第3章 最初の7日間|宗谷岬から襟裳岬~670㎞63日間の記録~
襟裳岬から北をめざした前年の失敗を糧に計画を練り直し、宗谷岬から南下するプランであらためてスタートを切ったのは2022年の2月末だった。温め続けたプランにかける気負いと背中のザックの重み、そして冷たい烈風。前代未聞の挑戦がいよいよ始まった。
文・写真=野村良太

第3章 最初の7日間
2022年2月26日。未明に札幌を車で出発して、日本海沿いに宗谷岬をめざし北上する。見送りには優子(同棲中の彼女で北大ワンゲル時代の同級生)のほかに、ワンゲル時代の先輩後輩が2人来てくれた。運転は任せて仮眠をとるように勧められるが、まったく寝られる気がしない。仕方がないので他愛もない会話をして過ごす。岬へ到着すると、落ちつかない気持ちをごまかすように、和やかな雰囲気でパッキングを進める。数枚の写真を撮ると、もうやることもなくなった。仲間に見送られ、快晴の青空の下、宗谷岬を出発した。この日から、63日間に及ぶ苦難と幸福に満ちた縦断が始まったのだ。
昨年の撤退(第2章参照)からの変更点は以下の5点だ。
●3月末に出発⇒2月末へ
●襟裳岬から北上⇒宗谷岬から南下へ
●50日間⇒64日間へ
●デポは2か所⇒さらに2か所増やして4か所へ
●全区間スノーシュー⇒佐幌山荘まではスキーで
ここではあえて、当時の心理を思い出して都合よく取り繕ったように長々と書き起こすことはできるだけ避けようと思う。テントや雪洞、避難小屋の中で、来る日も来る日も5万分の1地形図の裏に書き溜めた日記は63日間で最終的に6万字近くになった。その一部をありのまま抜粋することで振り返りたい。

全部で6万字近くに及んだ

2/26
いよいよ始まる。見送りが嬉しい。ソワソワして寝不足だ。最初は歩きやすく快調に進む。だが、40㎏は重い。計算では800g/1日ずつ軽くなっていく。(中略)20人くらいのグループに出会う。中には子供の姿も見える。襟裳岬まで目指しているのだ、と話すと「じゃあだいたいあっちだね!」と南の方を指さしてくれた。こういう会話がありがたい。
(中略)それにしても今朝、遠くに見えた真っ白な利尻山はかっこよかった!あんな風格が欲しい。
2/27
そういえば昨日父親が還暦だったらしい。おめでとうくらい送ればよかった。二日目だ。荷が重い。風が強い。愚痴ばかりこぼれる。雪はかなり締まっていて歩きやすい。朝日も美しい。
(中略)テント場からはエタンパック山が見えた。明日には幌尻山を越えられるだろうか。出来れば強風は勘弁してもらいたい。そういえば重荷で腰骨の辺りがボコッと腫れている。全くもう…。
2/28
遠くに幌尻山が見えた。雪煙が大きく舞っている。死闘の予感がする。案の定、雪面がカリカリな上に風が強いので何度も転ぶ。起き上がる度にザックが重すぎて全身が攣りそうだ。こういう時は毎度のことながら、どうしてこんなに辛いことを一人でしているのだろう、と思う。
300mより下ろすと風はやはり収まる。天候悪化ではなかったようだ。その後は永遠のように感じる尾根を道路まで進む。また道路だ。山に籠りたいはずなのだけれど、なんだか安心してしまう。
地図上の水線を辿って飲用水を確保する。雪を溶かす分のガス缶も節約になったが、なにより冷たくてうまい。幸せだ。山って良い。今日は厳しい行動だったのだけれど、もう忘れてしまっている。まぁいつもこんな感じだ。つくづく単純な性格をしている。
3/1
この先、分水嶺は大きく蛇行しているが、その脇に伸びている林道を使えばショートカットになりそうだ。昨晩一晩かけて悩んだが、ここはショートカットでスマートに行こう。展望もない、分水嶺の実感も湧かない稜線歩きならショートカットしてもバチは当たらないだろう。何より楽しくない。結局は本能に従うことにして、イソサンヌプリへの最短路を目指す。最初は予定ルートから少し逸れるという変更をしたことに若干の抵抗を感じていたが、そのうちに「思うようにいけばよい。」と思うようになった。考えれば考えるほどに自分勝手な計画なのだ。ルールもルートも自分で決める。自分が納得すればそれでよい。このルート変更を後悔することはない。
そういえば今日は林道ばかりだった。奥深い山々に浸るはずが、文明の力に頼ってばかりだ。強く、我が道を切り拓くようになるにはどうすればなれるのか。なりたい。強く。身体も、心も。
3/2
(イソサンヌプリからは)知駒岳が見え、その奥にはパンケ山、ペンケ山らしき白い峰が見える。3/5∼7は道内全域で春の嵐になるようだから、3/4までにペンケ山を越えたい。ストックで体重を支え過ぎて手首が痛い。腱鞘炎のようになってしまった。これは予想外だ。

