牧野富太郎が登った山。植物学者が見る山の姿とは

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登山愛好者と植物博士では山を見る目も異なるもの。『牧野富太郎と、山』(山と溪谷社)より、牧野博士が登った山と、エピソードの一部を紹介する。

文=山と溪谷オンライン

この春から放送しているNHKの朝ドラの主役は、植物博士の牧野富太郎だ。山には山の植物あり、ということで、牧野博士も日本各地の山へと赴き植物採集をしていた。

そんな牧野博士の山にまつわるエッセイや、高山植物に関する記述をピックアップした本が、『牧野富太郎と、山』(山と溪谷社)だ。

さて、みなさんは植物やキノコに詳しい人と一緒に山に登ったことはあるだろうか? 登山者の中にも「花が好き」という人は当然たくさんいるが、「登山が好きで山の花も好き」という人と、「植物が好きで植物があるから山にも入る」という人は、見ている世界が違うことに驚かされたりする。

この記事では、本の中から、牧野博士が登った山と、エピソードの一部を紹介する。

あわや遭難!利尻山

1719m 北海道

利尻山(shiroさんの登山記録より)

北海道の北西に浮かぶ利尻島の名峰・利尻山。別名「利尻富士」とも呼ばれる美しい山体が特徴だ。

牧野博士は明治36年8月に研究仲間数人と人足(歩荷のこと)と登っている。日帰りのつもりが、採集に時間をかけ過ぎたために最終的に山で3泊することになった。顛末は「利尻山とその植物」に詳しい。

1日目は日帰りのつもりだったため、食料も野営装備もほとんど何もない。寒さに震えながら夜を明かしている。

「食物さえもほとんど用意がないので、加藤子爵その他の人の残したのを僅かに食したくらいで、ますます寒気を感ずることが強いので、止を得ずただ無暗と木の枝を焚いて身体を暖めることになった」

装備を持ってきてもらって連泊し、徹夜で採集した植物を仕分け、3日目に至っては歩荷がせかしているのに採集に熱中したため、下山中に日が暮れて雨の中でビバークするはめになっている。

「何分にも下は湿っているし、寒くはあるし、なかなか眠ることは出来ない。その上に本式に降り出したので、なんともいえない困難をした」

いろいろぼやいているが、自業自得である。

当時の利尻山は、登る人も多くなく、避難小屋等もなかったが、現在は花の山として登山者に人気が高い。北海道の島という本州の人にとってはアクセスの難しさもあり、花が好きな登山者には憧れの山のひとつだ。

ミヤマアズマギク

チシマフウロ(shiroさんの登山記録より)

山行プラン

利尻北麓野営場→甘露泉→長官山→利尻山避難小屋→利尻山→三眺山→見返台園地

参考コースタイム:[日帰り]6時間45分

アドバイス

標高差約1500m、コースタイム7時間弱を日帰りで登らなければならず、天候変化も大きいので、実は経験者向けの山。花期は7月から8月。

⇒ヤマタイムで利尻山周辺の地図を見る

無茶ぶり富士山

3776m 山梨県・静岡県

登山未経験者から外国人旅行者まで、あらゆる人が集まる日本一の山、富士山。この富士山については、牧野博士はかなり好き勝手なことを言っている。

富士山の東側中腹には宝永山がある。これは1707年の宝永の大噴火でできたもので、静岡県側から観ると、円錐形の山体の中腹にコブができているようにも見えてはっきりわかる。牧野博士は、その宝永山を、みっともないから取り除きたいと言う。周りの岩石を穴の中に戻しちゃえばいい、という具体案まである。

さらには、富士山の爆発を見てみたいなぁとまったく無邪気に恐ろしいことも言ってしまう。

「少し位のドドンでは興が薄いが、それが大爆発と来て多量の溶岩を山一面に流すとなれば、それはそれはとても壮観至極なものであろう」

しかし、「山下の民に被害の無い程度で」とも添えてあるので、一応、そのあたりの気遣いのようなものはあるらしい。

もちろん、富士山の植物についてもたっぷり語っている。

フジハタザオ(えいちゃんさんの登山記録より)

山行プラン

富士スバルライン五合目→御中道→御庭

参考コースタイム:[日帰り]約1時間30分

アドバイス

山頂をめざすのもいいが、のんびり中腹を歩く方が、牧野博士に思いを馳せるにはいいかもしれない。荒涼とした火山礫の斜面に生える植物の力強さを感じられる。

⇒ヤマタイムで富士山周辺の地図を見る

大絶賛!白馬山

2932m 富山県・長野県

白馬大雪渓(ひろさんの登山記録より)

花の名山として名高い白馬岳。とにかく種類も多ければ量も多い。

「高山植物についての知識を得ようと思えば信州の白馬岳に登るがよい」

という牧野博士のお墨付きだ。白馬岳へはいろいろなルートがあるが、牧野博士が登ったのは猿倉〜白馬尻〜大雪渓〜白馬岳の往復のようだ。大雪渓の上部、葱平のお花畑を賞賛している。詳しくはこちらの記事でも紹介している。

