにかくこれ以上ないぐらいほろ苦いスタートでした。だから、レース終了後の2ヶ月は精神的に辛くて、あらためてチームプレーの難しさを感じました。

アドベンチャーレースではレギュレーション上、キャプテンを必ず一人決めなければいけません。日本ではリーダーというと司令塔をイメージすると思うんですけれど、僕はそうではなくて、メンバー誰もがキャプテンになってもおかしくないようなチームであるべきだと思っています。

レース中、キャプテンが怪我をして充分に動けなくなる可能性があるのがアドベンチャーレースで、そういう時にはほかのメンバーが支柱となってゴールまで導くということも、過去のレースでは実際に経験しました。

だから「もし自分がキャプテンだったらこういうときにどうするか、常に考えてほしい」とメンバーには伝えていました。もちろん経験値や考え方によってチームの意志が一致しないこともあるわけで、そういうときにキャプテンは「こうするべきだ」と最後の方向指示を出せる存在であればいいのかなと考えていました。

ところが、長年のチーム内での自分の立ち位置が骨身に染みこんでいるからか、オレゴンのレースではつい先頭に立ってぐいぐい引っ張ってしまって。そういうキャプテンもほかのチームにはいるんですけれど、イーストウインドではこれまでキャプテンがいちばん最後尾で、2番目に経験豊富なメンバーが先頭に立って勢いを維持するスタイルでやってきたんです。

7年かけた挑戦の経験をどうチームに活かすか

— 思っていた流れとは違ったわけですね。

田中:そうですね。キャプテンである以前にアドベンチャーレーサーとしての自信もなくしました。帰国してからの2ヶ月は、自暴自棄のような感じでした。日本百名山の開始から数えると7年、三百名山だけでも4年近くかけて挑戦してきたのに、何一つレースに活かせなかったことが正直ショックでした。自分の中でも自負がありましたけれど、蓋を開けてみたら、学んできたはずのものが身についていなかったことに気づかされて、自信がズタボロにされた感じです。

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2018年5月21日、最高の条件のなかで歩いた三嶺から剣山に向かう稜線

それでレース後、メンバーにも「キャプテンとしての役目が重荷だ」という言葉を発してしまいました。それが話せるのがチームであって、キャプテンでも弱い部分をさらけ出すのは必要なことです。

— メンバーの皆さんの反応は?

田中:「そうですか……」みたいな感じでした。分かってくれている部分もあると思うのですが。

— 現在はその状態から変化してきた感じでしょうか?

田中:少しずつではありますが、立て直してきましたね。ただ僕が8月に体調を崩し、積みたかった練習が積めなかったこともあり、まだ本調子とは言えません。9月のレースに一緒に出場する女性メンバーに救われた部分もあります。彼女は選考会を経てメンバーになったばかりなので、初めてのことだらけなんですけれど、とにかく明るくて前向きなんです。

人は本当に不思議ですね。常に変化しているので、これまでできたことができなくなったり、できるようになったりして。正人さんは20年以上キャプテンを務めてきたわけで、聞いてみたいですね。「キャプテンはこういうものだと掴めたのはいつですか?」って。

僕は2代目キャプテンになるわけですけれど、これから何年できるのか。正人さんのように50歳までキャプテンを続けるのか正直わからないです。10年後に振り返って「長く続けることができてよかったな」と思えればいいですね。とにかく1年1年が勝負ですから、今はもう目の前にある世界選手権に向けて全力を傾けているところです。もう少し気負いをなくし、キャプテンであることを忘れるくらいの状態でレースに出られたらいいなとは思っています。

次のレース目標は「とにかく全員が最善を尽くすこと」

— メンバーの方たちは陽希さんに何を求めているのでしょう?

田中:それぞれ違いますね。でもキャプテンのイメージ像を求められるのは違う気がします。キャプテンに理想を抱くのは身勝手な気がするんです。レース後、正人さんには「陽希は裏方に徹しなさい」と言われました。「もっとほかのメンバーを引き立てて目立たない存在になったらいいんじゃないか」と。

— オレゴンではご自身の中で葛藤がありつつも、結果は準優勝という素晴らしいものでした。いろいろな課題が見えてきて、いま次のレースに向かおうとしているわけですが、手応えはいかがですか?

田中:正人さんがいないチームというのは初めてのことですから、どうなるか。やっぱり正人さんは知識も豊富で経験値も高いですから、そこにいるだけで空気が違うんですよ。その状態から早く脱却しなければいけないということで、当初予定していなかったパラグアイの世界選手権出場を決めたんです。オレゴンでの準優勝の結果を受けて、招待チームとしてエントリーすることができました。

そうですね、手応え……。どうなるかは出場してみないとわからないですね。世界選手権はハードルも高いですし、これまで行ったことがない国でどれくらいできるのか。ハードルが高い分、国際レース初出場のメンバーにとってはインパクトある経験になるのではと思っています。

— 具体的には?

田中:チームとしては常に国際レース優勝をめざしていますけれど、いまはそこじゃないんですよね。チームとして長い目で見てメンバーの経験値を積んでいくこと。レースを思い切り楽しんで、いまの力を目一杯発揮することですね。僕個人としては優勝をめざしたい気持ちがありますよ、可能性もゼロではないですから。そう意識することで一人ひとりの取り組み方も変わってきますし。ただ、順位を気にしすぎるとチームがギクシャクすることもあるんです。アドベンチェーレースでは何日も一緒に行動するので、そのあたりも難しい。とにかく今回はそれぞれが最善を尽くすことにフォーカスしようというのがメンバー全員の共通認識です。

— 今回、正人さんはご同行されないのでしょうか?

