第4章 最初のデポ地・ピヤシリ山へ|宗谷岬から襟裳岬~670㎞63日間の記録~
宗谷岬を出発して1週間。細かくアップダウンを繰り返す宗谷丘陵を南へと歩き、パンケ山を越えた野村良太さん。40kgの重荷で腰は腫れ上がり、ストック制動で手首は腱鞘炎になりかけてはいても、強くなりたい一心で次のピークへと足を踏み出す日々が続く。めざすは最初のデポ地点、ピヤシリ山だ。
文・写真=野村良太

雨用のレインフライも別に背負う
第4章 最初のデポ地・ピヤシリ山へ
いよいよ始まった、2カ月を越える縦走計画。最初の1週間は緊張感よりも、どこか浮足立ったような感覚があった。標高が低く、稜線も判然としない尾根歩きは、自問自答の時間になりがちだ。そんなのだから地図読みを間違えるのだけれど……。
2週目の初日となる3月5日、3月6日は大型の低気圧が北海道を通過し、テントでの停滞を余儀なくされた。”余儀なく”と言いつつも、実をいうと、これが、停滞という名の最初の休養日だ。怠惰な人間には合法的にゴロゴロできるのがうれしい。3月7日からは縦走を再開し、函岳、シアッシリ山を越えて、第一デポ地点であるピヤシリ山頂避難小屋へとひた歩く。
この週の後半あたりから、この旅の意味のようなものを考え始めた。思うがままに、地図の裏に日記をしたためてゆく……。

3/5
暇な時間はずっとラジオでNHK第一旭川を聞いているが、ロシアのウクライナ侵攻の話題ばかりだ。ロシアの考えが分からない。事情を詳しく知らないから、とかではなく分からない。幸せって何なのだろう。ロシアにとってはこれが幸せに向かっているのだろうか。思えば僕は争いが嫌いだった。受験戦争もそうだし、小中高と続けてきた野球のレギュラー争いも。その点、山は何て平和だろう。誰にも何にも邪魔されず、雪のある所を縦横無尽に駆け回る。そんな山が僕には性に合っている。
幸せってたぶん、飲み食いに困らず、乾いた服を着て、風雪を凌ぐ“家”があることだ。やっぱり今日も幸せだ。
3/6
JRは特急が複数本、終日運休になったようだ。ラジオでは宗谷で最大積雪40㎝と話しているが、ここは宗谷というよりオホーツク寄りなのだろうか。まだあまり悪化する気配がない。昨晩の予報では昼過ぎくらいまで雪が降らない予報だったため、午前中だけ動こうかと考えたが、4時に起きてもう一度見ると10時に降る予報に変わっていた。二度寝。
結局午前中は降らなかったが、12時くらいから降り始める。標高が低いからか、風は少しでしんしんと降り積もってゆく。夕方、今日1日何もしていないなと思いながら、唯一の仕事、水汲みへ出かける。雪が降る前に行っておけば良かった。そうこうしているうちに順調に積もってきた。除雪しないと降り積もった雪でテント内の頭のスペースが無い。

ラジオは唯一の情報源であり最大の娯楽となる
3/7
冬型が決まり、キリっと冷え込んでいる。テントの撤収で手がかじかみ感覚が無い。やはりラッセルが酷い。歩き始めるとあっという間に体温が上がり、手に熱が巡る。だが幸せは一瞬だ。単独行の最大のデメリットの一つがラッセルだろう(まぁ最大はリスク管理かもしれない)。こういう時ほど仲間が欲しくなることは無い。今日はどうやら卑屈な気持ちで過ごすことになりそうだ。停滞も挟んでかなり荷物も軽くなってきているはずだが、そんな感覚には一向になれない。
今日で10日目。これまでの計画だったらそろそろ下山の目途が立ってくる頃だ。少なくとも行程の半分以上は歩き切っているのだから(これまでの長期山行は16泊17日が最長だった)。だが今回はまだ1/6だ。この差はあまりにも大きい。精神的にキツい。思うように進められれば気も紛れるが、このラッセルでは。
段々と気温が上がり、咲来峠に着いた頃にはスキーのシールが濡れてしまいひどい下駄だ。ラッセルと下駄のダブルパンチにダウンし、パンケサックル川に逃げ込む。今日も水が汲めた。夕日が暖かい。何だか春みたいだな。あれ、ちょっと幸せ。
3/8
ホワイトアウトで先が見えなくなった。立ち止まり、地図でこの先に危険な場所はなさそうだと確認して、一路直進する。高度計を見る限りたぶん登っているが平衡感覚が…と思い始めた頃に人工物が!(函岳)山頂のアンテナだ。斜面を下ると晴れてくる。遅い…。と、すぐにまた吹雪。風も強くなってきた。下り切った先の林の中でC11。ピヤシリまであと3日で着くかな。あーあ、(体が疲れてきて)マヨネーズが旨くなってきた。

下ってから晴れても、と思うが晴れないよりはいい
3/9
1日晴れていて今日確信したことは、道北は地図読みが核心だ、ということ。視界があっても現在地把握が本当に難しい。大雪山系のだだっ広い難しさとは違い、小さい尾根、沢が入り組んでいる。それと晴れの日は午前勝負だ。午後は装備乾かしタイムにするくらいが丁度良い。

