第5章 湿雪と風の中を天塩岳へと駆ける|宗谷岬から襟裳岬~670㎞63日間の記録~
出発から2週間がたち、分水嶺は少しずつ標高を上げてゆく。迫り来る低気圧から逃げ切れるかどうか。風雪に耐えながら天北峠、ウエンシリ岳を越えて距離を稼ぎ、めざすは天塩岳避難小屋だ。
文・写真=野村良太

残念ながら展望はまったくない
第5章 湿雪と風の中を天塩岳へと駆ける
2カ月の縦走計画も2週間を超え、最初のデポ地点、ピヤシリ山避難小屋へたどり着いた(第4章参照)。ここからだんだんとリズムができてくるころ……と思いきや、そうは問屋が卸さない。貴重なバッテリーを消費して検索した週間天気図で、どうやら巨大な低気圧が近づいてきていることが判明する。北海道を通過するのは3月19日前後で、その後はしばらく強烈な西高東低・冬型の気圧配置となる予報だ。 春の嵐。ラジオでは不要不急の外出を控えるよう告げている。この悪天候をどこでやり過ごすか。この1週間の核心部となるだろうウエンシリ岳は越えておきたいな、と思いながら縦走を再開した。

3/12
昨夜はなんだか寝付けなかった。吹き荒れる風雪が絶え間ないからではなく、(第一デポ地点であるピヤシリ山避難)小屋が快適過ぎて、落ち着かないのだ。持ってきた志水哲也氏の『果てしなき山稜』を読んで時間を使い眠くなるのを待つ。快適過ぎるのも問題かもしれない。快適だと、昨日まで気にならなかったヒゲの長さが気になり、もう2週間風呂に入っていないから頭を始め体中がかゆくなってくる。
デポ品の回収はさながらタイムカプセルだ。お楽しみグッズはほとんどなく、(デポで訪れた)3週間前の僕の気の利かなさにはガックリしたが、そういえばデポの時は「そんなものがあると興がそがれる。」と敢えて入れなかったことを思い出した。今はそれどころではない。窓にハエが群がっている。美味しかったら歓迎なんだけれど。
3/13
今日も下山している夢を見た。今回は僕抜きで激励会をしてくれているところへ飛び入り参加していた。何してんだとみんなに突っ込まれる。
目を開くと小屋の天井が見えた。なぜだか少し安心した。
今日は雪質が良さそうだ。デポ品を回収してザックは重くなったが、休めたので身体も心もなんだか軽い。
快適に峠へ向けて下る。10時を過ぎるとやはり雪が悪くなり、少しペースが落ちるが、13時に目標のテン場へ着くことが出来た。こういう時はこれ以上先を急ぐよりも、予定通り進んだ方が良いと言い訳をしてテントを張る。
このペースなら3/15朝に天北峠、3/16札滑岳、3/17ウエンシリ岳といけないかなぁ…。3/19はほぼ間違いなく停滞だからそれまでは頑張って進みたいところ。

思わず笑みがこぼれる
3/14
寒い朝に慣れてきたのか暖かいのか、とあれこれ考えたが、小屋で装備が乾いて快適だっただけかもしれない。そんな朝。 軽快に進むが、ガスの中をボケっと歩いていたら、下る尾根を間違えたようだ。平凡なミスを反省する。油断が取り返しのつかない失敗にならないように気を付けなければ。
雪は9時頃に悪くなるが、11時に復活した。ザラメになって逆によく滑るようになる。この計画で初めて朝決めた予定(目標)テン場よりも先に進むことに成功した。
天北峠を最後に、稜線の標高は襟裳岬のすぐ手前まで500mを切らないらしい。標高が高い方が雪が良いだろうと喜ぶべきか、テン場を選ぶのが大変になってくることを嘆くべきか。
3/19はやはり悪そうで、20、21も動けないかもしれない(21はいけるかも)。昨日まで全く頭にも無かったが、3/18までに(第2デポ地点である)天塩岳避難小屋まで進むことは可能なのだろうか…。相当ハードになるのは間違いない。
やっぱり後先はあまり深く考えず、その日のベストを尽くすことに専念すべきかな。雨予報が気になるのだ。昨年のトラウマが残っているとも言えるのかもしれない。もう二度とあんな思いはしたくない。大切なのは余力を残すこと。心の余裕を忘れないこと。テン場は安心できるところに張ること。疲れていてもいい加減にしないこと。
すべてのミスは疲れから生じると感じる。14時くらいに行動は切り上げるのが丁度良い。
3/15
そういえば昨日はホワイトデーだったなぁ、なんておもいながら朝支度。
段々と風雪が強まるにつれて、全身が凍りつく。手の感覚がなくなってくる。気温ではなく、濡れからくる冷えの方が厄介だ。手袋を濡らし、上下のウェアにも水が滴る。湿った雪は不快この上ない。テント内でも全身が湿って落ち着かない。ボールペンを持つ手がかじかむ。
晴れれば雪が悪いから、雪が降れば全身が凍っているからと何かと言い訳をして昼過ぎには行動を切り上げてしまうこの怠惰な僕はどうにかならないものか。明日こそは頑張ろう、と毎日毎朝思っている気がする。頑張りきれないのは実は登山には重要なスキルだったりしないかなと思ってみたり。だって元気じゃないと楽しくないもんね。あぁ、これもまた言い訳か…。
3/16
昨日の湿りがまだ残っている。文句ばかりも言っていられないのでいつも通りを心がける。10~15㎝ほど積もった雪がカリカリ斜面を覆ってくれて、歩きやすくなった。やはり積もった雪のおかげでスキーが滑りやすい。しかしこの積もり方(クラスト斜面の上に無風降雪と昇温)は雪崩の起こりやすい状態でもある。全ての条件は一長一短、メリットもデメリットもある。その場に応じて、より安全で進みやすい方針を考えるのが、難しく、大変で、そして登山の醍醐味だ。
ウエンシリ(岳山頂)の手前で登山道の看板を見つけて、なんだか嬉しくなった。やはり里が恋しいのだろうか。
足が攣った。(雪が融けてきて)効率が悪すぎる。これなら朝1時間早く起きてヘッドランプで進んだ方が良さそうだ。テントを張ろうとすると雪が強まる。あーあ。もうやだ。今日はココアを少し濃い目で飲もう。


