【特別編・前編】稲葉香、12年に一度ドルポで行なわれるチベット仏教徒の巡礼祭へ行く

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2024年の夏から秋にかけて、稲葉香さんは、約3ヶ月にわたりネパールのドルポを訪れた。その目的は、12年に一度行なわれるチベット仏教徒の巡礼祭「Shey Festibal」(シェーフェスティバル)に参加すること。 5年前の越冬の拠点となった地で、お世話になった人たちとの再会を果たしながら、伝統の祭りを堪能したのだった。

 

※本記事は、稲葉香さんが2024年7月下旬~10月下旬に行った、チベット仏教徒の巡礼祭の様子のルポとなります。今回は2016年に行った遠征の連載から離れて、8年の年月を経て感じたドルポの様子を、稲葉さんの視点からレポートします。

 

12年に一度、チベット仏教徒の巡礼祭へ

今年(2024年)はドルポのシェーゴンパで12年に一度行なわれる、チベット仏教徒の巡礼祭「SheyFestibal」(シェーフェスティバル)の開催年にあたる。12年前の2012年、私はこの祭りに参加しており、「12年後も必ずこのシェーフェスティバルに戻って来たい」と強く感じていた。

それから12年という月日の間、私はドルポに通い続け、その間、時代の大きな流れを感じてきた。現地の人々の生活にも変化が訪れている一方、私自身の人生にも、慧海ルートの探索など、自身のテーマを深めたいという思いが強まってきた。変わるもの、変わらないものを見つめ直しながら、再びドルポへと戻りたかった。

そんな気持ちに、友人でネパール在住経験もあり語学が堪能な清水が賛同し、今回の遠征を立ち上げたのだった。さらに、私が主催した「2023年ポクスンド・トレッキングツアー」の参加者で、西ネパールへの深い興味と50年にわたる山友同士という経験をもつ、中原と松永の2人を遠征メンバーに迎え、8年ぶりにチームを組んだ。私を含む日本人4名に加え、ネパール人スタッフはガイド1名、サブガイド1名、コック1名、キッチンポーター2名、馬方2名、そして馬4頭、カッチャル4頭でキャラバンを組んだ。

今回の目的は、大きく2つある。第1には写真集を届けること。この夏、私は初めての写真集「ドルポ 西ネパール 祈りの大地」(彩流社)を出版させてもらった。これを現地に持参し、撮影に協力いただいたドルポの人達に手渡しすることだ。

第2は、最初に述べた通り、シェーフェスティバルへの参加だ。さらに、その最中には、私が訪れたことがないルートや村へのアプローチを調査したい。慧海ルートも再調査したい。さらに、シェーフェスティバルが終わったあとはドルポからムグまで約1カ月かけて横断して国境ラインの山々を撮影し、その後はララ湖をゴールとするという計画である。

ドルポは、平均して高度4000mの場所に村が点在し、アッパードルポには東西南北5000mの峠を越えないと入れないという地域である。内部に入ると富士山より低い標高の村はない。5000mを越える峠が多く、今回の遠征では13回も5000m超の峠を越え、歩いた総距離は約550kmにもなった。

ルートとしては、ジュムラ郡のジュムラをスタートし、63日目に同じくジュムラに戻ってきた。当初の目的は7割ほど達成できたと感じている。達成できなかった3割は、現地の状況で行けなかったルートや場所があったからだ。そんな遠征の様子を、過去の記事を振り返りながら、ダイジェストとしていくつかお伝えする。

 

アッパードルボへのアプローチは徒渉の連続

通常、ドルポに入るには、ルート的にはドゥネイから入ると高度順応がしやすい。あるいは、慧海ルートと同じようにジョムソンからスタートすることもできる。しかし今回、私はできるだけ自分にとって未知のルートからドルポに入りたいという思いがあったため、ジュムラを起点にプンモ村を経由し、カグマ・ラ(5115m)を越えてポクスンド湖へ向かうルートを選んだ。

