映画『人生クライマー』ディレクターズノート。 マカルー西壁、届かなかった絶対的な夢【後編】

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2021年にピオレドール生涯功労賞を受賞したクライマー、山野井泰史さんに密着したドキュメンタリー映画『人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界 完全版』が今年11月25日(金)から、全国劇場で上映される。1996年のマカルー西壁への挑戦以降、カメラを通して山野井さんのクライマーとしての生き方を追い続けてきたのは、監督の武石浩明さんだ。「ヒマラヤ最後の課題」と一人で対峙したクライマーの胸にいまも去来するものとは。前編に続いて、映画の撮影秘話を紹介しよう。

文=武石浩明

→「前編」はこちら

マカルー西壁
マカルー西壁

解放

96年のマカルー西壁では、チリ雪崩に苦しめられた末に、夜間登攀の最中、7300m地点でヘルメットに落石が直撃し、敗退することになった。しかし山野井は、再びマカルー西壁をやると心に誓っていた。

「本当に残念だったけど、いつかまたやってやるとは思ってたと思うよ。本当に。能力をもう少し上げれば年齢的にも間に合うし。そのあと技術面だとクスム・カングル(6367m)東壁をフリーソロで登ったり、K2(8611m)南南東リブを48時間・無酸素で登ったりしたけど、それでもマカルー西壁は遠いなあというか、全然近づいてこないなあという感じはしてたね。山の経験をどんどん積んでいけばいくほど、技術と体力も上がっていったと思うけど、それでもマカルー西壁ははるか遠くというか……」

マカルー西壁は、自分には登れないのではないか――、高校生の時から抱き続けた“絶対的な夢”に届かないという強い喪失感、山野井には心の渇きを埋める別の山が必要だった。その山はギャチュンカン(7952m)だった。その未踏の「北東壁」を一人で登ることができれば、同じくらいの達成感を得られるのではないかと思ったのだ。しかし、この計画は変更を余儀なくされる。偵察の結果、北東壁を登れたとしても、下降路が見当たらず断念したのだ。山野井は妻・妙子と二人で、スロベニア隊が登った北壁にルートを変更し、第2登を果たす(妙子は7500m地点まで)。その壮絶な登山の末に、山野井は両手足の指10本を凍傷で失い、完全にマカルー西壁を登ることは叶わなくなってしまう。しかし、それは同時にマカルー西壁という呪縛から離れる瞬間でもあった。

「もしかしたらギャチュンカン以降かもしれない。本当に自分がやりたいことだけを突き進もうって思うようになったのは。本当に自分のやりたいことだけをやらないともったいないなと思ったのは」

理想

凍傷から再起して、中国・四川省のポタラ(5428m)北壁の単独初登攀から続く「ギャチュンカン後」の山野井は、単独で、あるいは妙子や山仲間とともに、キルギスやグリーンランド、ペルー、ヒマラヤなど、世界中で壁を登り続けている。今、山野井が目標とする「浮かんで行きたいなと思ったやつ」はイタリアのオルコ渓谷にある最難のクラックルート、グリーンスピッツ(5.14a)だ。クラックなら凍傷で指が短くなっても勝負ができる。

「三宅島に行ったときに、たまたますごいきれいなハングしたクラックを見つけて、これは生涯の目標だなと思うくらいによかった。それが台風か大波の影響で崩れちゃって、どうしたものかと、この数年の最大の目標を失ってしまったときに、いろんな資料を調べていたら似たような形状のものがイタリアにあるというんで。ヨセミテの写真集見て、うわー、すごいなあと思ったときと同じような感じで、グリーンスピッツを見た時に、うわー、これすごいなあって感動して行ってるんだけどね」

一方で、マカルー西壁は、今も山野井の心に残り続ける。

「あと何年、僕が生きるかわからないけど、死ぬ間際に、あー、マカルー西壁を登れなかったなあって思うかもしれないね。絶対的な理想、絶対的な夢を達成できなかったというのはやっぱりちょっと残ってる。マカルー西壁を登れるくらいの理想のクライマーになりたいとずっと思っていたのになれなかったんだな、マカルー登れなかったんだなって、事切れる前に思うんじゃない。第三者は関係ない。マカルーがあって、僕があって、マカルーは、僕は登れなかった。マカルー西壁って完璧な課題だよね。あの形、ピラミッドのような形の山で切り立った壁。完璧だね。ああいうのが地球上にあってよかった。クライマーとしては。完璧と思わない? ガッシャブルムⅣ峰西壁も完璧に近いけど、マカルーのほうがきれいだよね」

もう一度若くなってマカルー西壁に挑めたとしたらと尋ねると――。

「マカルー西壁は一人でいたほうがきれいだね。登れるか登れないかわからないけど、あの巨大な三角形の岩壁にたった一人でいるんだよ。それはきれいだろ。あの巨大な三角形の壁の中にポツンと一人がいて、垂直のところをガシガシガシと登っているのが僕のなかで理想のクライマーだから。8463mの巨大な山で、あの2700mの垂直の岩壁で、そこに一人でいる。うーん、これは最高ですね。想像すると」

ドキュメンタリー撮影中の山野井さん(右)と武石監督
ドキュメンタリー撮影中の山野井さん(右)と武石監督

山野井がまさに人生を懸けたマカルー西壁への挑戦の貴重なアーカイブ映像を記録に残したいと、私は考えた。山野井の「今」、そして妻・妙子との生活とともに描く『人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界 完全版』は、今年11月25日(金)から全国で公開される。

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プロフィール

武石浩明(たけいし・ひろあき)

1967年千葉県出身。TBSテレビで社会部長、報道局次長を経て、現在、富山のチューリップテレビに出向中。立教大学山岳部OBで現監督。ナンダ・コート登頂やチョモロンゾのチベット側から初登頂など。

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