人工物を見ると思わずホッとしてしまう
3/17
ストックが折れた。
現実を受け入れられず、しばらく放心状態となる。
悪態をつきたくなる。重荷でなければ。ストックがもっと丈夫だったら。ベタ雪でなければ。
違う。選んだのは僕だ。デポの数も、ストックの種類も、この雪の時期も。何よりこの計画さえも。
ベタ雪を払おうとスキー板を叩いていたらストックが折れてしまったのに、残るもう一本でまた叩こうとしてしまう。僕はバカなのか。喉元過ぎれば熱さを忘れる、とはこのことだ。喉はまだ大火傷しているというのに。
違う。喉が渇きすぎているのだ。渇きを何とかしないと熱いと分かっていてもまた飲んでしまうだろう。茶を冷ます方法を考えなければ。出発前に、成長したいと話したはずだ。今がチャンスだ。
自分なりに結論を見つけ、明日のアラームを掛けて眠りにつく。
3/18
23時、アラームが鳴る。日付が回る前に朝食をかき込む。0:30出発。弱い雪が降っているが、月明かりがありがたい。
昨夜、「明日は0時からだ。」と決めた。雪が悪くなる前に稜線に上がること、まだかなり距離は残っているが天塩岳避難小屋を目標とすること。不思議と迷いは無かった。
暗がりの中にうっすらと抜けて見える林道を黙々と歩く。荷は相変わらず重いが決意は固い。林道が途切れるころ、日が昇る。ありがとうございました。この先も、息を切らしながらも着実に登る。1400mくらいからアイゼンの出番かと思っていたが、思いの外尾根は緩く、雪も程よいので、少し強引にスキーで進む。このまま前天塩まで行けるか?と思っていると最後に急で細い岩場。アイゼン出動。想像以上に細くおっかない。天塩を西側にトラバースして、空身でPeakへ。なんだか今日は物凄い達成感がある。スキーで駆け降りて小屋へ。
ストーブこそないものの、小屋は快適そのもの。余裕のあるガス缶を使って、濡れた装備を乾かす。幸せだ。小屋の中に張ったテントから顔を出すと、テントからも大きく湯気が上がっていた。
すごく充実した気分だ。何より、明日明後日は悪天候だから心置きなく停滞出来る。ピヤシリ山からここまで6日で来てしまった。いろいろとボロボロだが、それもまた一興。しばらくは先のことは考えず、この余韻に浸ろうと思う。
お楽しみグッズのカップヌードルが疲れ切った体に染み渡る。

険しい表情を浮かべる
結果的にピヤシリ~天塩岳間約100㎞を、ほとんど展望もない中を6日間で駆け抜けた1週間だった。まだ序盤なので無理はよくないと思いつつも、悪天候を小屋でやり過ごせるメリットは見逃せなかった。この安堵感はどうにも筆舌に尽くしがたい。
無理がたたって折れたストックに、軽量化を重視し過ぎた己が計画の未熟さを痛感する。こんなはずでは、と思ってももう遅い。その場の状況を冷静に分析して乗り越える術を探すしかない。
第6章となる次回は22日目から28日目まで、3月19日~3月25日の日記から振り返る。束の間の休息もそこそこに、待っていたのは冬型明けの猛ラッセル。降雪量は約50㎝。心が折れるのが先か、はたまた……。
プロフィール
野村良太(のむら・りょうた)
1994年、大阪府豊中市生まれ。日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ、スキーガイドステージⅠ。大阪府立北野高校を卒業後、北海道大学ワンダーフォーゲル部で登山を始める。同部62代主将。卒部後の2019年2月積雪期単独知床半島全山縦走(海別岳~知床岬12泊13日)、2019年3月積雪期単独日高山脈全山縦走(日勝峠~襟裳岬16泊17日)を達成し、「史上初ワンシーズン知床・日高全山縦走」で令和元年度「北大えるむ賞」受賞。2020年卒業。2021年4月、北海道分水嶺縦断途中敗退。2021年春からガイドとして活動を始める。2021年4月グレートトラバース3日高山脈大縦走撮影サポート、6月には大雪山系大縦走撮影サポートほか。2022年2〜4月、積雪期単独北海道分水嶺縦断(宗谷岬~襟裳岬670km)を63日間で達成。同年の「日本山岳・スポーツクライミング協会山岳奨励賞」「第27回植村直己冒険賞」を受賞した。
積雪期単独北海道分水嶺縦断記
北海道の中央には宗谷丘陵から北見山地、石狩山地、日高山脈が連なり、長大な分水嶺を構成している。2022年冬、雪に閉ざされたその分水嶺を、ひとりぼっちで歩き通した若き登山家がいた。テントや雪洞の中で毎夜地形図の裏に書き綴った山行記録をもとに、2ヶ月余りにわたる長い単独登山を振り返る。
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