ポ村からビジョール村へ――、チベット仏教や伝統的な暮らしが守られてきた村を巡る旅

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ネパールの最奥に位置するドルポの中でも、最奥に位置するのがポ村。地元でも「ドルポで一番貧しい」とも言われる地に到着した稲葉さん一行。その地での出会いに感謝し、次に向かうのはビジョールという村。チベット仏教や伝統的な暮らしが守られてきた場所を巡る冒険は続く。

10/3 ポ村の対岸キャンプ地~ビジョール(3850m)

10月3日の朝、キャンプ地から対岸にあるポ村を眺めていると、今度いつ来られるかわからないという思いが湧き上がってきた。切なさを感じてきたが、感傷に浸ってばかりはいられない。ドルポ北部での当初の目的を、今ようやく終えたところだ。そして今日からの冒険は、まず南下して出発地点のジョムソンへと向かい、そして東へとドルポ内部を横断する。まずは、ビジョール村へ向けて出発した。

少し雲が多かったが、今日も冒険日和の青空が広がった

どんよりした空の中、7時20分にスタート。まもなく、進行方向に何か祀られているような場所が見えた。覗き込むと人間の足跡のようなものが見えた。しかしその時間は周囲には人影もなく、現地の人に確かめることができなかった。ムスタンやドルポでは、このような石をたまに見かけるので、グルリンポチェ(チベット仏教の開祖と言われる人)の足跡なのかもしれない。またここを再訪することがあれば聞いてみたいと思い、写真を撮った。

窟の中には人間の足跡のようなものが見えた。なんだろう?

やがて、すでに廃村となっている旧ポ村へと到着した。石が積み重なっている場所だったり、広場のように見えたりする場所が残っていて、かつてはここに村があったのだろうと想像できる。一見する限りでは周囲に水場が見当たらなかったので、枯れてしまったのだろうか。それが理由で今の場所へと移動したのだろうか、などと思いながら通過した。

進むにつれて、霧がどんどん濃くなってくる。紅葉で真っ赤に染まっている葉っぱが霧と重なり、とても幻想的で見惚れるほどだ。そこに太陽の光が射しはじめると、高山植物やそこに付く雫が輝いて見える。きれいだなぁ、と撮影していると、気がつけばメンバーを完全に見失ってしまった。

紅葉で真っ赤に染まった草木が幻想的な景色を作り出す

一瞬不安になり、霧の中を方向だけを頼りに感覚的に登り続けていくと、やがてカッチャル(ネパールの馬とロバのあいの子)の尻尾に手を添えながら登っていくカッチャルドライバーの後ろ姿が見えた。

霧の中からネパールの山々の姿が現われ、少しずつ視界が広がる

「あれ? 今日は彼が最後尾だ、疲れているのだろうか? いつもは前を行くのに」と思ったが、そんな彼を見て安心し、私もひたすら登り続けた。やがて霧が晴れてきて視界が広がった。そこから周りを見渡すと、上方にはタルチョがなびいている。あれは記憶にある風景、ヤンブルバンジャン峠だ。今日の最高所であるヤンブルバンジャン峠の標高は4813m、無事にメンバー全員がここで合流した。時計に目を向けると、3時間20分の登りだったことになる。

標高4813mのヤンブルバンジャン峠に到着。ツォ・カルポ・カンの山は雲で見えなかった

峠では青空は見えたが雲が多く、見たいと思っていたツォ・カルポ・カンの山の姿を拝めなかったのは残念だった。

ツォ・カルポ・カンとは、1971年に大阪府岳連隊が初登頂した標高6556mの山だ。その初登頂の隊のメンバーの1人だった水谷弘治氏には、いろいろお世話になっていて、ドルポ横断でも2度ご一緒させていただいた。水谷氏はとても優しい方で、どんくさい私のことををいつも気にかけてくれていた。今回の遠征に出発する前にもお会いして話を聞かせて頂いていた。その時の言葉は、「ドルポはなかなか行けない場所だから、最後だと思って思い切って楽しんでこい。そして気をつけるんだよ」だった。

