地図にない道をルートファインディングしかながら進む。遥か先にようやく見えてきた目的地「ポ村」

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人もまばらなドルポの最奥地は、地図に道もなくルートファインディング技術が頼りだ。地元の人々の踏跡を見ながら「ポ村」をめざして進んでいく。はるか先に、ようやく見えてきた目的地だが、その距離はまだまだ遠い。

 

10/1 Yudo~ポ村の対岸キャンプ地 (3626m)

月が変わって10月に入った。ジョムソンを出発してから39日目となる。今日は朝日をダイレクトに浴びながら、ひとまず登りからスタートとなった。急登を登りきるとそこは展望がよく、国境方面には雪のついたヒマラヤが見えた。あれは何という山だろうか。

朝日を浴びながら今日の旅をスタートさせる

今日のルートは独特の山頂の形が目印の「ヘコピーク」の直下を通る。そのヘコピークだが、なんと! 近づくにつれて山容が変わってきた。どこから見ても変化しないと聞いていたが、どんどん形を変えていき、ついに槍ヶ岳のように尖った、全く違う山みたいに見えてきた。

近づくにつれて、目印となるピークの山容が変わってくるヘコピーク

さらに近づくと、山頂は槍ヶ岳のように尖った形になってしまった・・・

今日も地図を確認しながらの旅だが、天気がよいので周りを見渡せ、ルートファインディングしやすい。悪天で何も見えなかったら難しいだろうなぁ、と思いながら歩みを進めた。途中、「チュー」というカルカ(ある季節だけ利用する仮の小屋)を通りすぎたが、ここは無人だった。

山肌をずっとトラバースしていく道は、さほど危険な箇所はなく、ただひたすら歩くのみだ。もちろん、方角だけは何度もチェックする。なんといっても私は方向音痴なのだから・・・。2016年当時、アッパードルポ内部にはトレッカーは誰もおらず、さらにこの横断ルートは現地の人とすれ違うこともまれなので読図は必須のスキルだ。

地図にない道を進むために、地図読みのスキルは必須だ

当時は、スマートフォンで利用できるGPS機能付きアプリなど存在しなかった。従来のやり方である「現在地をGPSで測って紙の地図に落とし込み、行き先を確認して進む」という方法しかないのだが、これは時間がかかる作業だ。私にとってこれはおもしろいのだが、歩くのが一番遅い私がこの作業をやるからややこしい。道がわからなくなったらメンバーは、そこで私を待っていてくれるのだが、待たせるばかりで申し訳ない気持ちになる。

地図を見ながら、メンバーの背中を追い、地図にない道を慎重に進む

それにしてもこの日のルートはおもしろかった。地図上にはまったく示されていない、地元の人だけ使うルートだったからだ。ちなみに、2023年の春に発売された新しい地図を確認すると、このルートが掲載されていた。

今回の旅の位置関係を確認。2023年の地図では、ルートが掲載されているが、2018年時の地図にはなかった

途中、タルチョが掲げられている峠があった。標高は4873m、そこから見渡すと、国境方面にはさっきとは違う雪山や、岩峰が見える。下を見ると、ク村が見えた。自分の目で見たらやっぱり行きたくなる。ぜひ行きたかったのだが、どうしても日数が足りないだろうと思い、今回は立ち寄らないことになった。

峠に到着するとタルチョが掲げられていて、周囲の山々が一望できた

国境方面には雪をかぶった峰々が広がっていた。真下には、ポ村が見える

さらにそこからトラバースの道を行くと、国境方面に見覚えのある山の姿が確認できた。あれはダフェサイル(6103m / 2016年時は未踏峰 )だ。

お昼休憩をとり、またひたすらトラバースで進んでいく。山肌には家畜の道が数多くあるので歩きやすい。すると、また峠が現われ、そこを登り切ると遠くに見覚えのある風景が広がっていた。

峠をさらに越える。すると眼下に見覚えのある景色が見えてきた

「あ、もしかしてあの山の斜面にポ村があるかもしれない」

そう思ってカメラの望遠でのぞいてみると、やはり正解! 確実にポ村だろうけど、かなり遠い。今日中にたどりつけるのだろうか・・・不安になった。この時点で14:30、ドルポ最西北部の村で一番行きたい村だからがんばると決め、また気合を入れて歩く。

望遠レンズをのぞくと、ポ村が見える。まだかなり距離がある

この辺りは、2009年にムグからドルポへと横断した時に通っているので記憶に残っていた。ポ村の近くは、現在は廃村となった旧ポ村がある。まずその旧村を通過して谷の底まで下る。そして、タロコーラの橋を渡り、またそこから登り返すとポ村にたどり着くはずだ。「うーん、めっちゃ遠いぞ・・・」と思い、下り道をそれまでよりスピードを上げて歩いた。

紅葉で鮮やかに色づいた斜面を急ぎ足で下る

ガイドと伴ちゃんには追いつきたどりついたけど、やはり足の痛みが出てきてしまった。無理にペースを上げるのはやめて自分のぺースで歩くことにする。すると、また見覚えのある無人小屋に行き当たった。ここは2009年にテントを張ったところだ。時刻は15:20、普通ならここでキャンプするといいのだが、まだ日没まで時間がある。できるだけ距離を伸ばしたいということで、先に進むことにする。

2009年に幕営した場所を通過、見覚えのある無人小屋から当時を思い出す

どんどん降りていく、とにかく谷の底まで下りれば、水もあるし、記憶に間違いなければテントを張れるスペースがあったはずだと私は思いながら下る。すると先に進んでいた馬方、ガイド、ポーターはすでにテントを設営しているのが目に入ってきた。

「えーー?!」私が合流すると、馬方が「これ以上行けば、テントを張れるところはない、もう行きたくない」と、かなり不機嫌そうに言った。

先を進んでいたガイドやポーターはすでにテントを設営していた

ガイドやポーターは道を知らず、地図を見る習慣もないので、説明しても理解してもらえない場合がある。ややこしいことになった。この馬方は、ジョムソンの近くの村の出身だが、ドルポには数回来たことがあるという。私が、「ここに、水があるの? あるのならここでもいいけど」とガイドを挟んで伝えてもらうと、馬方はあると言った。その場から見渡せる範囲では水が取れる沢は見えなかったが、水場のポイントを知っているようだ。

ということで、この日はここまでとしたが、明日はどうしようか。私はポ村に絶対行きたい。こうなったら馬方にはここで待機してもらい、私達だけでピストンしてでもポ村に行くと心の中で決めた。

プロフィール

稲葉 香(いなば かおり)

登山家、写真家。ネパール・ヒマラヤなど広く踏査、登山、撮影をしている。特に河口慧海の歩いた道の調査はワイフワークとなっている。
大阪千早赤阪村にドルポBCを設営し、山岳図書を集積している。ヒマラヤ関連のイベントを開催するなど、その活動は多岐に渡る。
ドルポ越冬122日間の記録などが評価され、2020年植村直己冒険賞を受賞。その記録を記した著書『西ネパール・ヒマラヤ 最奥の地を歩く;ムスタン、ドルポ、フムラへの旅』(彩流社)がある。

オフィシャルサイト「未知踏進」

大昔にヒマラヤを越えた僧侶、河口慧海の足跡をたどる

2020年に第25回植村直己冒険賞を受賞した稲葉香さん。河口慧海の足跡ルートをたどるために2007年にネパール登山隊に参加して以来、幾度となくネパールの地を訪れた。本連載では、2016年に行った遠征を綴っている。

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