馬に乗ってサルダン村、さらに南を目指す。美しい紅葉の中で、思わぬ再会に感動

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大昔にヒマラヤを越えた僧侶、河口慧海の足跡をたどる旅もいよいよ終盤へ――。今回は、馬とのヒヤリとする体験や、赤く染まる山肌の紅葉に心奪われながら、峠を越えてサルダン村へと向かう。そして、この日の終わりに待っていたのは、数年ぶりとなる奇跡の再会だった。

 

10月4日 ビジョール ~ サルダン(4001m)

この日の朝、ナサルゴンパからはプジャ(祈りの儀式)の読経を耳にした。私はお寺(ゴンパ)を訪問する機会があれば、できる限り朝のプジャに参加している。大きな僧院のプジャよりも、こじんまりとしたお寺で1人で低い声で経を唱える僧のそばに、さりげなく座り込むのが好きだ。なぜだろうか心が落ち着く。そう思いながら今日もその響きに包まれた。

この日の行程はサルダンまでの予定だ。歩きでは到底、日没には間に合わないと判断し、昨日の夜のうちに馬を借りていた。以前、大西バラサーブと旅したときにはビジョールで馬を借りた経験もあり、ここでは借りられる馬がいるはずだと思った。ラマさんに相談すると「峠まで馬で行き、そこから歩けばいい」とのこと。馬方として幼い少年に案内されることになった。

出発してまもなく、仏塔や中に曼荼羅が描かれたカンニ(石門)を経由し、学校の側を通りかかった。私たちは子どもたちに囲まれると、道案内は少年から少女に交代した。小さい背中ながら頼もしさがあり、ドルポの女性たちは幼い時から強いなぁと思った。途中で出会った少女、おばさん、おばあさんたちも薪や家畜の餌を運び働いている。その姿はみんなたくましく印象的だった。

道案内の馬方は少年から少女に変わり、馬を引いてくれた

ポ村との分岐あたりで、道案内の少女からまた最初の少年に交代したが、馬はなかなか進んでくれない。子どもの手綱さばきでは、なかなか指示が思い通りにはいかないようで、もどかしそうにしている。そこで少年は、馬の足元に小石を投げた。その拍子に私の馬が突然暴走! 「ヒヒーン」と立ち上がり、ものすごい勢いで走り出した。必死に綱を引いても止まらない。横が切り落ちて崖になっている道の端を、私の馬はギリギリで駆け抜けていく。

「やばい、ここで落ちたら終わりだ」

過去に二度落馬した記憶が頭をよぎったが、まもなくして馬は自ら走るのをやめて、歩みを止めた。なんとか落馬は免れたが、正直かなり焦った。

そこからは、とにかく峠へ向かって進み続けた。私は鞍と合わず膝が激しく痛む。馬の鞍には足乗せが付いているものの、その長さが合ってないのだろうか、強烈に痛んだ。それでもなんとかタルチョが揺れる峠に到着。名前はネングラ・ラ(5430m)、時刻は12時45分だった。

ネングラ・ラ峠に到着。馬のおかげで早く着くことができたが・・・

歩いていたら何時になっていたのだろうか。ヒヤリとさせられたが、馬に乗ったおかげでこの時間に峠まで来られたのは朗報だった。もう少し馬で進めそうだったが、このまま乗馬を続けるには膝が痛すぎ、歩くほうが楽なのではないかと考え、約束通り馬方の少年とはこの峠でバイバイした。

峠を越えると一気に世界が広がった。国境方面に、エメルンカン、ギャンゾンカンが確認できた。エメルンカンは自分が登った山だから、遠くてもわかるのがうれしい。

峠からはひたすら路を下る。下り切ると山肌が赤く染まっている。木がとぼしいドルポでは紅葉は見られないと思っていたので驚いた。実際には草の色づきによる紅葉だったが、あまりの美しさに足が止まった。私たちが歩く間に季節は確実に変わっていた。