実際に歩いてみると、トレッキング開始2日目にロープを出す場面に直面した。いきなり激しい川の徒渉に出くわし、さすが夏のドルポ、簡単には入らせてくれないと思った。その後も何度も徒渉が続いたが、無事にカグマ・ラを越え、ロードルポの見所、ポクスンド湖に到着してひと安心した。

ポクスンド湖の湖畔で記念撮影

そして、いよいよアッパードルポへ向かうことになる。通常は北上してン・ガンドラ(5346m)を越えるが、私はサガルコーラ川沿いのルートを予定していた。しかし夏は川が増水しすぎて、徒渉が多く危険だという情報が入り、今回は断念せざるをえなかった。調査していた時点では通行可能という人もいたのだが、現地に来てみると多くの人に止められた。今の時代はSNSの情報源があるのだから、もっと調べるべきだったと悔やみながら通常ルートを選択した。

その後は、私がドルポ越冬した時に通った、サルダン村を目指すルートを選択した。5年ぶりにサルダン村の地に踏みいると、当時の思いが蘇った。特にランモシェ・ラ峠(5165m)でサルダンを確認した時には、一人で懐かしさと切なさが入り乱れ、思わず号泣してしまった。

ランモシェ・ラ峠からサルダン村が見えてきた

 

ドルポの人々との再会の日々

前述の通り、今回の冒険の一番の目的はラキョ村、テーカン村、キラタン村、サルダン村、ニサル村、ポ村を  
再訪し写真集を手渡すことだ。私のことを覚えていてくれてるだろうか? という思いもあり、ドキドキの再会だった。結果は、みんなよく覚えていてくれて、大きなハグで迎えてくれての再会となった。

中でもキラタン村のクンさんと再会できたのが印象的だった。訪ねた日は不在だったものの、シェー大祭で再会。彼女には以前(2009年)ドルポの伝統的な髪型「leyma」を編んでもらった。今回も再び編んでもらおうと髪を伸ばし続けてきた甲斐があった。前回の大祭では、この伝統的なヘアースタイルを何人も見かけたけれど、今回は私だけだった。この編み方ができる人が少なくなったのだろうか? そのため、現地の人からたくさん声をかけられた。

ドルポの伝統的な髪型、leymaを編んでもらい、祭りに参加する

クンさんの家族とはいろいろとご縁があり、娘のラモさんとはカトマンズで再会した。ラモさんと初めて出会った時は7歳だったが、今は23歳、すっかり大人だ。当時の話を聞かせてもらうと、男性のネパール人ガイドと一緒に彼女のテントを訪ねた際に、男の人と外国人がいきなり来たので、とても怖かったそうだ。私はワクワクしていたが、幼かった彼女はそんな思いをしていたのかと申し訳ない気持ちになった。

続いて訪れたのはサルダン村だ。ここは2019年~2020年に越冬した際の拠点地だったため、多くの再会があり、一番お世話になったペマさんとは、頬と頬がくっつぐぐらいに強いハグをした。越冬の拠点にした家を見に行くと、昨日のように思い出が蘇ってきた。あの時間は、今思えばまるで夢の中でさまよっていたかのようだった。

サルダン村では、まるでドルポの神様が会わせてくれているかのように、歩いていると会いたい人が前からやってきた。以前に撮影させてもらった方とは、ほぼ再会を果たせたと思う。写真集とは別にプリントした写真も持参していたので、それも手渡しすることができた。予想以上に多くの方と再会できたため、もっと写真を多く持ってくればよかったと悔やむほどだった。

一方で、亡くなってしまった方も多く、5年という歳月、そしてドルポの平均寿命の短さを感じた。それでも再会の連続により今までにない滞在となり、人々とご縁を深めることができた。

サルダン村では、越冬時にお世話になった人たちにたくさん再会を果たした

 

12年に1度のシェーフェスティバルへ

私にとって2回目の参加となったシェーフェスティバル。初めて大祭に来たのは12年前の2012年。当時、現地で聞いた情報はたった一つ、「12年に1度、チベット歴の7月の満月にシェーゴンパで巡礼祭が行なわれる」ということのみ。12年前は、たたそれだけの情報を頼りに訪れたのだった。

