映画『人生クライマー』ディレクターズノート。 マカルー西壁、届かなかった絶対的な夢【前編】
2021年にピオレドール生涯功労賞を受賞したクライマー、山野井泰史さんに密着したドキュメンタリー映画『人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界 完全版』が今年11月25日(金)から、全国劇場で上映される。1996年のマカルー西壁への挑戦以降、カメラを通して山野井さんのクライマーとしての生き方を追い続けてきたのは、監督の武石浩明さんだ。「ヒマラヤ最後の課題」と一人で対峙したクライマーの胸にいまも去来するものとは。映画公開を前に、武石さんの撮影秘話を紹介しよう。
文=武石浩明
影響を受けたクライマーは誰か? 2021年のピオレドール生涯功労賞の授賞式の前、記者会見で外国人記者から質問された山野井泰史は2人の名前を挙げた。20世紀最高のクライミングの一つといわれるガッシャブルムⅣ峰(7925m)西壁初登攀など数々の初登攀を成し遂げたポーランドのヴォイテク・クルティカと、マカルー(8463m)南壁単独登攀などで知られるフランスのソロクライマー、ピエール・ベジャンだ。
「クルティカは山の中のラインが美しい。ブロードピークの縦走に至っても、ガッシャブルムⅣ峰西壁でも、登るんだったらこのラインが一番きれいだよなっていうラインをやっぱり登ってるし、芸術家みたいだね。コマーシャリズムを全部排除して、美しいラインだけを求めた。憧れますね」
ピエール・ベジャンは92年、ジャン・クリストフ・ラファイユとともに、アンナプルナⅠ峰(8091m)南壁の新ルートに挑戦中、消息を絶ってしまうのだが、山野井は自分との共通点を感じるという。
「ピエール・ベジャンは、本気で行きたいと思っているところを選んで行ってるなっていうのがなんとなくわかるんだよね。世間を意識しているとか、他のクライマーとの競争意識とかではなくて、心から行きたいなって思っているところだけをチャレンジしている。83年のカンチェンジュンガ(8586m)南西面のソロなんか、登って帰ってきたときの写真がすべてを出し尽くしたような顔をしていてかっこいいんだよね。その顔を今でも覚えている。ソロだけに突き進んでいたクライマーもいるけど、ベジャンは仲間とも登るし、僕もソロが目立つけどチームで行くこともある。そしてベジャンはものすごい数、敗退してるんだよね。半分以上、敗退してるんじゃないかな。自分と似てるかもしれない」
挑戦
実は、山野井は輝ける登攀歴とともに、敗退した山もかなりの数に上る。そのなかで、四半世紀を過ぎても、山野井の頭から悔しさが消えない山がある。山野井本人が書いた、あるいは山野井を表した数多の文章のなかで、ほとんどブランクになっているのがマカルー西壁への挑戦だ。
世界第5位の高峰、マカルーの西壁は、標高差が2700mあり、「ヒマラヤ最後の課題」といわれる未踏の巨壁だ。特に、7800mから始まるオーバーハングしたヘッドウォールが困難さを極め、一流クライマーの挑戦をはねのけ続けてきた。
96年、山野井はマカルー西壁にソロで挑んだ。当時、山野井は31歳、2年前にチョ・オユー(8201m)南西壁を新ルートからソロで初登攀し、実力も最高の時だった。私たちは、挑戦の半年前から、山野井の取材を始め、ヒマラヤにも同行し、一部始終を記録した。マカルー西壁はあまりに巨大で、圧倒的な迫力に山野井は飲み込まれていった。果たして挑戦は「敗北」に終わった。そのショックは山野井にとってあまりにも大きかったようだ。
「40年以上、山に登っていて、氷河の感じとか、岩の色とか、雲の流れはオーバーかもしれないけど、だいたい鮮明に覚えている。敗退した山も含めて。だけど、マカルーだけがちゃんと覚えてないというか、あまり記憶にない。もしかしたら、あの96年に挑戦したときに、もう一生僕には太刀打ちできないと思ったから記憶にないのかな。マカルー西壁の遠征だけが、記憶が定かじゃない」
しかし、山野井の登山人生を俯瞰してみると、マカルー西壁がその時々の登山に影響を与えていることがわかる。山野井泰史を語るうえで、マカルー西壁こそ欠かせない存在なのだ。
