牧野富太郎博士が美しさに感嘆したイチ押しのお花畑とは?

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2023年春に放送が始まるNHK連続テレビ小説「らんまん」の主人公のモデルとなっているのが、日本の植物学の父といわれる牧野富太郎です。ほぼ独学で植物の知識を身につけ、1500種以上の新種を命名した牧野は、膨大な植物を採集・調査するために日本各地の山を訪れていました。幼少期に親しんだ故郷・高知の山、遭難しかけた利尻山、花畑に心震わせた白馬岳など、山と植物にまつわるエッセイを集めたヤマケイ文庫『牧野富太郎と、山』(ヤマケイ文庫)が発刊されました。本書から、一部を抜粋して紹介します。

 

白馬岳の花畑(谷の料理長さんの登山記録より)

 

白馬岳のお花畑

私もだいぶ方々の高山に登ったが、日光は女峯(にょほう)や男体山(なんたいさん)はどうかというと、外輪的で比較的高山植物も少ないが白根山(しらねさん)は多い。八ヶ岳は登るに都合の良い高山で八ヶ岳むぐら、八ヶ岳しのぶなどは日本ではこの山のみに限る高山植物である。ひげはりすげ等も観賞には適せぬが植物学上珍しいものでこれもこの山に限られている。高山植物についての知識を得ようと思えば信州の白馬岳(しろうまだけ)に登るがよい。

東京から行くとすれば上野駅から長野行の汽車に乗って篠井駅に出で、ここから松本行の汽車に乗り替え明科(あかしな)駅に下りる。途中に名所もあるがとにかく、この駅で下車してから北へ六里馬車で行くと大町に着く。ここから越後の糸魚川(いといがわ)に通ずる道路を、馬車で行くこと六里にして北城(ほくじょう)の宿に着く。この北城村は白馬岳の麓で案内者を雇うて行けばすぐ登れる。山の中腹を白馬尻(はくばじり)といって雪が多い。

その雪の消えている処から絶頂までは雪がなくていわゆるお花畠になっている。雪の消えている近所には芽が出ているが、それがだんだんと進むにしたがって花を開き実を結ぶという有様である。その百花繚乱(りょうらん)のお花畑をねぶか平と言っているが、崇高清美の感慨はとうてい筆にも舌にも言い尽せない。また絶頂に登って瞰下(かんか)すると、山の渓谷にはみな雪があって越中、越後は一望の下で富山市も見える。

夜などは蛍の光に似たうすぼんやりした光が見えるのは富山市の電燈だが、かような高嶺に登ってこれを眺めると、物質以外のまったく俗を洗った雅景に見える。なお立山(たてやま)の雪白の衣裳を纒(まと)うた姿が見えるので真夏の感じは起こらぬ。帰りは雪の上を滑って下りるが、これがまた愉快なもので東京の人はこれのみでも出かける価値はある。

 

登山の準備と注意

登山の心得として私の経験は軽装に限る。頸(くび)に雫が入るから鳥打帽はまずい。莚(むしろ)蓑(みの)は絶頂に登っても途中で休むにも腰掛に敷かれるから好都合、雨にも結構、丈夫な洋傘もよい。弁当は缶詰物よりも握り飯に梅干がよく、味噌汁は山ではしごくよい。

 

その他二、三の事

日本の高山植物界にとりて忘るることのできないのは、城数馬、木下友三郎の両氏、松平康民、加藤泰秋、久留島簡、青木信行等の各子爵、小川正直氏、長野県松本の女子師範学校長矢澤米三郎氏、志村烏嶺氏、前田曙山氏、今は故人となった五百城文哉氏等の諸氏がさかんに高山植物の採集をなし、また培養に従事せられたことである。

諸氏は娯楽としてまったく閑却されていた高山植物の採集に努力したために学者側にあっては大いに研究の歩を進めることができた。その時代虫取すみれなどは珍しかったくらいであるか、その後採集の材料はようやく豊富になって、私どもはこれにいちいち名称を付けたり種類を定めたり、ずいぶん研究すべき仕事が多くなったわけで、ついには自分も高山に登るようになった。

かくて一時は非常の盛況を呈するにいたったが、またこうなると一利一害で、植物屋連の乱採が始まり植物保護の取締り規則ができ、今日でも八ヶ岳や白馬に行くには山林区署の許可を得なければならぬという面倒をみるようになり、自然、高山植物採集熱も一時下火らしかったが、また、このごろ少しく頭を抬(もた)げてきたようである。

高山植物の知識を広めるためには、東京のような都会には公園の中に「高山植物園」を造るがよかろうと思う。外国のように上方に高く岩を組むようにせず、地下に掘って岩石を置けば空気の乾燥も少なく、場所も取らず、しごく結構だろうと思う。かつこれは高山植物を専門に研究している人に依頼すれば面白かろうと思う。

 

【牧野富太郎が訪れた山】

白馬岳(しろうまだけ)
所在地:富山県・長野県 標高:2932メートル

南北に連なる後立山連峰の北部にあって、長野・富山両県、実質的には新潟を加えた3県にまたがる。白馬岳の山名は、三国境の南東面に黒く現れる馬の雪形から由来したといわれる。眺望はすばらしく、北アルプスのほぼ全域はもとより、南・中央アルプス、八ヶ岳、頸城(くびき)や上信越の山々、そして日本海まで見渡すことができる。白馬大雪渓、栂池(つがいけ)自然園などの湿原・池塘(ちとう)群のほか、全山にわたり豊かな高山植物群落が見られる。


八ヶ岳(やつがたけ)
所在地:長野県・山梨県 標高:2899メートル(赤岳)

長野県と山梨県の境にある火山群。最高峰の赤岳、権現岳(ごんげんだけ)、編笠山(あみがさやま)などの南八ヶ岳、横岳(よこだけ)、天狗岳(てんぐだけ)などの北八ヶ岳が約20キロメートルにわたり連なる。シラビソ、コメツガ、ダケカンバ、シラカバなどに富む。また、ヤツガタケタンポポ、ヤツタカネアザミなど八ヶ岳の名前を冠した高山植物も多い。硫黄岳と横岳の間にはキバナシャクナゲの自生地があり、1923年に国の天然記念物に指定されている。

 

※本記事は、ヤマケイ文庫『牧野富太郎と、山』を一部抜粋したものです。
※掲載内容は、刊行当時のものです。現在は、高山植物の採取は学術研究上の必要がある場合に限られ、該当地域の森林管理署等への許可申請が必要です。

 

『牧野富太郎と、山』

利尻山、富士山、白馬岳、伊吹山、横倉山。 愛する植物をもとめて山に分け入り、山に遊んだ。 山にまつわる天衣無縫のエッセイ集。


『牧野富太郎と、山』
著:牧野 富太郎
価格:990円(税込)​

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note「ヤマケイの本」

山と溪谷社の一般書編集者が、新刊・既刊の紹介と共に、著者インタビューや本に入りきらなかったコンテンツ、スピンオフ企画など、本にまつわる楽しいあれこれをお届けします。

牧野富太郎と、山

利尻山、富士山、白馬岳、伊吹山、横倉山。 愛する植物をもとめて山に分け入り、山に遊んだ。 山にまつわる天衣無縫のエッセイ集。

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