奥には電波塔の並んだ知駒岳が見える
3/3
前線持ちの低気圧が近づいてきているという予報を見て、これまでかなりハイペースで来ていたこと、明日の方が予報が良さそうなことから今日はパンケ山手前までと決める。(中略)昼にはガスっていたパンケ山も、お隣の敏音知も見えてくる。風もなく、あれ、今日パンケ山行けたのでは…との思いがよぎる。だが、旅にはこんな日も必要だ。幌尻山に登った日(2/28)のような行動が連続していては潰れてしまう。本当は毎日こんなゆったりプランが好きだ。だとしても甘えてばかりもいられない。明日どうなるか分からないが、できればパンケペンケを越えたい。3/5からはしばらく稜線には出られないだろう。…。待てよ…。明日頑張れば2日間くらいは停滞か…!停滞大好きなんだけど、大荒れはしないでほしいなぁ…。
3/4
寒い。シュラフから出るのが億劫で朝の支度が遅れる。テントが凍りつき、厚いグローブでバリバリとはがしながらの作業は骨が折れる。腕をブンブンと振り回して、指先へ血を巡らせながら。憂鬱なはずなのになぜか気分が良い。快晴なのだ。無風なのだ。心躍らないわけがない。
敏音知岳から陽が昇り、まばゆいオレンジ色がパンケ東壁を染める。何だかパンケ山が昨日より厳かな山に見える。昨夕とは違う山のようだ。
(中略)8:30パンケ山山頂。美しい。今までの道のりが見える。利尻も。そしてこの先のペンケや函岳らしき大きな山も。だがのんびりする時間はない。気分よく先を急ぐ。Peak先は雪質も良く、スキーが快適だ。ずっと進んでペンケへ取り付く。段々と雲が湧き、風が冷たい。この稜線も一筋縄ではいかせてくれない。ここで落ちたら笑いものだな、なんて思いながら。
(中略)明日から荒れる。早く麓へ降りなければ。すでに吹雪いてきているのだ。この先は、蛇行する稜線は進まず、音威子府川へ向かって大きく下ろす判断をする。合理的なはずだが、まだ判然としない。だが、こちらに気が向いたならそれで良いか。 作業道が続いていて、川沿いに出ると開いた沢から流水がのぞく。やはり冷たくて美味い。たぶん僕はこれを求めて降りたのだろう。
充実の疲労感と、先への不安と。明日はどれくらい荒れるのだろうか…。今日は幸せな一日だった。

ピリッと冷えた朝
この1週間は超長期山行の実感がわかないまま始まった印象だ。強風に煽られ続け、3日目とは思えない満身創痍となり、先行きが心配になる時間でもあった。一方で、日記は今思えば内容、分量ともに控えめであっさりしたものばかり。それもそのはず、この日記はあくまでも備忘録だった。2か月も山に籠っていたら、最初の方のことは忘れてしまいそうだなと思ったから。何よりきっと、まだ山に浸れていなかったのだろうとも思う。単独で山に浸るとは、自分と向き合うということなのかもしれない。
第4章となる次回はDay8~Day14、3/5〜3/11の日記から振り返る。10日を超えて、だんだんと長期山行の様相を呈してくる。そしてたどり着いた最初のデポ地点。そこで何を想う……。
プロフィール
野村良太(のむら・りょうた)
1994年、大阪府豊中市生まれ。日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ、スキーガイドステージⅠ。大阪府立北野高校を卒業後、北海道大学ワンダーフォーゲル部で登山を始める。同部62代主将。卒部後の2019年2月積雪期単独知床半島全山縦走(海別岳~知床岬12泊13日)、2019年3月積雪期単独日高山脈全山縦走(日勝峠~襟裳岬16泊17日)を達成し、「史上初ワンシーズン知床・日高全山縦走」で令和元年度「北大えるむ賞」受賞。2020年卒業。2021年4月、北海道分水嶺縦断途中敗退。2021年春からガイドとして活動を始める。2021年4月グレートトラバース3日高山脈大縦走撮影サポート、6月には大雪山系大縦走撮影サポートほか。2022年2〜4月、積雪期単独北海道分水嶺縦断(宗谷岬~襟裳岬670km)を63日間で達成。同年の「日本山岳・スポーツクライミング協会山岳奨励賞」「第27回植村直己冒険賞」を受賞した。
積雪期単独北海道分水嶺縦断記
北海道の中央には宗谷丘陵から北見山地、石狩山地、日高山脈が連なり、長大な分水嶺を構成している。2022年冬、雪に閉ざされたその分水嶺を、ひとりぼっちで歩き通した若き登山家がいた。テントや雪洞の中で毎夜地形図の裏に書き綴った山行記録をもとに、2ヶ月余りにわたる長い単独登山を振り返る。
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