私は必ず報告しますと伝えて出発したが、実は結果的に、これが最後に聞く言葉となってしまった。水谷氏は私の出発前に突然、山の事故で他界されていて、私がそれを知ったのは帰国後のことだった。また1人、ドルポの大御所さんがいなくなってしまったと思い、ほんとうに残念でならなかった。

 

伝統的な暮らしが守られてきたビジョール村へ

峠の上で少し休憩して、次に向かうのはビジョール村だ。峠を越えてからは、山肌を水平にトラバースする道が続く。ここまでずっと登りだったので、水平のなだらかな道を行くのはまるで休憩しているようだ。ただ、その道は長く、ひたすら歩く歩く――。気がつくと思考は“無”となり、歩きながら瞑想状態に入りこんでいた。

ふと辺りを見渡すと、家畜の道がたくさんついていた。ドルポの山では、そこらじゅうを家畜が歩きまわっているため、こうした道が自然にできている。どれがメインロードなのか、たまにわからなくなるほどだ。そういった場所を見ると、何百年も人や家畜たちが歩き継がれてきたのだろうと思い、一人で感動してしまう。

そのうちに真言が彫られていたマニ石が、まるでケルンのように積み重ねられている場所にたどり着いた。ということは、このあたりからビジョール村が見えるはずだ。すると下方に、収穫の終わった村の畑の景色が広がっていて、遠くにはシェー山や銅山も見えてきた。銅山の懐には、ポン教の大きな仏塔があるが、さすがにそれを確認することはできない。

こうして周囲を一望すると、あらためて山の大きさに気づく。同時に、その道にあるアップダウンの繰り返しからは、日常生活の厳しさが伝わってくる。しかも、この周囲の高度は4000~5000m、この厳しい環境のおかげで、ドルポはネパールの中でもずっとチベット仏教や伝統的な暮らしが守られてきた場所となったのだろう。ここドルポまで車が入ってくる時代は、いつかやってくるのだろうか。

はるか下方にはビジョール村と、収穫の終わった畑が見えてきた

そんな思いを巡らせ、ビジョール村を見下ろしながらの下り道を進んでいく。目的地が見えているので、気持ちは楽になるかと思いきや、まだまだ先は長い。村がなかなか近づいてこない様子に、ポーターの1人であるサディップさんも疲労を感じたようで、追いつき合流していた。それでも峠から約1時間半、予想より早くビジョール村へと到着。村の中を見学しながらキャンプ地へと向かったのだった。

すると村に新しいゴンパができているのを発見した。時刻は夕方に近づいていたが、足早にテント設営をして見学へと向かった。なぜかというと、この村にはもう1つ、ドルポの中でも相当に古いとされているゴンパもあるので、2つのゴンパを巡りたかったからだ。疲労感はあるものの明日もまた移動日なので、休憩より先にゴンパを見に行くことにした。

到着する直前、ブルーシープ(ヒツジとヤギの中間の動物)の群れに遭遇した

まず、ポン教の新しいゴンパを訪ねた。ここは建設されて1年目でボンボラガン寺という。村内にもう1つゴンパがあるばかりか、約2km離れたところにも古いサムリンゴンパ(ポン教のお寺:チベット古来の民族宗教)があるのに、ま新しいお寺を建てたのはなぜだろう。そう思って聞くと、サムリンゴンパの僧侶が亡くなったからだという。

ビジョール村に新しく建てられたポン教の新しいゴンパ、ボンボラガン寺

サムリンゴンパにいたその僧侶は、デイヴィッド・スネルグローヴの著書『ヒマラヤ巡礼』にも写真が掲載されている人物で、その息子である僧侶は私の師匠である大西バラサーブと同じ歳の人物だ。私は2人を一緒に撮影した写真(下記)でよく覚えていたが、この息子もまたすでに他界されたという。それでゴンパを村の中に移転させたのだろう。

師匠である大西バラサーブと僧侶の息子。残念ながら、2人ともすでに故人だ

日本にいる時にも肌で感じていたことだが、ここドルポでも時代が大きく変わってきている。世界的なチベット学者として知られるデイヴィッド・スネルグローヴ氏も、この遠征に出発した年(2016年)の3月に他界している。ドルポ内部でも大御所世代の人々がこの世を去っていく・・・時代の変化を感じる出来事だった。