夕日が山肌を照らす中、遠くに村の姿が見えた。畑では収穫にいそしむ人々の姿が見えてきたとき、「あ〜よかった、一安心だ」と、胸の奥から安堵が込み上げた。

遠くに村の姿が現われ、収穫にいそしむ人々の姿が見えた

やがて私が名付けた「歯ブラシ山」という独特な山容が現われると、サルダンが近いぞと思った。テント場に着いたのは17時43分で、この日の行動時間は10時間半にもなった。膝の痛みも馬の暴走も、すべてひっくるめて無事に着いてよかったと思いながらも、馬に乗ってる間の膝が痛すぎてやっぱり苦行の一日だった。

 

10/5 サルダン ~ キャンプ (4374m)

朝6時半、目を覚ますと村人たちはすでに畑で大麦の収穫の真っ最中だった。「いったい何時から起きているのだろう?」と目をこすりながら見ていると、畑で収穫した大麦が三角形にきれいにまとめて並べられていて、まるでミニチュアのおもちゃのようだった。

収穫した大麦が三角形にきれいにまとめられ並べられている姿が美しい

さらに驚いたのは、昨日、村で出会った警察の人々(おじさんたち)が朝から私たちに、ビールやラーメンをごちそうしてくれたことだった。ネパールの山奥で、朝から警察の人と大盛り上がりとなるとは思わなかった。にぎやかな朝食を楽しんだあと、私たちは次の目的地のために出発した。

警察官が朝からビールやラーメンをごちそうしてくれた

サルダンから川沿いを南下していくと、気になるゴンパ(寺)が次々に現われた。対岸には、山肌にへばりつくように立つ立派なお寺があり、気になって仕方がなかった。私たちはいつも、それぞれのペースで行動するマイペース派。この時も、相方の伴ちゃんとは声が届かないほど離れて歩いていたため、勝手に寄り道するわけにはいかない。見に行きたい気持ちを抑え、そのままゴンパを通り過ぎた。しばらくして、お昼ごはんのために合流した時、「一緒にいたら見に行けたのにね」と2人とも同じことを考えていたことを知った。寄り道したい気持ちを抑えて先を急いでいたのは、私だけではなかったようだ。

途中、スゥ村という場所へと向かう途中、村人にこんな話を聞いた。「ラキョ村はチベット語の呼び名で、ネパール語ではチョー村だよ」、つまり同じ村に名前が2つあるらしい。これはドルポではよくあることだが、ほかの地域もそうなのだろうか? 確かに発行されている5万分の1の地図でさえ、村の名前が間違って記載されていることもあるし、一般的な概念図の地図では山や村の標高が異なることが多くある。だから標高に関しては、自分で現地で測った記録を地図に書き込み、それを基準にしている。

村は長く続くのに、人の姿は少ない。すれ違うのは草を運ぶ人ばかりだ。このあたりは冬になると、若者は家畜を連れてポクスンド湖から西方面、あるいは銀行や商店のあるドルポ地域への出入り口のひとつに位置する町ドゥネイ(標高2140m)方面に下りてしまい、村には子どもと年寄りだけが残るという。それで人が少ないのかもしれない。

赤く色づいた草があちこちで揺れ、思わず見とれるほど美しい。やがて川はエメラルドグリーンに変わり、そこだけまるで別世界のようだった。そして、この日のハイライトとなる出会いが待っていた。夕刻が迫るころ、前方から2頭の馬がやってきた。「現地の人の馬の乗りこなしはカッコいいなぁ、足は痛くないのかな?」など思って見ていたら、その一頭に見覚えのある人が乗っていた。なんと5年前に出会ったラパ村出身の「先生」と偶然再会したのだった。

「こんなことってある?」と思わず叫んでしまった。過去にはカトマンズで偶然会えた時もあったが、約束してもなかなか会えないドルポの人に、谷の中で偶然に再会する。これほどうれしいことはない。握手では足りず、思わずハグして大盛り上がりした。カトマンズで会ってもうれしいが、ドルポの地で会うと、「あぁ、この人はここで本当に生きてるんだな」という空気が伝わってきて、実にかっこいいと感じる。

