エベレスト、K2、マカルー・・・壮大なヒマラヤを描いた漫画家・谷口ジローの“異才ぶり”に迫る

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1986年に原作・遠﨑史朗、作画・谷口ジローの布陣で連載が始まった山岳マンガ『K』。2021年に山と溪谷社から『ヤマケイ文庫 K』として復刻された。復刻版には、8000m峰14座全山登頂を日本人で初めて成し遂げたプロ登山家・竹内洋岳氏による特別寄稿と、山岳漫画評論の第一人者であるGAMO氏の文庫解説が収録される。今回は、GAMO氏による解説「異才のひと 谷口ジロー」を一部公開。山岳マンガ評論の第一人者であるGAMO氏ならではの着眼点で作画・谷口ジローを掘り下げていく。

解説=GAMO

解説
異才のひと 谷口ジロー

谷口ジローをご存じだろうか。山好きにとっては、本書『K』やマンガ版『神々の山嶺(いただき)』の作者として名前を聞いたことのある人も多いことだろう。世の中的には人気ドラマ『孤独のグルメ』の原作者として知られ、マンガファンには手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した『「坊っちゃん」の時代』の作者としても知られている。

また欧州各国では、『遥かな町へ』を始めとする数々の作品が漫画賞を受賞しており、国際的な評価も高い。そんな谷口の凄さを、「ストーリー」、「演出」、「画」という3つの視点から考えてみたい。

まず「ストーリー」だが、谷口ジローの描く作品のジャンルは実に幅広い。谷口の作品を前期(1970~80年代頃)と後期(1990年代以降)に分けると、前期はハードボイルドものやボクシングマンガなど動きの激しい作品が多いが、後期は身近な日常生活を描いた作品や自伝的作品など静かで落ち着いた作品が増えている。こうした幅広いジャンルの作品を生み出すことができた要因のひとつは、オリジナル作品(『遥かな町へ』『歩くひと』など)に加えて、原作者付き作品あるいは小説のマンガ化を多く手掛けてきたことが挙げられるだろう。しかも、ただシナリオや原作をマンガにするだけではない。『神々の山嶺』の原作者である夢枕獏の言葉を借りれば、「結構原作に忠実でありながら、完成品は完全に谷口ジローの世界観になって仕上がる」、「ある意味で漫画『神々の山嶺』は谷口さんの作品なんですよ*1」とのこと。どんなジャンルの作品であれ、原作の持つ魅力にオリジナリティを加えて自分のものとする能力は、谷口ならではの凄さだろう。

©PAPIER/谷口ジロー
ストーリー:救助者とその父の言葉を通じて、謎のクライマーKがどんな人物かを描き出す。『K』Chapter One K2より

次に「演出」だが、マンガの演出とは何だろうか。それは、コマ割り・構図・吹き出しなど、マンガとしての見せ方すべてを指している。「彼(谷口)が監督・撮影・演出、こっちが企画・制作・脚本*1」(カッコ内筆者追記)。そう表現したのは、『「坊っちゃん」の時代』など複数の作品で谷口とコンビを組んだマンガ原作者・関川夏央だ。関川は、「マンガ的表現の深まりに目をみはることがたびたびだった」、「できあがった彼の絵に刺激されて新たな展開の発想を得るというのが実情であった*2」と谷口の演出に影響を受けたことを吐露している。谷口自身も、「原作者=シナリオライターがイメージしているものはあると思うんですけど、それを超えるものを描こうといつも思っていました*1」という。この演出の凄さが、夢枕獏をして「谷口さんの作品」と言わしめたのであろう。

*1 『描くひと 谷口ジロー』(構成・編集=米澤伸弥・瀬尾英男、双葉社)より抜粋引用
*2 関川夏央「わたしたちはいかにして『「坊ちゃん」の時代』を制作することになったか」(双葉社『「坊ちゃんの時代」に収録』より抜粋引用

©PAPIER/谷口ジロー
演出:1ページ全て使って巨大な壁を表現することで山岳救助の困難さが伝わる。『K』Chapter One K2より

3つ目の「画」は、本書で見ていただいたとおり、緻密にして繊細、コマの隅々まで一切の手抜きがない。コマによっては1コマ描くのに1日かけるという。画を大切にする谷口ならではのこだわりだ。しかも谷口の画は、作品に合わせて変化・進化し続けている。前期は劇画タッチで画風はやや濃くて重いが、後期はフランスのマンガBD(バンド・デシネ)の影響もあり、明るく軽くなっている。また、谷口の画は誇張表現やデフォルメを極力抑えている分、リアリティを持って伝わってくる。

©PAPIER/谷口ジロー
画:谷口ジローはヒマラヤを訪れたことはなく、資料のみで精緻かつ重厚なヒマラヤ山脈を描いた。『K』Chapter four MAKALUより

こうした谷口ジローの凄さを、本書『K』のケースで見てみよう。まず「ストーリー」だが、『K』には原作者がいる。原作者の遠﨑史朗は元クライマーで、ヒマラヤ8千メートル峰を舞台にした山岳マンガ『しずかの山』(画=松本剛)の原作(愛英史名義)を手掛けるなど、山岳ものを得意としている。『K』のストーリーの良さは言わずもがなだが、何より主人公Kのキャラクターが良い。どこまでが遠﨑の創作で、どこからが谷口の脚色かは分からないが、スーパークライマーKを、敗北を知り、弱さを持った「普通の人間」として描いたことにより、Kの優しさ・謙虚さが際立ち、物語に深みが増している。山の怖さをよく知るKは、ヒゲを剃り落とす儀式を通じて自らの気持ちを切り替え、死地へと向かう。このシーンに、Kの人間らしさが凝縮されている。

解説

GAMO

山岳マンガ・小説・映画評論家。山岳エンタテインメント専門サイト「ヴァーチャル クライマー」主宰。著書『山岳マンガ・小説・映画の系譜』(山と溪谷社)では、山岳エンタメ関連の作品を網羅、分析している。

ドキュメント生還2 長期遭難からの脱出

ヤマケイ文庫 K

1986年に月刊「リイドコミック」で連載が開始され、1988年にリイド社より単行本化。その後「KAILAS」を追加して1993年に双葉社より再刊。本書はこの双葉社刊を底本とし、文庫化。本書には竹内洋岳さんが自らの高所救助体験を織り込んだ特別寄稿と、山岳マンガ研究家のGAMOさんによる解説をダブルで収録している。

谷口ジロー
遠﨑史朗
発行 山と溪谷社
価格 990円(税込)
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