端緒
山野井は10歳のときに、テレビでフランス映画『モンブランへの挽歌』を見て感動し、叔父に山登りへ連れて行ってもらったことで、登山が好きになった。しかし、本格的にクライミングに傾倒していったのは中学生のときだった。実家からほど近い千葉市の亥鼻城跡がある公園周辺の壁は、山野井にとって週末の格好の練習場だった。お気に入りは、高さ6mほどの砂利交じりのコンクリート壁。“亥鼻フェイス”と名付けたこの壁をフリーソロすることもあった。そして、ひととおり登り終えると、公園の敷地内にある図書館で読書をしたという。
「週末、亥鼻フェイスでトレーニングして、あとは図書館で山の本をずっと読んでた。結構ここは山の本が充実していて、メスナーの『第7級』やダグ・スコットの『ビッグ・ウォール・クライミング』、ロイヤル・ロビンスの『クリーン・クライミング入門』という本もあって、ずいぶんここで読んだね」
いずれも当時、刊行されたばかりの最新のクライミング技術を記した名著だ。こうした本を通して、山野井のクライミングに対する考えが育まれていったことは想像に難くない。山野井は写真からひらめいて、登りたい山を決める場合が多いようだ。山野井の言葉を借りると「(頭に)浮かんで行きたいなと思ったやつに行く」。高校を卒業してすぐヨセミテをめざした理由も「初めてヨセミテに行きたいなと思ったのは、写真集でオーバーハングした壁を登るクライマーを見たから」。山野井が自身の最高のクライミングに挙げるカナダ北極圏バフィン島のトール西壁単独初登攀。その壁を登ろうと思ったのも、『ビッグ・ウォール・クライミング』に載った写真とその解説文を見たからだった。「巨大なマウントトール西壁と書いてあった。この“巨大な”というだけで、トール西壁をやろうと考えた」。
そして高校時代の82年、17歳のとき、山野井は一冊の山岳雑誌の写真に釘付けになった。『岩と雪』90号の「マカルー西壁 英ポ合同隊の挑戦」と題された記事とともに掲載されたマカルー西壁の写真だった。記事の内容は、ダウラギリ(8167m)東壁を初登攀するなど、当時、最強のコンビといわれたポーランドのヴォイテク・クルティカとイギリスのアレックス・マッキンタイアが、81年春と秋の2度にわたってマカルー西壁に挑戦し(秋にはイエジ・ククチカが加わった)、7800mのヘッドウォールに到達したものの、クライミングの巧者として知られるマッキンタイアが1日かけても40mしか進めず、敗退したことを紹介するものだった。何度も読んだのだろう、表紙が取れてボロボロになったその雑誌の写真を見つめながら、山野井が語る。
「どうみても頂上直下、オーバーハングしているのがわかるよね。えー、なにこれ? 8000m超えた山でこんなオーバーハングした壁があるの? これはすごいなって、高校生のときからこの写真は頭にこびりついていた。明確な目標ではないけど意識しはじめた」
高校生のとき、マカルー西壁は山野井の心に強く刻まれたのだった。ソロクライマーとして、トール西壁から冬季フィッツロイを経て、アマ・ダブラム西壁新ルートでヒマラヤ初のソロを果たし、山野井はついにチョ・オユー南西壁で画期的なクライミングを成し遂げる。その時も、心にはマカルー西壁があった。
――緊張感が増してきた。天候はあまりよくない。あの2200mの壁を本当に登れるだろうか。しかしダメでも多分下降出来る。孤独を自分のために利用するのだ。今回、僕にとって良いテストになるだろう。
(94年チョ・オユー南西壁での日記より)
「(テストと書いてあるのは)マカルーじゃないかな。巨大なヒマラヤの壁を登るうえでのテストになると思ったんじゃない。このころから意識しているからね。マカルーを」
(→「後編」に続く)
プロフィール
武石浩明(たけいし・ひろあき)
1967年千葉県出身。TBSテレビで社会部長、報道局次長を経て、現在、富山のチューリップテレビに出向中。立教大学山岳部OBで現監督。ナンダ・コート登頂やチョモロンゾのチベット側から初登頂など。
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