しかし今回はFacebookで簡単に情報を手に入ることができた。さらにドルポの友人からはメールでも情報を教えてもらうこともできた。今年は雨が多いということで、春にいきなり日程が変更され、スケジュールは当初より2週間後ろへとスライドしていた。それでも今年は結果的に雨季が長びいた。

シェーの大祭だけを目的にするのなら、最も早いルートを使えばドゥネイから8~10日間でシェーゴンパに辿りつくことができる。しかし今回、私達は村や峠も目的に入れていたため、シェーゴンパにたどりついたのは歩き始めて27日目であった。

いよいよ始まった、シェーフェスティバルの会場へ

大祭の午前中は、毎朝、ラマさん(僧侶)の法話の時間がある。チベット仏教の中には宗派があり、それぞれの高僧がヘリコプターで会場へと訪れていた。その中でただ1人、ポン教のラマさんだけが馬に乗って到着した。これは、ラマさんがドルポ出身だからだそうだ。

私達は幸運なことに、ポクスンド湖では、このラマさんと同じロッジに宿泊するご縁を得た。1時間ほどポン教についてお話をしていただる機会がをもらい、ポン教に大いに興味を持つこととなった。その際にドルポで越冬したことを伝えると、大いに驚かれて「ドルポレディだ」と言ってもらえて、とても嬉しかった。

祭りの中で行なわれていたレースの様子

午後からは毎日プログラムが変わり、子供達のダンスや僧侶による舞踊チャム、馬のレース、アーチェリーなどが行われた。さらに、12年前にも見かけた臨時の診療所が設営されていて、祭りに来た周辺の村人だちが大勢並んでいた。インドで学んだというネパール人の有名なお医者さんが来ていて、その先生に直接ご挨拶して話を聞かせてもらうことができた。

民族衣装をまとって、祭りを楽しむ地元の人々

先生は毎年、ネパール国内の辺境地をボランティアでまわり、診察や手術を行なう取り組みをされているそうで、今年はドルポで実地されている。隔絶されたドルポ地方には現代的な医院の施設がなく、医師もいない。小さな保険所があり、遠くからくる看護師さんはいるが、薬や診療内容はシンプルで限界がある。

最近では病院の診療を受けるために、ドルポからカトマンズに降りる人がいるそうだが、体調が悪い状況で長い旅を強いられることになる。それでも、ドルポにはチベット医学があり、アムジー(チベット医師)もいるので、保険所には薬草だけは沢山あった。

私達のテント場は祭りの会場から離れていたため、日が暮れる前には会場を離れたが、祭りの夜は遅くまで音が聞こえていて、ライトがついていた。時代が変わり、地元の若者達は寝ずにダンスをするなど盛り上がっていたようだ。

古典的なドルポが失われていたのかと思ったが、後日SNSで、現地で見逃していたダンスを見ると、12年前に見たドルポの女性達が大きな円を描いて踊る姿と同じだった。当時は、人間の須弥山(しゅみせん:仏教的世界の中心にそびえ立つ山の名前)だと思った姿のままだった。今回は画面を通して見ることになってしまったが、それでも神々しく感動した。

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プロフィール

稲葉 香(いなば かおり)

登山家、写真家。ネパール・ヒマラヤなど広く踏査、登山、撮影をしている。特に河口慧海の歩いた道の調査はライフワークとなっている。
大阪千早赤阪村にドルポBCを設営し、山岳図書を集積している。ヒマラヤ関連のイベントを開催するなど、その活動は多岐に渡る。
ドルポ越冬122日間の記録などが評価され、2020年植村直己冒険賞を受賞。その記録を記した著書『西ネパール・ヒマラヤ 最奥の地を歩く;ムスタン、ドルポ、フムラへの旅』(彩流社)がある。

オフィシャルサイト「未知踏進」

大昔にヒマラヤを越えた僧侶、河口慧海の足跡をたどる

2020年に第25回植村直己冒険賞を受賞した稲葉香さん。河口慧海の足跡ルートをたどるために2007年にネパール登山隊に参加して以来、幾度となくネパールの地を訪れた。本連載では、2016年に行った遠征を綴っている。

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