第6章 北見山地を抜けて、大雪山エリアへ|宗谷岬から襟裳岬~670㎞63日間の記録~
天塩岳避難小屋にこもって春の嵐をやり過ごすこと2日。次のピークをめざして出発した野村さんを、風雪と地吹雪が襲う。低気圧が去った後に残されたのは、果てしなく続く深雪のラッセルだった。
文・写真=野村良太

テントサイトに思わず頬が緩む
第6章 北見山地を抜けて、大雪山エリアへ
第2デポ地点である天塩岳避難小屋へやっとの思いでたどり着く(第5章参照)と、間もなくして春の嵐が小屋を包んだ。周囲の様子がまったく確認できない完全なホワイトアウトに閉じ込められて、恐ろしい反面、小屋に囲われていることに安堵する自分に気づく。
連続停滞を経て小屋を脱出すると、待っていたのは3日分降り積もった雪の深いラッセルだった。思うように進められず、相次ぐアクシデントに身も心も疲弊してゆく。それでも北見峠を越えて、いよいよ石狩山地、大雪山系へ突入した。
単独とは、ノンサポートとは。終わりのない自問自答の日々は続く。

3/19
風の音で目が覚める。ラジオは道内の大荒れと季節外れの大雪を告げている。日高など太平洋側やオホーツク海側では多いところで40〜60㎝積もる予報らしい。やはり昨日のうちに小屋に辿り着けて本当にラッキーだった。結局人の力に頼ってばかりだ。直接でこそないものの、小屋に囲われ風雪を凌いでいる様はサポート以外の何物でもない。ノンサポートなんて口が裂けても言えないことを痛感する。人の力のありがたさを享受してこの旅は成り立っている。これもまた幸せと言って良いに違いない。
人生には様々な岐路がある。だが僕は高校までは親が敷いてくれたレールの上を呑気に進んでいるだけだった。それは考える必要のない楽で快適なレールであり、精神的に未熟な時期を温室で育ててくれた両親にはとても感謝している。
レールを外すきっかけは大学進学だった。周囲では地元の関西圏へ進学する友人が多い中で、北海道大学の門を叩いた。そこでワンゲルと出会うことになる。3年生になると函館キャンパスに移行する水産学部生だった僕にとって、部活は最初の2年限定のものだろうと思っていた。それがあれよあれよという間に登山の沼にはまり、気が付けば2年間の禁断の用紙(休学届)を手にしていた。
あのとき休学していなかったら、レールに沿って無難に就職していたに違いない。しかしそれで後悔はないのか。特にやりたいわけでもない仕事を定年まで続け、それなりの幸せを見出すという未来を僕は受け入れられなかった。休学しなければよかった、と後悔する可能性がありそうかだけが焦点だった。そして、やりたいことをやり尽くして後悔するはずがない、というのが僕の結論だった。
この決断を後悔しているか、していないか、その答えはまだわかっていない。一つ言えることは後悔しないように、休学して良かったと思えるように今を懸命に生きろということだ。
3/20
風の音で眠れない。昼寝のせいだろ、と言われれば返す言葉はない。それにしてもこれだけの爆音を聞かされ続けると頭がおかしくなりそうだ。23時になっても眠れない。耳栓かイヤホンが欲しい。こういう時は『果てしなき山稜』を読むに限る。うつ伏せになって、1日(避難小屋の中に張った)テントにいて丸くなった腰を伸ばしながら。
日の出とともに目覚めると、風の音は止んでいた。ピークは過ぎたようだ。小屋にいるから大丈夫と分かっていても、収まってくると安堵することには変わりない。

楽しみの大半を占める
3/21
寒い朝。気温がどうこうという話ではない。小屋に守られて贅沢になっているだけに違いない。大粒の雪が横殴りに襲ってくる。次第に憂鬱になり、今日も停滞すべきだったのでは、と思い始める。
気づけば浮島トンネルの上を越えて浮島峠まで来ていた。トンネルが出来る前は多くの車が行き来していたであろうこの峠も、除雪はもちろん、人が入った気配はない。標識や看板はさびれて、吹雪も相まって物悲しい雰囲気を醸し出している。華やかなものの裏側にあるこうした廃れた風景を前に僕は言葉に詰まる。これはどういう感情なのだろう。忘れたくないので写真に収めた。
湯を沸かしカフェオレを飲むと、じんわりと体が温まってきた。不思議なもので、昨日のあの快適なシュラフの中よりも、今ベタベタの中にうっすらと感じられる自分の体温からくる温もりに幸せを感じるのだった。
人間は不自由の中の些細な幸せにより感動するものなのかもしれない。快適になればなるほど要求はエスカレートし、とどまる所を知らないに違いない。その証拠に昨日は少しの濡れが気になり、ちょっとしたすきま風をも遮ろうと躍起になっていた。今はそんなもの全く気にならない。だとしたらそうか、今僕は幸せなのか。感情の浮き沈みが激しいが、相変わらず単純なので幸せなような気がしてきた。
3/22
昨日は気づかなかったが、停滞している間に一気に明るくなるのが早くなった気がする。昨日よりも天気が良いのではという期待は見事に裏切られ、昨日以上の暴風雪。標高が上がるにつれて風はますます強まり、視界も落ちる。途中で尾根間違いのミス。今日は出発すべきではなかったのかも…とまた思う。
Peak直下で地吹雪がMaxになり、わずかな風の切れ間につなぐシュカブラを探す。まともに風上は向けないので苦しい時間が続く。本当に息絶え絶えでPeakを踏む。下りは本気の向かい風。目が開けられない。地図と記憶を頼りに北の斜面に逃げ込む。ここでようやく風が少し収まる。
昨日の日記では「不自由の中の些細な幸せに…」なんて書いた気がするがあんなもの撤回だ。本当にうんざりだ。頼むから晴れてくれ。

