大雪山のナキウサギ その不思議な生態を撮る
文・写真=昆野安彦
私が大雪山を訪れる理由の一つに野生動物の存在が挙げられる。ナキウサギ、エゾシマリス、エゾオコジョ、ときにはヒグマという、普段の生活では決して巡り会うことのないこれら野生動物との出会いは大雪山登山の大きな魅力だ。なかでもナキウサギは岩場にたたずむ姿がとても可愛らしく、私の心を捉えて離さない。ここでは、私が大雪山での観察を通して知り得た彼らの生態の一部を紹介したい。
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大雪山で彼らが見られるのは大きな岩がゴロゴロした岩塊地である。大きな岩と岩の間には隙間ができるが、ナキウサギはこの隙間を猛禽などの天敵からの攻撃を回避する棲み家として子育てや冬越しの場所として使っている。私がナキウサギの観察でよく訪れる緑岳の登山道はまさにこの岩塊地にあり、私のナキウサギの観察の多くはここで行なっている。
ナキウサギは餌を採るときに岩穴から出てくるが、彼らの食べるものはおもに岩場に生えている植物の枝葉である。緑岳の観察ではガンコウランやクロマメノキの枝葉をよく食べていたが、時には岩の表面に生える地衣類を食べていることもあった。彼らが植物を食べる時に特徴的なのは手を使わずに口だけで採食することである。同所的に生息するエゾシマリスが前肢を使って採食するのとは大きな違いだ。
ナキウサギは冬眠をせず冬も岩穴で過ごす。そのため、冬に食べる食料を秋のうちに収穫して岩穴に運んで保存するが、大雪山では8月の終わりから9月にかけて、収穫したばかりの植物を口にくわえて巣穴に戻るナキウサギの姿を見ることができる。緑岳ではイワブクロの葉を好んで収穫していたが、この植物の葉は大ぶりなのでナキウサギがこの葉をくわえて走る姿はとても絵になり、普段あまり撮影しない私もついついシャッターを切ることが多かった。
彼らの冬用の食料の保存の仕方は独特で、岩塊の岩陰などに植物の葉や茎を置いているが、こうすることにより貯えた植物は自然に乾燥され、冬の間の保存が効くようになる。これは最近家庭で人気の「乾燥野菜」の作り方と同じである。トムラウシ山での観察では岩陰にガンコウランを主体する「乾燥野菜」がたくさん蓄えられており、小さな動物とは言え、「なかなかやるな!」と思ったものである。
ナキウサギは植物だけでなく、自分の糞を食べて栄養を補給するという独特の生態を持っている。この行動は食糞と呼ばれ、ウサギの仲間全般の習性である。ナキウサギが出す糞はその形状から2種類に分けられる。一つは丸くて硬い硬糞で、おもに未消化の植物繊維からできている。
もう一つは黒いタール状の柔らかい軟糞(盲腸糞とも呼ばれる)で、盲腸内の微生物の働きによって植物繊維がタンパク質やビタミンに変換された栄養価の高いものである。
ナキウサギが食べるのはおもに軟糞の方で、軟糞を作るのは夏の終わりから秋が多い。それは新緑の頃の枝葉に比べて冬前の枝葉は栄養分に乏しいからだが、この習性により栄養素の乏しい秋の植物から高い栄養素を得ている。ナキウサギはこの軟糞を直接肛門に口をつけて食べたり、あるいは岩場にいったん排出し、乾燥させてから食べている。秋にナキウサギの生息地の岩塊地で注意深く探すと、この乾燥過程の軟糞が見つかることがある。
ナキウサギの最大の特徴はその名前の通り「鳴く」ことである。ナキウサギはハムスターほどの大きさしかないが、その鳴き声はとても大きく、大雪山では100m先からもはっきりと聞こえる。ナキウサギほどの小型哺乳類で大きな鳴き声を発するのは日本ではナキウサギだけだと思う。
ナキウサギは雌雄の形態がほとんど同じなので外観では区別が難しいが、鳴き方が少し異なる。オスは「ピュイ、ピュイ、ピュイ、ピュイ、・・・」と規則正しい間隔で複数回連続して発声する。一方、メスは「ピュー」「ピュイー」などの鳴き声を一回だけ、のことが多いと言われている。なお、岩上での「瞑想」を終えて岩陰に隠れるときには、雌雄ともに「ピュルルル」という尻下がりに聞こえる鳴き声を発しながら姿を消すことが多い。
ナキウサギが鳴く理由についてはテリトリーの主張、雌雄間のコミュニケーション、天敵に対する警戒音などの役割が考えられている。私のYouTubeチャンネル「昆野安彦 自然写真館」では雄と思われるナキウサギが6回続けて元気に鳴く姿を公開しているので、ナキウサギの声をまだ聞いたことのない方は是非一度ご覧いただければと思う。
私のおすすめ図書
日本哺乳類図譜
2019年に71歳で亡くなった動物写真家の久保さんの写真集です。私は直接の面識はありませんでしたが、交流のあった知人から人となりをよく聞いており、身近に感じられる写真家の一人です。この本は久保さんが生涯をかけて撮ったナキウサギなどの日本産哺乳類の見事な生態写真で構成されていますが、本の最後の方には久保さんと交流のあった方による久保さんとの思い出も掲載されており、これを読むと久保さんの動物写真にかける情熱と誠実なお人柄がよく分かります。これから自然写真を志す方には是非一読をお勧めします。
著 | 久保敬親 |
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発行 | 山と溪谷社(2022年刊) |
価格 | 4,620円(税込) |
プロフィール
昆野安彦(こんの・やすひこ)
フリーナチュラリスト。日本の山と里山の自然観察と写真撮影を行なっている。著書に『大雪山自然観察ガイド』『大雪山・知床・阿寒の山』(ともに山と溪谷社)などがある
山のいきものたち
フリーナチュラリストの昆野安彦さんが山で見つけた「旬な生きものたち」を発信するコラム。