「帰りは雪の上を滑って下りるが、これがまた愉快なもので東京の人はこれのみでも出かける価値はある」

雪渓をウキウキと滑り降りる牧野博士を思うと微笑ましいが、現代の東京の人は落石に注意しながら下ろう。  

ウルップソウ

サンカヨウ(つちのこくんさんの登山記録より)

山行プラン

猿倉→白馬尻→大雪渓→白馬岳→白馬大池→栂池自然園

参考コースタイム:[1日目]6時間[2日目]4時間55分

アドバイス

牧野博士が歩いた大雪渓から山頂へ。白馬大池周辺にも花が多い。栂池自然園にも立ち寄れる植物好きには満足のコース。花期は7月から8月。

⇒ヤマタイムで白馬岳周辺の地図を見る

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『牧野富太郎と、山』

利尻山、富士山、白馬岳、伊吹山、横倉山。 愛する植物をもとめて山に分け入り、山に遊んだ。 山にまつわる天衣無縫のエッセイ集。


『牧野富太郎と、山』 
著:牧野 富太郎 
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この記事に登場する山

北海道 / 礼文・利尻

利尻山 標高 1,721m

 深田久弥の『日本百名山』に最初に登場するのが、日本最北端の利尻山だ。氏は利尻山を「島全体が一つの頂点に引きしぼられて天に向かっている。こんなみごとな海上の山は利尻岳だけである」と称賛している。別名利尻富士とも呼ばれ、昭和49年(1974)に利尻礼文(れぶん)サロベツ国立公園に指定された。  アイヌ語でリイシリは「高い島山」を意味する。古くから高くそびえるその美しい姿は航海や漁場の目印とされた。人々はその山に航海の安全を祈り、豊漁を祈願した。山は海からも信仰されあがめられたのだ。ついに明治23年(1890)ごろ、修験者・天野磯次郎が鴛泊(おしどまり)から利尻山頂上まで登山道を開削したと伝えられている。  登山コースは3つあるが、鴛泊コースが一般的だ。鬼脇(おにわき)コースは9合目の崩壊が著しく登山禁止になっている。鴛泊コースは3合目のキャンプ場まで車で入れ、便利である。トドマツの鬱蒼とした山道を行くと、冷たい湧水があふれる甘露泉の水場がある。登るにつれダケカンバやミヤマハンノキが続き、6合目を過ぎると尾根も急になりジグザグの登りとなる。8合目の石碑のあるピークが一等三角点のある長官山(ちようかんざん)だ。展望が開け、礼文島が見下ろせる。少し上に避難小屋がある。長官山から尾根をたどるが次第に登りもきつく、足場も悪くなる。9合目は高山植物帯で、沓形(くつがた)コース分岐を通過し、急斜面を直登すると頂上である。頂上には三角点と小さな祠があり、北峰とも呼ばれている。頂上は三峰に分かれ、最高地点は南の南峰であるが、一般の登山者向ではない。3合目から頂上までは約4時間30分。  沓形コースは沓形登山口から舗装された車道と旧登山道(荒廃)がある。見返台を過ぎると7合目に避難小屋がある。三眺山(さんちようざん)に達すると高度差500mの西壁、鋸の刃のように切り立った南稜や、仙法志(せんぼうし)稜などが間近に望まれ圧巻である。ガレ場を注意しながら登ると鴛泊コースの分岐に達する。沓形登山口から頂上まで約6時間。  山はまた、高山植物の宝庫でもあり、リシリヒナゲシ、リシリオウギ、ボタンキンバイなどこの地に特有の植物が多い。利尻山の南斜面にチシマザクラの群落が発見され、北海道の天然記念物にも指定された。  利尻山のバリエーションルートの開拓は、徒歩渓流会の川上晃良らが、昭和25年(1950)12月、鬼脇から入山。南稜の試登を繰り返し、翌年2月、川上が単独で東稜から挑み、登頂に成功した。これをきっかけに大学山岳部や社会人山岳団体がこれらのバリエーションルートに挑み、数多くの登攀記録を樹立した。