初めての個人で臨んだ遠征でお世話になった「先生」と、偶然ばったりと出会った

ところで何故「先生」なのか。文字通り、当時はティンキュー村の先生だったからだ。先生は2012年に私が「ドルポの師匠」と呼んでいる大西バラサーブとの遠征から卒業し、初めて個人の遠征としてドルポを訪れたときに出会った人だ。2012年は12年に一度行なわれるチベット仏教のシェー大祭がある年で、この大祭をどうしても見たくて、私は友人女性3人とチームを組んで訪れた。現地で頼るあてもないなか、なにかと助けてくれたのが彼、「先生」だった。

今でも忘れられないのは、その大祭が終わってから、ドルポを横断していた途上のティンキュー村で再会したときの出来事だ。彼は突然、「シャワーを浴びられるよ」と声をかけてくれた。ドルポの長期トレッキングでは、1ヶ月シャワーなしなんて当たり前。頭も体もすっかり“山仕様”になっていた頃にそんな一言をかけられて、「いやいや、この環境でシャワーってどういう意味?」と首をかしげた。そして、案内された場所は、学校の畑のビニールハウスの中だった。標高が高いドルポでは、夏とはいえ外気はひんやり。でもビニールハウスの中は太陽の熱でほんのり暖かく、ホースから出る水もぬるま湯のようだった。「なるほど、こういうことか!」と大笑いしながら、伴ちゃんと丸裸になって浴びさせてもらったその即席シャワーは、過去にも未来にも人生で一番ありがたいシャワーになった。

この日は約18kmを歩いた。標高4000mを超えているのに、完全に高度順応しているから息は乱れない。これが“本当の順応の世界”だなぁと実感した。谷の道の紅葉も目を奪われるほど美しかった。ガイドのアガムさんが、「ここは前に歩いたことがあるけど、こんなに違うのか」とびっくりしていたほどだった。

さらに、ポクスンド湖から木材を運んできたカッチャル(荷役用で馬とロバのかけ合わせ)に出会った。アッパードルポは標高が高く木が少ないため、ロードルポから木材が運ばれてくる。その生活の一端が垣間見え、また一つ「ドルポに生きる現実」に触れられた気がした。

木材を運んできたカッチャルとすれ違い、「ドルポに生きる現実」を知らされる

この日のキャンプ地には、現地の人のテントが3つあった。その周りにはヤクの糞や、薪がまとめて置かれていて、そこに一組の家族がいた。ここは村ではなく放牧地だ。またドルポの生きた暮らしに触れられたことに私はうれしくなり、静かに見惚れてカメラのシャッターをきった。明日は、いよいよロードルポの村に入っていく。

この日のキャンプ地に到着。もともとは放牧地だったようだ

プロフィール

稲葉 香(いなば かおり)

登山家、写真家。ネパール・ヒマラヤなど広く踏査、登山、撮影をしている。特に河口慧海の歩いた道の調査はライフワークとなっている。
大阪千早赤阪村にドルポBCを設営し、山岳図書を集積している。ヒマラヤ関連のイベントを開催するなど、その活動は多岐に渡る。
ドルポ越冬122日間の記録などが評価され、2020年植村直己冒険賞を受賞。その記録を記した著書『西ネパール・ヒマラヤ 最奥の地を歩く;ムスタン、ドルポ、フムラへの旅』(彩流社)がある。

オフィシャルサイト「未知踏進」

大昔にヒマラヤを越えた僧侶、河口慧海の足跡をたどる

2020年に第25回植村直己冒険賞を受賞した稲葉香さん。河口慧海の足跡ルートをたどるために2007年にネパール登山隊に参加して以来、幾度となくネパールの地を訪れた。本連載では、2016年に行った遠征を綴っている。

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