村内を散策していると、以前は見かけなかった建物があったので村の人に聞くと病院だという。クンペンシュトゥ病院といい、フランスの団体に支援されて7年目になるという。最近できたものと思ったが、前回の旅で私がその存在に気づいてなかっただけのようだ。少し中を見学させてもらったが、薬はたくさん置いてあったもののスタッフは誰もいなかった。

続いて、ビジョール村にもう1つある古い方の寺院、ナサルゴンパに到着した。すると見覚えのある人迎えてくれた。2009年、2012年に来た時にいた僧侶で、名前はカルマ・テンジンという。

このドルポについて知りたいことは色々あるが、日本語で書かれたガイドブックはないので、ゴンパの歴史や地理的なことを調べることは難しい。師匠である大西バラサーブのブログの記録が一般的にも理解しやすいと思われるので、そこから引用させていただく。以下はバラサーブが現地で聞き取り調査を行なったときのものだ。

12世紀にヌルブ・ギャルツェン・リンポチェがビジョール村のサキャ・パであるナサル・ゴンパを建立したという系譜があった。これは現在のラマ、カルマ・テンジンが古くからある系譜を見せて説明してくれた。それによると、この寺院の建立はシェー・ゴモチェンより約100年前であって、ここトルボは西チベットの人たちのニューフロンティアでもあり、宗教的な新天地、ニサルのマルコム・ゴンパ上の瞑想屈に行者が瞑想して、小ゴンパができ、これがトルボでは一番古くて、マルコム・ゴンパのすぐ下のヤンツェル・ゴンパはサキャ・パだが、百年後に親族がチャンタンからやって来て、クン・ラの国境に近いニサル村に行者の幸徳を讃えて、やがて大きなヤンツェル・ゴンパを建立して村を作った。

同時期に下流のルリ、カラン、そしてビジョール、更に西北トルボの端、ク、ポパ村へ行者の徳と生活の場を求めて後を追い、小さいながらもゴンパも建立し、やがてシェーにナムグンやサルダンの人たちによってシェー・スムド・ゴンパが建立された。

そんな歴史あるナサルゴンパを見学していると、2007年に私がバラサーブと来た時に、大西バラサーブから「ここの壁画は古いから撮っておけ」と言われた壁もまだそのまま残っていた。壁画はまだ描き直されていなかったので、再びそれを撮影し、ゴンパを後にした。

古いサムリンゴンパにある壁画。以前に訪れたときのまま残っていた

村を散策していると、この村の女性たちによって織られたドルポの織物を発見、手織物が大好きな私は早速購入した。その際に食事に誘っていただき、ジャガイモも購入させてもらうことができた。

こうして長い10月3日の冒険が終わった。振り返ると、国内外のドルポの大御所様が次々といなくなっていき、ドルポが大きく変わろうとしている、それをまさに現場で感じた1日だった。それでも、変わるもの・変わらないものがある中でドルポは生きている。私はそんなドルポを、大好きなドルポをこれからも見続けていたいと思ったのだった。

村で作られたドルポの美しい手織物を購入。そのときの記念撮影

プロフィール

稲葉 香(いなば かおり)

登山家、写真家。ネパール・ヒマラヤなど広く踏査、登山、撮影をしている。特に河口慧海の歩いた道の調査はライフワークとなっている。
大阪千早赤阪村にドルポBCを設営し、山岳図書を集積している。ヒマラヤ関連のイベントを開催するなど、その活動は多岐に渡る。
ドルポ越冬122日間の記録などが評価され、2020年植村直己冒険賞を受賞。その記録を記した著書『西ネパール・ヒマラヤ 最奥の地を歩く;ムスタン、ドルポ、フムラへの旅』(彩流社)がある。

オフィシャルサイト「未知踏進」

大昔にヒマラヤを越えた僧侶、河口慧海の足跡をたどる

2020年に第25回植村直己冒険賞を受賞した稲葉香さん。河口慧海の足跡ルートをたどるために2007年にネパール登山隊に参加して以来、幾度となくネパールの地を訪れた。本連載では、2016年に行った遠征を綴っている。

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