山梨県 静岡県 / 富士山とその周辺

富士山・剣ヶ峰 標高 3,776m

 日本の山岳中、群を抜いた高さを誇る富士山は、典型的なコニーデ式火山。いずれの方向から眺めても円錐形の均整のとれた姿は美しく、年間を通して人々の目を楽しませてくれる。東海道本線や新幹線の車窓から見ると、右手に宝永山、左手には荒々しい剣ガ峰大沢が望め、初めて見る人の心を奪う。  昔は白装束姿で富士宮の浅間(せんげん)神社から、3日も4日もかけて歩き通したという話を古老から聞いたことがある。現在では、富士宮と御殿場を富士山スカイラインが結び、途中からさらに標高2400m辺りまで支線が延びているので、労せずして雲上の人になれる手近な山となった。  日本で一番高い山、美しい山であれば、一生に一度は登ってみたい願望は誰にでもある。7月、8月の2カ月間が富士登山の時期に当たり、7月1日をお山開き、8月31日を山じまいと呼ぶ。  山小屋や石室が営業を始めると、日本各地や外国の人々も3776mの山頂を目指して集まってくる。特に学校が夏休みに入り、梅雨が明けたころから8月の旧盆までは、老若男女が連日押し寄せ、お山は満員となり、登山道は渋滞し、山小屋からは人があふれる。  富士宮口から登ろうとする場合は東海道新幹線の新富士駅、三島駅などからの登山バスで五合目まで行き、自分の足で山頂へ向けて歩きだすことになる。山梨県側には吉田口があり、東京方面からの登山者が多い。  目の前にそびえる富士山はすぐそこに見えるため、山の未経験者は始めからスピードを出しすぎ、7合目か8合目付近でたいていバテてしまう。登り一辺倒の富士山は始めから最後まで、ゆっくり過ぎるほどのペースで歩くことがコツである。新6合から宝永火口へ行く巻き道が御中道コースで、標高2300mから2500mを上下しながら富士山の中腹を1周することができたが、剣ガ峰大沢の崩壊で通行不能になっている。  山慣れたパーティならば新6合から左に入り、赤ペンキや踏み跡を拾いながら、いくつもの沢を渡り3時間もかければ大沢まで行くことができる。辺りは樹林帯で、シャクナゲの群落やクルマユリやシオガマなどの高山植物が咲く。  9合目右側の深い沢に残る万年雪は、山麓からも見ることができる。富士宮口を登りつめると正面に浅間神社奥ノ院がある。隣は郵便局。もうひとふんばりすると、最高地点の剣ヶ峰。山頂にはかつては毎日データを送り続けていた気象観測所跡が残っている。天候に恵まれたならば噴火口の周囲を歩く御鉢巡りが楽しめる。

富山県 長野県 / 飛騨山脈北部 後立山連峰

白馬岳 標高 2,932m

 白馬岳は、槍ヶ岳とともに北アルプスで登山者の人気を二分している山である。南北に連なる後立山連峰の北部にあって、長野・富山両県、実質的には新潟を加えた3県にまたがっている。  後立山連峰概説に記したように、この山の東面・信州側は急峻で、それに比して比較的緩い西面・越中側とで非対称山稜を形造っている。しかし信州側は山が浅く、四カ庄平をひかえて入山の便がよいため登山道も多く、白馬大雪渓を登高するもの(猿倉より所要6時間弱)と、栂池自然園から白馬大池を経るもの(所要5時間40分)がその代表的なものである。  越中側のものは、祖母谷温泉より清水(しようず)尾根をたどるもの(祖母谷温泉より所要10時間)が唯一で、長大である。  白馬三山と呼ばれる、本峰、杓子岳、鑓ヶ岳、そして北西に位置する小蓮華山の東・北面は、バリエーション・ルートを数多く有し、積雪期を対象に登攀されている。  近代登山史上では、明治16年(1883)の北安曇郡長以下9名による登山が最初であるとされている。積雪期では慶大山岳部の大島亮吉らによる1920年3月のスキー登山が初めての試みである。  白馬岳の山名は、三国境の南東面に黒く現れる馬の雪形から由来したといわれる。これをシロウマというのは、かつて農家が、このウマが現れるのを苗代(なわしろ)を作る時期の目標としたからであって、苗代馬→代馬(しろうま)と呼んだためである。白は陸地測量部が地図製作の際に当て字したものらしい。代馬はこのほかにも、小蓮華山と乗鞍岳の鞍部の小蓮華側の山肌にも現れる。白馬岳は昔、山名がなく、山麓の人々は単に西山(西方にそびえる山)と呼んでいたのである。また富山・新潟側では、この一連の諸峰をハスの花弁に見立てて、大蓮華山と総称していたようである。  この山からの眺望はすばらしく、北アルプスのほぼ全域はもとより、南・中央アルプス、八ヶ岳、頸城(くびき)や上信越の山々、そして日本海まで見渡すことができる。頂の展望盤は、新田次郎の小説『強力伝』に登場することで知られる。  日本三大雪渓の1つ、白馬大雪渓は登高距離が2kmもあり、全山にわたる高山植物群落の豊かさ、日本最高所の温泉の1つ白馬鑓温泉、高山湖の白馬大池や栂池自然園などの湿原・池塘群、こうした魅力を散りばめているのも人気を高めている理由である。また、白馬岳西面や杓子岳の最低鞍部付近などに見られる氷河地形、主稜線などで観察できる構造土、舟窪地形など、学術的な興味も深い。山頂部の2つの山荘(収容2500人)をはじめ山域内の宿泊施設も多い。

牧野富太郎と、山

利尻山、富士山、白馬岳、伊吹山、横倉山。 愛する植物をもとめて山に分け入り、山に遊んだ。 山にまつわる天衣無縫のエッセイ集。

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