スキーシールにべっとりと張り付く
3/10
こんな夢を見た。気づいたら下山していて、どうやら今回の計画は失敗したという。僕は慰めの会の中心にいて、半額のお惣菜とビールで乾杯している。今日中に再入山すれば計画を続行できる、という暴論を主張する僕を、「みっともないから止めな。」と優子(同棲中の彼女で、北大ワンゲル時代の同級生)がたしなめるのだった。
僕のこの計画の核は「山に感じる幸せ」だ。厳しく辛い行動があっても、やっとのことで張ったテントで飲むインスタントの味噌汁はこの世で一番の幸せだ。暖かい陽だまりの下、濡れ物を乾かしまどろむ分かりやすい幸せもあれば、硬く凍てついた氷の稜にアイゼンを利かせて進む緊張もまた、幸せなのだ。「あいつ、こんな大変そうなことを、こんなに幸せそうに楽しんでいやがる。」そんな旅にしたい。
3/11
今日は最初のデポ地、ピヤシリ山頂避難小屋へ辿り着く予定だ。暖かいストーブを想うと胸が高鳴る。
突然、目の前を白い物体が横切る。ユキウサギだ。こんなところに食べ物などあるのだろうか。それにしてもあの小さい体でこの地を生き抜いてゆく力強さが羨ましい。対して僕は、食べるものも、身を守るものも、その全てを背負わなければ旅を続けられない。この違いは何なのだ。
今日で2011年3月11日から11年が経ったという。当時僕は高校1年の春休みだった。午後の野球の練習が終わり、みんなで談笑していたところで東日本のニュースを知った。僕は気づかなかったが、マネージャーの二人はほんの少しの揺れを練習中に感じていたという。ここ大阪でも感じるほどの地震に事の重大さを感じたものの、正直なところどこか他人事だった。
大学に入って、先輩や同期に被災している人がたくさんいることを知った。当時宮城に住んでいた優子もその一人だった。中学の卒業式が直前で中止になり、1週間くらいは避難生活も送っていたそうだ。
僕が生まれた3か月後、阪神淡路大震災があった。寝ている僕の真横に植木鉢が倒れ、食器がたくさん割れたという。父の宿泊予定だったホテルが倒壊したが、出張が直前で中止になって事なきを得たんだと聞かされると運命のようなものを感じてしまう。 4年前には札幌で胆振東部地震に遭った。札幌でも震度6弱の揺れを観測し、僕はマンガ棚に埋もれていた。よく見たら頭の真横に麻雀パイが落っこちてきていたのだから笑えない。その後の停電生活は山道具を総動員すれば訳なく乗り越えられ、今となっては笑い話だが、地震の衝撃が色あせるわけではない。
自然とは、本当に美しさと恐ろしさを共存させている。この旅など、自然が本気を出せば、簡単についえてしまうだろう。それでも僕は山へと向かう。何とか自然に溶け込みたい。自然への畏怖を忘れず、身の程をわきまえながら、自然が、山が見せてくれる様々な表情をこの目に映したい。
でも、そう言っておきながら、今日は小屋に泊まっているのだ。なんて僕はわがままなんだろう。

身も心も濡れた装備もリセットされる
この1週間はようやく長期縦走の実感がわいてくる日々だった。道北らしい雄大さに息を吞み、森の迷路に辟易する。そして最初のデポ地点、ピヤシリ山避難小屋で心が和む自分に気づく。先人が建てた小屋に守られ、薪ストーブの灯にこの旅の希望を見る。これもきっと、今回の旅の醍醐味だ。
それはそうと、このころは3500kcal/1日で準備した食料が多く感じていた。腹は膨れているが、まだ今日の分が余っているから食べるか、といった具合に。今となっては信じられない。最後までその調子で行くわけもなく。
第5章となる次回は15日目から21日目まで、3月12日〜3月18日の日記から振り返る。忍び寄る大型の低気圧。ラジオは春の嵐を告げている。はてさて、弱ったねぇ……。
プロフィール
野村良太(のむら・りょうた)
1994年、大阪府豊中市生まれ。日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ、スキーガイドステージⅠ。大阪府立北野高校を卒業後、北海道大学ワンダーフォーゲル部で登山を始める。同部62代主将。卒部後の2019年2月積雪期単独知床半島全山縦走(海別岳~知床岬12泊13日)、2019年3月積雪期単独日高山脈全山縦走(日勝峠~襟裳岬16泊17日)を達成し、「史上初ワンシーズン知床・日高全山縦走」で令和元年度「北大えるむ賞」受賞。2020年卒業。2021年4月、北海道分水嶺縦断途中敗退。2021年春からガイドとして活動を始める。2021年4月グレートトラバース3日高山脈大縦走撮影サポート、6月には大雪山系大縦走撮影サポートほか。2022年2〜4月、積雪期単独北海道分水嶺縦断(宗谷岬~襟裳岬670km)を63日間で達成。同年の「日本山岳・スポーツクライミング協会山岳奨励賞」「第27回植村直己冒険賞」を受賞した。
積雪期単独北海道分水嶺縦断記
北海道の中央には宗谷丘陵から北見山地、石狩山地、日高山脈が連なり、長大な分水嶺を構成している。2022年冬、雪に閉ざされたその分水嶺を、ひとりぼっちで歩き通した若き登山家がいた。テントや雪洞の中で毎夜地形図の裏に書き綴った山行記録をもとに、2ヶ月余りにわたる長い単独登山を振り返る。
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