田中:今回は日本から応援してくれます。「ライブ配信で実況しようかな」なんて言っていますよ。

これまでの旅の集大成となる一冊

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2021年7月26日、天塩川川下り5日目。5泊6日の計画で日本海をめざした
— 今回上梓された書籍はこれまでの3つの旅の集大成のような位置づけと感じます。いまあらためて旅を振り返って、どんなお気持ちでしょうか。

田中:だいぶ昔のことのように感じますね。書籍の大きさと厚みが、まさに3年7ヶ月の月日を表現しているなと思います。旅の間ずっと、「この旅が自分の挑戦の集大成だ」という気持ちで歩いてきましたから、それが一冊の本として目に見える、手に取れる形になり素直に嬉しく思っています。本のカバーに「田中陽希」が多すぎて、ちょっと気恥ずかしさはありますが(笑)。これまでの百名山、二百名山とは明確に違う旅だったので、それが本の大きさや表紙、内容すべてを通して目に見える形になっている気がします。

— 過去2つの旅と三百名山の違いは何でしょうか。

田中:わかりやすくいうと100m走とフルマラソンの違いです。百名山と二百名山はゴールが見えた状況でスタートを切っている感じで、それくらい短期決戦でした。一方、三百名山はゴールが見えない状態でスタートしました。一歩一歩、着実に進まないとゴールラインが見えてこない、そんな感覚でした。とにかく毎日を充実させて後悔しないように歩いてきました。後悔しそうなときには立ち止まってもう一度登ったり、あらためて違う日に登ったりしてきました。

自己の確立、チームへの還元は達成できたと思う

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2022年4月23日、全行程を通じて最難関といえる日高山脈の雪稜を縦走する
— 「日本百名山ひと筆書き」の挑戦を発案したのは、イーストウインドのメンバーとして自己の確立をめざしてのものでした。ほかにもアドベンチャーレースの認知度を高めたいという想いもあったと伺っています。

田中:結果として、その目標は充分に達成したと思っています。たくさんの方にアドベンチャーレースについて知ってもらうことができましたし、それを生業とするアスリートがいることも、イーストウインドというチームがプロとして長年活動していることも知ってもらえたと思います。

むしろ、10年前は考えもしなかったことが起こっています。あの頃は自分が5冊も本を出すことになるとは想像していませんでしたから、チームメンバーとして自立した活動をするという目標も充分達成できたかなと思います。

チームにはすでにいろんな部分で還元できているんじゃないかなと思いますが、チームに戻ってきて1メンバーとなり、キャプテンになってどうかというと、そこはまだ課題が多いですね。挑戦を終えて、自分なりに自信みたいなものがあったのですが、それがものの見事に崩れてしまったので、もう一回ふんどしを締め直すような気持ちでいます。今はまっさらな状態で純粋にアドベンチャーレースを楽しめたらいいなとも思っています。

やはり難しいですね、チームって。結局、人間性が問われるのかなとも思います。チームを通して人間磨きを続けながら、メンバーとともにいろんなことに気づけたらいいですね。そうなったら、すごくいいチームになるんじゃないかなと感じています。

「歩く旅」は僕らを時間の束縛から解放してくれる

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2022年4月、暖かな陽気とともに群馬県北部の桜は満開。次なる挑戦に向けて自宅周辺でトレーニングにはげむ
— 最後に、長い年月歩く旅を続けてきた陽希さんにとっての「歩く旅の魅力」についてお聞かせください。

田中:やはり歩くことで日本の山の良さが見えました。あとは時間の豊かさです。時間に縛られない生き方の素晴らしさを味わえたような気がします。乗り物に乗ったらあっという間に到着する場所を、時間をかけて歩いたことで見えたものがあります。僕らは生活のすべてが時間に縛られていますよね。いつまでにあれをしなければいけない、何時までにこれをしなければだめだとか。でも自然界にはそれがなくて、夜になれば暗くなって星が出て、日が昇れば明るくなっていく。歩く旅をしているとそうした自然の時間の流れに身を委ねるというか、時間そのものを忘れることができました。数字に縛られない生き方と言い換えてもいいかもしれません。

だから長い距離でなくてもスピードが速くなくても全然構わないので、ぜひ一年に一回くらい歩く旅を経験してみたらいいんじゃないかと思います。時間に捕らわれずに。そんな生活スタイルが日本の暮らしの中で文化として定着していったらいいなと思いますね。

(取材日=2022年8月25日)

総移動距離約2万km、挑戦期間1310日間。日本3百名山ひと筆書きの記録が一冊に!

日本3百名山ひと筆書き  田中陽希日記

2018年から2021年にかけて、自らの挑戦の集大成として挑んだ「日本3百名山ひと筆書き」の旅の途中に記し、共同通信社から配信を重ねた記録を、カラー写真万歳で完全収録した一冊。人力のみで移動し続けた1310日間、何を思いながら旅をしたのか? その答えがこの一冊にこめられています。
著:田中陽希
発行:平凡社
価格:2000円(税別)

プロフィール

田中 陽希

1983年、埼玉県生まれ、北海道育ち。学生時代はクロスカントリースキー競技に取り組み、「全日本学生スキー選手権」などで入賞。2007年よりチームイーストウインドに所属する。陸上と海上を人力のみで進む「日本百名山ひと筆書き」「日本2百名山ひと筆書き」を達成。
2018年1月1日から「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦し、2021年8月に成し遂げた。

https://www.greattraverse.com/

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