箱根山中で便意をもよおした牧野富太郎青年…その後に起きた奇跡
今春放送のNHK連続テレビ小説「らんまん」の主人公のモデルとなっているのが、日本の植物学の父といわれる牧野富太郎です。ほぼ独学で植物の知識を身につけ、1500種以上の新種を命名した牧野は、膨大な植物を採集・調査するために日本各地の山を訪れていました。幼少期に親しんだ故郷・高知の山、遭難しかけた利尻山、花畑に心震わせた白馬岳など、山と植物にまつわるエッセイを集めたヤマケイ文庫『牧野富太郎と、山』(ヤマケイ文庫)が発刊されました。本書から、一部を抜粋して紹介します。
用便の功名
アスナロという植物がある。アスナロとはアスナロウで、明日はヒノキになろうといって成りかけてみたが、遂に成りおうせなかったといわれる常緑針葉樹だ。
相州の箱根山や、野州の日光山へ行けば多く見られる。
このアスナロの木の枝には、アスナロノヒジキといって、一種異様な寄生菌類の一種が着いて生活している。ヒジキという名がついてはいるが、海藻のように食用になるものではなく、単にその姿をヒジキに擬えたものに過ぎないのである。
さて、この寄生菌そのものが、はじめて書物に書いてあるのは岩崎灌園の『本草図譜』であろう。即ち、その書の巻の九十にアスナロウノヤドリキとしてその図が出ている。けれども、その産地が記入してない。が、しかしそれは多分野州日光山か、あるいは相州箱根山かの品を描写したものではないかと想像せられる。
明治の年になって、東京大学理科大学植物学教室の大久保三郎君が、これを明治十八、九年頃に相州箱根山で採って、それを明治二十年三月発行の『植物学雑誌』第一巻第二号に報告している。次いで明治二十二年に白井光太郎博士が同誌第三巻第二十九号に、更に詳細にこれを図説考証している。
このアスナロノヒジキについて面白い私の功名ばなしがある。
それは、このアスナロノヒジキを相州箱根で採ったのは、右の大久保三郎君よりは私が一足先きであったことである。
即ちそれは明治十四年(一八八一)五月のことであった。私は東京から郷里へ戻る帰途この箱根山中にさしかかった。時に私は二十歳であった。
そして、その峠のところでびろうな話だが、たまたま大便を催したので、路傍の林中へはいって用を足しつつ、そこらを睨め廻していたら、つい眼前の木の枝に異様なものが着いているのを見つけた。用便をすませて、さっそくにその枝を折り取り、標品として土佐へ持ち帰り、これを日本紙の台紙に貼附しておいた。
後ち、明治十七年(一八八四)になって再び東京へ出たとき、またそれを他の植物の標品と一緒に持参した。しかし、久しい前のことで、いまその標品はいずれかへ紛失して手許に残っていないのが残念である。
即ち、このアスナロノヒジキは、かくして私がはじめてこれを箱根で採ったのである。大久保君が、同山で採ったのは、それより六、七年も後のことで、明治十八、九年頃であったのである。
※本記事は、ヤマケイ文庫『牧野富太郎と、山』を一部抜粋したものです。
※植物の学名表記等については、原文どおりとしています。
『牧野富太郎と、山』
利尻山、富士山、白馬岳、伊吹山、横倉山。 愛する植物をもとめて山に分け入り、山に遊んだ。 山にまつわる天衣無縫のエッセイ集。
『牧野富太郎と、山』
著:牧野 富太郎
価格:990円(税込)
牧野富太郎と、山
利尻山、富士山、白馬岳、伊吹山、横倉山。 愛する植物をもとめて山に分け入り、山に遊んだ。 山にまつわる天衣無縫のエッセイ集。