3/23
ガスが取れて雪も止んだ。久しぶりに清々しい朝。今日は頑張りたいところなので気合を入れて出発。
ラッセルがひどすぎる。雪が、ザックが、体が重い。やはり昨日の疲れも残っているようで遅々としてペースが上がらない。体力がもう限界で時間的にももう今日の稜線は無理なので早々にテントを張る。
3/24
有明山と比麻良山のコルまで進むと薄暗い中に一筋の光が見える。とうとう幻覚が見え始めたかと思っていたらトレースだった。二人で交代しながらラッセルしていたのが手に取るように分かる。雪や風で埋まっていないので目の前でラッセルしてもらっているに等しい。もうサポートだなこれは…。
平山、丸山と斜面を滑走するまでは良かったが、その後はいつも通りのしんどい時間となる。あぁ、気分の良いまま1日が終えられることは無いのだろうか。行動を終える度にそう思うのだけれど、1時間後には茶を飲み飯とチョコを食らってちゃっかり幸せを感じているのだった。
3/25
今日は久しぶりに予報が良いので気合を入れて2時に起きる。
気合十分でヘッドランプを頼りに進む。日が昇ったころ、急な登りでストックに体重を預けたところで聞き覚えのある嫌な音とともに体が傾き盛大にこける。もう一本も折れてしまった…。1本目ほどのショックはないものの実質的なダメージはこちらの方が大きいかもしれない。
ノンサポって何だろう。ルールを決めるというのはとても難しい。もう十分ここまでに人の力を感じているが、まだノンサポなんだろうか。考えているとノンサポに拘る必要もないように思えてくる。一つ気になることがあるとすれば、それはキリが無くなるということだ。手厚くサポートしてもらえばこの計画はきっと格段に楽に達成できると思う。それでよいのか。
天気は午後になるにつれて良くなり、次第に武利武華が姿を現す。なんて美しさだ。沈んでいた心に火が灯る。色々なことがどうでも良くなる。やはり晴れた山は美しい。武利岳武華山がウペペサンケ山、ニペソツ山、石狩岳、表大雪、北大雪、天塩岳。たくさんの山々が僕を励ましてくれているようだ。
幸せを噛み締める。サポートうんぬんで悩んでいるのが馬鹿らしくなってきた。やっぱり山は晴れだ。それだけで僕の心は救われる。

この1週間は大型の低気圧通過による停滞と、その後の冬型の気圧配置による降雪に苦しめられた。そこで気づくのは自然の偉大さであり、自分の無力さだ。
ストックが折れた時、一瞬頭が真っ白になった。すぐに冷静を取り戻し、テントポール用の替えポールを添え木代わりにテーピングでぐるぐる巻きにして応急処置とした。40㎏を超えるザックを背負った体を支える道具が不十分となった代償はあまりにも大きい。
ちっぽけな自分だからこそ、なけなしの知恵を絞り窮地を乗り越える。それには時に、他人の力を借りることも考えなければならないのかもしれない。葛藤の先にこそ納得がある。そう信じて今日も一歩、前へと進む。
第7章となる次回は29日目から35日目まで、3月26日~4月1日の日記から振り返る。
北海道大分水点を越えて、石狩岳、トムラウシ山へと続く北海道の中央高地を闊歩する。そこには今計画最高の瞬間があった!
プロフィール
野村良太(のむら・りょうた)
1994年、大阪府豊中市生まれ。日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ、スキーガイドステージⅠ。大阪府立北野高校を卒業後、北海道大学ワンダーフォーゲル部で登山を始める。同部62代主将。卒部後の2019年2月積雪期単独知床半島全山縦走(海別岳~知床岬12泊13日)、2019年3月積雪期単独日高山脈全山縦走(日勝峠~襟裳岬16泊17日)を達成し、「史上初ワンシーズン知床・日高全山縦走」で令和元年度「北大えるむ賞」受賞。2020年卒業。2021年4月、北海道分水嶺縦断途中敗退。2021年春からガイドとして活動を始める。2021年4月グレートトラバース3日高山脈大縦走撮影サポート、6月には大雪山系大縦走撮影サポートほか。2022年2〜4月、積雪期単独北海道分水嶺縦断(宗谷岬~襟裳岬670km)を63日間で達成。同年の「日本山岳・スポーツクライミング協会山岳奨励賞」「第27回植村直己冒険賞」を受賞した。
積雪期単独北海道分水嶺縦断記
北海道の中央には宗谷丘陵から北見山地、石狩山地、日高山脈が連なり、長大な分水嶺を構成している。2022年冬、雪に閉ざされたその分水嶺を、ひとりぼっちで歩き通した若き登山家がいた。テントや雪洞の中で毎夜地形図の裏に書き綴った山行記録をもとに、2ヶ月余りにわたる長い単独登山を振り返る。
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